まいにちまいにちのわたし。
すこしだけごほうびもらえるとしたら、
おいしいお茶と
やっぱり子供の笑顔かしら。


2005年12月31日(土) くもり 
 お持ちつきの後、少し咳をしていた3号は夜中、38.5℃まで熱が出る。どうして?お茶を飲ませても何度も泣いてあまり寝ていない。朝、ぐったりとしている。もしかしてインフルエンザ?
 朝食の後、少し落ち着いているので休日診療に行ってみたらものすごい人。こんなところで別な風邪までもらっても、と思い、一旦家に戻る。ずっと微熱?という程度で機嫌は悪くないのだけど。
 おかげでおせち料理の手伝いにも行けず。出来上がったものを重箱に詰めに行っただけ。夕食のおそばも嫌がって食べない。熱を測ったら39℃あるので、すぐに休日診療に連絡するとあまり混んでいないという。急いでインフルエンザの検査をしてもらったら、ビンゴ。A型だった。薬を飲んでとにかく寝る。
 
 12月に入ってからも仕事、お通夜、お葬式、初七日、仕事、クリスマス、仕事、そして最後にインフルエンザ。実に忙しい、今までにない年の瀬。なんだか穏やかじゃない大晦日だったけど、こんな年もある、そう思って夜を過ごす。
本当にこの1年、激動の1年という言葉がふさわしい、公私共に休まることのない1年だった。これからもまだ続く人生、長い人生の間には、こんな1年も何度もあるかもしれない。それでも、来たる日を楽しみに待つ気持ちは忘れたくない。
来年は、きっといい年になりますように。願いつつ、年が明けていく。




2005年12月30日(金) はれ 
 26日(月)
 3号を保育園に連れて行った後、1号、2号を連れて上棟式へ。工務店さんが遅れたおかげで(^^;)時間がかかってしまったけど。朝日の下、重い柱を持ち上げる職人さんたちの手仕事に思わず見とれてしまう。それから仕事。夕方、お迎えを頼む予定が、父の予定により早退して帰ってくる。

 28日(水)
 客先の仕事納め&明日は学童、保育園お休みで私も仕事納め。一応は年内で今の仕事が終わるからみなさんに挨拶してまわる。最後の最後になって、私が担当していた部分で考慮がもれていた部分が見つかり、対応に時間を取られる。はあ、申し訳ない。
 来年は実はまた同じ場所で、少し別の仕事を担当することになる。とは言うものの、区切りとしてはおしまい。お世話になりました。パパは今日も飲み会があったとかで夜中帰宅。

 29日(木)
 仕事納めでパパは出勤。私達は午前中宿題や掃除、片付けを済ませ、午後から友達の家に遊びに行く。つい数週間前までマンションの同じフロアに住んでいた友達がクルマで数十分のところへお引越し。久しぶりにたっぷりとおしゃべり、1号と2号はロフトに上ったり走り回ったりすぐそばの公園でたっぷり遊ぶ。
 夕方前から始まった納会の後、すぐ帰ってくるかと思っていたパパはなんとその後飲みに行くんだとか。もう!最後の日くらい早く帰ってきてよ。(でも友達のダンナさんも「納会の後の飲み会は行くなあ」やって。もう)
 で、結局晩御飯を一緒に作っていただいて帰る。

 30日(金) 晴れ
 今日は実家でおもちつきができないから、直ちゃん家で実施。我が家は今年はゆっくりお昼前に出かけていく。1号、2号(もちろん3号も)は、おもちをたらふく食べておなかぱんぱん。夜は軽く残り物で。

 
上棟式。
柱が建ち、ずいぶん家らしくなってきた。

 
のりもちに青海苔を入れてお手伝い。
1号はつまみ食い♪



2005年12月25日(日) はれ 
 棟上の日。上棟式は明日26日(日取りを考えて)なのだけど、基本的な柱は今日建ててしまうとの事。朝からクレーンを使っての作業を見に行く。
 設計事務所の方も来ていて、少し話をしてからスイミングに出かける。1号と2号は進級テスト。残念ながら不合格だったけど。私はその間に近くのデパートでパパへのプレゼント購入。偶然友達に会って、しばしおしゃべり。またゆっくり話しをしようねと別れる。
 
柱が立ち上がっていく。
大工さんはとても勇敢。


青い空の下。
少しづつ形になっていく私達の家。





2005年12月24日(土) くもり 
 クリスマスイブ。朝、1号、2号、3号、パパが帰ってくる。夕方までゆっくり過ごし、夕方から直ちゃん家でクリスマスパーティ。
 夜中、サンタさんがプレゼントを持ってくる。1号はいつまでも起きているし、酔っ払いのパパはもう眠くてしょうがないし、寝かせるのに一苦労。
 

クリスマスのお食事♪
 
オーストラリアのロビンから届いたプレゼントを開けるみんな





2005年12月23日(金) くもり 
 19日(月)
 1号、2号、学校。3号保育園。仕事が終わらず、1号、2号は学童から実家へ。3号のお迎えは父に頼む。夜中、今日中にしないといけなかった仕事の見積りと学童の文書を作成。

 20日(火)
 1号、2号学校、今日はエイゴをお休み。3号保育園、今日もお迎えを頼む。私は所属チームの忘年会。役職の方達も何人か参加して、それでも楽しく過ごす。それなりの年齢になって、お酒の席でもそろそろ気を遣われるようになってきて、でもずばっと切り込んでくれる人もありがたい。

 21日(水)
 1号、2号、短縮授業開始。これから年末までお弁当。ふう。飲んだ翌日のお弁当作りはやっぱりつらい。仕事がやっぱり長引いて今日もお迎えを父に頼む。

 22日(木) くもりのち雨 −1℃
 冷たい雨。1号と2号は終業式。こんな冷たい中で体育館で長い時間を過ごすなんてかわいそう、と思っていたら、なんと雨と雷がすごく、終業式の最中に停電になったとか。うわあ、寒い。
 夕方、また仕事が長引いて実家でごはんをもらって帰る。おまけに明日出勤が決定。はあ。パパの実家に行く予定だったんだけど、どうしよう。パパはまた宴会。メールの返事も来ない。

 23日(金) くもり
 お昼から出勤。夕方には終わるかと思っていた作業が長引き、結局家に帰ったのは夜中前。久しぶりにこんな時間まで仕事。疲れた。長い時間、モチベーションを低下させることなく維持するのはとても疲れるけど、何かをしたという気もするけれど。
パパ、1号、2号、3号はパパの実家へ。そのまま泊まって来ることになる。私は一人家で夜を過ごす。




2005年12月18日(日) 晴れ
 14日(水) はれ
 1号、2号元気に学校。3号も保育園。私は仕事の後おじいちゃんのお通夜に出かける。急なことと地域でも人望があった祖父とあって、実に通夜の一般焼香が300人。これだけの人に送ってもらえることはとても幸せなことなんだろう。心配はおばあちゃん。叔父さん夫婦と一人で大丈夫だろうか。周りが覚悟していた場合とそうでない場合、残されたものの衝撃や不安はやはり全然違う。なんだか、自分が突然いなくなってしまったら・・ということを考えてしまった夜だった。

 15日(木) はれ
 忌引き休暇を取って、告別式に参列する。1号、2号は学校を休んで、3号も保育園を休んで連れて行った。
1号は初めての海外旅行におじいちゃんと行った。2号も3号もとてもかわいがってもらったし、私は小学校に入学するまでおじいちゃんとおばあちゃんの家のうらに住んでいた。とてもとても大好きなおじいちゃんが、もう話をしない、笑ってたばこを吸う姿も見ることができない。部屋には書きかけの年賀状が広げてあった。いつも墨絵とハンコで出してくれる年賀状も来年は届かないんだ。いなくなっても思い出はなくならない。覚えている私達がいる限り心は死んでしまわない。そう思っていても、ついさっきまで、ついこの前まで普通に笑っていたおじいちゃんがもういないという現実は消えない。
 89歳という年齢、突然のことだったけど心筋梗塞という決して珍しくはない出来事、それでさえこれだけの悲しみがあるのだから、不慮の事故や事件で家族を失う人の悲しみと苦しみは計り知れない。私達がただそこにいられることに本当に感謝しよう。思いを馳せることのできる幸せを噛みしめよう。

 16日(金)
 今週は二日も仕事を抜けてしまった。年末の押し迫った時期だというのに、本当に申し訳ない。

 17日(土) 晴れ
 夜中に大雪が降ったのか、外が真っ白。掃除、洗濯の後、学童クリスマス会に参加。その後、学童での安全や防犯に関する話し合いを緊急に実施。ふう。
夜、寒かったので豚汁、おすし。

 18日(日) 晴れ

 昨日の雪はまだ残っている。朝、すがすがしい気分でスイミングまで歩いて行く。一ヶ月ぶりのスイミング。身体をたっぷり動かして気分爽快。夜、豚しゃぶの寄せ鍋


ケーキデコレーション中の2号チーム。
滑り出し順調♪


なかなかおいしそう。



2005年12月13日(火) 晴れ クルマは −1℃ 
 12日(月)
 今日も寒い。風が強くて痛いくらい。パパは朝から学校で安全管理に関する話し合いに出るためゆっくり。私は年内いっぱい今の仕事が続き、さらに年明けからは別の案件が決まりかけている。忙しいのが続いてるから、ちょっと休みたかったんだけどなあ。

 13日(火) 激さむ!!−1℃
 1号、2号の個人懇談、実家の荷物運び出し、等で休み。
で、大好きだったおじいちゃんが亡くなったという連絡があった。昨日の夜、お酒を飲んだ後お風呂に入ってそのまま亡くなったのだそう。明日お通夜、明後日お葬式の予定。すごく悲しい。早く顔を見に行きたい。1号と一緒に始めての海外旅行に行ったことや今でもスイミングで泳いでること、もう飾りきれないくらいトロフィーがあることなんかをずっと思っていた。1号と2号も連れて行って静かに送ってあげようと思う。


知らせを聞いた後曇りだした空。



2005年12月11日(日) 晴れ 
 8日(木) 0℃ 寒い!
 疲れが溜まっていてまた起きられない。マンションの友達が今日ついに引越し。さみしいね。
 夕方、実家から荷物をたっぷり運んで帰る。

 9日(金) 3℃
 夜、会社のクリスマスパーティに参加。いつも通り16時に帰り、3号を迎えに行って1号、2号に宿題させる。その間におにぎりを作って、地図を確認し、クルマに飛び乗り出かける。
 久しぶりのイベント。子供達にも会えて楽しい時間でした。収穫は「うまい棒30本詰め合わせ」にバスソルト。ラッキー♪

 10日(土)
 パパゴルフ。少々お怒りモードの私はむきになってクッションカバー作成。薄い紫とカーキのダブルガーゼに、ペイズリー柄のコットンの組み合わせ。手触りよくて気持ちいい♪ちなみに生地はいつもお世話になっているFermataさんで。

 11日(日)
 1号、2号はスイミング。私は行く予定だったのに、朝から実家で設計事務所の方と打ち合わせをして、実家の荷物を運ばなければいけないことになる。先週も先々週も行けなかったから行きたかったのにー。
 夕方、ぶーが来てチヂミを食べる。家のこと。親には直接言いにくいことを途中で中継してもらって正直助かっている。自分の親とはいうものの、価値観が全て同じとは限らないから、仕方ないのだけれどね。


クッションカバー4枚。

さわやかな色。素敵♪



2005年12月7日(水) 晴れ 2℃ 
 寒い。月曜日は駅前の水溜りが凍っていた。今日はクルマの窓が凍り付いてワイパーが利かない。日々、迫ってくるいろいろな出来事にもうくたくたになっている。
 冬になって続けて起こっている子供をめぐる事件に、心を悩ませている。そして今私達の学校、学童でもそれが今の大きなトピックとなっている。
 子供の帰宅時の安全について、どうやったら完全に安全を確保できるのか。一人にさせない、たくさんの目で、というけれど、現実的にそれが無理だったらどうしたらいいんだ。四六時中、子供に付きっ切りで過ごすわけにはいかない。
 それでも、友達と別れた、こどもが一人になったそのときに様々な被害が起こっているのも事実。だからといって、じゃあいつまでそれを続けるんだろう。子供自身が誘惑や危険に立ち向かう、立ち向かうというのは、正確じゃないかもしれない。自分自身で危険から逃れる力を持たなくては、生きている限り親が保護者が側に付いていつことなんて不可能なのだから。
 
 難しい問題。すぐには結論が出ないけれど、何とか向き合っていかなくちゃいけない。私達の子供なのだもの。




2005年12月5日(月) 晴れ 

 1日(木) 晴れ
 3号保育園へ。傷はだいぶふさがりつつあるけど、まだ縫い目や糸が見えて痛々しい。本人はすっかり元気。夜、2号がしんどいとぐずっていて少し熱もある。ごはんを食べてすぐに寝かせる。風呂水モーターが壊れ、洗面器で30回、お湯を汲んで洗濯をする。文明の利器はやはり便利だ。

 3日(土) 晴れ 寒い。
 朝から洗濯、掃除を済ませたらパパが「美容室行ってきていいで」と偉くサービス。なのでお言葉に甘えてカット、カラー、トリートメント。いつものことながら、私は本当にアタマ(髪の毛)を触ってもらうのが大好き。私の夢は、「専属のシャンプー台とシャンプー係を雇って優雅に暮らす」っていうくらい、気持ちいい。私の行っているこの美容室はもう長くお付き合いいただいているせいか、私があんまりしゃべらないというのをよくわかってくれている。髪の毛を切ってもらっているときもそうだけど、何よりシャンプーの最中に話しかけられるのがすごくいやなのでほとんどしゃべらない。カットの最中も、担当の美容師さんは適度にぽつりぽつりと話すだけなので、気楽。ということで、ゆったりした時間を過ごす。
 帰ってお昼ごはんの後、1号は学童に友達と約束をして出かけていく。私はマンションの友達の新居へお邪魔しに。引越しは来週だけど、もう家の方はだいぶ荷物も積み込んでいるらしい。
 このマンションに越してきたのは約6年前。偶然同じマンションの同じ階に部屋を見つけ、それからずっとドアを開けたら声をかけられるという関係で楽しく過ごしてきた。お互いにまた偶然にも同じ頃に、家造りを始め、マンションを出ることになる。とってもさみしいけれど、いつでも行ける距離だから、ぜひぜひもっと遊ぼうと思う。そういうの、も、私が仕事をしている間は難しいのかもしれないけどな、なんて考える。
 夕方、1号を学童に迎えに行き、お友達を送って帰る。夜は明太子、たらこ、お造りに豚汁。

 4日(日) 雨 最高気温4℃。寒い。
 朝から冷たい雨。地鎮祭はねんど土で靴がどろどろ、べたべたの中、無事終了。
と思いきや。
 なんと、実家の物置と縁側(と屋根)が敷地を超えて建っている事が判明。まじ?!うちの建物と物置との隙間は30cmほどしかない。もうーーーーー。いつになったら私は安心してじっくり家造りを楽しめるんだよ。ああ。ため息がもれる。
 設計士さん、父、私たちで話し合い、結局撤去するしかないという結論に達する(というか持っていった)。敷地に明確な境界線がないのが原因なのだろうけど、仕方のないこととは言え、私と両親は肉親でも、パパはやっぱりそうではないのだし、反対の立場ならやっぱりすごく嫌な思いをすると思う。今回はいろいろと考えてこうなったけれど、きちんと線を引かなくちゃいけないなと思っている。
 それにしても、荷物が多い。物置に入っているもののほとんどがもうきっと使うこともないようなものばかり。あることすらきっと忘れているようなものもいっぱい。それでもその荷物を「置いとく場所がもうない」と言い出し、結局我が家の一室(1号と2号の二段ベッドのある部屋)をつぶしてその荷物を入れることにする。
 両親は今回建てた自分達の家を「狭い狭い」「もう狭くて」「小さい隠居やねん」と卑下して言うけれど、そんなに広い家があったって要らないものばっかり山のように置いてたってしょうがないじゃないか(あー言っちゃった)。
 結局、スイミングにも行けず、黙々と片付け。寒くてアタマとノドが痛い。


1号に絵本を読んでもらって
ご機嫌♪

 
いよいよ家も崩れていく・・。
 
地鎮祭の様子。
お供えのお下がりもいただきました。


ふたりで精米機をのぞきこんで。
お米できた?