常世岐姫神社
(八王子神社)
大阪府八尾市神宮寺

祭 神

常世岐姫命


当地に本拠を構えた渡来系氏族常世氏=常世連(とこよのむらじ)が奉斎した神社と伝えられています。規模は大きくないものの式内社であり、国内に数社が知られる常世岐姫神社の総本社とも考えられています。現在は八王子神社とされており社号票もそう表示されていますが、もとは常世岐姫神社と呼ばれていました。本稿タイトルを「常世岐姫神社」とした理由は、「八王子神社」にすればネット上に数多い他の八王子神社の情報の中に埋もれてしまうと考えたからです。

常世連は中国からの渡来人で元々は赤染氏を名乗り、祖先の系を中国三国時代の武将公孫淵(こうそんえん)に求めています。公孫淵は日本でいえば邪馬台国の時代の人物で、遼東で自立し「燕王」を自称しましたが、魏の司馬懿によって滅ぼされました。このあたりは三国史ファンの方ならお詳しいのではないでしょうか。

赤染氏は一説に秦氏の同族であるともいわれ、染織に関わる「赤染部」を統括する氏族でした。八尾市教育委員会設置になる社頭の案内版には茜染めを扱った旨の記述があり、別資料には紅藍染めの名も上がります。染織・服飾関係の職を司っていたことが推測されます。

赤染氏は壬申の乱において天武側について活躍し(赤染徳足が高市皇子に付き従った)、天武帝の治世に「常世連」の氏姓が下賜されました。「常世」の言葉に異国の意味を持たせたのなら、渡来系の人にこの名が与えられたのは理解できるところです。が、記紀神話から見て「常世」という言葉には、異国以上の「異界」のような意味があると見受けられ、そのことが当社の民間信仰(安産信仰)に関係深いと考えられます。



当社祭神は「常世」の名を持つわけですが、赤染氏が常世岐姫を祭祀するから常世連を下賜されたか、常世連を名乗るようになってから赤染氏の祖神を常世岐姫と呼ぶようになったか、つまり神名が先か氏族名が先か、この点については現状で分かりません。

ですがいずれにせよ、渡来人がその祖先であろう異国の姫を祀ったことが当社の発祥にあり、その後のある時期に常世岐姫の名が成立したのでしょう。以降、異国の姫以上に異界の姫神としての存在感が強くなっていったと考えられます。人が生まれる前にいた世界、死んだ後に行く常世の姫神であるのでしょう。岐神(クナドノカミ)と同じ字を持つ姫神は、異界の姫神であって異界と現世の橋渡しをする神でもあったことでしょう。

拝殿には常世岐姫命の絵が描かれた扁額が掲げられています。二人の子供を抱いた美しい女神の絵です。地母神のような。

この神社が今では安産の神として信仰されている背景に常世岐姫の存在があるのはもちろんですが、ここからはもう1つの安産の神のことを考えてみましょう。
八王子神社

 式内社で常世岐姫神社といったが
地元では 八王子神社 として親しま
れている。
 古記録によれば宝亀七年(七七六)
の夏 河内国 大県郡の人 正六位
上 赤染人足ら十三人に 常世岐 の
姓を与えたという。
 この赤染とは茜染のことで この
あたりの人々が茜染めをやっていた
ことがわかりこの人々の祖神を祭っ
たものであろう。
 今は安産の神として名高い。

      八尾市教育委員会

当社には、ここで授けられる帚(ホウキ)で妊婦のお腹を撫でると安産になるという非常に興味深い習俗が伝わります。本稿筆者の住む奈良県内にもそれを伝える神社があり、各地の複数の神社に同様の習俗が残っていることが知られています。

民俗学者吉野裕子の著書「日本人の死生観」によれば、これは民俗学で研究されている「ホウキ神=ハハキ神」の習俗だとのことです。ハハキ神が来ると出産は安産になると伝わり、ハハキ神は出産に立ち合う神と民俗学では考えられています。

同じ範疇に含まれるものとして、竈(かまど)周りを清める小さな帚を神聖な物実であると見立て、その箒で妊婦のお腹を撫でると安産になるという習俗が伝わっていたケースもあります。この習俗は竈の少なくなった現在ではあまり知られていませんが、かつては凡日本的に知られていた様子です。竈は荒神(三宝荒神や奥津彦命・奥津姫命を代表とする火を司る尊格)を祀る神聖な場所とされ、小帚は荒神箒と呼ばれます。

ハハキは箒の古い呼び名ですが、掃除用具を神に見立ててハハキ神と呼んだわけではなく、その逆に、掃き出すというハハキ神の属性が後の世に掃除用具に関係づけられたと見られるそうです。中から外へ掃き出す、つまり異界から現世へ導く力を持つ神とのことで、この属性によりハハキ神は安産の神とされた様子です。



気付かれる方は気付かれるでしょうが、「ハハキ神」という名は、謎の古代神「アラハバキ神」に通じるように見えます。

アラハバキ神については民俗学者や多くの研究者がアプローチをしているようですが、結論に至るような論考は今のところ見られません。例えば谷川健一は、アラハバキ神は古代の東北地方において外敵侵入に対する「塞の神」の役を持たされて祭祀されたと見ています。化外の神をさらに外敵退散の塞の神に仕立て上げた、夷をもって夷を征する祭祀の現れというわけです。

上述してきたハハキ神に関連付けてアラハバキ神を考察されたのが吉野裕子です。この点、谷川健一はハハキ神とアラハバキ神を関連付けてはいません。以下、本稿筆者が同書から理解した部分を述べてみましょう。

ハハもしくはカカは蛇の古名であり、上記のように出産に立ちあう現われ方、また伊勢内宮御敷地内に祭祀される矢乃波波木神(ヤノハハキ神)などのハハキ神の現われ方から、ハハキ神は異界の主としての力を持つ蛇神とします。

この蛇神が顕現した時がアラハバキ神(顕わになった蛇神)である、というのが「日本人の死生観」における吉野裕子の説です。つまり、吉野裕子はハハキ神と荒神(アラカミ・コウジン)の中間にアラハバキ神を位置付けており、ハハキ神・アラハバキ神・荒神は1本の線で繋がります。アラハバキ神から「ハバキ」が脱落するとアラ神(=荒神)となります。

なるほど、荒神箒はまさにアラハバキ神を象徴するかのようです。顕わになったハハキ神の存在が妊婦に対する荒神箒の習俗に残ったいうことなのでしょう。

谷川説も吉野説も、アラハバキ神を、向こうの世界(異界:彼岸)とこちらの世界(現世:此岸)の境界で力を発揮すると考える点では共通したものがあります。吉野説の方が、ハハキ神に異界の主としての蛇神の属性を見るところが興味深く思えます。
●拝殿に掲げられる常世岐姫の扁額●

ハハキ神の名やそれに対する信仰がどれほど古いものかは不勉強にして知りませんが、縄文土器や土偶に残る蛇の文様を考えても、蛇は古代から人間の畏敬と信仰の対象だったと考えられます。それほど古い時代の蛇に対する想いがハハキ神の原型だとすると、それは常世岐姫に対する信仰より古いのではないかという気さえしてきます。

ハハキ神は民間信仰の神で史書に登場するわけではありません。一方、常世岐姫は記紀神話には登場せずそれほどメジャーな神ではない上に氏族の祖神の一面を持ちます。両者の間に接点はなく全く別系統の信仰です。



当社の安産の信仰は、異界の蛇神に対する信仰と異国の姫神に対する信仰という系統の異なる異世界への信仰が重層して意味を強めていると考えられます。

境内はキレイに掃き清められています。道案内の看板や社号標には安産祈願の神社である旨が書かれていました。社殿も鳥居も北向き、これは面白い要素です。異界の主を祭祀する神社は、通常とは違った祀り方をするのでしょうか。
●境内の神木●





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