まいにちまいにちのわたし。
すこしだけごほうびもらえるとしたら、
おいしいお茶と
やっぱり子供の笑顔かしら。


(お休みをしていた間のことを書きました。
毎日これくらいならもうちょっとまめに更新できるかなと思いつつ、
きっと書く事よりも更新作業が大変なんだという事に気づきました。
いろんなところにPCが置いてあるっていうのも考え物です。
おまけに最初は簡単な短文やったのがだんだんと長くなっていき。
覚え書き程度に済ませようと思うのに残しておきたい事はいっぱい。
もどかしい思い・・・。)

2003年7月31日(木) はれ  
 2年前、O157が発生しお友達が亡くなった日。暑い夏の日。いつまでもあのときのつらさむなしさは忘れられない。

 今日は午後半休を取って帰ってきた私。お昼だけ食べてすぐに1号を迎えに行く。というのも、市の教育委員会が主催するイベント。谷川俊太郎さんと谷川賢作さんの詩とピアノの朗読「ことばとあそぶ、おととあそぶ」があるから。
 事前にチケットを買いに行ってもらって1号と2人で行く。対象は小学生以上なので2号は連れていけない。ちょうどちょっと不安定な事もあり、1号と2人で出かけるのもたまにはいいかと思って楽しみにしてた。

 朗読があったのは去年できたばかりの新しいホールのある市の会館。冒頭から「ならということで、”なら”って言葉がつく詩があるかなーって考えてみました。そしたらあったんです。読んでみたいと思います。 『おなら』。」ここで子供達、どっと笑う。「いもくって ぶ。くりくって ぼ。すかして へー。・・・・」子供達はわっはっはと笑ってる。「おならがきたので、つぎは『うんこ』!」ここでも子供達どかっと笑う。「ごきぶりのうんこはちいさい。ぞうのうんこはおおきい。・・・・どんなえらいひともうんこをする。うんこよ、きょうもげんきにでてこい!」
 全国を周って詩の朗読を続けていらっしゃるだけあって、さすがつかみがうまい!子供達すっかり惹きつけられて、どんどん続けて朗読される詩に聞き入っている。そして「ここはたいへん新しくいい設備を持っているそうで、新しい試みを」と絵本をスクリーンに映し出しながら積み上げ言葉で作ったという詩『のみのぴこ』を。「これはのみのぴこ。これはのみのぴこのすんでいるねこのごえもん。これはのみのぴこのすんでいるねこのごえもんのしっぽふんづけたあきらくん・・・・」というように言葉をどんどんつみあげて読んでいく言葉遊び。和田誠さんの絵も楽しく、スクリーンを見ながら、詩を聞きながら1号はくすくすえへえへと笑いながら聞いている。楽しそう。
 『のみのぴこ』の後、息子さんの谷川賢作さんが出てきて、ピアノと合わせて言葉の遊び。。さる、いるか、かえる、かっぱ。やっぱり1号はくすくす笑う。
 結局約1時間半の朗読とピアノの演奏はとても楽しくて楽しくて、すてきだった。谷川俊太郎さん、賢作さん、それぞれが歌を歌ったり、質問コーナーがあったり、その中で「子供の頃から好きな詩があって、楽譜を持ってきた」という女性の方の質問に対して、「じゃあ弾いてみましょう」とピアノを弾いた賢作さん。それに合わせて歌ってくれた俊太郎さん。やさしくてたのしくてちょっとやんちゃなおじいちゃんという印象で、楽しい午後を過ごしました。

 会場を出るとCDの販売とサインと握手。詩集も売ってたらよかったのにね、といいながら2人にサインをしてもらって満足した私。

こんなホールでやりました。

サインをしている谷川俊太郎さんと賢作さん。私も後で並びました。

これが並んで書いてもらったサイン。

2003年7月30日(水) はれ  
 本当なら学童を休んで家にいる(あるいは直ちゃん家に行く)予定だったけど、「きのうやすんだからきょうはいく」と言って学童に行った1号。けなげ・・・。「明日は夕方迎えに行くからね」と信号の前で手を振って別れた。

2003年7月29日(火) はれ  
 ちょっと休み無しの状態が続いているので、大事を取って2号お休み。「あっこさん(母。ばばバカよねー。おばあちゃんって呼ばせないのです)とこにいって、えほんよむわ」「これもっていくわ」「2号じぶんでもつわ」とうれしそうな2号がうらやましく、1号も「1号もがくどうにもっていきたい」「2号はいいなーやすみで(これにはこっそり「1号は明日休みやんか。直ちゃん家行くって言ってたやろ?」と言っといたけど)」「1号はがくどうや」といつまでもつぶやいていた。おまけにあさごはんも遅くて私はまた遅刻しそうでいらいら。それがつのって、ついきつくあたってしまった。「持っていかれへんもんはしょうがないでしょ?1号はまた次の時にしたらいいやんか。今日はあかんの!」
「ほんならもういいわっ!!」とまわりに当り散らしながら出て行こうとする1号と2号を連れて、実家へ。2号を預けてる間もふくれて外にいた1号。坂の下までいっしょに自転車に乗せて、いつも別れる信号の前。もう遅れていいやと思ってじっくり話す。自転車を降りて1号の顔を見るととりあえずはいつもの顔に戻ってる。これなら大丈夫かなと思い、信号が青になって「バイバイ」と言いながら1号が横断歩道を駆け出した。半分まで行って、あれ?わんわん泣きながら戻ってくる?「まま、あくしゅでばいばいしてないーーーー」「ままーーー」「今したやん」「してないーーままーさみしいーーーー」
 結局次の次の信号まで腰に抱きついて離れなかった。最後「もう行けるね」と言ったら「うん、あくしゅでばいばいばい。ばいばーーいままー」と言いながら信号を渡っていった。自転車を漕ぎ出そうとペダルに足をかけたけど、道路の向こう側からわんわん泣いている1号の声。「ままーーーーばいばーーーいままーままーーーー」ぼろぼろと涙をこぼしながら手を振っている。しばらく見てたけどとりあえず背を向けて歩き出したので、私も出発。でもやっぱり心配だったから、一応駅から学童に電話を入れておいた。
 会社についてしばらくすると実家の母から連絡。1号がわんわん泣きながら帰ってきてしまったらしい。学童は学童で私が連絡を入れたもんだから待っててくれたのに一向にやってこない。心配して辺りを探し回ってくれていたとか。今から行くか本人にも聞いてみたらしいけど、やっぱり今日は休みたいやって。きっとパパならこういうときでも行かせるやろうなあ。1号本人と電話で話をして、今日は休むことになった。

 予定外の休日。2人で折り紙折ったり絵を描いたり、ねんどで遊んだり。特にけんかもせずに仲良く遊んで過ごしたとの事。帰ったらちょっと恥ずかしそうにそれでも思いつめた顔で「1号さみしかってん」と言ってた。「そうやよね。さみしいよね。でもままもさみしいけどお仕事に行くから1号もさみしくても学童に明日からは行こう。1号が元気に行ってくれてるからままもお仕事できるねんで。いっしょにがんばろうな」と話をした。
どこまで理解できるのか、たった1年生でさみしいやろうに。それでもこうする、こうやってみると決めた以上、できるところまでは何とかやってみたいと思ってる。
(なんて偉そうなことを書いてるけど、実際はそんなに割り切れるもんでもない。いつも「これでよかったんやろうか」「こうしていいんやろうか」と悩みながら、泣きながら進んで行ってるというほうが正しいかも)

2003年7月28日(月) はれ  
 また日常生活の開始!1号は今日で最後の夏休みプール学習。なのに、「もうきょうはないって〜ちゃんがゆってた」と言い張る。確か今日までやったはずと思ってプリントを確認してもやっぱりそう。そしたら今度は「もうはいるのいやや」と言い出す。あんまりムリにさせても、と思い、「もう今日でおしまいやけどホントにいいのね」と念を押した上で、今日のプール学習は休みにさせる。
 夕方、実家に行ったとき母に聞かれて「きょうはプールのよういわすれたからはいられへんかってん」と言ったそう。母は私から聞いてたから知らん顔で「ふーん」と答えたらしいけど。
 それにしても、うまく(ばれてるけど)ウソをつくようになったもんやなあと思う。私が小学校1年生になった頃、母が当時の担任の先生との懇談で「最近むすめがウソをつくようになったんです」と言うと「おかあさん、ウソをつくのも成長のうちですよ」と言ってくれたらしい。その話を聞いたのはもう大人になってからやったけど、最近の1号を見ていてそういうことを思い出した。
 ウソをついてくれるのもいいのかもしれない。そういうときに親が知らん顔できるかどうかも、子供の考えに影響を与えるのかも。いつになったら「ばれててんなあ」と気づくんやろうか。私は記憶にないけれど。それから言ってもいいウソと言ってはいけないウソを見抜けるようにもなってほしいと思う。
そのうち親が気づかないような事を子供達はしてくるようになる。そのときに「ふーん」と思えるかどうか、まだまだ親の成長も必要なのかと思う。

2003年7月27日(日) はれ  
 キャンプから帰ってきた我が家のメンバー。相当疲れていたらしく、子供達はクルマの中ですでにぐっすり。どうせ寝てるからと出かけたスーパーで、パパもそのままぐっすり。朝ごはんの後、おやつがわりに食べたスイカ、バナナ、おにぎりがまだお腹に残っていていまいちお昼を食べる気にもなれないし、夜も早く寝たいから、とケーキ屋さんで甘いものを食べてにごす。
 夕方、また虫捕りに出かけたけど、帰ってきてすぐにお風呂に入ってもうくたくたの顔。あっさりとポン酢と豚のしゃぶしゃぶだけして、8:30にはみんなおやすみなさい・・。

2003年7月26日(土) くもりのちはれ  
 キャンプ当日。さすがにこういう日はみんな起きるのが早い。いつもは何度起こしても目を開けない1号も自分から起きてくる。「ママキャンプおくれるで」って、12時に学童に行けばいいから、まだまだ。朝ご飯食べて掃除して洗濯して、用意して、おまけに早いお昼ご飯まで食べて行かんなあかんのに。
 結局掃除、洗濯、家中の片付け、そして待ちに待ったキャンプの用意。汗をかいたら着替えるので、着替えを各自のリュックに。それから冷え込むかもしれないので、長袖。長ズボン。下着や靴下。帽子、タオル、水筒を各自。虫除けスプレー(美山で買ったハーブの虫除け。効き目はちょっと弱いけど香りがたまらなくいい)、懐中電灯、皮むき、おはし、布巾、雑巾、汗拭き用のタオルを人数×2枚分。軍手。飲み物を冷やすのに使いたいから持ってきてと頼まれていたビニールプール。
キャンプのしおりの「用意するもの」を1号が読み上げながらチェックしていく。時間が近づくともううきうきそわそわ。早い時間からリュックを背負ってスタンバってる2号。
お昼に出かけた学童から友達親子をクルマに乗せて出発!
山の中の空気にはじめてのテント。外で食べるごはん。みんなでつくったカレー。飯盒炊飯。まきで火を熾したかまど。何もかもたまらなく楽しく忘れられない思いでになった。私はいろんな父母の方とおしゃべりが尽きない。家族全員で参加した今回のキャンプ。行くまでは「私は2号の子守りで十分」なんて思ってたけど、行ってよかった。本当に楽しかった。詳しくはこちらでたっぷりと。

2003年7月25日(金) くもりのちはれ  
 早朝からパパが知人と出かける(休日出勤の代休を取ってる)ので、朝から三人。早く帰れるかもって言ってたけど、結局いつも通りになったらしい。
 明日は学童のキャンプ!簡単やけど一泊するからそれなりに用意もいる。1号と2号は「まま、はやくかえって、キャンプのよういしてやー」「おくれたらあかんで」「まにあわへんで」と何度も念を押してくる。なのに、仕事が長引いて、会社を出られたのはもう9時前・・・。残りご飯でチャーハンを作って食べててくれたとの事。コンロの周りは油やたまねぎやお肉のかけらが一杯飛び散ってる。帰ったら「ままーおやまのごはん(型抜きするから)たべてんでーー」と布団の中からにぎやかな声。
「あしたははやくおきんなあかんで。」「ままよういぜんぜんしてへんやろ」と細かいチェックまで入る。ホントだ。持っていくもの。牛乳パック1杯分の氷。各自分のお茶。懐中電灯。こまごまといろいろあるから、氷とお茶の用意だけしてあとは明日に詰め込もうっと。

2003年7月23日(水) 雨  
 雨の水曜日。1号は学童を休み。ホントは1週間、夏休み中(お盆の閉所以外)学童に通う予定なのだけど、週に一度くらいは家でのんびりできるって日があってもいいかと思って、毎週水曜日はお休みの届け出をしておいた。
で、今日はその最初のお休みの日。実家で母が見てくれる(元小学校教師)というので、まかせて家を出る。週に一度だけお弁当を作らんでもいいとなると結構うれしい。
 夕方、いつも通り帰ると、絵日記と宿題を済ませたとうれしそうに出迎えてくれた。「テレビばっかり観てない?」と聞くと「あ、ちょっとだけみたかな?」と恥ずかしそうな顔になる。母といっしょに一日の時間割を作って、宿題を済ませて家で過ごしたらしい。折り紙を切り抜いて作った魚やタコ、波の模様が扇風機にセロテープで貼られてゆれている。「1号が作ってくれてんで」と母は苦笑い。

2003年7月22日(火) はれ  
 連休に畑に出かけていたせいか、右腕の手首からひじあたりにかけて、痛痒い湿疹のようなものができてきた。ぴりぴりと痛いし、触るとかゆい。刺激を与えへんようにと思って長袖を着てたけど、だんだん広がってきてるみたいなので、朝から病院に行く。ついでに2号のアレルギー検査の結果を聞くと、Ige抗体が出ていた。診断はハウスダストがアレルゲンのアトピー。パパと一緒。パパほどひどくはないから、こまめなケアと乾燥してきたり荒れてきたらすぐに素早い対応をすれば何とか付き合っていけるかもしれないとの事。次から次へと全くいろいろと出てくるものやなあとため息・・・。
 私の湿疹はただのかぶれでしょうって。手荒れの薬と保湿剤で様子を見てくださいって。ぴりぴりと痛くて気になるので包帯を巻いていく。会社に着くと、「どうしたん、こんどは自分が怪我か?」とみんなに言われる。とほほ。

(先日忘れてきたのかと心配した通知票。友達に電話して聞いてみようと思い、連絡網を探すうちにふと最後のクラス便りを見て判明。一年の一学期はないんだって。早まって電話しなくてあーよかったあ)

2003年7月21日(月) はれ  
朝5時から出か けたパパ。こういう仕事をしている宿命なのだけど、特にパパは休日システム(コンピュータ)が止まってる間に作業をするっていうのが多いので、仕方ない。
 部屋で飛んだりはねたり絵を描いたり。ベランダの水やりをして、お昼ご飯を食べたら買い物。夕方から実家で手巻き寿司とギョウザ。最近寿司づいてる我が家。うれしい(^^)。
 夜。買い物に行ったときに景品でもらった花火で今年最初の花火大会。実家の庭で1号、2号、ろこが3本ずつしたらおしまいのささやかなものだけど、子供達は流れる火に、目が輝いている。

 

 

2003年7月20日(日) はれ  
二週間ぶりのスイミング。パパが仕事のため、おじいちゃんに迎えに来てもらってぶーちゃんの出発のお見送り。7月20日から8月4日までニュージーランド。
 家に帰ってたっぷりお昼ねをしたら、近くのスーパーまで散歩がてら買い物に行く。つもりが、散歩が大幅に伸びて、結局遊びに行ったみたいになってしまった。へたれのうちのムスコどもは「ままーもうはよかいもんいこうやー」「まだやのー?ほんまにここからいけんのー?」やって。
 せっかくザリガニとかカエルとか田んぼや畑をのんびり歩こうと思ったのに。それでもザリガニがうじゃうじゃいる池を見つけて興奮気味の1号。残念ながら道からかなり下がったところにあって、しかも急。まわりはぶんぶんやぶ蚊が跳んでるし、でっかーい蓮も咲いている。
 見るだけしかできないとあって、1号相当つらそう。手の届かないものは取れないっていうのを学ぶいい機会かもしれないけれど。

小さい線のように見えてるのが、ぜーんぶざりがに!

夢のようにきれいなはすのつぼみ。
私ですら、触ってみたいという気持ちを押さえきれない。

2003年7月19日(土) くもり時々雨 のち 晴れ  
やっと元気になって迎えた週末。パパの実家に遊びに行く。朝から行った病院では、便の再検査の結果も陰性と聞いて、再度安心。
 遊びに行って私はちょっと近所の百貨店に買い物。セール狙い&知人のお祝いを買いに。子供達は義母と義兄が見ててくれるというので久しぶりにパパと2人で出かけた。でもお茶やケーキを食べる間もなく、用だけ済ませて急いで帰る。ちぇっ。
 夕方近所のおじさんの畑にトマトとじゃがいもとたまねぎをもらいに行った。トマトは中トマトって言うんやって。ほんまかしら。(おじさん談。「プチトマトより大きいやろう。だから中トマトじゃ」)トマトを畑でもいでそのままきゅきゅっと拭いてかぶりつく。おいしい!!甘い!!こんなトマト初めてかも?!1号と2号はもいでは食べ、もいでは食べ。かにむかしのさるみたーいと笑ってた2号。結局夕食の前に1号は4個、2号は2個食べた。でもおいしかったし、空の下で食べるのは最高においしい!!

 夜。スポンサー(義父母)つきで、近所のおすしを食べに行く。回転寿司が食べたくてしょうがなかった1号はもう気が気でしょうがなくて、たまらなく楽しいごはん。おすしもおいしかったし(函館市場)、満足!お風呂をいただいて、帰る。パパ明日仕事のため。

「これたべていいの?」と不安そうな2号

かぶりついてみた!

「たべるでー」と1号

がぶっ!!

2003年7月18日(金)  
1号終業式。小学校はじめての通知票。楽しみ楽しみ。一学期間よくがんばったね。後半ちょっと調子を崩してしまったけど、お友達も本当に増えて、楽しい学校生活を過ごすことができた。よかったよかった。
 夜、今日もパパが飲み会のため三人で、と思っていたら、仕事が終わらずめったにない残業。仕方がないので実家でよばれて帰る。
 家に帰って聞いてみると、プリント、夏休みのドリル、絵日記帳、図書カードたくさん持って帰ってきた。けど通知票がない!まさか。忘れてないよね。でも疲れてて話を聞くだけで終わる。絵日記は(懇談で聞いたけど)8日間分描けばいいんやって。子供は確かに楽かもね。

2003年7月17日(木)  
1号の給食が終わり短縮授業に入る。私は学童用のお弁当が始まって、ちょっとどきどき。初日は楽しくおいしく食べたらしい。よかったあ。パパが夜知人と出かけたため三人でばんごはん。食事のあと、届いたチーズケーキを三人だけで食べる。隠れて食べるものってなんでこんなにおいしいんやろう^^。いひひ。

2003年7月16日(水)  
1号復活につき、学校のプールOKを出す。毎朝プール表に丸をつけて、ハンコを押しておかないと入れない。と言っても今年は寒い日が続いてるから、実際のところ入られへんかっても全然悔しそうにしてない。そんなもんか。

2003年7月15日(火)  
2人がいつもの生活に戻る。よかった。やっぱりこれが一番だと思う。夜、パパは打ち合わせのため遅くなる。前日家にいる間に作ったビーフシチューを食べようとすると前の日と同じ食事がいややと言って2号が泣く。「あしたとおんなじいややー」「きのうでしょ」「おんなじはいややー、あしたもこれたべたーー」「いやきのうやって」
 それでも、食後に果物があると聞いてとたんに笑顔に戻る。可愛くてたまらん。

2003年7月14日(月)  
2号お楽しみ会(保育園のお祭り・参観みたいなもん?)のため、私は仕事を休み。その後1号の個人懇談のため学校に行く。前週に行われた学級懇談に参加できなかったから、その話と夏休みの過ごし方について話をする。とりあえずは誠実な先生なので、それは信頼しているけれど、どこまで親身になってくれるのかはやっぱり親と教師というへだだりがあるのかもしれない。
 学童にはいきさつを話してあった。家庭内での消毒や、手洗いの励行についてお互いに考えていることを話し合え、本当に心強く思う。病院から「家庭内で移った事は間違いないやろうから、調理器具を消毒して。生活の場所も見直して」と言われたこと。私には相当こたえた。
だって、トイレにいくたびに消毒するの?殺菌?もちろん料理をするうえで最低の衛生には気をつけてるつもりやけど(手を洗う、何かを触ったら洗う、肉や魚と同じ包丁、まな板で他のものを切らないとか)、それ以上のこともする必要があるの?結局本人の、私達の抵抗力をどんどん弱めていくことになるんじゃないの?
そんな思いに「自分も消毒だけのやり方には疑問をもっている」そう話してくれた。ただ集団生活をするうえではある程度仕方のないことかもしれない。それでも、やっぱり本人が自分でできる力をつけるためにお互い協力しましょう。守ってあげるだけではダメだ。そういう思いをぶつけてくれた。
 学童のナカマのことを「ひるまのきょうだい」というらしいけど、1号の通っている学童の先生は本当に、私にできないことを代わってしてもらっている。そういう目で見ることができる。

2003年7月12日(土)  
朝から病院。結果はまだ出ていない。午後、毒素検査陰性の連絡がある。よかった。これで一安心。学校は登校OK。毒素が出てたらやっぱり保健所に届け出をして、調査も必要になるらしい。
私は午前中学童の父母会に参加。先生も心配してくれていたので、本当によかったと2人で胸をなでおろす。

2003年7月9日(水)  
1号普通便。私はこんな状態なのに顔を出さないといけない宴会があって、出かける。そばにいてあげたいのに。

2003年7月8(火)  
2号保育園。私は朝から仕事関係の試験に行く。でも玉砕。見事に何も出来なかったから無理もないけどまた落ち込む。1号はもう熱もなく元気。このままなら明日から学校にいけるかなと思っていたら、夕方病院から連絡。2号と同じ菌が出たらしい。また普通便が出たら薬を止めて、それから48時間後の便で再検査。再検査にまた数日かかるし、今回も毒素の検査に出したので、今週中はもうムリだ。こんなに元気にしてるのに。先生も今回も「状態もいいからだいじょうぶ」と言ってくれたけど、2号から移ったって事は、家庭内でのケアが足りなかったせいか。私がちゃんとしてればこんなしんどい思いをさせることになれへんかったやろうに。悲しくて涙も出ない。

2003年7月7日(月)  
2号ようやく保育園。病み上がりなのでできるだけ静かに過ごせるようにと先生に話をした。
1号午前中は38℃。昼から37℃台に下がる。よかった。下痢はまだしてるけど、夕方には1時間に一度行くくらいになり、だんだんと間隔があいてきた。夜、機嫌よく食事を食べた。

2003年7月6日(日)  
熱40.2℃まであがる。下痢も心配なので、休日診療に行く。結局同じ頓服の解熱剤をもらっただけ。のどが真っ赤やから、それから来る熱じゃないですか?と言われる。私は首を冷やしすぎたせいじゃないかと思ってるんやけど。2号の先週の症状も話してちゃんと聞いてくれたけど、「必ず移るわけじゃないから」となぐさめられる。
下痢の症状は一段とひどい。5分から10分おきにはトイレに行く。

2003年7月5日(土)  
熱はずっと40℃前後。2号と同じかどうかが心配で、朝から病院に行ったけど、とりあえず他の症状が出るまではどうにもできないと言われる。確かにその通り。土曜日で病院は午前診療のみ。不安が広がる。それでも念のために便の検査はしてくれることになった。午後になってから、下痢。水様便というのか、もう水しかでない。30分に一度はトイレと言う。熱が高くてしんどいのに本当にかわいそうでつらい。
2号の再検査の結果は陰性だった。来週から保育園もOKらしい。

2003年7月4日(金)  
朝方から1号微熱。37℃ちょっと。ムリさせてもと思い、学校を休む。1年生になって初めての休み。残念。
昼前からだんだん熱が上がりだす。39.6℃まであがってしんどそうなので、頓服の解熱剤。

2003年7月2日(水)  
朝、きれいな便が出たので検査を依頼。その後、毒素検査の結果、陰性の連絡あり。よかった。

2003年6月30日(月)  
もうすっかり元気な2号。便の結果が出てないから、と休んでたところ。大腸菌O1が出たとの連絡あり。再度毒素検査。それから、普通便が出たら、薬をやめて、それから48時間後に陰性になっているかどうかの検査をもう一度するとの事。って事は、それまで保育園にも行けないのね・・・。
大腸菌O1。やっぱり怖くていろいろと調べてみた。毒素を出すタイプとそうでない型とがあるらしい。毒素が出てなければそう怖い菌でもないとか。先生は「まあ普通便も出てるし、状態も表情も悪くないからだいじょうぶでしょう」と言ってくれる。それでも不安はつきない。

2003年6月29日(土)  
熱がだいぶさがって37℃台。けいれん止めの薬をのんでたから、ふらふら、言葉もろれつがまわってない。歩きまわって遊びたいんやけど、身体が追いつかないという状態。顔は元気になってきた。

2003年6月28日(金)  
熱が少しだけ下がってくる。それでも38℃台。下痢はまだ少しだけ。熱が下がったので身体が少しだけ楽になったみたいやけど、まだしんどそう。夕方点滴をしてると、病院に保育園の大好きなお友達ゆうかちゃんが来る。ゆうちゃんは吐き気やって。おんなじような感じやけど、お互い心配やね。もうちょっとがんばろうね。と話をして別れる。

2003年6月26日(木)  
朝から仕事を休んで家にいたら、すごい下痢。その前に少しだけやわらかい便をしてた時に念のためにフィルムケースに取っておいたやつをもって、すぐに病院に行った。本当は病院休みやったけど先生が電話をくれたのです。前日に、「明日連絡するから様子を知らせて」と言われてたんだけど、連絡もらえてよかった。薬をお腹の薬に変えましょうということで、便もすぐに検査に出してもらう。熱はまだ39℃台をうろうろ。

2003年6月25日(水)  
夜中、けいれんを起こす。症状はあまりひどくなかったけど、やっぱりそうやと思う。目がうつろになって、焦点が定まっていない。そのうち、両手をびくっびくっと震えているような感じ。本当の熱性けいれんはもっと歯をくいしばり、白目をむいて、硬直するというけど、そこまではいかなかった。
 朝。私は今日も休めないのでパパに休んでもらう。けいれん止めの座薬を入れてもらった。熱は相変わらず40℃。

2003年6月24日(火)  
午後から会社に出ないといけなかった私。2号の熱治まらず。夕方40℃まであがる。もう一度病院に行ってもらったけど、結局解熱剤をもらったのと、熱を冷ます方法を教えてもらえただけ。それから少し吐き気があるらしく、吐き気止めの薬ももらって帰ってきたらしい。