法輪寺
奈良県生駒郡斑鳩町三井

宗派 聖徳宗

山号 妙見山

本尊 薬師如来


土地の名によって三井寺とも呼ばれています。この別名については当寺のある三井の地名に由来し、付近に聖徳太子ゆかりと言われている3つの井戸があったこと、また、聖徳太子の子である山背大兄王が三井の井戸で産湯をつかったことが伝承されています。法隆寺式伽藍で、元の規模は法隆寺西院伽藍の3分の2でした。



創建は飛鳥時代と伝わりますが、伝承では二通りの由来が説かれています。一つは、山背大兄王が、太子の病気平癒を祈願して622年(推古30年)に建てたとする伝え、もう一つは、創建された法隆寺が一旦焼失、その後、3人の百済僧が建てたとするものです。本尊薬師如来像と虚空蔵菩薩像は共に重要文化財。その造像は飛鳥時代末期にさかのぼるとのことです。江戸時代初期には寺勢が衰微し三重塔を残すのみとなりましたが、その後、順次諸堂が再建されていきました。

斑鳩には、聖徳太子および山背大兄王に係る「法」の名を持つ法隆寺・法起寺・法輪寺の3カ所の寺院があり、法隆寺は五重塔を、法起寺・法輪寺はそれぞれ三重塔を有していて、これらは斑鳩三塔と呼ばれていました。



法輪寺三重塔は元々国宝でしたが、1944年(昭和19年)7月、落雷によって焼失しました。それに伴い、残念ながら国宝指定は解除されました。しかしながら、作家の幸田文氏(幸田露伴氏の次女)や地元の有志の尽力により、1975年(昭和50年)に焼失前の塔と同規模で再建がかないました。





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