王龍寺
奈良県奈良市二名

宗派 黄檗宗(おうべきしゅう)

山号 海瀧山

本尊 十一面観音菩薩

王龍禅寺と呼ばれることもあります。聖武天皇の勅願により創建されたと伝える古刹。往時には1000を超える僧坊があったといいますが中世には衰退し、さらに1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で大坂勢に諸堂宇を焼かれてしまいました。



1689年(元禄2年)大和郡山城主本多忠平が、父忠義の菩提のため、黄檗宗の開祖隠元禅師の孫弟子梅谷(ばいこく)禅師を中興開山に招き、本多家の菩提寺として再興したという歴史を持ちます。

山門には「不許葷酒入山門」と彫られた石柱が立っています。「葷酒山門より入るを許さず」、すなわち、修行の妨げになることを防ぐ意味合いで葷(くん)や酒は寺の中には入れてはいけないということなります。「葷」とは、ニラ・ニンニク・ネギ・タマネギ・ラッキョウの5種類の臭いの強い野菜を指し、これらは精進料理で使ってもいけないとされています。禅宗系の寺院でこの石柱が立てられていることがあります。



昼なお暗い森の中、苔むした長い参道を抜け、開けた小台地にある本堂は古く正月堂と呼ばれました。古刹の趣の深い落ち着いた雰囲気の寺院です。

南北朝期の銘がある、岩に刻まれた十一面観音菩薩を本尊とし、本堂入り口からその尊像を拝することができます。地面からの岩の露頭に十一面観音像を刻み、それを堂で覆う形で本尊としたのでしょうか。


      

本堂背後には巨岩がそびえ立ち、あるいは本尊と地下の岩脈で繋がっているのではないかとも思います。ならば、磐座信仰の名残であるのか、また、龍神の王が降臨した磐座なのかなどの思いにふけります。
●本殿背後の巨岩●





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