折口信夫のニギハヤヒ

「ニギハヤヒは大和の魂である」のか?
●ニギハヤヒの墳墓●

折口信夫(1887〜1953)は、「ニギハヤヒは大和(倭)の魂である」といいました。このことを折口は複数の論文の中で繰り返し繰り返し述べており、折口がこの考え方に強い信念を持っていたことが分かります。

折口の考え方を大雑把に捉えるなら、古事記・日本書紀にいう神武東征伝承の終盤、ナガスネヒコと神武の戦いにおいて、大和の魂であるニギハヤヒがナガスネヒコから神武へ乗り移ることによりナガスネヒコが敗北したとみているわけです。そして「大和の魂」とは、旧ヤマト、即ち神武東征以前のヤマト全体の地主神や産土神的な神格であると折口が考えただろうことが推測されます。なお、折口自身は魂と神は違うと考えていました。

谷川健一(1921〜2013)が「白鳥伝説(上):小学館ライブラリー97 P218〜P220」の中で、折口の「ニギハヤヒは大和の魂である」という考え方を詳しく紹介・解説しており、谷川のように強く支持するケースがあることが分かります。

ですが、本稿筆者はこの「ニギハヤヒは大和の魂である」という考え方に全く納得していません。折口が「ニギハヤヒは大和の魂である」と考えた根拠は何なのか? 何らかの資料に基づいての考えなのか? 私的にはそのあたりのことを知りたいと非常に強く思っています。

本稿は、折口の論文の中からそれらが読み取れるかどうかという試みです。とはいえ残念ながら、本稿は推測も結論も出せない問いかけ文となっているのをご了承いただければと思います。

以下、引用は折口信夫全集刊行会「折口信夫全集」から、タイトル及び巻数・ページ数を表記します。また、青空文庫に掲載されている論文は、当該ページへのリンクを貼るものとします。

*******引用始め*******
「御即位式と大嘗祭と」より

私は、にぎはやひの命なる神の名は、もと、一種の外来魂の神格化した処から出たものと信じてゐる。つまりは、大倭をしる権力の源たる外来魂であつて、之が憑くと大倭の君となり、これが去ると大倭の国を失ふものであつたのである。ながすね彦とにぎはやひの命との関係を考へると、此事情が明らかに知れる。彼の酋長の仰いだ主君でも、或は神でもなかつた不思議な関係は、にぎはやひのつく魂であつたことを示す。神武天皇がにぎはやひと妥協せられると、ながすね彦が威力を失うたといふ伝へも、外来魂を得た人、失つた人との対立なのである。

 18巻 P334

*******引用終り*******



まず疑問が出るとすれば、「大和の魂」という重要な神格がなぜニギハヤヒなのかということです。例えば大和神社祭神の大和大国魂大神や大神神社祭神の大物主神、日本書紀で神武系王統に后妃を出した事代主神ではなく、なぜニギハヤヒが「大和の魂」に選ばれたのか?

引用者によっては折口のいう「大和の魂」を「大和の国魂」と表現するケースもあります。が、折口自身が「ニギハヤヒは大和の“魂”である」とは表現していても、正確に「ニギハヤヒは大和の“国魂”である」と表現した箇所は未見です。

私的にはこの部分に注意の必要があると考えます。なぜなら、ニギハヤヒを「大和の国魂」とするなら、「国魂」という固有名詞を持つ特定の神格(例えば顕国玉神や大和大国魂大神・スサノオの子の大国御魂神)と混同するケースが出てくる恐れがあるからです。この点に関連する一文を折口の論文から引用します。

*******引用始め*******
「国語と民俗学 一 国語と民俗学」より

言霊と言ふものは、国魂と言ふものと同一視してゐますが、もとは違ふでせう。宮中で行はれた事を見ても、国の魂と言ふものがよく訣るのです。天子様の御身体には、大和の国を御自由になさる魂が、這入つてゐるのですが、国々の古い領主にも、さう言ふ国魂と言ふものが這入つてゐるのです。その国魂と言ふものと、言霊と言ふものとを一つにしてゐるが、本当の事は説明がよくつくのです。

 青空文庫では【Link】

*******引用終り*******

*******引用始め*******
「村々の祭り 六 海の神・山の神」より

勿論、此も山の神に扮した村の神人である。宮廷の新室寿きなる大殿祭・鎮魂祭・新嘗祭などに来る異装人、又は、京都辺の大社、平野・松尾などの祭りに参加する山人なども、一つ者であつて、山の神人だ。平安時代の者は、官人或は刀禰たちの仮装に過ぎないで、山人自身意義も知らなかつたであらう。が「穴師の山の山人」と神楽歌にも見えた大和宮廷時代から伝承したらしい山人は、大和国の国魂であり、長尾ノ市ノ宿禰が、祭主即、上座神人に任ぜられたのであつた。此は伊勢の大神が常世の神の性格を備へて居るのに対して、山の神である穴師の神に事へた山の神人即、山人の最初の記録である。

 青空文庫では【Link】

*******引用終り*******

本稿で考えている「ニギハヤヒは大和の魂である⇒@」は、上記引用文前者の中の「大和の国を御自由になさる魂⇒A」と同一視できると考えられます。

次に、引用文後者の中の「大和国の国魂⇒B」は「山の神である穴師の神⇒C」と同一視されており、さらに「長尾ノ市ノ宿禰」という日本書紀の登場人物があげられることから、折口が大和神社(奈良県天理市)の祭神大和大国魂大神を意識していることは明白です。

しかしながら折口は先述のように、「ニギハヤヒは大和の“魂”である」とは表現していても「ニギハヤヒは大和の“国魂”である」と表現していないため、@&AとB&Cの関係は非常に不明瞭となります。「ニギハヤヒは大和の魂である」ことをもってニギハヤヒを大和大国魂大神と同一視することはできません。つまり、やはり先述のように「国魂」という固有名詞を持つ特定の神格のうちの1神と同一視することはできません。

ために本稿では、折口の多用する「大和の魂」で通すこととし、「大和の魂」と「大和国の国魂」を同一視することにはできる限り慎重であろうと考えます。
●石切神社内 ニギハヤヒ像●

さて、根拠や何らかの資料に基づくかということでなら、折口の「ニギハヤヒは大和の魂である」という考え方は日本書紀をベースに発展させたものかと推測されます。なぜなら、ナガスネヒコ・ニギハヤヒ・神武の3者が登場するのは神武東征伝承であり、同伝承が記載される資料のうちで3者がそろうのは日本書紀のみであるからです。

しかしながら、日本書紀に「ニギハヤヒは大和の魂である」という記述は無く、さらに折口は「鎮魂歌」にて「紀の書かれた頃にはニギハヤヒが魂であることがわからなくなってしまっていた」という意味のことを述べています。

*******引用始め*******
「歌謡を中心とした王朝の文学 三 鎮魂歌」より

日本の鎮魂術の最古いものは、物部の石ノ上の鎮魂術であつた。物部は、にぎはやひの命の子孫である。命が、長髄彦から去つて、神武天皇と結ばれると、長髄彦は亡びる。紀の書かれた頃には、この本道の意味が訣らなくなつて了うてゐたのだが、実は、にぎはやひといふのは魂の名前で、魂の名と神の名とを混同して神と考へるやうになつたのである。その時代、大和の国を統治してゐる者の持たねばならぬ魂がにぎはやひで、それが長髄彦を去つて、神武天皇に著いた為に、天皇方の勝利となつたのであつた。

 23巻 P260

*******引用終り*******

古事記の神武東征伝承では、神武はまずトミビコ(ナガスネヒコ)と戦い、次にシキヒコ兄弟と戦ったあとニギハヤヒが神武の下へ帰順したことになっており、東征伝承の中のエピソードの時系列が日本書紀とは違ったものになっています。古事記からはナガスネヒコと神武の戦いにニギハヤヒが関連したと読み取ることができません。

また、先代旧事本紀(旧事紀)を確認したとしても、旧事紀では神武がヤマト入りする時点でニギハヤヒは死んでおり、3者がそろうということはありません。さらに「ニギハヤヒが神去って国魂になった」というような記述も見当たりません。

古語拾遺や各風土記を見てもその内容は大差ないように見え、「ニギハヤヒは大和の魂である」という意味に読み取れる記述はありません。日本書紀以外の古代史の各資料は、折口の考え方から除外することができるでしょう。

そして、折口が「鎮魂歌」にいう「紀の書かれた頃には、この本道の意味が訣らなくなつて了うてゐた」という記述、これが本稿筆者がその詳細を知りたい最も重要な記述となります。「日本書紀が書かれる前の本道の意味」を折口はどのようにして知りえたのか。



その他、折口がニギハヤヒについて述べている部分を引用します。

*******引用始め*******
「神道に現れた民族論理 五」より

かういふわけで、我が国の古代に於ては、寿詞を唱へて、服従を誓ふ事は、即其魂を捧げる事であつたが、此魂と、神との区別は、夙くから混同せられて了うてゐる。にぎはやひの命は物部氏の祖神と考へられてゐるが、実は、大和を領有する人に附くべき霊魂である。此大きな霊が附かねば、大和は領有出来なかつたのである。だから、神武天皇も、此にぎはやひの命と提携されてから、始めてながすね彦をお滅し遊されたのであつた。

 青空文庫では【Link】

*******引用終り*******

*******引用始め*******
「大嘗祭の本義  六」 より

天子様は倭を治めるには、倭の魂を御身体に、お附けにならなけれぱならない。譬へぱ、にぎはやひの命が、ながすね彦の方に届た間は、神武天皇は戦にお負けなされた。処が、此にぎはやひの命が、ながすね彦を放れて、神武天皇についたので、長隨彦はけもなく負けた。此話の中のにぎはやひの命は、即、倭の魂である。此魂を身に附けたものが、倭を浩める資格を得た事になる。

 3巻 P189
 青空文庫では【Link】

*******引用終り*******

*******引用始め*******
「古代人の思考の基礎 二 威霊」より

天皇は、大和の国の君主であるから、大和の国の魂の着いた方が、天皇となつた(三種の神器には、別に、意味がある)。大和の魂は、物部氏のもので、魂を扱ふ方法を、物部の石上の鎮魂術といふ。此一部分が、神道の教派の中に伝つてゐる。此以外に、天皇になる魂即、天皇霊(敏達紀外一个処)がある。

 33巻 P379

*******引用終り*******

*******引用始め*******
「古代人の思考の基礎 二 威霊」より

天皇が、大和に移られてからは、大和を治める為には、大和の魂を持たねはならなかった。其大和の魂を持ってゐたのは、物部氏だと考へられてゐた。最初は、にぎはやひの命であった。神武天皇の大和入りより前に、既に降ってゐて、天孫は御一人である筈なのに、神武天皇の大和入りの時に、ひょっくり出て来て、弓矢を証拠に、天から降ったことを主張してゐる。

此話を正しく解釈出来ないで、政治的の意味があるやうに解いてゐるが、実はにぎはやひの命は、大和の魂で、袖にまで昇って来たのである。この命を擁立してゐたのがながすねひこであった。にぎはやひの命が離れると、長髄彦は、直ぐに亡びて了うた。大和の国の君主のもつべき魂を、失うたからである。其魂を祀るのが、物部氏であった。

以上のことから、にぎはやひの命と、其を祭る物部氏との間に、血族関係があるものと信ぜられて来た。由来物部氏は、魂を扱ふ団体で、主に戦争に当つて、魂を抑へる役をしてゐた。此点でも、物部氏をもつて、武器を扱ふ団体だ、としてゐた従来の考へ方は、改められねばならない。即、物部氏は、天皇霊の外に、大和国の魂、其他の国々の魂を扱ふ大きな家であつた。

 3巻 P383〜384
 青空文庫では【Link】

*******引用終り*******

*******引用始め*******
「歌および歌物語 八 ふり」より

神武天皇が大和の国へ入られる時に、那賀須泥毘古が居て、西方から入る事が出来なかつた。これは、那賀須泥毘古の後に、邇芸速日命が居られた為である。後に、神武天皇は、邇芸速日命に妥協した為に、那賀須泥毘古を屈服する事が出来た。邇芸速日は、三段の変化をしてゐる。日本の国では、魂の信仰が進んで、神としての信仰と合して来る。邇芸速日も、実は、大和の国を領すべき魂であつた。この魂が附着しなければ、大和の国を治める事が出来ない。つまり、邇芸速日は、大和の国の魂である。この魂が、那賀須泥毘古に附着してゐる間は、大和の国へ入る事が出来なかつたが、一度これを得て後、那賀須泥毘古を伐ち平らげる事が出来たのである。この話は、早くから訣らなくなつてゐるが、神武天皇に附着した魂と言ふところから、神武天皇の一面と見て、天つ神の御子に附着する魂と言ふ事になるが、も一面、大和の国の魂である事になつてゐる。

 15巻 P23

*******引用終り*******

*******引用始め*******
「大倭宮廷の剏業期 鳥見彦・長髄彦」より

(略)饒速日ノ命は、実は、大倭の旧地を領する威力の源なる神、即、霊威まなを意味してゐたのである。饒速日ノ命は、同じく天神の子として、天孫と同様に天ノ羽々矢・歩靱の天表を示し合はれた。此に関しては、同種族の分離して、別に住むべき地を求め行く別れの際に、とり換す聖器の物語として、類型の多いものだが、今は省く。饒速日ノ命は大倭を司る筈の威霊の神格化したものであるから、此がその身に入り来れば、大倭を得、此が去れば、大和を失ふ訣だ。饒速日ノ命、天皇に隨はれた為、長隨彦は力を失って滅びたのである。

 18巻 P448
 【Link:生駒の神話】(PDFが開きます)

*******引用終り*******

折口がニギハヤヒについて述べている部分を、確認できる範囲で引用しました。折口は「ニギハヤヒは大和の魂である」ということを繰り返し述べていますが、そう考えた根拠や利用した資料についての記述は見当たりませんでした。



ここからは本稿をお読みくださった方に対する問いかけでもあります。

折口は、日本書紀にプラスして何か別系統の文字資料や口碑伝承、あるいは(無関係と思われますが)考古学的資料に基づいて「ニギハヤヒは大和の魂である」と考えたのでしょうか?

それとも、文字化されていない何らかの状況証拠(例えば生駒山のどこかにあったといわれる「ニギハヤヒ山」の祭祀状況や、寺社の中でのニギハヤヒの祭祀状況など)を基にして「ニギハヤヒは大和の魂である」と考えたのでしょうか?

または日本書紀を拡大解釈して「ニギハヤヒは大和の魂である」と考えたのでしょうか?

「ニギハヤヒは大和の魂である」という根拠は何なのだろうか? 何らかの資料に基づくのだろうか? 「鎮魂歌」から読み取れる「日本書紀が書かれる前の本道の意味」を折口はどのようにして知りえたのか。谷川健一のように折口の考え方を支持する研究者はそれなりに見かけます。ならば折口の考え方は、どういう根拠で、何に基づき、どのようにガッチリ組み立てられた「説」なのか? これが私的に知りたいと強く思っていることです。

文頭で述べたように、本稿筆者は「ニギハヤヒは大和の魂である」または「ニギハヤヒは大和の国魂である」という考え方に全く納得していません。なので折口の論文の中から根拠や何らかの資料に基づくかという答えを見つけられないことは、皮肉ですが喜ばしいことだということもできます。

ただ、私的な力量不足のため折口の論文のニギハヤヒ関連の内容を概観したのみなので、答えを見つけられないのは当然のことかも知れません。しかしながら知りたく思う気持ちは持っています。折口信夫を研究され本稿をお読みくださった諸氏で、もし折口の考えをご存知の方がいらっしゃればお教え頂けないだろうかと思います。





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