忌中・服喪と年賀欠礼

年賀欠礼のプリントサンプルを探した時、「年賀状は受け取らせていただきますのでお送り下されば幸いです」、「年賀状は励みにもなりますのでお気遣いなくお送り下さい」という文言が入ったものを見つけました。なかなか良いですね。

【Link:ゆうびん.jp】の中の【Link:喪中のマナー】をご参照下さい。服喪中の家は年賀状を出すのはマズイけれど、貰うのは大丈夫ということが解説されます。この考え方がもっと一般化すれば良いのにと思います。

服忌・忌服⇒服は服喪のこと・忌は忌中のこと⇒の意味を考えれば、成り立って当然な文言だと思います。服忌・忌服の読みは“ぶっき”または“きふく”。どちらも使います。

服喪期間内(近親者の死から1年以内)の家は年賀状を含む年賀欠礼をすることが一般的で、さらにその家に向けて年賀状を出さないということも一般化しています。

ですが、神道的な服忌の考え方からすれば、忌中が過ぎれば服喪中であっても相互の年賀のあいさつは問題無いはずです。私的には忌中の習慣こそ無くなれば良いと思ってます。

ここまで忌中と服喪を使い分けたように両者は厳密には違うものなので、そのあたりから考えていきましょう。両者の意味はほぼ変わらないなどと書かれているサイトも見かけましたが、勘違いか説明不足でしょう。



1年ということが一般化している服喪期間ですが、一般化する前はどうであったか? それを忌中と服喪の日数に見てみましょう。当事者から見てある縁故の人が亡くなった時、当事者がどうするかの数値です。

 ■父母死亡の時  忌50日間 服13ヶ月間
 ■夫死亡の時   忌30日間 服13ヶ月間
 ■妻死亡の時   忌20日間 服90日間
 ■祖父母死亡の時・・・
 ■兄弟姉妹死亡の時・・・

詳しくは後述しますが、以下、女性蔑視の思想を含んで延々と続きます。これは明治7年の太政官布告になる「服忌令」が元になっており、そこには忌中と服喪の明確な区別があります。

忌のうち父母などが死亡した時の50日という期間は仏教の四十九日(満中陰)と混交・混用されることがあり、それが近親者が亡くなってから1年間の服喪・年賀欠礼などの習慣が残る1つの要因ともなったのでしょう。ですが現在の生活に、忌中や服喪の期間の違いを厳密に適用することはほぼ不可能で、そのせいか服忌令の内容はほとんど忘れられています。

忌中も服喪も近親者の死にまつわる考え方ですが、忌中は特に神道祭祀的な面が強く表れています。忌中の神社参詣や神事への参加は認められませんが、仏教寺院参詣は問題ありません。

忌の方が服に比べて「期間が短く効力が強く」となります。これを私的に理解した範囲で大雑把にまとめますと・・・

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●忌
近親者の死を起点に数日から最長50日。身を慎み本来は家にこもって過ごす。神事(神社参詣を含む)へは参加不可。忌中の者は他家への年賀の挨拶も控える。日数的に、仏教の四十九日(満中陰)と混同されて考えられることがある。

●服
忌の期間を入れて最長13ヵ月。生きている者が故人を偲び、悲しみを癒すという期間。慶事や神事への参加は原則的に可能。ただし、心情的なものを大事にする期間なので、慶事や神事への参加を慎むなどは当事者の気持ち次第。
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といったところでしょう。こういった違いが出る理由は、元々、服喪に比べて忌の意味付けが割合はっきり知られていたからでしょう。



忌の意味付けについては、触穢思想すなわち死によって発生した「穢」(エ、もしくは民俗学的に片仮名でケガレ)を避ける思想が元になっています。

古来、神道では人の死を穢と考えました。これに対し現代の神社系サイトでは、「人の死が穢なのではなく死をもたらすものが穢だ」などの何とも釈然としない説明がなされています。ともあれ神道では、人の死に穢がまとわりつくと考えていたことは間違いありません。

忌の最長50日という期間は、まとわりついている穢が消滅するという期間のことであり、この期間が忌中というわけです。亡くなった人との関係性により忌30日間や忌20日間など何通りもの規定があります。平安期など迷信が信じられていた時期は、この期間は屋敷内にこもり外へ出なかっただけでなく、服装その他様々な習俗的取り決めがあったそうです。

穢とはまさに有害放射線様のエネルギー的なものと考えられれていた様子で、これを外に持ち出さない、他者に移さない(他者からも移されない)ことが忌の基本的な考え方でした。新年の言祝ぎの時、他家に穢を持ち込まないという考え方が年賀欠礼の思想的な背景となります。家は正月に年神様を迎え、一時的に一種の神社と化する場所ですから。

そして、忌に規定された日数が過ぎて穢が消滅すれば、慶事・神事の参加も可能となります。“消滅した有害エネルギーは移行しない”ような状況を考えれば分かりやすいでしょう。

服喪は喪に服し故人を偲んで生活する期間のことで、これは悲しみの期間、悲しみを癒す期間であると言い替えることもできます。忌の期間を含む最長約13ヵ月をいい、当事者の意思により神事や慶事への参加を決める期間です。本来、日数を取り決める必要は無いはずと考えられます。また、忌が済んでいれば、他家に穢を持ち込むこともありません。

ここで、当事者(例えば自分)に対するどの縁故の者が亡くなったかで、当事者の服忌の期間がどれだけになるかを、先述の「■父母死亡の時・・」よりも少し詳しく見てみましょう。以下、明治期の服忌令に書かれている項目の見出しをまとめてみました。明治期の服忌令はさらに江戸期の武家の「服忌令」が元になっています。

●服忌令●
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煩雑になるのでこのあたりで止めますがこれで1/3くらいで、以下、延々と続きます。女性蔑視の思想を含むと先述したことも分かると思います。

「服忌令」をより詳しくお知りになりたい方は、国立国会図書館近代デジタルライブラリー内にある明治期の服忌令をご参照なることが可能です。次のリンクからお進み下さい。

【Link:服忌令 131/123】

諸所で繰り返していますが、触穢思想を元にして現代に残る習慣を私はバカバカしい習慣だと思っています。それらの習慣についての問いかけをしてみましょう。

■大切な肉親が亡くなった時、その死が穢だなどと思えますか(死穢)? 過去、葬法が土葬から火葬に変わった時、穢の概念も変化させるべきだったと思います。

■生理の女性の周囲に穢が漂っているなどと思えますか(血穢)? 鳥居をくぐる女性に逐一確認をするのは失礼この上ないことでしょう。

■出産を終えた女性の周囲に穢が漂っているなどと思えますか(産穢)? 産屋を立ててこもらせたりするのではなく清潔な出産環境が必要です。宮参りを制限するなども現代的に不条理。

■肉料理を食べた次の日、神社に詣でてはいけないなどは納得できますか(食肉穢)? 旅行時などに美味しい肉料理を食べた後、各地の有名神社への参詣が制限されるのは納得できません。

■その他諸々・・・



過去にはもっと様々な穢が想定され、けれども現在では忘れ去られてしまった穢も多々あります。忘れ去られてしまったということでは、年賀欠礼時の近親者との関係において忘れ去られてしまった服忌も多くあることが分かります。

自分勝手な判断はせず常識や習慣に従うというケースも多いでしょう。例えば実家の実母が亡くなった場合、忌50日間・服1年間とするケースが多いでしょう。ところが服忌令から嫡母の場合をみると、忌10日間・服30日間となります。

■変形して一般化した現在の習慣に従いますか?
■変形前の女性蔑視の思想を含む習慣に従いますか?
■そういう習慣は迷信として無視しますか?

常識や習慣、つまり1年間の服喪・年賀欠礼など現在一般化している習慣そのものがすでに変形したものであることを念頭に置くことが必要です。不条理なものは変形させることも忘れ去ることも可能なのです。

仏教で、人の死が穢ではないと考える浄土宗や浄土真宗のような宗派では、葬儀においても清め塩を使いません。私的にこのことは大変良く納得できるものです。穢:ケガレなどというものがありもしない迷信であることは現代人にとって明白で、ありもしないものを基にする習慣は忘れ去られていって当然なのです。

年賀欠礼についてやみくもに習慣に従うのではなく、触穢思想に基づく意味付けを考えてみるのものも良いのではないでしょうか。私的には特に忌の考え方をバカバカしく思い捨てたくも思っています。その上で故人を偲び、悲しみを癒す期間のことを考えてみれば良いのではないでしょうか。





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