建水分神社

大阪府南河内郡千早赤阪村


右殿
中殿

左殿
国 瀬
水 織
分 津
神 媛
  神






天 罔
水 象
分 女
神 神


河内国式内社九社の一社。境内案内板によれば、「崇神天皇の五年 天下飢疫の際 勅して金剛葛城の山麓に水神を祀られた」とされています。楠木正成の出た楠木家の氏神で、後醍醐天皇の勅命により、楠木正成が水越川のほとりの下宮にあった社をここに再建したものと伝わります。



当社の神職さんにお話を伺ったところ、左殿右殿に3柱の水の神様+瀬織津媛神を祀っているとご説明下さいました。つまり、水の神3柱+祓いの神1柱を本殿に一緒に祀っている図式を神職さんはお考えであり、通常は祓戸社に祀られるべき祓いの神がなぜ水の神と一緒に本殿に祀られているかは分からない、さらに、神社創建当初より瀬織津媛神が祀られていたかどうかは定かではないという意味のこともご説明下さいました。

お話から受ける印象は、神職さんは瀬織津媛神を祓いに特化した神とお考えであり、水の神の属性を持つという意識は希薄もしくはお持ちで無いかと推測できます。ですが最近の研究では、瀬織津媛神には水神の属性が見いだされています。罔象女神についても水神であることはいうまでもあません。また、天御中主神が後に「水天」に習合したことを考えれば、あくまで私的な考えですが、天御中主神は「天水中主神」、つまり水神の属性を持つ神であったのではないかという推測も可能かもしれません。

そうしますと当社の祭神は、神々の血脈云々で祀ったものではなく、「水」を意識した祭神の関係であろうかと考えられます。



古代の神社においてその祭神(そして瀬織津媛神)が祭祀された経緯というのは、当神社はもとより、他の神社であっても不明なケースが多いでしょうし、また、合祀された神々の関係の意味とは基本的にケースバイケースと思います。

現代の知識を基に解釈すると持っている知識体系によってその解釈は変わものでもあるでしょうが、建水分神社において上記5柱の祭神を取り決めた者の思考は、なかなかに神々の属性を見抜いていたように読み取れるところが面白いですね。中央に天御中主神を置き、左殿には天津神系の水神を、右殿には国津神系の水神を祭祀していると見られ、左殿右殿で対応関係にあると考えることができます。
●摂社 南木神社●
楠木正成公を祭神とします。
1940年(昭和15年:皇紀2600年)に建てられたとのことで、
国威発揚の意味もあったのではないかと思います。
非常に立派な社殿なので、
この摂社を建水分神社本社と勘違いする人もいるそうです。


●楠公誕生地【MAP】にある楠木正成のレリーフ●
建水分神社の近くです。





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