++ 2001年10月からのつぶやき ++

2001年12月31日(月)
 21世紀最初の1年が終わります。2001年。子供のころ合唱部で歌ったうた。〜21世紀へ夢を届けるたーびーびーとー〜。21世紀になるときはもう30歳超えてるねんなぁ、どんな時代なんやろう。ただそう思ってたあのころ。実際に来てみたら、なんと言うことはない、それでもいろんなことのあった、日常の1年でした。
 みなさんはどんな1年を過ごしたんでしょうね。

 来年は。もっともっと楽しいことのたくさん起きる年であってほしいな。そう願いつつ、年は明けていきます。


2001年12月27日(木)
 行ってきました。ティーハウスムジカ。
会社から歩いて15分くらいでしょうか。そんなに離れてるわけでもないんだけど、ついつい足を伸ばすことなく。
今日は朝早く堂島まで行ったから、移動の間の時間が1時間半とぽっかり空いてしまいました。
オフィスに戻っても、また慌てて出ないといけないからって、そのままおいしいアッサムとスコーンをいただいてきました。
お茶の渋みってこういうのやよなぁ。小さいころはこの渋みがいやで、おさとうやミルクを入れてたけど、それが飲めるようになったのはいつ頃からだったかしら・・・・。


2001年12月22日(土)
 クリスマス、今年はいとこの集まりができず、実家とだけのパーティになりました。
それぞれ1品ずつ持ち寄ろうとか、誰が何を、とかいろいろ考えたけど、結局直ちゃん家は場所を提供、おじいちゃん家はお寿司と子どもへのプレゼント、うちはオードブルとケーキのセット、に決まりました。
オードブルはアルションのディナーセット。大人4人なんだけどいろいろあるみたいやから一度頼んでみようと予約してみたんです。
 4時から集まって、5時過ぎにお寿司が到着。オードブル&ディナーセットはというと、大正解!
ボリュームもあったし大人6人、子供3人でお寿司をつまみながら十分な量とおいしさ。来年も頼むぞー。
 一通り食事も終わって、直ちゃん家の近所で評判だというイルミネーションを見に行きました。
トナカイやサンタ、鈴の形を作ったり、もみの木の形を作ったり。門の前に(記帳用)ノートを置いている家も。
 とってもすてきだったけど、やっぱり気になったのは見にくる人達の騒がしさや車。私達は歩いて見に行ったんやけど、住宅地の中の道を車がブーンととばしていったり路上駐車してたり。
好きでしてるお宅はいいけど静かにすごしたい人にはたまらんやろうなぁ。遅くまでワイワイがやがや。おまけに写真のフラッシュやジュースのごみまで。あまり遅くまでは、と時間を決めて点けるようになったそうですが、見る側も最低限のマナーがないと。せっかくのきれいなライトがかえって人間関係や環境を乱すものになってしまうのは、残念なことだと思います。

 30分くらい歩いてまわって、すっかりお酒も抜けた私達。みんなもすっきりケーキにお茶、そして楽しく騒いで、12月の夜は更けたのでした。


2001年12月20日(木)
 毎日乗る電車の窓から。駅につくすぐ手前に、小学校と隣り合わせで消防署があります。
窓から見える消防車。ハシゴ車にポンプ車。いつも特に気をつけてるわけじゃないんだけど、毎年この時期、署前に植えてる大きな木にイルミネーションが灯るのです。
クリスマス時期だけの限定ライティングなんだけど、ちゃんとツリーを型取っていて、なかなかきれい。
今年はいつから点いてたのかしら。
今日はじめて気づいて。いつまでチカチカしててくれるのかな。


2001年12月16日(日)
 きのうからパパは先輩と北海道にスキー。
いいなぁーーーーーー。札幌に到着して、気温は−8度だとか。聞いただけでブルっとなるような気温ですが、雪は最高。滑ってると寒さもそんなに感じないんだそうです。

 ちぇっ。自分だけずるいよなぁ。
 なんてそういう私も遊びに行くから、と子供を置いてくこともあるし、ま、たまにはいいか。
 それでも悔しくて、子供たちを連れて奈良まで買い物に出かけました。
そしたらShoobyDoobyで改装セールをやってるではあーりませんか(一応チャーリー浜口調で)。思わずローソクやランタン、雑貨をたくさん買い込んでしまいました。
3人で甘ーいワッフルを食べて、ちょっとご機嫌が直った、なんて単純な私。





2001年12月13日(木)
 10日からお客さんのところで作業中。といっても、うちの会社とは深いつながりのあるお客さんで、私のいる事務所から歩いて10分くらいのところにあります。
 そのお客さんの近くで、保育園のママ&パパがお仕事中なのです。

 電話してランチに出かけました。
保育園のこと、子供のこと、仕事のこと。年も近いし、パパの方が私の隣の中学校だったせいか、話もはずみました。
 結局1時間でゆっくりのんびり。楽しいお昼の時間でした。




2001年12月5日(水)
このところずっといらいらしている私。コドモ達にかける言葉もついきつくなる。
 「もう何してんのよっ」「早くしなさい」「何回言ったらわかんのっ」「いいかげんにしなさいっ」
言ってしまってから「あ、しまった」と思うことも何度もあるけどどうしても言ってしまう。手を上げるよりは、と言葉がきつくなるけど、手を上げてなくてもおんなじことを言葉で言ってたら、いっしょやん。それでも時間がないっていうのを理由にいつもとげのような言葉を投げている。これって精神的な虐待やんなぁ。

 2号が描いてくれたままとぱぱの絵。「”これぱぱ、怒ってない。こっちまま、怒ってる”って言ってたよ」ってぶーちゃんに言われた。
 保育園のお絵かきの時間はぱぱの顔だけ描いてある。
1号は私の顔を見るとき、いつものぞきこむようにしている。

 こんなんあかんやん。悲しくて泣けてきた。

時間がないっていうのは親の都合。仕事をするのも親の都合よ。言われた言葉が身にしみる。
 子供は本当に親をよく見ている。私の気持ちが不安定なとき、子供はそれを写す鏡のように不安げな表情やしぐさを見せる。
「こっち、まま、怒ってる」なんでいつも怒ってるんやろう。なんでいつも怒ってなあかんねんやろう。大事なことを見なおす必要がある。



2001年12月2日(日)
 パパは今週はお仕事。仕方なく3人で公園に出かけました。午前中、お天気はよくってもだんだんと寒さがこたえます。実家の隣にあるその公園は私達が子供の時代を過ごした、一番身近な場所。1号と2号は保育園の散歩でもよく歩いてくるそうです。
そんな公園の片隅に植わっていた木。私達の背丈くらいの大きさだったのだけど・・・。
 今その木は、3mを超す大きな、公園のシンボルツリーのような存在になっています。枝を広げ天に伸ばし。一番下の枝でさえもう手が届かないほど。
 「ままが小さいときはちっちゃかってんで」「どれくらい?ままくらい?」「うん、ままの背くらい」「うそーおっきいでー」1号と2号もこうやって伝えていくのでしょうか。
 


2001年11月23日(金)
 結局1週間のお休み。ThanksGivingも終わったので(アメリカ人かって言わないで・・きっかけが欲しいだけ)クリスマスの用意を少しづつはじめました。
 まず最初は何と言ってもクリスマスツリー。ホントはね。もっと大きいのが欲しいのです。そう2mくらいある。天井につくくらいの。でも「じゃあ今のはどうすんの」「そんなおっきいのんどこにおくの」と反対されていてまだまだしばらくは交渉継続です。
子供のころ、家にあったツリー。すっごく大きかったって思ってるけど実際は今のウチのとそんなに変わりません。記憶なんて曖昧なものだけど、それでも大好きだったそのツリー。
1号と2号にもそんな風に思っててほしいなぁ、そう思いつつ3人で飾り付けを終えたのでした。
 
今はテーブルにのるくらいのツリー。
いつか大きいのを・・・・。


2001年11月21日(水)
 たった1泊の入院。それでもままを一人占めできた1号はちょっぴり甘えています。それだけだと思っていたら、食事のとき。「ほっぺたがいたい」と言い出したのです。「ごはんをかもうとおもったらいたいねん」むむむむむ。おたふくだー。
 すぐに病院に行きました。診断はやっぱり「おたふくかぜ」。ああ、今日は仕事にでる予定だったのに・・・・・。1週間休む予定はキャンセルしたはずだったのに、やっぱりまた休みますって、マネージャは「仕方ないね。お大事に。」と笑ってくれました。感謝感謝。
2号はもう大丈夫との診断。ふたりは元気でままといられてうれしそう。まあそういう1週間もあってもいいか。と苦笑いする私です。
 そうそう、おたふくかぜはやはり保育園で大流行中だとか。1号のクラスなんて11人も休んでるんやって。早く元気になってみんなと遊ぼうね。


2001年11月20日(火)
 1号手術当日。6:30起床。電気がついて病棟が明るくなりました。ほとんど眠れなかったままはしょぼしょぼする目をこすり、まだうつうつ。今日は麻酔をするので食事ができない1号。ままもつきあって朝食抜きです。

 散歩したりテレビをみに行ったり、時間をつぶしているうちに9時。小児科の受診の時間になりました。
 外来から先生のところに行って診てもらいます。すると先生は
「ちょっと様子を見た方がいいでしょう」まま「?????」
「そ、それはやめといたほうがいいってことですか?」「そうですね」言葉も出ないわたし。「でも、鼻水も少しだし、咳もほとんど出てないんですけど。それに昨日皮膚科の先生はおたふくもだいじょうぶだって言ってたんですけど・・・」
「でもね、お母さん、急ぐ手術じゃないんだし、体調を万全に整えてからにされた方がいいですよ。全身麻酔ですからね。何があるっていうわけじゃないですけど、万全でのぞんだ方がいいんじゃないですか?皮膚科にはこちらから知らせておきますからね」

 もうがっくりきて、言葉もでない。ぱぱも私も仕事を調整して、会社にも調整して、実家にもきょうだいにも友達にも調整して、やっと実現した日程だったのに・・・・・。自分の体調もコドモの体調もぎりぎりだったから、「もしかして・・」なんてちょっと思ってたけど。心の準備もやっとできていたのに・・。
 病棟に帰ってとにかく電話。ぱぱは会社を休んでくれたし、義母が来る予定だったし、2号はぶーちゃんに見てもらってるし。
 退院手続きが終わってごはんを食べたのは、12:00すぎ。パパに迎えに来てもらって、気分直しにケーキでも食べようと行ったのはいいけれど、3軒が休み。4軒目でやっとゲット。2号を迎えに行っておいしいケーキにかぶりつきました。

 結局、1週間休む予定はキャンセル。仕事にでることにしたんだけど。
 とってもショックで気が抜けてしまった今回の入院。でも、風邪気味で完全でないのに「大丈夫」って強行する先生や病院でなくてよかったんだ。それが1号のためにもよかったんだ。そう思うことにしよう。


2001年11月19日(月)
 今日は1号の入院の日。土曜日あんなにぐったりしていた2号、熱が下がってすっかり元気です。昨日突然「ほっぺたいたいーー」と泣き出しました。んんん、やっぱりおたふくかー。
朝から行った病院では「おたふくですね」やって。そんなん見たらわかるってくらい、ほっぺたが腫れています。なのに先生は「あんまり腫れてませんね」普段からこれなんですっ。
 午後一時、おじいちゃんに送ってもらって1号入院手続き。カワサキリョウタ君という2歳(20日に2歳になるって)の男の子といっしょです。
 病室は4人部屋でした。窓側からリョウタ君に向かいに検査入院らしきおばさん。リョウタ君の横が1号、その向かいにずっと寝た状態のおばあさん。
 ふたりとも緊急性のある入院、手術ではないので元気いっぱい。病棟を散歩したり売店に行ったり、何とか時間を過ごすのに必死のまま達です。
 翌日手術予定の1号とリョウタ君は「お風呂に入ってください」と。お風呂は13:00から17:00までの間、空いていれば自由に入ることができます。4時すぎから2人で入りました。
 先生はその前に来て「鼻水が出てますね。咳もちょっとあるかな、念のため明日、小児科を受診してください。」
 病院の食事は早く17:00からです。1号は明日、麻酔のため朝食を摂ることができません。だからしっかり食べて、ママの付き添い食(売店で買ったカップラーメン)も保育園でもらったおやつの残りも平らげてしまいました。
 消灯は21:00。でもその前から病棟はシーン。ま、当たり前よね。ままと1号はディルームで時代劇を見たあと、病室に戻ってきました。でもベッドで絵本を読んだり絵を描いたり・・・。結局しばらくして寝てしまった1号。ままは眠れない夜を過ごすことになりそうです。


2001年11月17日(土)
 前日の夕方から熱の出ている2号。一日ぐったりしています。39.7度まであがってもう苦しそう。病院では風邪でしょうって言われたけど・・・。
保育園で今おたふく風邪が大流行しているのです。2号のクラスでもその日かかった子がいるとか。まだほっぺたは腫れてないけどなぁ。
 それでも今日は1号の入院のための検査に行くのです。具合の悪い2号は連れていけない。まして2号はおたふくの可能性もあるのです。ぶーちゃんに留守番しててもらって検査に出かけました。
3年程前にできた大学病院はきれいで広くて1号はうきうき。レントゲンと採血に向かう途中、かいりくんとゆういくんとお兄ちゃんのたかとくん、それにお母さんに会いました。
「ここの病院は病室もきれいよーー」と教えてもらってママもちょっとうれしい。
 1号には手術OKの返事をもらってから話しました。「1号は足の裏にほくろがあるから、それをとってもらうの。そのままやったら体に悪いことをするようになるかもしれへんからね」「いたい・・・?」「寝てる間にとるから大丈夫。その間ままといっしょに病院にお泊りできる?」「うんっ。2人やなぁ」と元気な返事に安心しました。
 家に帰ってまだ熱の高い2号。解熱剤でやっと下がったのでごはんを食べてすぐに寝てしまいました。
来週は1号の入院。大丈夫かなぁ・・・。


2001年11月16日(金)
 週末になるとお天気の悪い11月。一雨ごとに寒くなるというのは、ホントによくわかります。
 今年は秋が短いなぁ、そう思う今日この頃です。


2001年11月9日(金)
 先月に続いての東京出張。
京都を出たときは、薄日がさしていたのに、静岡を出る頃から雨の気配です。
東京駅に着いた時には、もうどしゃぶり。
何とか八重洲ブックセンターまで辿り着いたけど、さすがに激しい雨に店から出ることができません。
仕方なく、300円で傘を買いました。八重洲ブックセンターの!
透明のビニールの傘に”八重洲ブックセンター”の大きな文字とロゴ!あはは。みんなが振り返りました、ホント。まあ、話の種にいいか。
帰り道、新幹線の中はビール片手のおじさん達でいっぱいです。私はおやつをぽりぽりしながら、読書の時間。
明日は先週延期になった保育園の運動会。晴れるといいなぁ。


2001年11月4日(日)はれ
 前日の冷たい雨とは打って変わって、秋晴れの日曜日です。
お母さんの還暦とお父さんの退職祝いに、奈良は奥山月日亭までお食事に出かけました。

いつもなら30分でつく道のり。お父さん、お母さん、ぶーちゃんを乗せて出発したのですが・・。
なんと到着まで1時間30分もかかってしまったのです。
前日の雨に、七五三参りや観光に、人がどっと押し寄せたそうです。
春日大社の奥の道も、狭い道路で車が右往左往。
そうでなくても狭い道に、そこらじゅうに路上駐車の車がいっぱい。
行き違うこともできず、ぶーちゃん、おじいちゃんが車を降りて交通整理を始めてしまいました。
やーーっと到着した私達を直ちゃん達は待ちくたびれていました。
それでも、おいしいお食事と広いお部屋にみんな満足。楽しいお昼の時間でした。
ちなみに帰り道も車はびっしり。近鉄奈良まで出るのにも1時間もかかった、秋の日です。


2001年11月3日(土)つめたい雨 文化の日
 冷たいつめたい雨が降り続く土曜日。今日は1号と2号の運動会の予定だったのです。
前日の天気予報では、くもり時々雨、降水確率は50%。午前中さえ持てば、と思っていたのに、降り出したのは朝7:00。

運動会のことを忘れて買い物に行ってしまった、寝坊した、雨が降って中止になった、というイヤーなユメを見て、夜中に目が覚めた私。結局5:00すぎからまた眠れなくなってしまって・・・。

早々に起き出して用意をしていたのに、ポツリポツリと降り出したにくい雨。
7:30には延期の連絡が入りました。
みんな着替えて用意してたけど、仕方ないね。
途中で終わってしまうよりは、またお天気がよくなるのを願っています。


2001年10月24日(水)はれ 
久しぶりの東京。昼から東京駅近くの会社で打合せの予定だったのです。
私はというと、なんと往復6時間もかけての出席。
向こうで打合せに出席したのは2時間半。
こんなのありー?とか思うけど、たまにはいいかな?
ゆっくりぼうーーっとすることができました。
電車の窓側が大好きなわたし。お茶とおやつを持ってうきうき乗りこみました。
残念ながら曇っていて富士山は見えなかったけど、外を眺めてぼんやりゆっくり車中のわたしなのでした。


2001年10月13日(土)はれ 
おばあちゃんが久しぶりに帰ってきたので、顔を見せに出かけました。
ロコちゃんもやってきて、庭は騒然。私はお天気がいいので植え替えをしたくてたまらないのです。
でもコドモ達がどろんこ遊びを始めたら・・・・。そう思うと何だか手をつける気になれなくて・・・・。
走り回るそばで、枯れた葉をつんだり、位置を換えるだけで精一杯。秋のガーデニングシーズン、ハーブやグリーン達はどれもきゅうくつそうなのに。
とまどう私を尻目にコドモ達は好き放題。
しまいには池に住んでるらしいカエルを捕まえると網を取り出しました。
奮闘の結果、結局逃げられたんだって。
秋空の下。「カエルちゃーん、出ておいでー」コドモ達の声が響きます。
そんな、でてくるわけないよね。


2001年10月12日(金)はれ 
1号と病院に行った帰り、1号を連れて初めて映画に行きました。 
行ったのは、仮面ライダーアギト+百獣戦隊ガオレンジャー。
1号は大きなスクリーンで見る映像に圧倒されっぱなし。
実はちょっとびびりながら、ままの手を握り締めていました。

 でもその体験、すごくうれしかったらしく会うヒト会う人に「アギトのえいが観てん」「すごいな、うるさいねんで」と告白。
2号に言ったらあかんよ、と言い聞かせておいたらぱぱには小さい声で「あんなギルス手とれてん」と話していました。

 ちなみに中でやってたくじは一番末等の4等がよかったのに、2回やったら3等と4等当たってしまう。
「両方4等でいいです」って言ったのに、受け付けのお姉ちゃんに「だめなんです・・」って言われちゃった。いいやん、それくらいー。
 2人おんなじモノじゃないとややこしいウチの兄弟なのです。