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恵心僧都源信(えしんそうず げんしん)様 誕生院(942年御誕生)

 

僧都慈母清原氏(そうずじぼ きよはらうじ)安楽往生の寺(985年安楽往生)

 

       「健康・長寿・安楽往生」御祈願の寺(毎年7月10日の恵心忌法要に御祈願)

 

恵心僧都(えしんそうず)千回忌法要(平成28年7月10日)

 

 

 

 当寺は今から約千年前に恵心僧都(えしんそうず)(9421017)が誕生になった寺で誕生院阿日寺と申します。

恵心僧都は源信(げんしん)和尚(かしょう)ともいい七高僧のお一人で念仏の始祖とも仰がれています。

 

僧都は天慶5年(942)9月15日のお生まれで父は占部正親卿(うらべのまさちかきょう)、母は清原氏(きよはらうじ)、幼名を千菊丸(ちぎくまる)と申しました。

9歳の時、比叡山に登って仏門に入り、良源(りょうげん)大僧正に師事して名を源信(げんしん)と改め、15歳で時の村上天皇

のお召しにより、宮中で法華経の御前講義をされた程です。

 僧都は多くの書物を著わされ、その中で最も有名なのが『往生要集(おうじょう ようしゅう)』です。

その要旨は「阿弥陀仏の大願業力(だいがんごうりき)によって極楽に生まれるためには、念仏の功徳にあずかることが

最も大切であるということで、この思想は鎌倉時代に入ると法然上人によって浄土宗が生まれ、

親鸞聖人によって真宗が開かれる基盤ともなりました。

恵心僧都は仏画・仏像彫刻にも優れ、多くの文化財を残しておられます。

 

 寛和元年(985)9月17日、ご生母の臨終に当り僧都は手づから母に浄衣(じょうえ)(新しい着物)を着せ、

除魔の法を修し母と共に念仏されて、翌18日未明慈母は無苦正念(むくしょうねん)に72歳をもって「安楽往生」なされました。

僧都は母の忌中に阿弥陀仏の像を刻み、母の身代わり仏として朝夕お仕えになりました。

この霊仏は無病息災長寿を守護し、一切の苦厄を払いのけ、下の世話をかけずに「安楽往生」が

出来る功徳があって、その霊験はすこぶるあらたかで、阿日寺の御本尊として代々受け継がれてきました。

この修法が今日に伝えられ毎年7月10日には「恵心僧都遠忌法要」

と共に参詣の人々のために「御祈願」が古くから執り行われています。

 

 当寺は恵心僧都が母の為に刻まれた「阿」弥陀仏と、父の為に刻まれた大「日」如来の二文字を取って「阿日寺」と申します。

かつて忌中(きちゅう)の丘とも忌中堂とも称され、戦国時代の岡周防守(おかすおうのかみ)の菩提寺でもありました。               

 

合   掌


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