不退寺
奈良県奈良市法蓮東垣内町
宗派 真言律宗

山号 金龍山

本尊 聖観音菩薩


正式には不退転法輪寺といい、在原業平の開基と伝わることから「業平寺」とも呼ばれます。平城天皇が隠遁して住んだという「萱の御所」を、平城天皇の皇子である阿保親王が継ぎ、さらに阿保親王の5男である在原業平が寺院としたとされています。

本尊の木造聖観世音菩薩立像(国指定重要文化財)は業平自らが刻んだものと伝わり、業平観音の名を持ちます。とはいうものの、平安時代中期の作風を持つことから、業平作とは後世に流布した話なのかもしれません。もちろん、業平作であろうが無かろうが素晴らしい尊像であることに違いはありません。



ご住職の解説によれば、本尊を守る配置の五大明王像のうち不動明王を除く4体は、姿勢や表情とも明王像としては穏やかなものであるとのことです。また、不動明王には古代の群青色が今もって残っています。

鎌倉時代の建造と考えられる国指定重要文化財の本堂は、その内部の柱や梁に鮮やかな朱色が残ります。これは神仏習合の時期の神社建築の影響だそうです。柱にかかる格子は業平格子ともいわれ、業平が好んだ着物の柄を格子模様として再現したということも解説されました。このように在原業平に深くかかわる寺院です。

在原業平は六歌仙・三十六歌仙の一人で、また「伊勢物語」のモデルとされています。「伊勢物語」では主人公の様々な女性遍歴が描かれ、伊勢斎宮との密通までもが書かれます。このためモデルとなった在原業平は、平安京随一の美男でプレイボーイだったとされています。「伊勢物語」は光源氏の女性遍歴をたどる「源氏物語」の参考にされたという説も。



在原業平のことを知ろうとする場合は次のサイトなどが参考になるでしょうが【Link:Wikipedia】、別なキーワードで検索した方が面白い記事が参照できるでしょう【参考検索】。実際にプレイボーイだったからモデルとされたのか、モデルとされたから後にプレイボーイであると伝承されたか実情は分かりませんが、父祖の菩提を弔う意志を持った人物であるのは間違い無いでしょう。



●伊勢物語に載る歌を刻んだ歌碑●





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