小北稲荷神社

奈良県北葛城郡広陵町中

祭 神

倉稲魂命


各地の稲荷神社では、京都市の伏見稲荷大社に習ったものか赤い鳥居が良く目立ち、阿吽の狛狐が多く置かれていることもあるでしょうが独特の雰囲気を醸し出しています。これは主に視覚的な効果から来る雰囲気でしょう。

これを霊感のごとき感覚で「稲荷はキツイ」だの「怖い・祟る」だのいう否定的意見をネットや書籍その他の発言で見かけますが、意見としては取るに足りません。なぜなら、霊感的な意見には証拠や根拠を第三者に提示しての論はどこにも無く、はなはだしく非説得的だからです。



では、当社小北稲荷神社はどうでしょう。鮮やかな朱色の鳥居や阿吽の狛狐が多く並び、やはり稲荷神社独特の雰囲気を保っています。

そして付け加えるなら、当社社殿は良く整えられ境内全体も手入れが行き届いており、さらに社務所の方の対応も落ち着いた気持ちの良いものでした。今もって崇敬する人が多い神社であることを伺わせます。「キツイ」だのという否定的意見が持たれる神社ならこうはいかないでしょう。

「奈良県史5神社」から小北稲荷神社の項目を引用すれば、次のような由緒が分かります。

*******引用始め*******
 小北稲荷神社

 馬見地区の三吉と箸尾地区の中の南にまたがって鎮座、倉稲魂命を祀る。社伝に、舒明天皇の代の創祀と伝え、天孫降臨供奉の三二柱神と稲荷五柱と小北大明神を合わせて三十八社と称したという。旧無格社。
 中世の「当社由来再記」には、永徳三年(一三八三)当国領主の箸尾宮内小輔が神殿を再建、境内を二町に四町と定められたとある。
 永録十年(一五六七)十一月兵火に焼けたが、天正四年(一五六七)二月に復興した。その後柳沢氏の保護を受け、享保六年(一七二一)に造営されたのが今の社殿だという。
 本殿は春日造桧皮葺。享保九年(一七二四)三月郡山城を下賜された柳沢吉保以来、代々当社を信仰、その保護を受けた。
 奈良県史5神社 P570

*******引用終り*******



下記、境内案内版によれば、中心神格とも思える小北大明神についてはその名を「鼠小姫命」といい、保食(ウケモチ)神の眷属であるように記述されています。

ウケモチ神は当社祭神の倉稲魂(ウガノミタマ)命と同神とも考えられており、通常は狐をその神使とします。神使の狐が目立つことから稲荷神社は狐を祀っているように思われることがありますが、古代の秦氏に端を発する稲荷信仰本来の祭神として考える場合はウガノミタマ神など記紀神話に登場する神が穀霊神として祀られます。

鼠小姫命という姫神を資料等で見かけることはありませんが、保食神に対し、狐ではなく鼠の名を持つ姫神が小北大明神としてあることは、その祭祀の事情について非常に興味が持たれるところです。

というのは、近世から近代にかけての民間の稲荷信仰では、ウケモチ神やウガノミタマ神、トヨウケ神など記紀神話に登場する神だけではなく、それらの神の眷属といわれる狐・白狐などの霊そのものを「お稲荷さん」として祀るケースが多々あったと聞きます。特に農村部での「お稲荷さん」は、中世・近世の民間陰陽師の存在や牛頭天王信仰のように、今の私たちが考える以上に生活に身近だった様子です。鼠小姫命とはそういう民間祭祀の形態を思い起こさせる神名です。

当社が時代ごとの近隣の領主によって保護され現在に至っても守られ崇敬を集めているとは、否定的意見を持たれる神社ではなく、それだけ民間祭祀の中で「人気が高い」神社であるということができるでしょう。そこには、宗教民俗学的に興味深い歴史が横たわっているように思えます。





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