十市城之跡
奈良県橿原市十市町


十市氏は、奈良盆地南東部(現在の橿原市北部)を出身とする大和土着の武士で、南北朝期には南朝方として、その後は戦国期まで活躍しました。奈良盆地北部の筒井氏や盆地南部の越智氏などと離合集散を繰り返しつつ、十市遠忠(1497〜1545)の時代に十市氏としての最盛期を迎えます。

十市氏の系譜は複数伝わり、藤原氏出身であるとするもの、または安寧天皇の皇子磯城津彦に出自を求めるものもありますが、「姓氏家系総覧:秋田書店」の参照により、弟磯城の後裔とする系譜が私的には興味を持つところです。



記紀の記述によれば、神武に立ちむかった旧勢力に兄磯城・弟磯城がいます。このうち兄磯城は残念なことに滅ぼされてしまいましたが、弟磯城黒速の系は磯城縣主として残りました(弟磯城系磯城縣主と仮称します)。弟磯城系磯城縣主は、後に十市縣主とも称したことが推測され、神武系の王統(欠史八代のうち何人か)に妃を出す外戚的な氏族として何世代かを過ごしました。磯城縣主の職掌は物部に取って代わられたことが系譜をたどることでさらに推測されます(物部系磯城縣主と仮称します)が、弟磯城の系はその後も続き、中原氏、そして十市氏として活躍していきました。

その十市氏が、山の拠点としたのが竜王山城【Link:Wikipedia】、そして一方で、里の拠点とした平城が本稿の十市城です。上記画像はその跡に建つ碑です。碑は田の中の一段高い場所に建てられますが、周囲には往時を偲ばせる物は何も残りません。兵どもが夢の跡・・・というわけですね。





INDEX