第三話

    カルカッタの空港を出ると案の定、次の行動に迷うこととなった。
    ガイドブックによると空港バスが市内まで走っているとのことなのだが
    バスもなければバスのチケットセンターもない。
    仕方なくプリペイドタクシーのカウンターで悪名高き安宿街 “サダルストリート”
    までのチケットを買う。
    チケットを手にして外に出ると群がる人、人、人。
    疲れていて思考能力に欠けていたせいか、思わず一人の若者に渡してしまい
    勝手にタクシーまで案内される羽目に。
    タクシーに乗ると突然運転手はどこかへ消えてしまい、若者は50Rsの案内料を
    請求してきた。
    「50Rsは高すぎる」と責めたが相手にとってはいわばそれが仕事、
    まけてくれるわけがない。
    こちらとしても運転手が帰ってきてくれないとチケット代も無駄になるので
    とりあえず10Rs札を見せた。
    当然、文句の嵐。
    しばらくねばると「じゃ、ライターをくれ」と言ったので1本くれてやった。
    彼らは普通の100円ライターをガス注入型に改造して売ったりすることを知って
    いたので余分に買っておいたのだ。
    まさにこの瞬間、前知識が役立った。
    何事もなかったように運転手が戻ってきてようやく出発。


    インドの交通状態はすさまじい。
    どう考えても2車線のところを3、4台の車が行き違う。
    しかもうねりながら隙間、隙間をつくように。
    うまいもので、ものすごいスピードで突っ込んでいるのに、人にも犬にも牛にも
    車にも当たらないのだ。
    結構な時間を走ってようやくサダルストリートに着いたが、自分が今どのあたり
    にいるのか全くわからない。
    カルカッタの町並みは中心部を除けばほぼ同様に戦後の日本を彷彿とさせる。
    いやもっと荒れた感じだろうか。
    とにかく宿を探さなければならない。
    とりあえずひたすら街をまわってみることにした。
    カルカッタは声をかけてくる奴は比較的少ないと聞いていたが、何のことはない。
    10人ほどのインド人が「ジャパニ、ジャパニ」と声をかけて群がってくる。
    小1時間歩き回り、だいたいの道筋を把握したところで本格的に宿探しを始めた。
    予定していた3件の宿のうち2件は見つかったがすでに満室。
    残りの1件はどうしても見つからない。
    途方に暮れながら同じ道を5回も6回も通り、心身共に限界に近づいていたとき
    目に入ってきたのが
    “サルベーション・アーミー・レッドシールド・ゲストハウス” の看板。
    救世軍が経営するサダルストリートでも最安値の宿で、5〜10人共用の
    ドミトリー形式だが他に行くあてもなく、ここに落ち着くことに決めた。
    中は牢獄のような造りだが、住めば都とはこのことで、様々な情報も仕入れられたし
    何より日本円にして100円以下という安さが魅力だ。
    “シャワールーム完備” と書いてあったので入ってみると、むき出しの壁に
    かこまれた独房のようなところで高いところに蛇口がひとつついているだけだった。
    同室となったのは中国人2人とスキンヘッドでやけに白い欧米人。
    一人、日本人がいたことがせめてもの救いだった。
    知り合った日本人とチャイを飲みに出かけた。
    ようやく落ち着いて飲めたチャイは2.5Rsで味も格別だった。

    サダルストリートには最下層の乞食や手足のない子供がたくさん路上で生活している。
    宿を一歩出ればそこは彼らの生活空間だ。
    しかし不思議とカルチャーショックなどは受けなかった。
    きっと “これがインドだ” と理解しているからだろう。