++ テレビゲームについて考えること ++

 今の子供達の遊びについて、テレビゲームというのは切り離せないものらしい。
私は自分自身が好きになれない、悪影響を完全に排除できない、いろいろな理由から「うちではゲームは買わない、しない(友達の家や外でするのは一応別)」という方針を貫いている。できることならば、このままで成長して欲しいと思いながら。
 でも正直なところ、それはかなり、相当、ものすごく難しいんじゃないか。この頃そう思う。

保育園の間でも、お友達には「ゲーム○ーイ持ってる」という子が少なからずいた。1年生になり、その割合はますます増えたみたい。学童でいっしょの近所の友達は我が家に遊びに来るのに、その持ち運び可能ゲーム○ーイを二つ持ってくることがある。一つは自分、もう一つは1号用として。独り占めして見せるだけってわけじゃないから、本人はその楽しさを共有しようと思って持ってきてくれているんだと思う。でも、でもね。
ゲーム(通称ピコピコ)を持って「1号ー遊ぼうーー」て言うのよね。で、二人で一つづつ持って並んでやってるのよ。一つしか持って来なかったときは1号かその子がゲームしてるのを、横から覗き込んでるだけ。それが「遊ぼう」なんやっていうのがわかったとき、本当に愕然とした。
 それがいやで、「外行って遊んでおいで」公園に送り出したら、公園のベンチに座って、やっぱりピコピコ。あきれ果てて口を出す気にもなれなかった。
 いつの時代も大人世代は子供世代に対して「今のコドモは全く・・・」「今の若いモンは・・・」「私がコドモの頃はこんなんじゃなかった・・」そう思うらしいけど、でもやっぱりそれはないんじゃないか、そう思う。

 聞くところによると、「ゲームを持ってなかったら仲間外れにされるらしい」とか「友達と話ができひん」とかいう話も出ることがあるとか。1号のところにやってくるその友達は朝会うと「昨日〜〜まで進んだでー」「昨日〜〜ゲットしたでー」とまずその話題から入る。アイドルにはまったりする時期もそうやったような気はするけど、どうしてもなあ。

 昨今の少年犯罪事件の多さに、ついにゲームとこれらの影響について、調査をし始めることになったらしい。直接それが結びつくもんでもないだろうとは思う。それでも、ヒトと向き合うことやジンセイは簡単にリセットできないんだということ、生身で向き合うことの大切さを知ってほしい。ゲームやコンピュータは命令されたことだけをするようにプログラムされているだけ。それがいくら多様化されていても、所詮プログラムどおりにしか動けない。生身の人間は、思いもつかないような予想を超えた出来事があって、それがどれだけおもしろいか、そういうことがわかるようになるのはきっとまだまだ先なんだろう。