鎮宅霊符神社

奈良県奈良市陰陽町

祭 神

天御中主神


「ならまち」と呼ばれる地区にあり、現社地住所の陰陽町は、小説・漫画や映画ですっかり有名になった陰陽師に関わる町名です。

ただし、陰陽師の名が安倍晴明の存在により有名になったとはいっても、陰陽師がすべて安倍晴明のような上級官僚的陰陽師だったわけではなく、さらに式神を操るような超人的な能力を持っていたことなども史実ではありません。



官僚的陰陽師が古代から武家の時代までの統治機構の中で陰陽五行思想による占筮や天文学・暦学を司っていたのに対し、中世から近世にかけての声聞師(下級の宗教者で呪的芸能などを執り行っていた。唱門師とも。)の生業として陰陽師となる者もいました。後者は民俗学系の研究書で、区別のために民間陰陽師と呼ばれることがあります。

民間陰陽師は、お祓い・加持祈祷・吉凶判断や暦の製造販売などを行っていました。暦は吉凶禍福の判断に用いられる呪具の一つでもあります。そのようなことからも民間陰陽師は、案外、庶民の生活に密着した存在だったのでしょう。そして彼らは、安倍晴明の系である陰陽頭土御門家の支配下にありました。



現在のならまちの陰陽町にも、過去に陰陽師がいたとの記録があります(参照:奈良の被差別民衆史)。当社鎮宅霊符神社も彼ら民間陰陽師が祭祀していたであろうことを想像するのは易いことです。

資料によるものではなく私的推測ですが、当社の本来の祭神は天御中主神ではなく、社名や扁額の通り鎮宅霊符神であったと考えられます。

鎮宅霊符神とは道教の神で、護符すなわち守り札の力を司る神ですが、その実態はいささか掴み難いものがあります。日本においては陰陽道で祭祀されており、現在でも道教色の強い神祠にて見かけることがあるほか、泰山府君とともに「土御門神道」においても祭祀されています。



鎮宅霊符神はまた、北辰妙見菩薩とも同一視されています。一方で、当社の現祭神である天御中主神も、妙見信仰の中で北辰妙見菩薩に同一視されてきました。そして北辰妙見菩薩は北極星を神格化した尊格ともいわれ、方位を司る神でもありました。

当社の祭神変更は、牛頭天王などの廃祀と同様おそらくは明治期の神仏分離によるものと思われます。時代の趨勢からやむを得なかったとしても、変更された祭神には陰陽道としての整合性を見て取ることができます。





INDEX