長曽根神社

大阪府堺市北区長曽根町

祭 神

八幡神(向右)
牛頭天王(向左)


当社長曽根神社の由緒については残念ながら現状で詳しく分かっていません。ネット上で他にも「由緒が分からない」と嘆く意見があり、私的には堺市史も参照しましたが、当社の歴史や由緒など大したことは記述されていなかったという記憶があります。

当社社地は、現在は大阪中央環状線から少し南に入った住宅街の中に位置します。この場所から300mほど南に古代の官道竹内街道が通り、位置的には現代の街道と古代の街道の中間になります。当社を少し西に行けば三国ケ丘の地名があり、これは摂津・河内・和泉の三つの国が接していたことからの地名です。

竹内街道に近接する当社の現在地は、昔から交通の要衝であっただろうことが推測可能です。祭祀される牛頭天王は江戸期にはかなり人気が高い神格だったようなので、街道沿いに良く栄えた集落の鎮守社が当社だったのかもしれません。



当社に神職は常駐していませんが、境内はいつも手入れが行き届いており、周辺の人達あるいは自治組織なのか、この神社を守る人たちの活動が活発なことを伺わせます。惜しむらくは、祭事以外の時は拝殿の扉が閉められていることですが、以前に初詣でに当社を訪れた時、扉が開けられ拝殿から本殿そばまで行くことができました。2棟の本殿にはさまれて立派な神木があります。

境内には堺市指定保存木ほか何本もの大きな楠があり、うち何本かに注連縄がはられていて神木とされています。深い藪はないため、木々が繁っていても闇を作り出すほどではありません。隣接する公園はもともとあった池が埋立てられたもので、神社の木々とも相まって住宅街の中に小島のように良い雰囲気を保っています。

さて、その名が似ているからといって、かの朝敵第一人者ナガスネヒコを祭祀する神社があるとは思えませんでした。あってほしいとは思いますが、結論的にいうとやはり当社がナガスネヒコを祀っていないのは当然といえば当然のことです。が、興味を覚える社名です。実は本稿筆者は、ナガスネヒコも牛頭天王も大変気に入っています。

余談的に考えるなら、竹内街道を東へ向かって奈良県は葛城市に入ると、竹内街道沿いにある鍋塚古墳はナガスネヒコの墓であるという伝承(あくまで伝承であり古墳築造時期から考えて史実の可能性はありません)があります。鍋塚古墳が当社に関係あるとは思えませんが、竹内街道の西と東にナガスネヒコに関係しそうな状況があるのは面白いことです。時の知識人で、街道およびその西と東を結び付ける想像をした人はいなかったのでしょうか。


鍋谷古墳航空写真を拡大




2棟の本殿は向かって左が牛頭天王、右が八幡神を祀っています。これは祭神のうち牛頭天王の方が格下であることを表します。

明治期の神仏分離の時、牛頭天王の多くはその名をスサノオに変えられました。その理由の一つに、天王という音が天皇に対して不敬であるということもあったそうです。ならばナガスネヒコの名に近い社名を持ちテンノウさんを祀っていた当社は、他の神社よりもいろいろな風当たりが強かったのではないかとも思います。

怪しげな想像の基になる要素を持ちながらも雰囲気の良い神社、機会を見てまた行きたい気になります。
●蛇神●
●水神●





INDEX