モリーズ 一        

 

帰らぬ人

                                                

久田  功

 

 

 





戸川 誠一は、高層ビルのコンビニのカウンターテーブルの窓から、外の風景を眺めてテータイムしていたが今日、今までに無いものを感じ窓越しに走るチンチン電車を眺めていると、突然白昼夢に襲われ、窓から外の風景が消えて、エレベーターに変った

次の瞬間その中に引き込まれていった。エレベーターの表示盤は、階数ではなく年号になっていた。ドアーが閉ると二千二十から始まったカウントが千九百五十三で止りドアーが開くとそこは、チンチン電車の改札口であった。切符売り場の前で、金田 美代子が手を振っていた。夏休みに入ったら、海に行く約束をしていたからである。切符を買い、車内に入り座ると美代子が、「今日は、海を見るのが楽しみ」と言ってほほ笑んだ。

やがて、チンチンと発車音を発して、電車が走りだした。久しぶりの再会であったので、最初はお互いの学校のことなど募る会話を交わしているうちに、話も途切れ勝ちになったので、向きを変えて、外の風景を眺め始めた。木製の窓から、四角の黒い自動車や馬車が走っている様子を見ながら、時間を過ごしていたが、

誠一は、ふと、美代子との出会を思い浮かべ始めた。あれは、中学三年生の梅雨が明けのグランドで、誠一が、ソフトボールの練習を見ている時にキヤッチできなかったボール飛んできて水溜まりで泥水がバウンドし誠一のズボンを汚してしまった。その時ボールを取りにきた美代子が、それを見た、素早く汚れを拭き取り、「ごんなさい」と一言いって、立ち去っていった。

誠一にとってそれが忘れられぬ思い出となってしまった。そのことが有って、誠一は、たびたび美代子が練習している姿を遠くから眺めるのが楽しい日課になっていった。

だが、誠一の父親が長らく勤めていた会社を辞めて、独立することになり、転校しなければならなくなり、美代子の姿を明日から見ることが出来なくなってしまった。

転校後これが原因となり食欲がなくなり、そのうえ気力を失ったまま暗い日々が続いていた。解決するには、もう一度久美子に会えないものかと考えた末に、以前の学校へ 向ことにした。美代子のいる校舎を目前にすると急に気持ちが明るくなってきた。

思い出のソフボールが飛んできた場所に、ぼんやり立っていると授業が終わるベルが鳴り校庭に生徒達が弾き出されてきた。その様子を眺めていると後ろから突然誰かに肩を叩かれた、振り向くと後ろに美術部の先生が立っていた。

「お前どうしたんだ、余りにもやつれているので見違えた」と言った。

「はあ、少し」

「こんな所ではなんだから、職員室へこい」と言われるまま後をついて行った。

「どうだ、今度の学校は」と尋ねられて、

「父親の仕事の関係で変わらなくなったが、本当はこの学校を離れたくなかった」と心情を語った。

「それはそうと、お前何か用が有ったのか」と聞かれて、ドキマキする心臓音を聞きながら、正直に、美代子の住所を知りたいと先生に訴えた。

何かを察してくれたのか理由の一言も聞かずに、快く先生は調べてくれた。

「元気出せよ」と言って、再び誠一の肩を叩くとベルが鳴って、次の授業が始まり、誠一は学校を後にしていた。


 

住所を手に入れた誠一は、躊躇することなく美代子に手紙を書いた。このことは、母親に告白し、誠一が居ないときに、父親には内緒で手紙を手渡して欲しいと頼んだ。

その後は、毎日郵便函をこまめに見るのが習慣化していたが、来る日も来る日も毎日会社向けの茶封筒ばかりであった。そうこうしている内に、父親の仕事が益々忙しくなり始め、学校から帰るとその手伝いに追われる日々が続き、このことから気が薄れ、やはり、無理だったのかという思いが次第に強くなっていった。

 だが、母親はすでに、美代子からの手紙を受け取っていた。余りにも父親の仕事が忙しくそちらに気を取られ忘れていた。手紙は目立たないように箪笥の上に隠したままになっていたが、ある日のこと、何かの拍子で、ひらひらと畳の上に落ちてきて、母親は気付き、

「ああ忘れていた、この手紙を渡すのを」と独り言をいいながら、

「ごめんごめん」と誠一に手渡して、逃げるように仕事場に消えて行ってしまった。 

「どんなに、この手紙を待っていたか」と誠一は怒鳴った。

手紙を受け取ったものの、誠一は、封をすぐ切ることなく考え込んでしまった。早く見たい思いに、逆らうように中を見るのが怖くなり数日経って、思い切って封を切った。

先日は、お手紙を頂きありがとうございました。私はあたり前のことをしたのにあんなに喜んでいただくとは思いませんでした。このところソフトボールの試合が続きお便りが、遅れましたことをお許し下さい。

私は、韓国人の父と日本人の母の間に生まれました。

こんな生い立ちから、自分を出来る限り良く見てもらいたいという気持ちが常々あります。あの時も、あなたに対して同じ態度を取ったのかもしれません。それだけのこととして受け取って下さい。ここの手紙は一生の記念として大切にしておきます。有難う御座いました。

                                             金田美代子より

誠一はこの手紙を読んで、一番知られたくないことをはっきり書き自分を殺した美代子に好感を持って早速手紙を書いた。

お手紙有難う御座いました。あなたからのお便りを心待ちにしていましたが、心ない家族の者が、置き忘れて一か月以上返事が遅れてしまいました。

私は、転校後の学校にも慣れ始め勉学に励んでいます。将来は、美術大学に進学したく、入学に有利な高校に入りたいので頑張っています。

私の心を楽しく元気づけてくれるのは、あなたのお便りしかありません。もし迷惑でなければ、当分文通を続けて下さい。お便りお待ちしています。

                                                                                  戸川 誠一より

少し強引な文章であると思ったが、美代子からの手紙の内容は断りの便りなので、これを取り消す効果があればと文章を考えたが、出し終わってから誠一は少し後悔していた。

それからまた、以前と同じ思いで、美代子からの手紙を待ったが、その心配もなく手紙は、すぐに届いた。

この間美術の先生から声をかけられました。

あなたが、私の住所を調べて欲しいと頼まれて教えたが、戸川から便りがあったかと尋ねられました。そのあとに、あなたのことを言われていました。目立たぬ生徒だが、優れた才能に恵まれている。以前学校が推薦した展覧会に出した作品が、落選したので私が抗議したことがある。私が見ても、何の問題もない作品だったので、審査員からの返事では、これは、この年齢で描くことが出来ない誰か別の人が描いた作品ではないかと判断されたと言われていました。気の弱いところがあるので、いつも損をしている。そんなところを支えてやってくれと頼まれました。

その時に、私にも絵を教えて下さいとお願いしました。そのうちに手紙にも少し絵を描いてみたいと思っていますので、見て下さい。                  美代子

 誠一は、この手紙の内容で安心した。これで、美代子と文通が、今後を続けられることを確信した。気力を取り戻した誠一は、勉学に今まで以上に意欲を燃した。その甲斐あって、翌年希望校に見事に入学できた。

 

 その後、 美代子との文通は、お互いの学校の様子や出来事などを交換することが多く、直接の会話することが一度もなかった。誠一には、余り自信が無かったが、その機会をつくりたくて、春休みに以前の中学校の校舎で会いたいと手紙を出した。

 出したものの、それが原因で落ち着かない日々が続き心配の余り、口がきけなくなった夢まで見るなど動揺し文通とは違った感情に振り回されていた。

そんなことには関係なく、待ちに待った当日がやって来た。誠一は、いつもより早く家を出て、学校に行く前に、今まで住まいしていた家の付近をゆっくり歩いて心を落ち着かせてから、人気のない学校に向かった。いつもと違い親しみが薄れ厳格な学問の場を誇るかのように立ち塞がっている二階建ての校舎を見ると緊張が高まり出した。正門が閉まっているので校庭の様子は見られず不安であった。少し離れた所のくぐり戸の扉を押すと開いたので、ホットした。大回りして花壇の通路を抜けると校庭に出て視野が拡がり、そこから、桜の木の下に佇む、少女の姿を見て胸が高ってきた。まるでここまで走り込んできたような心臓の鼓動に急に襲われていたが、相手が気付いたのか向こうから手を振る仕草を見ると緊張感がほぐれ始めた。誠一の顔を近くで見た美代子は、一度も会っていないので確かめるかのような表情で、

「誠一さんですね」と言って、笑顔を見せた。

「はい、そうです」

「入学おめでとうございます」

「どうもありがとう」

会話に馴染むまで、単純な言葉の交換が始まった。

最初から、こんな気楽に美代子と話が出来ることなど予測していなかった。誠一は、今までの心配が嘘のように消え去っていった。

「ここを出ましょう」と久美子が言った。

 何処へ行く目標もなく、学校を出から、商店街の中を歩きだした。海の幸が並ぶ魚屋、甘い香りが伝わってくる果物屋、流行歌が流れる楽器屋など、次から次へ変わる店先眺めながら、目や鼻や耳を楽しませながら、二人は言葉少なく長い、アーケードのトンネルを歩いた。

美代子が誠一の歩みから、疲れを察したのか、

「誠一さん、この近に公園があるので、そこで休憩しましょう」と言った。

「それじゃ、パンと牛乳を買って食べる」と誠一が提案して、公園に向かった。

公園といっても、建物に囲まれた空き地に、杉の木の大木が植わっていて、その傍に不釣合に細い桜の木が、恥ずかしそうに花を咲かせていた。

誠一は、ベンチに座ると足の疲れが伝わってきた。知らぬうちに長い距離を歩いたことを、その時感じた。

誠一は、「疲れた、それに腹が空いた」と言うと相槌を打つように美代子も、同調して、

「本当に」と言って、ベンチに座った。

 美代子の表情からは疲労が感じられなかった、運動選手だけあるなと誠一は思いながら二人はパンと牛乳を袋から取り出して食べていると久美子が、

「誠一さん、こんど絵を書きにつれて行って下さい。私も絵が、以前より上手く描くことが出来るようになった」と言ってほほ笑んだ。

 「それは、楽しみだな、それじゃ、僕が写生する場所考えておきます」

誠一は、その時美代子が自分に向かって歩み寄ってきてくれたことの歓びを感じながら食事とっていた。そのあと美代子が、

 「今日は、私の家に寄ってもらう積もりでいましたが、父親が居るので、誠一さんに気を使わせるのが、気の毒と思い取り止めしました。また、今度来てもらいます」と気まずい表情で言った。

二人は、食事も終わり、再び商店街を通り抜けてバス停に向かった。バス停に着くと、まもなくバスが到着し、誠一が乗車する際に、美代子が、「写生に行く時は、私が弁当作って行きます、楽しみにしてね」と言って手を振って送ってくれたことを思い出していたが、

 

 

 ふと誠一は我に返えった、車外の風景を見ると、今まで続いていた町屋の風景がまばらになり、それに入れ替わり、松林が続きはじめた。その合間から海が見える所にさしかかると電車のスピードが急に遅くなり終着駅に到着した。明治時代に建設されたモダンな駅舎の出口を出ると両脇に松林が続く道になっていて、真っ直ぐ歩くと風にのって磯の香が、二人の鼻を包み、波音と人々の声が耳を騒がせてきた。砂浜には、既に多くの人達が砂に座たり、海に入って泳いでいた。その浜に一旦降りてから、砂浜を歩き、松林ある丘に上った。そこは比較的人も少なく草が生えている大きな松の木の生えた下に、美代子が持ってきたテーブルクロスのような布を敷いて二人が座った。

「ここ、日陰で海が良く見える」と美代子はホットした顔を見せた。

誠一が、座ると持ってきたスケッチプックを開き海に向かって座り、二人はスケッチを始めた。その日は、海と空の色が同じで雲がなければ見分がつかない程の上天気であった。

しばらくすると美代子が「お腹空かない」と問いかけてきた。

「今日は、朝早くから出かけたから、お腹が減った」と誠一が言うと、いきなり、美代子はスケッチブックの別のページを開いて、誠一に見せた。そこには、弁当がデザイされていた。中身が分かるように色づけして、説明書きされていた。

「お母さんに、このスケッチを見てもらい買い物をお願いして、私が料理した弁当よ」と言って弁当を差し出した。

 誠一は、その時何かグットくるものが込上げてきて、しばらく、その弁当をすぐには食べられなかった。誠一は、長男に生まれたものの、母親からの愛情を感じることなく育った。それは、母親が後妻で、誠一よりも十歳年上の腹違いの兄に気を使い、余り可愛がることをしなかった。会社勤めをしていた父親は安月給のために、兄を早くから勤めに出して、生活費稼ぎをさせたこともあり、兄に対して気づかいがあったのか、母性愛に飢えていた。この時、美代子の優しさが一時に心に押し寄せてきた。

弁当を食べ終わった二人は仰向けに寝転んで、松の枝から漏れる太陽のまぶしさ避けて、目を閉じると眠気をもようし、寝してしまった。目を覚ました「誠一は」 美代子に、

「今日は、海で泳ぐ」と尋ねた。

「私は、今日海に入りたくないので、ここで、海を見ています」答えたので、

「僕は、少し海に入って泳ぐ」と言って、砂浜に向かって行った。

 

 

浅瀬には多くの家族ずれの人たちが、戯れていたか、その人達の中を抜けて、誠一は沖に向かって泳ぎ始めた。やがて、水温が少し低い所まで来た時に、急に潮の流れが変わり流され始めた。その時になって、この海域には周りに人が泳いでいないことに気づいた、そこは、水泳禁止海域に入っていたのである。これは大変なことになったと誠一は慌てて、元の方向に泳ぎを変えたが、流に逆らうことができずにいた。

一方、美代子はなかなか誠一が帰ってこないので、心配になり海水浴の本部に行き、このことを告げた。取りあえず、スピーカーを使って海に向かって誠一の名前を呼び続けていたが反応なく、救助用ボートを使い沖に向かって捜索が始まったしかし見つけることが出来ずに戻ってきた。

その頃誠一は、体力の消耗が激しくなり疲労を感じが、幸い波が静かであったため昔漁師の叔父さんに教えてもらった仰向泳法を使い、波間に浮いていたが疲労によって意識が薄れていた。その時この海域に一隻の船がと通りかかって、誠一を発見しボートで救助カンパンに引き上げられて、大型船では専門的な救助マニュアルがあり、それに基づいて意識回復処を行った。誠一は幸いにして海水を飲んでいなかったので回復早く意識が戻った。誠一から事情を聞き出した船員は、再びボートを使って海水浴場まで運ばれた。沖から大型のボートが来るのを見て海水浴していた人達が、騒き始めた。それに気づいた美代子は飛び出していった。そこにはボートからタンカに乗せられた、誠一は疲れ果てて横たわっているのを確認してホットした。海水浴場の本部に運ばれて医師の診断を受けたあと栄養剤注射をしてもらい数時間ベットで睡眠をとり解放された。着替えをすまして、テントを出たが、すぐには帰る気ならず、二人は、熱い砂を掘り、そこへ座り海を何となく眺めているとやがて、太陽が海に沈み始めた。美代子は、それを見て「きれい」といって、涙を流した。

そのあと周りがすっかり暗くなり、やっと、二人は、立ち上がり家路に向かって帰っていった。

 美代子は、別れ際に「今日のことは一生忘れないわ」と言って、涙ぐんだ。

 

 

誠一は、この出来について、家族には言わず、疲れはてていたが、美代子に、大変心配かけたこともあり手紙を書いて送った。数日経ってその手紙が、宛先に受取人無しで返却されてきた。驚いた誠一は、それを確認するために美代子の住まいに出掛けて行った。辿っていくと美代子と初めて春休みに学校で待ち合わせた時に、案内してもらった商店街の中の辻を入った所に有った。玄関の郵便受けには、新聞の束が詰まったままであった。意外なことに表札が掛けられたままになっていたので、よほど、急なことが起きた状況が伺えられた。誠一は、居ないことは分かっていたが、入り口を強く叩いた。その音が響きわり、近所の人が出て、「そのこの人は、誰も居ないよ」と声がかった。

誠一が、問い直すと「夜逃げしたか、誰も何処へいったのか分からないの、大家さんが中に入ったら、家具や食器なども、そのまま置き去りになっているの」と言っていた。誠一は、それ以上聞くこともなく、頭の中が真っ白になった状態で帰って行った。だが、美代子の性格からこんな無責任なことは考えられなかった。きつと、手紙か何かの手段で連絡があるはずだと待っていたが、それもなかった。そんなことがあって誠一は、勉学にも以前のように気が入らず、まるで夢遊病者同然の日々を過ごしていた。

時を同じくして、父親に異変が起こっていた。以前から研究を進めていた製品の特許出願申請許可がついに届いた。父親は工場内に聞える大声を張り上げて「特許がとれた」と書類を手に差し上げて歓びを共有してもらうために、従業員に見せながら巡回していた。その時に郵便受けに入っていた手紙の束の中に、美代子からの便りが混ざっていたが、興奮した父親の手元から滑り落ち開いていた、机の引き出に落ち書類の間に挟まったまま閉じられたまま放置されていた。

そんなことなど知る術もなく誠一は、いろいろな出来事が起こった夏休みも終わり、学校に通い始めたが、以前のような気力も失ったままであった。それから逃れるために家に帰らず美術教室で油絵を描く日々が続けていた。

そうこうしている内に、学校では、大学進学対象者を成績照合して、三段階に分ける組替えの相談会が始まった。本人親と担任の三者が話し合い進路を決め適合クラスに編入されることになっていた。誠一も進学希望の対象者であったので、母親にこのことを告げた。父親は仕事に追われているので、母親に代理してもらうことになった。担任はまず、本人の希望を聞くために、「君の希望進路は」と問いかけられた。

「私は、この学校に入学した目的は、美術大学に進みたい希望でした」と小声で細々と言った。

それを聞いた先生からの返答は、「美術大学は数少ない窓口なので、技術力は勿論のことだが、入学するのに相当学力が必要だ、あなたの成績では、一クラスに入って成績を上げなければ無理」と返答が返ってきた。

先生は続いて、母親に「美術大学進学のことは、すでに、相談されていますか」と問いかけたが、「私は、今日は代理できましたので、帰って父親の意見を聞いて、ご返事します」と答えて、話し合いは簡単に終わってしまった。

母親は「何でそんな大切なことをお父さんに相談しなかったの」と言った。

誠一は「ともかく、皆が忙しくしているので、ゆっくり話なんか出来なかった」と嘆くように言い返した。

後日、父親から学校の進路相談のことで、誠一に話しがあると仕事場に呼び出された。何もこのことを、 仕事場で話さなくて、いいのにと思いながら出向いた。

「学校の進路相談のことを、お母さんから聞いて、少し話をしたい、それはそうと、誠一は美術大学に入学したいと聞いたのだが」と意外な表情でいった。「そうなのか」と念を押した。

 誠一は、そう言われて次の返答に困り黙り込んだ。

「わしの考えを言うと、美術大学で学ぶことは悪くないのだが、その後それを生かすのが問題だ、芸術家で身を立てるのは、そう簡単でない」と言い切り、「もう一度そのことを考えろ」と強い口調で言って話は終わってしまった。 何も言えず誠一は、その場からたち去っていた。

担任は、ことある毎に誠一に進路のことを尋ねたが、返答のしようの無いまま放置し続けていた。しびれを切らした先生は、再び親に来てもらうように催促した。

次回も、母親が来校することになって、担任と話し合いになった。

「たびたび、先生はすみません、主人と話しましたが、本人の志望する美術学校に進むことを親として望まないと言っています。息子は出来れば自分の会社に入社させたいので、出来れば経済か経営学部の学校に入学させたいと申しています」

その返答を聞いた先生は、「事業されているのであれば、そう考えられるのが当然ですね」と同意した。そこで、本人に向かって「誠一君、君は恵まれている。就職先が既に決まっているなんて、私のクラスではそんな者は居ないよ、それに、以前にも、言ったように成績からいっても、二クラスに編入できるので問題がないが、もし、美術大学に入学するのであれば一クラスでなければ、二クラスの場合余程頑張らないと入学することが出来ないから」と言って、笑顔を見せてホットした表情に変わった。

 誠一は、これで美術大学への道が絶たれてしまった。あんなに燃え上がっていた情熱の火がさらに冷え込んでいった。 

いろいろな出来事が有ったが、吐き流されるように時がたち、年末を迎えて工場内の機械の音が一斉に止まり、掃除と整理が始まった。その時、父親も机周りの書類を整理していた。普段あまり使っていない、机の引き出しの書類を丹念に整理していると、白い封書が出てきた。宛先が誠一になっていたので、本人に手渡すよう母親に指示したが、誠一は外出中だったので机の上に置かれていた。

誠一は、以前のように、目標に向かって勉学に励むこともなく、机は単なる物置同然で、時間が有れば友達と遊び回る日々が続いていた。明日は正月という、その日も、遅くまで町で遊んだ末に帰宅して布団に潜り込んで寝てしまった。

年が明けて、正月は全員食卓を囲む、こんなことは年にほとんどなく、父親が、食事に手を付ける前に一言いつもの習わしの演説が始まった。

「昨年は、私の大望の特許が取れ、これで我が社も、より一層の発展が望めることになった。したがって、今年は素晴らしい一年となる」と言って、金盃に酒を注いで飲み干した。その後、「お年玉はいつもと違い割増しているので、楽しみにしてくれ」と言い添えて、大笑いした。

食事が終わり、父親が、お年玉を一人一人に手渡した。誠一の番になった時に、「誰だ」

 

「金田 美代子」が言って、それ以上そのことは、父親は聞かなかった。美代子のことは頭から薄れてしまっていたこともあって、新鮮な驚きが高まった。これを聞いて、誠一は、年玉の割り増しどころではない、正月の飛び切り大きなレゼントを受け取ったような思いで、机に向かった。確かに、手紙が机の上にあった。初めて美代子からきた手紙の感動とは違った強烈な衝撃を心に受けて、封を切って、読み始めて「あれ」と言葉が出た。

ごめんなさい。近日中に、私達は朝鮮民主主義人民共和国に行くことになると伝えられていましたが、これが海から帰った矢先に、突然父親から話が出ました。それも、一人一枚の風呂敷に入れる程度の荷物をまとめて、夜中に、誰にも分からないように出かけると、言われるまま日本を離れることになったのです。日本からは、国営の船に乗ると告げられましたが、他のことは話してくれません。誠一さんに、お礼の手紙を出そうと封筒と切手を用意していたので、よかった、でなければ、この手紙を出すことが出来なかったと思います。日本国内のどこかのポストを探して送ります。落ち着きましたら、改めて手紙します。                                美代子より 

書き急いだのか、まるでメモ書きのような筆跡であった。切手の証印を見ると舞鶴となっていた。船は多分、日本海から出船したのか、それにしても何故、今頃手紙が届いたのかと疑問を持ったが、誠一は、それ以上詮索することをしないまま、感激から急速に落胆する気持ちになるのをコントロールして、正月を過ごした。後々美代子からの手紙はこなかった。

 誠一は、後ろで、子供の激しい泣声を聞きき、懐かしい思い出の夢から覚め現実の世界に呼び戻されていった。コンビニのカウンターテーブルの上には、紙コップのコーヒの蓋が閉られたまま置かれ、何時ものように窓の外には高層ビルと高速道路に多くの自動車が行き交っている風景が見えていた。

おわり