入鹿神社

奈良県橿原市小綱町
祭 神

蘇我入鹿公
素盞嗚命


寺社参詣において、時おり「感じるままにお参りすれば良い」などと言う人がいます。雰囲気の良い寺社に詣でて、境内で風を感じ木もれ日を浴び木々の話し声に耳を傾け、そして名を知らぬ本尊や祭神に手を合わせる、それはそれで良いのでしょうが、それだけでは不十分であると同時に何とももったいない気がします。

寺社は宗教施設なのだから祭祀の対象となる本尊や祭神、つまり尊格が必ずあります。その尊格の名を知ることは宗教的な観点からすれば非常に重要なことです。が、寺社を詣でる日本人は本尊や祭神の名に無頓着な人が多いと、神職さんがお書きになった本でも読んだ記憶があります。

宗教的観点以外に、尊格の名を知ることが、背景にある歴史や思想の広がりを知るきっかけとなるケースは非常に多いと考えます。本稿筆者は多くの場合そういう視点から寺社を詣でています。次に例を挙げて考えてみましょう。



まず稲荷神を一例としてその背景を。神道系のお稲荷さんであるなら、その祭神の多くはウガノミタマ神と呼ばれる穀霊神であり、通常はスサノオの神統譜に入れられます。京都市の伏見稲荷大社を総本宮とし、平安京の成立や古代からの渡来豪族秦氏との関わり、稲荷信仰が庶民の信仰となり民間稲荷行者が現れる経緯などが様々に研究されています。

仏教系のお稲荷さんでは、愛知県豊川市の豊川稲荷妙厳寺を中心とした荼枳尼天(だきにてん)信仰の形式があります。また、イナリを「鋳成」と表記することで製鉄との関係も推測可能となります。稲荷神の名を知ることでいろいろな方向に思考が進みます。

別な一例としてオオトシ神のケースもあります。大年神と表記され、やはりスサノオの神統譜に入れられる穀霊神ですが、大年神以降にも神統譜は続き、国津神の分岐点に在る重要な神格となります。オオトシ神を大歳神と表記するケースも多く、これは陰陽道と関係する可能性があります。また、大年神社の祭祀は地域的な特徴があり(兵庫県の播磨地方に非常に多い)、陰陽師や唱門師、それらを含む賎民身分の人たちの歴史を考えることにも繋がります。

神社でいうなら大国主神がなぜ縁結びの神とされるか、菅原道実がなぜ学問の神とされるか、寺院でいうなら歓喜天祭祀の寺院でなぜ十一面観音の真言が唱えられるか、それらの理由や事情が尊格の名の背景にあります。以上はわずかな例ですが、本尊や祭神の名を知ることで、背景の歴史や思想の広がりを知るきっかけになるということが分かると思います。

前置きが長くなり失礼しました。入鹿神社の話に続きます。

入鹿神社を尋ねました。当社は、神仏分離の際に廃寺となった普賢寺の鎮守社であったと伝えられています。普賢寺の建物は境内に隣接する大日堂として残り、同寺の本尊であった大日如来像も堂内に祀られています。

入鹿神社はその名の通り、乙巳の変(645年)から大化改新で逆臣とされてしまった蘇我入鹿を祀る神社です。蘇我氏については古来より研究が進み、本稿筆者が何かをいうのもいまさらという感じです。それはさておき、この神社の祭神は蘇我入鹿、そしてスサノオはかつて牛頭天王でした。両者とも神道的に考える場合は異端の神といえましょうが、本稿筆者が非常に興味を持つ神でもあります。

この神社の氏子さんたちは藤原氏ゆかりの多武峰にお参りすることはないと資料やガイド本などで見かけます。多武峰には現在、藤原鎌足を祭神とする談山神社(神仏分離以前は多武峯寺)があり、藤原鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿暗殺の談合をしたと伝承されています。



氏子さんたちは多武峰にお参りすることはないという話が今も残っているのか、それを確認したく思い入鹿神社を訪れたところ、神社近くにお住まいの氏子総代さんにお会いする機会を得ました(本稿筆者が参詣した時期から考えて、現在、氏子総代さんは交代されているものと思います)。総代さんからは、次のような興味深いお話を伺うことができました。

■蘇我氏は仏教を日本に広め擁護した、仏教への功労者であると考える。

■蘇我氏を逆臣とする日本書紀の史観により、明治期に小綱神社への改称を強要されたことがあったが、それに対して住民はきっぱり断った。

■氏子さんたちは、現在でもやはり多武峰には参詣しない。ただし、敵情視察的な意味で多武峰を訪れたことはある。

何より強く感じたのは、自分たち(氏子さんたち)は「蘇我入鹿公」を祀る神社を今まで守ってきたのだという自負であり、今後もそれを伝え行くという気概でした。そして、氏子さんたちは一般の研究者のように蘇我入鹿と呼び捨てにすることなく“公”を付けて「蘇我入鹿公」と呼ぶそうです。それを表すかのように、神社の近くには「蘇我入鹿公御旧跡」と書かれた標柱があります。

総代さんのお話を大事に考えるならば、例えば「スサノオを祭祀する神社は〇〇神社だ」、「〇〇寺は●●菩薩を本尊とする」というように、当社では蘇我入鹿を祭神とし祭祀するとハッキリ言うことができます。「感じるままにお参りすれば良い」というようなスピリチュアルな感覚はあまり必要ないと思います。

蘇我入鹿を祀る神社を尋ねられたら、本稿筆者はまず当社を紹介することでしょう。その名を知ることで、古代から現代までの様々な事象の一端を見ることができるのですから。



訪れたのが年末の慌しい時期だったにもかかわらず、普段は本稿筆者のような部外者を入れないはずの拝殿内を総代さんがご案内下さり、また、部外秘であるはずの本殿内陣の様子をも伺うことができました(ここには書きません)。

拝殿内には作られたばかりの注連縄が多く置かれており、それらは神事の時に、真新しく神社を飾ったことでしょう。
●正蓮寺大日堂●

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