庚 申

●十干十二支●


庚申信仰は、もともとは中国の道教に由来を持つ習慣です。庚申とは十干十二支を毎日に当てはめていく暦法で、60回ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)のことです。

十干とは「甲乙丙丁・・」というもので、それぞれ次のように陰陽五行に対応します。

コウ きのえ 木の兄 木の陽干
オツ きのと 木の弟 木の陰干
ヘイ ひのえ 火の兄 火の陽干
テイ ひのと 火の弟 火の陰干
つちのえ 土の兄 土の陽干
つちのと 土の弟 土の陰干
コウ かのえ 金の兄 金の陽干
シン かのと 金の弟 金の陰干
ジン みずのえ 水の兄 水の兄干
みずのと 水の弟 水の弟干



十二支は良く知られた「子丑寅卯・・・」をいい、次のように陰陽五行に対応します。

水の陽支
チュウ うし 土の陰支
イン とら 木の陽支
ボウ 木の陰支
シン たつ 土の陽支
火の陰支
うま 火の陽支
ひつじ 土の陰支
シン さる 金の陽支
ユウ とり 金の陰支
ジュツ いぬ 土の陽支
ガイ 水の陰支

これを五行に基づいて整理すれば、次のように並べ直すことができます。

イン とら 木の陽支
ボウ 木の陰支
うま 火の陽支
火の陰支
シン たつ 土の陽支
ジュツ いぬ 土の陽支
チュウ 土の陰支
ひつじ 土の陰支
シン さる 金の陽支
ユウ とり 金の陰支
水の陽支
ガイ 水の陰支

上十干十二支の組み合わせは単純な掛け算で60通りとなり、年・月・日それぞれに当てはめていくものです。が、庚申信仰の場合は日に当てはめた60日ごとの庚申の日が主な対象になっているようです。

庚(かのえ)も申(さる)も金の陽の気に属しているため、この日は金気が強すぎ、刀傷沙汰が起きやすい日として疎まれるように考えられることもありました。また庚申の年には、猿田彦神・天宇受売神や青面金剛尊の姿を刻んだ庚申塔を建てる習慣もあったそうです。

●三尸の虫●

道教では、人間は生まれた時から上尸の虫・中尸の虫・下尸の虫を持っていると考えられており、これらを総称して三尸(さんし)の虫といいます。これらはそれぞれ、上尸の虫は上丹田(額裏)に、中尸の虫は下丹田(臍下丹田:腹部)に、下尸の虫は足の裏にいて人の精気を吸っているといわれています。

庚申の日の夜には、三尸の虫が天に登って天帝(または帝釈天)にその人の行状を報告し、悪いことをしているなら天帝はその人の寿命を減らすとされています。ところが、三尸の虫は人が寝静まってから天に上っていくため、庚申の日は夜通し眠らずにおれば三尸の虫は体外に出られないわけです。すると天帝に悪行の報告はなされず、罪を罰せられることもなくなるため長生きができるということになります。



この考え方に基づき、庚申の夜に眠らず身を慎み夜通し神を(もしくは天・天帝を)崇め祀る祭事を執り行うことをことを守庚申(しゅこうしん)といいます。日本では平安期の貴族社会あたりから守庚申が行われてきたようです。

後に仏教、神道など様々な宗教と結び付いていった庚申信仰ですが、守庚申の習慣が、いつしか神祀りを行いつつも夜通し飲み食いをして騒ぐというように変わっていったのは、当然のことなのかもしれません。

●猿田彦●

庚申信仰は、日本において神道と結び付いたとき猿田彦神を主神とし、さらに道祖神とも結び付くことになります。というのが、上記のように三尸の虫は天帝のもとへ向かうわけですが、鎌倉期を中心にした仏教的な考え方として帝釈天のもとへ向かうという見方もありました。そして帝釈天の使いが猿とされているので、このあたりに猿田彦祭祀をとり込む素地があったのかもしれません。



古事記・日本書紀には、猿田彦神が天孫の降臨を迎え、天宇受売神が猿田彦神に応対したことが記述されていますが、この連想からか道祖神の多くは、天宇受売神と猿田彦神の2神を夫婦神として祀っています。「かのえさる」の「申」=猿と考えられることから、庚申信仰の主神は猿田彦神と習合したようです。

さらにいえば、道祖神は集落の出入り口に祀られ、旅人が出立の安全を祈願したり、「塞の神」として集落への悪疫の侵入を防ぐ役割があります。「塞の神」の力をもって三尸の虫の動きを封じる連想があったとしてもおかしくはないでしょう。

●青面金剛●

庚申信仰は室町期ごろからしだいに仏教的な要素を強め、主神として青面金剛尊が祀られるようになっていきました。青面金剛尊が「塞の神」として路傍に祀られることもあります。

陀羅尼集経という経典に「青面金剛咒法」という行法が記述されていて、これが「伝尸病」(今でいう結核)の予防や治療にかかわる秘法とされているそうです。そしてこの「伝尸」が上記の「三尸」と結び付き、青面金剛尊が三尸を押さえる神とされるようになりました。また青面金剛尊は疫病を流行させる神であり、その神を祀ることによって逆に疫病を防ごうとしたという考え方もあったようです。

なお、青面金剛像の下には、しばしば「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が配されることがあります。これは三尸の虫に、人の悪事を神様に報告しないで欲しいと願う意味がありますが、これがさらに猿田彦神との繋がりを深める要素にもなっているようです。



青面金剛尊の姿は、頭にドクロをいただき、腕が4本または6本、それぞれの手には、三叉戟(さんさげき)・法輪・剣・弓矢など様々な武器を持っていて、仏教でいう天や明王に似た戦う神の姿をしています。

とはいえ青面金剛尊はインドに由来を持つ仏教の尊格ではなく、日本の民間信仰の中で発展した尊格です。そのためか青面金剛尊は、時に青面金剛童子と呼ばれたり、青面金剛菩薩と呼ばれたり、青面金剛夜叉明王とされることもあるようです。菩薩や明王・天は、仏教の祭祀では違った階層に位置する尊格で、青面金剛尊がどの階層に属するのか、完全に一定しているわけではないようです。私的には諸天の1尊であると考えれば良いように思いますが、正確に知りたく思っているところです。

以上はあくまで大雑把な様子を考えたものでしかありませんが、庚申信仰には道教・陰陽五行思想を基にして神道・仏教・道祖神信仰などが入り乱れていることが分かります。この庚申信仰も、明治期の神仏分離廃仏毀釈の時それなりの影響を受け、それ以降の庚申塔は青面金剛尊のものではなく猿田彦神のものが建てられたと聞きます。
●青面金剛●





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