祝園神社

京都府相楽郡精華町祝園

祭 神

天児屋根命
建御雷命
経津主命


祭神は春日三神ですが、これはこの神社が江戸期に奈良興福寺の管理の元にあったためで、本来の祭神はこの3神では無かったという見解もあります。

10代崇神帝の治世、崇神の腹違いの兄武埴安彦はその妻の吾田媛と供に反乱を起こしました。武埴安彦は山背より、妻の吾田媛は大坂から、それぞれ大和へ向けて軍を率いて向かいました。



しかしながら武埴安彦の動きを察知した崇神は、武埴安彦の軍に対し大彦及び彦国葺を、吾田媛の軍に対し吉備津彦を差し向け、武埴安彦と吾田媛は敗れ去りました。武埴安彦の軍の兵士を屠った場所を「羽振苑:ハフリソノ」といい、これが今の祝園神社のある場所、祝園(ホウゾノ)の地名説話となります。

境内案内板によれば、この地にとどまる武埴安彦の亡魂が人民を悩ましたため、48代称徳天皇の治世に春日大神を勧請してその鎮めにあてたことがこの神社の創祀であったと記載されています。この神社も、後の平安期の御霊神社のように、武埴安彦の霊を鎮魂するための神社であったかもしれません。





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