ケガレ・触穢・女性蔑視への私考

●触穢●


「穢れ」は神社神道において非常に忌み嫌われるもので、穢れを祓うことは神道の重要な要素の1つです。また穢れは様々な経路で伝染すると考えられ、穢れを負った人と同席する、煮炊きに同じ火を使うなどの行為は避けられていました。

「穢れ」は「汚れ」とは違い、現代人には観念的で分かりにくいものです。民俗学的には、ハレ・ケ・ケガレという3者の対比においてカタカナで「ケガレ」と表現します。私的には「不幸をエネルギー化したようなもの」と考えれば分かりやすいのではないかと思います。数あるケガレの中でも次の3件は代表的なものです。

 ■血のケガレ→赤不浄→血穢・月事穢
 ■産のケガレ→白不浄→産穢
 ■死のケガレ→黒不浄→死穢

まず延喜式臨時祭に「凡触穢悪事応忌者 人死限卅日 産七日 六畜死五日 産三日 其喫宍三日」として触穢のことが規定されます。大雑把にいえば、穢悪(えお)の事に触れるにおいて忌に応ずる(期間)は、人の死は三十日を限る、(人の)産は七日、六畜の死は五日、(六畜の)産は三日、その肉を食するは三日とする」という意味の規定となり、この期間、寺社への参詣や出仕することを避け身を慎しんで物忌みするものとされます。このことから推測されるように、現代でも使われる“忌”という言葉は、ケガレが消えると考えられた時間的スパンが基になっています。そして触穢を基にしたケガレを忌み嫌う思想が中世に発展し、これを触穢思想といいます。

冒頭に神道を出しましたが、仏教においてケガレが忌み嫌われないかというと神道と似たようなものです。というより、神道と仏教の混淆によって触穢思想は強化・体系化され、上記の3件以外にも多くのケガレが設定されることになります。産穢・死穢・月水の穢・食肉の穢・五体不具の穢(五体不具の死体を穢とするもので身体障害をいうものではありませんが、身障者差別と結びつきやすいものでもあります)など、非常に多くのケガレが諸神社の服忌令などで規定され運用されてきました。服忌令とは、物忌みを基にした参詣制限事項集といい替えることもできます。

ケガレを忌み嫌う触穢思想はそれが受け継がれてきた時代には正当だと考えられていたものであり、時代によっても善悪の基準は違うので、その時代においてのそれが正しい考え方だったこともあるでしょう。そして、触穢思想は現代にも様々な影響を残しており、女性差別や障害者差別、部落差別など様々な差別の根本にこの触穢思想があるものと本稿筆者は理解しています。



氏神から氏子へ人形(ひとがた)が配られ、諸々の罪穢れをその人形にとり憑けて流すという慣習はケガレ観というものの名残りであるように思います。歴史の中で、生きた人間さらには社会的弱者がその人形のような役割を担わされるケース、つまり祭礼の露払い、死体処理を含む寺社など聖域の清掃、その他諸々があったことを想像するのは容易でしょう。

身近なところでは年賀欠礼や清め塩も、死のケガレを寄せ付けず祓い清めるための儀式的慣習と見られます。女人禁制の中でも女性をケガレ多い者と見て宗教行事から排除する行為や、子供が生まれた後の一定期間、産穢が明けていない母親の神社への立ち入りを認めない、巫女を含む女性の生理時の神域への立ち入りを認めないなども触穢思想という同じ範疇の慣習でしょう。

これらについては長く守られてきた伝統であって差別思想ではない、差別にはつながらないとする強弁も見られますが、守られてきた伝統には、ことに女性に関するものには差別的伝統が多いように見受けられます。そこにケガレという“共通項”や触穢思想という“方程式”を導入することで、根本に差別思想と同じものがあると考えられます。もちろん、現代ではすでに消滅した触穢思想もあるわけですが。

中・近世や近代の人より現代人の方が、ほんのわずかですが知識や情報を多く持っていると思います。そして現代の視点によって、ケガレそのものに実態がないことや、触穢思想が実体の無いケガレを基にした思想であることが分かります。こういう思想を背景にし現代に残っている慣習を、現代の視点で修正することが可能ならば修正するべきだと思います。

●諸社禁忌●

本稿はこれ以降、女性のことに話をシフトしていくので、関連する情報として「諸社禁忌」から産穢・死穢に関する記載を参照してみましょう。「諸社禁忌」は鎌倉期に成立したとされる、畿内21ヶ所の著名な寺社への禁忌を編集したものです。諸社禁忌は、国立国会図書館近代デジタルライブラリーで参照が可能です。次項「続群書類従3下」卷第八十の前半部をご参照下さい。

【Link:諸社禁忌 151/224】



表中、「〇ヶ日」の見方としては、出産により産穢を負った者、身内の死により死穢を負った者は、〇ヶ日の期間、物忌みによって当該神社の参詣が不可ということになります。神社によって微妙な日数の違いが見られます。

式文とは延喜式の記載を対比したもので、それにより平安期よりも鎌倉期のほうがケガレに対する意識が強くなっていることが分かります。
●諸社禁忌による産穢・死穢の規定●
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諸社禁忌には、先述の産穢・死穢を含む計15件もの項目の禁忌についての記載があります。次にそれらを挙げていきます。なお、□産穢・□死穢については上記表をアップしたことで既出とさせていただきます。

□産穢−出産時のケガレ 上記表によるものです。

□死穢−死者が出た時のケガレ 上記表によるものです。

■触穢−上2件の穢に触れた者を甲、それが伝染したものを乙とし、それぞれの参詣条件が記載されます。

■服假−服喪中の者への参詣条件が記載されます。

■五体不具−五体不揃いの死体に遭遇した者の参詣不可期間が記載されます。

■失火−火事を出した者への参詣不可期間が記載されます。

■傷胎−流産した者の参詣不可期間の記載。妊娠4ヶ月以降の流産では、それ以前と比べて大きく期間が増えます。

■妊者−妊婦とその夫への参詣条件の記載。着帯以降は夫婦とも参詣不可が多くなります。

■月水−生理中の女性の参詣不可期間の記載。おおむね7〜10日間は参詣不可となります。

■鹿食−鹿肉食をした場合の参詣不可期間が記載されます。

■蒜−ノビルを食べた場合の参詣不可期間が記載されます。

■薤−ニラを食べた場合の参詣不可期間が記載されます。

■葱−ネギを食べた場合の参詣不可期間が記載されます。

■六畜産−家畜の産穢に遭遇した者の参詣不可期間が記載されます。

■同死−家畜の死穢に遭遇した者の参詣不可期間が記載されます。

【Link:諸社禁忌 151/224】(再掲)



これらがそれぞれ21ヶ所の寺社について詳細に記載されています。上に名を挙げた「服忌令」は、諸社禁忌をさらに詳しく神社ごとに取り決めたものと考えて良いでしょう。デジタルライブラリーをご参照下されば「続群書類従3下」卷第八十の後半部で服忌令のいくつかを見ることができます。

さて、産穢・死穢・触穢・・・と並ぶその順は諸社禁忌に記載された順であり、禁忌の真っ先に「死穢」ではなく「産穢」が挙げられているところに特徴があります。さらに傷胎・妊者や月水のことも挙げられているのは、女性に対するケガレ観が非常に大きかったことを表しているように読み取れます。特に産穢については、平安期から鎌倉期へ時代を追ってケガレ観が大きくなっていった傾向があることが指摘されています(女性と穢れの歴史:成清弘和著)。

いかがでしょう? これら禁忌の項目を現代に適用しようとすれば、日常的に生や死に接する職種の人たち、例えば医療関係や葬送関係者・警察・消防、また、飲食関係者、その他諸々の職種に就く人たちは日常的に神社へ参詣できないことになってしまいます。現代の視点で見ると、昔の人たちはなんともつまらないケガレ観を持っていたように思え、馬鹿馬鹿しさの限りの印象を受けます。

なお、熊野は上記の禁忌の項目で記載される数も非常に少ないものとなっています。熊野権現は穢れを厭わないとされており、赤不浄・白不浄・黒不浄ともに熊野は受け入れてきたとのことです(熊野の神々の風景:松原右樹著)。

●仏説大蔵正教血盆経●

次に女性の方にお知り頂きたいのが、地獄に堕ちたカンダタを主人公にした小説などに描かれる「血の池地獄」についてです。この地獄の名は良く知られているでしょうが、では血の池地獄の血は何の血かというと、断定できるほど高い率で女性の経血であるということができます。

女性は経血を地に流すことによって地の神その他諸々を穢す罪深い存在であり、女性のみが堕ちる地獄(血盆池地獄、いわゆる血の池地獄)があることが「血盆経」という経典に説かれます。

【Link:血盆経信仰の諸相】

血盆経は正確には「仏説大蔵正教血盆経」という短い経典で、中国由来の偽経典が平安もしくは室町期に日本に入ってきたものと考えられ、決してお釈迦様が説いた教えではないとされています。問題は、日本仏教の多くの宗派でそれを受け入れたということです。受け入れられて僧や聖など布教関係者の手で流布されればそれは仏教の教えとして成立したと同じ状況になります。

血盆経に説かれるのは女性を蔑視すべきという思想と共に、血盆経を基にした修法により女性が救われるという信仰です。しかしながら血盆経の信仰が巷に受け入れられた背景には、まず女性が男性よりも多くケガレや罪を負った存在という認識があったことにほかならないでしょう。だからこそ救われるべき存在という発想に繋がるわけです。



女性蔑視観の1つの表れとして、宗教施設・宗教行事の中の女人禁制があげられます。女人禁制の根拠は様々にいわれ、特に現代の擁護派から出るのは決まって「女性を守る・休ませる」ものであったという意見ですが、それはキレイごとというものでしょう。

諸社禁忌や諸神社の服忌令などでは触穢思想のうちでも産穢や血穢の規定が多く記載されます。血盆経のほか変成男子・女性の五障三従などの背後には女性蔑視観が強く広がっています。さらにあろうことか「熊野観心十界曼荼羅」には、子を産まない女性が堕ちるとされる「不産女(うまずめ)地獄」までもが登場します。

【Link:和歌山県立博物館ニュース「地獄の話 熊野観心十界曼荼羅A」】

それらのあり方はすべてが女人禁制に近しい位置、すなわち宗教内部に存在します。こうなると神社神道や日本仏教は、またはそれを運営している人たちは女性をどう考えてきたのか、まず蔑視することから始めるという発想しか持たなかったのか、それを問いたい気にならないでしょうか?

女性蔑視観の存在感の強さからしても、差別の根本となる触穢思想と女人禁制に関係が無かったとはとうてい考えられません。現代の視点で見れば明らかにケガレ観を基にした女性蔑視の信仰や思想であり、このような誤った思想を通用させて良いはずがありません。

血盆経信仰の盛り上がりは江戸期が最盛期だったそうですが、現代ではすでに消滅しています。とはいうものの、温泉地や火山地帯にある「血の池地獄」という観光スポットはその名残とのことです。こういうことに気付くと、芥川龍之介の某小説を子供に読み聞かせることを一考するのも悪いことでは無いように思います。

現代の視点で修正すべき類例を上げると、ハンセン病はかつては業病と呼ばれましたが、医療技術の発達により「業」という仏教に由来する名が無意味であることが分かっています。現代の視点を基にすることで、ハンセン病に業病という名を使うことは避けるべきであるということができます。

触穢思想のごときは忘れ去ってしまうことが良いのでしょうか? いえ、そうではないでしょう。博物館や図書館で、またはネット上でも良いので、かつてそういう他者を排除する誤った思想があったこと、現代においてもその名残があることをしっかり記録し誰もが見られるよう展示しておくべきでしょう。そして現代に残る宗教的な思想や慣習を今後も生かそうとするなら、やはり現代の視点による修正が必要だと強く思います。宗教サイドからその意見が出てくることがなお望ましいとも思います。





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