白兎神社

鳥取県鳥取市白兎

祭 神

白兎神(豊玉姫)

社頭の北向きの鳥居からは雄大な日本海の光景が眺められます。その海岸が白兎海岸と呼ばれ、因幡の白兎伝説の舞台になった海岸といわれています。そして当社白兎神社は因幡の白兎を祭神とします。

有名な説話です。ワニザメをだまして海に並ばせ、その背を飛び渡って対岸へ渡ろうとした狡智に長けた兎の話です。兎はワニザメの仕返しにあい、前身の毛をむしられてしまいます。そして、そこに通りがかったオオクニヌシに助けられ、治療の方法を教えられるというストーリーになります。

当社境内には兎が体を洗ったという池や、その後にくるまった時の蒲(がま)の穂の木の跡があります。拝殿には出雲大社のような太い注連縄が飾られており、神紋も出雲系の亀甲紋。本殿こそ大社造りではありませんが、まさに出雲系の神社とみることができます。



当社には1つの特徴的な物があります。「菊座石」と表記される、本殿を支える合計6個の土台石です。「菊座石」にはそれぞれ二十八弁の菊の彫刻がなされています。下記の社殿画像および案内板画像を御覧下さい。

これをご覧になられた方はどのような印象を持たれるでしょう? 支えでしょうか? 縁の下の力持ちとして頑張っている? 本稿筆者には菊を踏みつけているように見えます。

次のような例を基にして当社のことを考えてみるのは間違いでしょうか? つまり、祭祀をはじめとする様々な事象の中で、物理的に下部に配置された物は心理的にどのような位置関係に捉えられるかということで。

蓮の花に乗る如来像があります。地天女の肩に乗る毘沙門天像があります。力士に支えられる形の灯篭があります。亀に支えられる形の鳥居があります。これらは縁の下の力持ちという構図を表しているかのようですが、わざわざ下部に置かれる物を拝するわけではなく、あくまで上に乗る側に重要性があると見て取れます。

獅子・象・孔雀あるいは狐など様々な動物に乗る尊像があります。下で支える者はあくまで使役される側であったり眷属であったりという関係で、上に乗る尊格より上位ということはありません。

四天王像のように邪鬼を踏みつけにしている造形があります。これは邪鬼を封じていると見られ、この場合の上位下位の関係は言うまでもありません。



一般的な生活の中で、友人知人などの他者に関する写真や物品を踏みつけると、これは相手を見くだして失礼なことをしたという気分になります。特に旗やのれん・看板など、その相手を象徴する物品を踏みつけることにはそれなりの心理が働くものです。

これを逆手に取った物が、江戸期のキリシタン弾圧のための「踏み絵」です。また、明治維新前の長州藩では、草履の裏に「薩賊会奸」と書くケースがあったそうです。崇める気が無く見くだすつもりであるなら踏みつけることも可能でしょう。

ここで思い出したのは織田信長の安土城についてです。安土城の復元模型などをご覧になった方はご存じかもしれません。安土城の本丸御殿は天皇の座所としての機能があったと考えられています。が、本丸御殿は天主(天守)よりずっと下方に位置し、本丸御殿を見下ろす位置に信長が住まいする位置関係になります。このことは複数方面からの指摘があります。

信長がその権威を利用するつもりであったとしても、神聖視するか否か、崇めるか見くだすかという視点で信長の考え方を推測すると非常に面白いものがあります。

これらの例により、物理的に下部に配置された物は心理的な位置関係としても下位にある、そのように捉えて間違いはなさそうです。ではこの心理的な位置関係を当社白兎神社に当てはめることは間違いでしょうか?

因幡の白兎はオオクニヌシに助けられます。出雲神話の中でオオクニヌシは、タケミカヅチ・フツヌシに攻められます。タケミカヅチ・フツヌシに、オオクニヌシ征討を命じた側の指揮官はアマテラスです。その征討行為は、古代東北史の中での征夷軍事行動と酷似した行為です。朝廷と東北エミシの対立が長らく続いたように、出雲神話では高天原と出雲の対立構造が見られます。白兎(を祀った人たち)が出雲系勢力であったことは間違い無いでしょう。

案内板にもあるように菊はアマテラスの家系を象徴します。そして十六弁と二十八弁の違いはあっても、当社では物理的な最下部に菊が配置されています。当社の正確な創建時期は不詳であり、江戸期に再建されたとも伝わりますが、そこに出雲と高天原の対立構造が暗示されているようにも解釈可能です。島根県内や奈良県内など、神代や古代の対立構造をに引き継いでいる神社の例は複数見られます。




以上はあくまでごく私的な考え方ですが、当社に「菊座石」が置かれている限り心理的な位置関係についての解釈を当てはめることは可能でしょう。少なくとも当てはめてはけないということはできないでしょう。対立があれば一方が他方を見くだすこともあり得るでしょう。神社と城の規模の違いはあれ、信長の考え方に類似した心理が伺えそうな非常に興味深い神社です。

案内板に書かれる「何らかの関係」の推測ではない正確な内容や、菊を踏みつけていることの妥当な解釈などご存じの方は、ぜひご教示または発表をお願いしたく思います。





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