神坐日向神社

奈良県桜井市三輪町字御子ノ宮


大神神社末社
祭 神

櫛御方命
飯肩巣見命
武甕槌命


当社社名は「みわにますひむかいじんじゃ」と読み、江戸期には「日向王子」とも呼ばれました。が、三輪山近辺には日向国(現在の宮崎県)に関する伝承は、トンデモ説を除き存在しないため、「日向」という名は日神信仰との関係性を示唆しているかのようです。



一方で、三輪山頂には現在「高宮神社:こうのみやじんじゃ」と呼ばれる社があり、その祭神は「日向御子神」とされています。日向御子神は史書には登場しない神名ですが、三輪山にて祭祀されるオオモノヌシ神の子であるとされています。

日向神社は三輪山頂にあったという説があります。つまり、山麓の日向神社、山頂の高宮神社、この2社の名がかつてはが逆であったという話で、逆であった時期は江戸期をさらにさかのぼるものと考えられています。この場合は社名のみが逆であったということで、祭神そのものは現在と同じであったと見る方が良いでしょう。

山頂の高宮神社の祭神名が日向御子神であるなら、山頂の社は高宮神社ではなく「日向神社」である方が辻褄が合いそうです。三輪山頂から太陽を祭祀することが仮にあったとしたら、前述したように日神信仰に関係する可能性があり、そのことからも山頂の社が日に向かう名を持つ方が良さそうに思われます。



三輪山麓の当社日向神社の祭神は、上記の通りクシミカタ・イイカタスミ・タケミカヅチの3神。この3神は日本書紀には登場せず、古事記崇神条に三輪氏の祖オオタタネコの祖神の名として登場します。この場合のタケミカヅチは、鹿島神としてのタケミカヅチとは別神と考えるべきでしょう。

オオタタネコの後裔にして壬申の乱(672年)で活躍した三輪高市麻呂の系の三輪氏は、中世に高宮氏を名乗り大神神社の社家として続きます。このことから、現在の山麓の日向神社が、本来は「高宮神社」であったと考える方が辻褄が合いそうです。

高宮神社および当社日向神社ともに、延喜式神名帳に記載される大社「神坐日向神社」の論社となっています。どちらもが論社であって正式に確定していないのは、これら2社の関係に上記してきたような混乱があるためで、それが現在も決着していないからだということができます。

分かりやすくまとめると次のようになります。

1.現在の状況
 山麓=日向神社=祭神:櫛御方命 飯肩巣見命 武甕槌命
 山頂=高宮神社=祭神:日向御子神

2.かつての様子として推測される状況
 山麓=高宮神社=祭神:櫛御方命 飯肩巣見命 武甕槌命
 山頂=日向神社=祭神:日向御子神



こうしてみると、やはり2の方が整合性があるように思われます。これらの状況について、明治初期に大神神社から明治政府内務省に対して、日向神社と高宮神社の社名の入れ替えを希望する旨の上申がなされましたが、同省から保留の通達があり神社名は変更されないまま現在に至っています。

山麓の当社日向神社もまた、北向きの鳥居および社殿を持つ数少ない祭祀形式をとっています。北向きであり、高宮神社ともに社名の変更が認められないなど、不遇さが見え隠れする印象があるのは、おそらくは本稿筆者の気のせいなのでしょう。





INDEX