漢国神社
奈良県奈良市漢国町

祭 神

園神・大物主命
韓神・大己貴命
  ・少彦名命


593年(推古天皇元年)に大三輪君白堤(しらつつみ)により、まず園神(そのかみ)として大物主命が祭祀され、その後717年(養老元年)、藤原不比等により韓神(からのかみ)が祀られたと伝わります。由緒書きの記述では、かつては春日率川坂岡社という名称であったこと、また、神社名そのものが、「韓」が「漢」に、「園」が「国(國)」に変化したことが分かります。渡来系の神の存在を髣髴とさせる社名です。



「韓」・「園」と並べて思い出すのは、記紀、特に古事記に記載される大年神の系譜についてです。大年神の神統譜はいくつかに分岐します。そのうち大年神と伊怒比売(神活須毘神の娘)との間に、大国御魂神、韓神、曾富理神、白日神、聖神の5神があるとされています。この中で、韓神(からのかみ)・曾富理神(そほりのかみ)の2神が、当社漢国神社の祭神に非常に近い読みになり、当社祭神と大年神との間に何らかの関係があるように推測できます。

この関係は、古事記の記述は読み方によってオオモノヌシ神と大年神の関係が伺えること(大物主神の記述のすぐ後に脈絡無く大年神の系譜が記載される)や、神話の中で大年神の父神スサノオが新羅へ渡ったという伝承、古代の三輪氏がその配下に渡来系の須恵器製造集団を置いていた可能性(大物主神伝承論翰林書房:阿部眞司著)などによっても推測が可能となります。



古事記の成立は712年であり上記藤原不比等の伝承が717年と時期的に近接していることから、当社祭神と渡来系の神との関係を藤原氏は把握していたかもしれません。が、ここから先は古代史の迷路に迷い込んでしまうことになるため、残念ながら本稿筆者が考えを進めることはできません。本稿では上記のようにいくつかの関連性を指摘するにとどめます。

漢国神社境内には林神社(りんじんじゃ)があり、林浄因命を祀ります。神社そのものは1949年(昭和24年)に建てられた新しいものです。林浄因は現在の中国・浙江省杭州市出身で、1349年(貞和5年)に来日し漢國神社付近に住んだといいます。



林浄因は中国の饅頭(マントウ)を基にして日本で初めて饅頭を作ったとされ、また、後村上天皇に饅頭を献上したとも伝わります。そのためか林神社は、その建築に製菓業者の出資があり、また、広く菓子関係の崇敬を集めることとなっています。





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