++ 思い出・いじめられっこだった私 ++

  小学3年と4年の間、私はかなりのいじめられっ子だった。いじめていたのは、学年でも、いや学校でも評判の乱暴な男の子、K君とそのとりまき連中。毎日毎日泣いていた。でも毎日学校には行った。
いじめられるのはいやだったけど、だからって休むのは本当に悔しかった。それに他の友達と遊ぶのも大好きだった。

いじめの内容はというと、今でも覚えている。
男の子数人で私を押さえつけ、接着剤を腕に塗りつけてその腕をつけさせる、というもの。
これはひっついて困った振りをしていたら、満足して帰って行った。
その後、女の子の友達何人もと別の男の子達もいっしょに腕を洗い、こすっておとしてくれた。
それから、(布の)ふでばこをはさみでぼろぼろに切られたり、だから新しく持っていった(当時はまだ珍しかった)カンペン(缶のペンケースね)をやっぱりはさみでぼろぼろに引きちぎられたり、図工に使う彫刻刀の先に接着剤をつけて切れなくしたり、そしてそれを3階から中庭に捨てたり、いすの上にがびょうを敷き詰めて「座れ」と命令したり(端っこに座ったふりしてごまかした)、夏休みの宿題で私が毎日やろうと決めた新聞の前日の気温と月の満ち欠けを記録した部分を切り抜いて、40日分貼って持っていったのを、びりびりにはがして破ってしまったり・・・。
もう忘れてるくらい、ありとあらゆるイジワルをされた。

それでも、いつも彼らがいなくなったらみんなが助けてくれた。
捨てられた彫刻刀はいっしょに探してくれた。破られた宿題もいっしょにセロテープで貼ってくれた。
それにイジワルをするからって、彼とコミュニケーションが取れないわけではなかったのだと思う。
冬のある日。私の家に彼ら、男の子4人と私となかよしの女の子3人が遊びに来ている写真がある。
確か、班の何かを決めるのとかに集まったような気がする。日曜日、私はスイミングに通っていた。その写真で私は、そのスイミングのウェアを着てるから、きっと学校帰りではなくて、わざわざ日曜日に集まったのだろう。
その頃は、校区も広かったから、K君が私の家に来るには、電車に乗るか、30分歩くかしかなかったはずだし。

なぜ、私はそんなにいじめられたのか。
たぶんK君も「なんとなく気に入らん」って程度しか理由はなかったんやと思う。
私のそのクラスでの、彼らのターゲットになる女の子、時々いっしょにいじめられているちょっとあかんたれの男の子(そういう子は大抵、時には彼らといっしょになって私たちをいじめることもある)がいた。
中でもそのいじめが集中していたのが、私だった。なんでか。
他のいつもいっしょにいじめられてた女の子達にはよく「もう”ごめん”って言っときー」と言われた。「そしたらもうやめてくれるから」って。
でも私はいつも「なんで私が悪い事してないのにあやまららんなあかんのよ」って言い返した。
彼らにとったら、私のこんな態度が気に入らなかったんやろうなあと思う。
すぐに泣くくせに絶対に言うことをきかない。他の女の子は「あやまれー!!」って彼らが言うとすぐに「ごめんなさいー」って言うのに、私は言わない。私といっしょにかなり最後まで言わなかったもう一人の女の子もよくいじめられていた。でも彼女は体が大きくて背が高かった。私は「もやし子」って言われるくらい、小さくて体も細かった。そんなちびのくせに、すぐ泣くくせに、なんで言うこと聞かへんねん。そう思ってたんやろうなあ。

実際、5年になってクラスが変わったら、そんないじめもぴったりやんだ。わざわざ他のクラスに行ってまでしたいほどでもなかったんやろう。たまたまそういう、どうも気に入らんやつが同じクラスにいたから、しかも同じ班になったりして、身近にいたからしてただけやったんやろう。
私は私で、新しい友達や今までの友達と、別の世界を作り始めたのやし、彼らはまた別なターゲットを見つけたし、穏やかだけどきびしい年配のおじいちゃん先生のクラスに移っていった。

そんな簡単なことやったんなら、なんでそのクラスの間に、席を遠くに移すとかせめて班は別にするとかしてくれへんかったのかなあ。
小学校のクラスの中のことは、担任が絶対的な存在であるはず。
「あの先生こわいでー」と評判だった、当時の担任を、私は大嫌いだった。

3年になってしばらく、イジワルがはじまった頃、先生にそれを言いに行った。正義感の強かった私は他の女の子がいじめられてるのを見て「せんせー、K君が〜さんに〜してますー」何度も言いに行った。自分がその対象になり始めたときにも「せんせー、K君、私に〜するんです」何度も何度も言いに行った。

3年のそのクラスでは、終わりの会の時に「今日よかったこと」「今日悪かったこと」というのを発表し合う。
最初は彼らが私をターゲットにし始めた。「そうじのときに、〜君にあたってました」「そのときはちゃんと謝りました」とか「机をちゃんと並べてませんでした」「あとで並べなおしました」とかいう具合に。
もちろん私はそんな些細なことを?って思ってたし、自分に非はないって思ってたから、ちゃんと反論した。でも、おそらく20代後半?だった女性のY先生は私に向かって「これからちゃんとしなさい」と言ったのだ。
なんで?なんで私が注意されるの?おかしいなあとずっと思ってた。

結局Y先生が味方になってくれる事は2年間でなかった。それでも頼る人は他にいないからどうしてもがまんできないことを言いに行く。言いに行くと「おまえ先生に言いつけたやろ」とし返しが怖いから、「私が言いに来たって言わんと、K君のこと怒ってください」と何度も頼んだ。でもいつも翌日「先生に言いつけたやろ。先生言うとったぞ」と仕返しをされた。なんで私の言うこと聞いてくれへんねんやろう、いつも思った。いつか、もう先生には言わないようになっていた。
そのK君と同じ班にするのも、もちろん先生。わざわざ席まで隣にされたことも何度もあった。
給食の時間、目の前で班で集まって食べてるときに、いろんなイジワルをされてどんなに目で訴えてもこっちを向いてもらえなかった。

Y先生について、忘れられないエピソードがある。
夏の日、私は姉から譲られた、大好きなワンピースを着ていた。ノースリーブでいいものではなかったしスカート丈も短かったけど、大きな柄が好きで、着るのがとてもうれしかった。その頃はまだまだ”スカートめくり”がはやっていたから、当然私もされたし、他の子もされていた。それが悔しかった私は職員室の先生の机のところにそれを言いつけに行った。
K君がスカートをめくるという私の主張を聞いたY先生は、職員室のほかの先生や生徒がいる前で、私のワンピースのすそをぐっとめくりあげて「あんたね。こんなん着てたらめくられるのんあたりまえでしょ?」と言ったのだ。
私の記憶はここまで。女としても子供心にも、人前で大人からそんな風に扱われたことがものすごく悔しくて恥ずかしくて、どうやって出て行ったか、帰ったか、それを誰かに話したかは覚えていない。

それからもう一つのエピソードは、最近になって母から聞いたもの。
参観の後の保護者懇談会でのY先生の発言である。
すでに私がいじめられ、なかなかそれが聞き入れてもらえていないことを知っていた母が、懇談会の席で「せめて班だけはそういう関係にある子供同士を別にするとかというような手を打ってもらえないか」と発言したらしい。
するとY先生は、やはり他の保護者も大勢いる前で「Hさん(私の旧姓)はあれくらいでちょうどいいんです」と冷たく答え、そういう考慮はしないと言ったらしい。

その話を聞いて思ったのだけど、きっとY先生は私と私の母が嫌いやったんやろう。
ちなみに母はその時点で、十数年の経験をもつ小学校教師。その娘で、何かあると「せんせー」「せんせー」とうるさく言ってくる私。
「余計なことを・・・・」って思いがあったんやろうなあと思う。

でも、大人として、人間として、何より教師という職業に就くものとして、その発言や態度は間違ってると私は思ってる。
教師だって人間やから、好き嫌いがあって当然。好きな生徒と嫌いな生徒に全く同じ態度で接するのに、限界があるのもよくわかる。そこまではっきりしていなくてもちょっと苦手やなとかやりやすい子やなっていうのがあるのも当たり前やと思う。
でもそれは、プロとして相手に気づかせてはいけないし、教師として、それを自分の教育判断に当てはめてはいけない。
とても残念な事やけど、こういう先生がまだまだいるのかしら。幸い私はその2年間のために人生に大きなトラウマが残るということはなかった。でも今の私の人格形成に何かの影響は与えてるのやろうと思う。

教育者としての教師というものに、私が思い入れたっぷりなのは、こういうわけがある。