厄年もしくは迷信

●役というキーワード●


厄年とは一般に災厄に遭いやすい年と思われていますが、本来のヤク年とはどうやらそういうものでもなさそうです。いくつかの手掛かりを基に考えてみましょう。

以下はもちろん通説でも定説でもありませんが、大きな間違いは無いだろうと考えています。ただ、真偽については、お読みになられた方々がご自身でご判断なされますようお願いいたします。

神道系の解説書に、「元々厄年とは、神に対してある一定の役割を担う年のことだった」という意味の記述がありました。「厄年」を「役年」と表記するケースもあり、役を担う「役年」の表記こそが本来的なものかと推測します。

神道系の話を中心に据えて考えるなら、頭屋や氏子総代、一年神主などは1年で交代するケースが案外多いもので、それらは神に対する役を担っているわけです。役を担う筆頭が神主です。



解説書にはこの役の内容について突っ込んだ記述はありませんでしたが、他書やネット上のいくつかの研究サイトでも同様に、役について「神社の奉仕等、決まった役を1年間勤め上げること」という意味の記述がありました。

【Link:厄年は怖くない!】

このようなことから「役年」を推測するなら、人生の中で通過儀礼のように何度か巡って来る「役を担う年」と考えて良いのではないでしょうか。「頭屋」や「氏子総代」などは1年を任期とすることが多く、1つの参考になるでしょう。地域や神社により、1年を任期として神社に関わる様々な役があってもおかしくはありません。

上記の話を補完することを以下に考えていきます。
厄年にあたる年齢
男性 女性
前厄 本厄 後厄 前厄 本厄 後厄
24歳 25歳 26歳 18歳 19歳 20歳
41歳 42歳 43歳 32歳 33歳 34歳
60歳 61歳 62歳 36歳 37歳 38歳
厄年については数え年で考えます

●役者●

沖浦和光の著書「悪所の民俗誌」から引用します。下記引用文により、ほとんどの答が分かるように思えます。

*******引用始め*******
 室町期に盛んだった猿楽・田楽・曲舞いにしても、いずれも「勧進」興行として行われた。「勧進」は、社寺や仏像の建立・修繕のために広く金品を募ることである。つまり、仏や神の功徳を称え、信仰の道を説くという宗教的な名目を表看板にして芸能が演じられたのであった。そのような神事・仏事の芸能興行にたずさわる者が「役者」と呼ばれた。
(中略)
 そもそも「役者」は、寺社の祭祀儀礼の際に特定の「役」を持つ者の呼称だった。それがしだいに例えば能役者のように、芸能をもって祭事に奉仕する者を指すようになった。
 歌舞伎の舞台は、いろんな意味で中世の猿楽から発展した「能」を一つの規範として形成されていった。歌舞伎役者という呼称も、能役者の称をそのまま借りたものだった。そういう意味では、この「役者」は、古代・中世の時代に祭事に奉仕した呪術者(シャーマン)の面影を宿した呼び名であった。

 悪所の民俗誌 P62〜63:沖浦和光著

*******引用終り*******



本稿筆者は別ページで、沖浦和光の著書から示唆を受けることが多いと書きました。上記引用文も重要なその一つであり、役の意味を考える上で非常に意味深い一文であると思います。

寺社における奉納祭事の一環として、歌舞音曲などの芸能が執り行われることが多々あります。古典芸能といわれる能・狂言や歌舞伎、それらの基になった猿楽などは、本来、神仏に奉納する祭事をその発祥としました。

上記引用文から分かる通り、古来、芸能に携わる者は、能役者であり歌舞伎役者であり「役者」と呼ばれる者でした。これら「役者」の担う役とは、勧進であり布教であり神仏への慰撫であり、限りなく宗教行為に近いものだったといえるでしょう。

●役行者●

役についてのもう1つを、過去に遡る形で考えてみます。

修験道の開祖とされる役行者は「役小角」が本名のようにいわれていますがそうではなく、賀茂役公小角と表記され「かもの えだちのきみ おづぬ」もしくは「かもの えのきみ おづぬ」といいます。この名にも「役」が含まれているわけです。

金剛葛城山麓には、古代からこの地に勢力基盤を持つ鴨(賀茂)氏が存在しました。鴨氏は三輪氏と同族ともされ、同地域において何社かの延喜式内社を奉じる氏族でもありました。



では、鴨氏のうち「役公」とはどのような系統であったか。役行者に関する解説書や研究サイトによれば、その鴨氏の庶流で特別な職掌を持った系統、すなわち祭祀に携わる系統の一派を「役公」と称したとのことです。超人的に語られる役行者の事績を見ても、祭祀に関わっていたことがうなずけます。その発音は「えのきみ」「えだちのきみ」のような古代的な読みだったでしょう。

【Link:役行者とは?】

時代により社会情勢により様々な役が人に割り振られることがあると思いますが、役行者の存在からは、「神仏に対して担う役」が最も古い役の1つであることが強く読み取れます。

●厄払い●

現代的に考えれば、災厄に遭う確率(罹災率)は「役年」とそれ以外の年で変わらないはずです。古代や中世に統計的情報がなかったとしても、経験的にそれは知られていたのではないでしょうか。そして罹災率がどうあれ、「役年」は神事・仏事を担う大事な1年であるのでできるだけ災厄に遭う確率を下げなければいけない。ために、旅行や遊興を避け身を慎んで過ごし、できる限り災厄を避けることを考えることが必要でしょう。役を担うがために「災厄を避ける祈願」をすることがあるとすれば、ここに「厄払い」の心理的な重要性が見い出されます。

ですが「厄を払わねばならないのは厄に遭いやすい年だから」、という思考の転換(要するに勘違い)が起こったとすればどうでしょう・・・ 「厄」と「役」が混同されるに至って「ヤク年」とは災厄に遭いやすい年だという考えが一般化したのではないでしょうか。



平安期には貴族の間に厄払いの習慣があったとのことです。信心深い平安貴族が躍起になって厄払いを執り行ったことが滑稽に想像できますが、そこにどのような思想背景があったでしょうか。そして鎌倉・室町期を過ぎ江戸期を過ぎ、現在に至る長い時間の中でその勘違いが一般化し、全国的に定着してしてしまっているのではないでしょうか。

最初に戻り「役」をキーワードに考えるなら、「ヤク年」とは災厄に遭いやすい年だと考える必要は全く無くなるでしょう。役を担う者を役者というように、本来は神仏に対する役を担う年が「役年」であると考えられます。それは災厄に遭う云々とは正反対の、非常に喜ばしい意義を持つ年だといえるでしょう。

「役年」だからこそ「厄払い」を執り行い、神仏に対する「役」に精進しなければならない、これが「ヤク年」の本来の姿ではなかったかという推測します。

●もしくは迷信●

さて、拙考に可能性をお認め下さるなら、ここから「ヤク年」は考え方の方向がいくつかにに分かれていくと思います。

1つ目は、一般的な習慣通り災厄に遭いやすい「厄年」だと考える運命論的なもの。災厄の発生は神仏がもたらすものではないものの、災厄を取り除くには神仏への祈願が必要といったところでしょうか。

2つ目は、ここまでの記述で分かるように、神仏に対する役割を担う「役年」と考えるものです。1つ目と2つ目は似て非なる考え方です。

3つ目は、ヤク年のごときは全くの迷信であると考えるものです。本稿筆者は3つ目の考え、「迷信である」という考えを強く持っています。それを以下に見ていきましょう。

ヤク年が迷信であるという考えには根強いものがあります。本稿筆者がそう考える理由をお話すると、本来の意味や用法が忘れられたり間違った状態で成立しているからだということができます。そのように成立している慣習や行事、または知識などは案外多いもので、例えば、ヤタガラスが3本足だと勘違いされて成立していることは別項でお話しました。



神道に多く見られる豊穣祈願・予祝などの農耕儀礼や祭祀は、旧暦の日取りで執り行う方が農業の実情に合うといいます。しかしながら現在はそれらを新暦の日取りに直して執り行うケースが多々あります。

農耕儀礼ではないものの1つのパターンを見ると、夏越祓(なごしばらえ)は旧暦6月末の行事ですから現在の新暦7〜8月に執り行われてしかるべきはずです(閏月が入るため変動あり)。しかしながら現在では新暦6月末に夏越祓が執り行われることが多く見られ、さらには新暦7月末に執り行うケースも見られます。

また、およそ半年をずらして夏越祓に対応する年越大祓(としこしおおはらえ)は、ほとんどのケースが新暦大晦日(12月末)となっています。旧暦大晦日(新暦の1月半ば以降)に大祓に類する行事が執り行われることはかなり少ないでしょう。これらは新暦に合わせて法則性なく無理に取り決められている様子であり、6月に夏越祓を受けられなければ7月に執り行う寺社に行けば良いなど、便利な時代の節操の無さを表すかのようです。

人間の都合でどんな時期にもどんな形式にも変化させることが可能なそれらの慣習や行事には、つまりは私たちが過ごす現実世界に働きかける実情が無いわけです。「ヤク年」に対する考え方が変化してきていると読み取れることも、同じく人間の都合が働いているものだと思います。重要視される意味があるとすれば、それはあくまで心理的な事情のみでしょう。

この現実世界を、本稿筆者が最も適切と判断する言葉を使って表現すると「4次元時空連続体」となり、慣習や行事が現実世界に影響を及ぼすこと無く心理的な事情のみがあるなら、多くのケースのそれを迷信と呼んで良いと思います。

もっとも「ヤク年」は、更年期障害やホルモンバランスの変化など体調に変化が現れる時期を顕在化したものとの説もありますが、それは考えに入れません。なぜならそれは迷信云々でも厄払い云々でもなく、病院に行くべきことを私たちは知っているからです。

現実世界に対応する実情をもとに、上記したヤク年への考え方の方向性を次にまとめます。

●迷信ではなく⇒
⇒災厄に遭いやすい運命を背負う「厄年」だと考える。
⇒神仏に対する役割を担う「役年」と考える。

●迷信だろうけれど⇒
⇒災厄に遭いやすい運命を背負う「厄年」だと考える。
⇒神仏に対する役割を担う「役年」と考える。

上記については、神仏への祈願による厄払いを「受ける」か「受けない」かに分かれるでしょう。さらに・・・

●ヤク年は迷信だと考え、何もしない。
●その他。

お読みになられた方はどれをお選びになるでしょうか? 本稿筆者は本厄を過ぎていますが、それを全く気にしなかったため厄払いは受けておらず、次の厄年にも受けるつもりはありません。



●終わりに●

なお、変化してしまった慣習や行事を本来の意味や用法に戻すことには大変な力が必要になることを次の例に見ることができます。

七夕祭りを挙げてみましょう。七夕祭りは旧暦7月7日の行事ですが、「7月7日」という日付のみを新暦に直すから梅雨の時期に執り行われることになってしまい、現在では星空を見る機会が非常に少なくなっています。

旧暦の七夕祭りを新暦に直すなら、七夕祭りは現在の8月半ばに執り行われるべきもので、事実、東北地方のある地域では、七夕祭りは本来の時期に近い8月に行われています。その時期ならば雨も少なく、天の川は良く見えることでしょう。が、このケースは少数派となっているでしょう。

新暦7月7日の七夕祭りは実情に合っていないわけですが、これを現在の8月に行おうと思えばどうでしょうか? できないことはないでしょうが、状況的にはかなり難しいでしょう。

実情に合わなくても直すことができない、これは慣習の恐ろしさですが、こと冠婚葬祭に関わる習慣などは現状を変化させることが限りなく不可能に近い場合もあり、これには苦笑せざるを得ないこともあります。





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