++ 思い出・音楽の授業 ++

 奈良公園の前を通り、通った高校三年間。
私の通ったこの高校は公立高校としては当時初めて普通科に加えて芸術科というのができた新設校だった。
普通科の生徒は音楽・美術・書道の中から、自分で選択してその授業を受ける。
芸術科の生徒は(正確には2年から、いわゆる文系・理系に加えて芸術系というのがあったって感じ)1年の間は他の生徒と同じように、芸術授業も選択し、2年以降専門分野にすすんでいく。
だから、美術室も彫塑室やデッサンができる場所があったし、音楽室も、全体で授業を受ける教室だけでなくピアノ室が10室以上、楽器の種類も多かったし音楽に対して寛容だったと思う。あ、当然書道室もあった。篆刻をしたりもしていたらしい。

だから先生も芸術系の担当の先生がたくさんいた。ユニークな先生も多かった。
私は一応(1年の間だけ)吹奏楽部にいたので、音楽の先生はよく知っていたほうだった。
選択科目でも音楽をとった私。顧問のH先生は、以前NHK交響楽団にいたことがある、とか、NHK教育の番組にでてたことがある、とか、どこかの芸大とか音大で教えてたことがある、とか、いろいろとうわさのある先生だった。
実は当時お付き合い程度に習っていたピアノの先生(大阪音大に通っている、母の知り合いのつてを頼った若い先生)から聞いた情報もある。その先生がH先生に大学で授業を受けた事があるとかいう話で、うわさが全部根拠のないものでもないんやって思った覚えがある。
H先生はけんかっぱやく、物の見方の偏った、気の荒い先生だったけど、私は決して嫌いではなかった。
それは、その先生の授業はとても面白いものだったから。

音楽という教科はとても難しいもので、技術を高めるには練習しかなく、まして芸術科のあるような高校の普通科の音楽の授業なんて、単位だけの問題でもよかったんやろうと思う。
でもH先生は、それでも少なくとも音楽に親しみ、音楽を楽しんでほしいという思いから授業をしていたように思う。
・グループを作り、作詞・作曲をしてその曲を演奏・歌いなさい。
(これは私が作詞をして、別の友人が曲をつけた。詞は何パターンか作ったけど、私が一番気に入ってなかったのをみんなが選んだ)
・グループを作り、何でも好きな曲を楽器で演奏して歌いなさい。
(当時大好きやった松田聖子ちゃんの曲をピアノで演奏して友達が歌った)
・ひとりずつ、ある曲に伴奏をつけて演奏しなさい。
(教科書の曲からやった。簡単なコードだけ自分で考えて細かいところは実はピアノの先生に手伝ってもらった)
・ひとりずつ、教科書の課題曲を先生の伴奏で感情をこめて歌いなさい。身振り手振りをつけてもかまいません。
感情がこもって感動的に響けば高得点です。
(「帰れソレントへ」と「カーロ・ミオ・ベン(イタリア語)」やった。二度目はみんな慣れてきたのかみんな大げさでおかしかった。それをまた先生がまじめな顔して採点してるのがおもしろかった。派手なアクションの子の時なんて「にやっ」と笑ったりして。)

中でも私が好きだった授業が、音楽を聴きながら文章を書くというもの。
それは授業の時間いっぱいを使って、(大抵は)交響曲を聞きながら心に思い浮かんだことを書いていくというものだった。
ベートーベン「5番・英雄」「6番・運命」「7番・田園」「第9」モーツアルト「20番」「21番」ムソルグスキー「展覧会の絵」メンデルスゾーン「イタリア」ドヴォルザーク「新世界」。
初めての時は何を書けばいいのか思いつかず、仕方なく第1楽章の力強さが〜とかベートーベンの人生が〜っていうのを書いた。そうしたら、次の授業の時に、「みんなに音楽の内容を聞きたいわけじゃない」というような事を言われた。私が書いた「耳が聞こえなくなったベートーベンがどうやって作曲していたのか」という事をだらだらと考えながら書いた部分は誉められた。「音楽を聴いて感じた事を書きなさい。音楽について書くんじゃない」
それからは、「この曲を聴くと雨を思い出す・・」とか「海に映る影」とか「山と緑」とか、ぼんやり外を眺めながら思ったことをどんどん書いていった。

あんまり授業と関係ないことをしょっちゅう書いてたせいか、音楽の成績はわりとよかったように思う。
もし私が高校の音楽の先生になったら、こういう授業してみたいなーとか思っている。
音楽の先生には絶対になれないけれど、国語の先生でも一回くらいは音楽室を借りてやってみたりしたら面白いやろうなーなんてね。