大将軍神社
:2社

大将軍神社
奈良県大和郡山市大江町

●大将軍神社(大江町)●
祭 神

磐長姫命

●大将軍神社(大江町)●

奈良県内には同名の神社が境内社であるものも含めて複数社あり、奈良盆地北部にある奈良市四条町の1社、大和郡山市の2社の計3社はイワナガヒメを祭神とします。本稿では大和郡山市の2社をご紹介します。

2社間の距離は数百メートルと隣村程度に近接しており、祭神や鳥居の向きなど似た要素が見られます。



京都にも同名の大将軍神社(または大将軍八神社)が知られます。京都の大将軍神社の創建は、垣武天皇による平安京造営に際し、王城陳護のため京域の四方に計4社が祭祀されたものです。現在は、そのうち3社がスサノオを祭神とし、北方守護の1社のみが本稿の2社と同じくイワナガヒメを祭祀します。【Link:Wikipedia】
●大将軍神社(大江町)●

大将軍神社とは、その名からして陰陽道に由来する神社であることが強く推測されます。当2社本来の祭神も記紀神話に登場する神格ではなく、八将神と呼ばれ方位の吉凶を司る神々(太歳神・大将軍神・大陰神・歳刑神・歳破神・歳殺神・黄幡神・豹尾神)のうち「大将軍神」を祭祀していたのでしょう。大将軍神は魔王天王の別名を持ち、金星を神格化した太白神とも同一視されました。また、八将神は牛頭天王の八柱の子とされています。

大将軍神社が陰陽道由来の神社ならば、その創建時期は平安期や鎌倉期と考えることも可能でしょうが、当2社の由緒は残念ながら不詳です。



当2社を含む大将軍神社の祭神が記紀神話の神に置き換えられたとすれば、その時期は明治期の神仏分離の時と考えられます。祭神変更の例を挙げると、牛頭天王社の祭神が牛頭天王からスサノオに祀り変えられたケースは非常に多く、八王子神社や八柱神社の祭神が、スサノオの子の八柱御子神や五男三女神に祀り変えられたケースも多々あります。

しかしながら、大将軍神社の現祭神がなぜイワナガヒメとされているか、その理由について正確にはは分かりません。なお、奈良県南部、十津川村に鎮座する大将軍神社はセオリツヒメを祭神とします。

大将軍神社
奈良県大和郡山市美濃庄町

●大将軍神社(美濃庄町)●
祭 神

石長比売命

●大将軍神社(美濃庄町)●

美濃庄町の大将軍神社に関しては、昭和50年代に、地元の人の手により宮座に伝わる資料がまとめられ出版されており、近くの図書館でそれを参照することができます。その内容は主に明治期以降のものが多く、創建の由緒や祭神変更の手掛かりになるような記述はありませんでした。



面白いことに、当2社はともに鳥居が北向き・本殿は西向きとなります。神社建築において鳥居や本殿が北向きに建てられることはかなり少数であり、宗教建築としての北向きは決して望ましいものではないと考えられています。

当2社のように方位をつかさどる神社の鳥居が北向きとは大変珍しいことといえるでしょう。そこにどのような思想背景があるのか、非常に興味が持たれるところです。
●大将軍神社(美濃庄町)●
●大将軍神社(美濃庄町)●





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