++ 卒園に想うこと ++

 さくらのつぼみもふくらんで、きょうはたのしいごそつえん。おにいさん、おねえさん、おめでとう」
3月も末の三連休の真中の日。前日の晴天と暖かい空気はどこへ行ったのか、冷たい雨がふりしきる卒園の日となった。リズム室に集まった子供たち。卒園児と在園児。そしてたくさんの保護者。
保育年数順に名前が呼ばれ、一人ずつが卒園証書を受け取る。そして1号の番。
「五年三ヶ月保育したもの」。名前が呼ばれ、立ち上がった。

五年三ヶ月前の1月。1歳になったばかりで通い始めた保育園。
冬の夜、毎日20枚のおむつの洗濯に追われた事。「ままー」と泣き叫び、しがみつく1号をひきはがしては毎朝階段を駆け下りた事。声が耳に張り付いて涙がとまらなかった事。
通い始めて1ヶ月。今年と同じように大流行したインフルエンザに罹り、40℃の熱が出た事。今では禁忌となっている解熱剤「ボルタレン」を何度も使って、よく何も起こらなかった事だと思う。
2号が生まれ、ベビーカーを押しながら毎日上った坂道。悲しいO157の事件。忘れられない悲痛な叫びと苦しみ。年長組として、様々な事ができるようになった、この1年。
感受性が磨かれ、心も身体も一番成長するこの5年間を保育園で過ごした事。後悔はしないけれど、本当に長くて、本当にあっという間の時間だった。
 このままずっと見ていて欲しいと思える先生もいたし、あの先生だけはいやと思う人もいた。どうにかこうにか終わってしまった今となっては、全てそれも思い出。よくやったな、と思う。
園に対しても一人一人の先生に対しても言いたい事はたくさんある。それはこの場ではちょっと置いといて。

何よりもまずは私のこのやり方を受け入れてくれた1号自身に最大の感謝、そばにいつもいてくれる主人に感謝、協力と助言をくれた両親、義父母、友人たちに感謝。
そんな思いが押し寄せた1日。涙の止まらない私だった。

 中でもあふれ出て止まらなかったのは、「大きくなったら」。3月の始めに引っ越してしまった、生後3ヶ月から通ったというお友達のゆめ(「建築家になりたいな」)、1歳児クラスからいっしょだった、うまくお話のできないお友達のゆめ(「お花たくさん咲かせてね」)をクラスのみんなで声を合わせて言ったとき。それから看護婦のお母さんを持つお友達が「わたしはかんごふになって病気の人や苦しんでいる人たちを助けてあげたいです」と言ったとき。ああ、お母さんの姿を見て育ってくれたんやろうなあ。母を誇りに感じてるんやろうなあ。
 保育園に通わせている事に、子供に対して引け目を感じた事は何度もある。
「仕事をするのは親の都合」「早くしなさいも親の都合」
そんな言葉を言われても、それでも続けてきた私たちの考えを、彼女が救ってくれたような気がした。

今、子供を預けて働こうとしている女性が増えてきている。市でも来年度(2003年度)以降、待機児童が増える事に対応して、育児休暇中の子供については受入れを許可しない方向になっているのだと言う。年長児クラスは2クラス編成のまま。年中児クラスも例年なら1クラスに減るのだけれど、今年度はそのまま持ち上がるらしい。
需要は増えているけれど、だからといって簡単に施設を増やすわけにはいかない。専門的な経験者や資格者も多く必要になる。それなら、切り捨てられる所は切り捨てよう、というのが方針なんだろう。
そんな安易な考えではいつまでたっても少子化なんてなくならない。内田春菊さんのエッセイじゃないけれど、偉そうに端を切り捨てていこうとする、その人達が、同じ口で「少子化が問題」なんで死んで言うなよ!私に「仕事をするのは親の都合」と言った人も、「もうパートになれば?」と言った人も、「もうそろそろええんちゃうん?」と言った人も。今の自分たちがどんな犠牲や、どんな思いの上に立っているかを知らずに、偉そうに語るなよ。

ついつい話がそれてしまったけれど、5年以上通った保育園。ここを巣立っていった子供たち。その親たちの思いを深く考えずにはいられなかった、卒園の日。なのでした。




卒園式次第。こういうのっていつも変わりませんね。

みんなで立ち上がって、お別れの言葉。うう、すでに涙ぐんでいた私。

先生ありがとう。一人一人お花を渡します。

大きくなったら。壁に貼ったのは、それぞれが自分の夢を描いた絵。1号は「大きくなったらサッカー選手になって大優勝したいです」(前夜からぱぱが「阪神タイガースのピッチャーになりたいです」「阪神タイガースのピッチャーになりたいです」「阪神タイガースのピッチャーになりたいです」と耳元でささやいていたにも関わらず。

ふくらんださくらのつぼみ。もう今にも咲きこぼれそう。