入院・手術・・・・・PART 2 


8月5日      CT検査(造影CT) ・ 手術の説明

午前中に病院へ戻った。
この日は、造影剤を入れてのCT検査を受ける。
CT検査の機械は、MRIより筒の部分が短いので、圧迫感はない。
息を止める作業も、短時間なので楽だった。
造影剤は、初めてだったので、ものすごく不安で・・・
点滴から造影剤が体に入ると、体が熱くなって、
造影剤の流れがわかるような感じがした。

特に、気分が悪くなるようなこともなく・・・痛くもなく・・・
無事に終える事が出来た。

夕方5時から、外科のDr.による"手術の説明"が始まった。

私と一緒に説明を聞いたのは、夫・夫の両親・私の母である。

病気の説明は、省略された。
すでに、消化器内科のほうから聞いているだろうから・・・との事。
話のほとんどは、手術を受ける時の、不測の事態についてだった。

そういうことは、覚悟している。
医療事故が起こることだって、覚悟しておかなければ、
手術を受ける事など出来ない。

きっと、私は大丈夫・・・と思うしかないから。

ただ・・・怖いな〜と思った部分は、手術を受けた後の話だった。
手術を受けたから、完治する・・・ではないということ。
確かに、膵管と胆管の異常なつなぎ目は治す・・・が、手術で
さわった小腸や肝臓、膵臓は、さまざまな後遺症がありえる、と言う事。

この手術を受けると、膵臓炎胆管炎になりやすいし、
何人かは吻合部狭窄が起こるというのだ。
小腸を動かすと言う事は、無数の小さな傷を作り、
傷を治すために出た体液が原因で癒着をおこすらしい。
油もの、脂肪分の多いものは、下痢を起こすらしいし、
腹七部目の量にしなければならないという。
手術によって、癌の可能性があった部分は、
取ってしまうから、癌の心配は消える・・・(当たり前だね)
でも、他の不具合はおきて当たり前・・・なのである。

これは、予防手術
!??
だとしたら、受けない・・・という選択肢もあったのだろうか?

その事を たずねてみた。
この部分の癌は、見つけにくく、転移も早いから、見つかった時はほとんど手遅れだ。
まず、2年以上は延命できない・・・といわれた。
その後、いや・・・自分の知っている患者で例外がいた・・・と。
3年間生きていた
!!!???

これを聞いたら、もう、手術を受けるしかないんだと、悟った。
私は、まだ、子供が未成年だ。死ぬわけにはいかないから。

(Dr.は、忙しいのか、母がいろいろ聞いたら、それは無関係な話だ
ということで、はねのけた。ちょっと、人間的に??と感じたが、
外科医は、内科医と違って、手術の腕がよければいいのだ。
内科のDr.は、コミュニケーションをたっぷりとってくれるが、
外科医は、あまりしゃべらない・・・
入院中に、そんな感想をもってしまった。)

説明の後、親たちはすぐに帰宅。
夫は、しばらく残ってくれた。
ものすごく、いやな気分だった。
手術では、"元通りに元気"にはなれない、のだと言う事を、知ってしまった。

私の受ける手術は、総胆管切除・肝管空腸吻合というものらしい。



8月6日     外科病棟へ移動

外科病棟では5人部屋。
窓側のベッドになった。景色が見えて、うれしかった。
この日は、何も検査はない。
洗濯をしたり、入浴したり・・・はりきって動いていた。

同室の方たちは、私の母よりも年上で、驚いた事に、
もう、1年近く入院している人もいた。
外科には、癌患者が多いという事を初めて知った。

抗がん剤で、髪の毛が抜けて、頭にターバンを巻いている人もいた。


8月7日    手術前日

麻酔担当のDr.からの説明。手術室の看護士の説明。
主治医の挨拶・・・・。

私は、入院してから、ずっと、37度の熱があった。
それでも、大丈夫なのかしら・・・と、心配だったが、
上気道の炎症がなければ、大丈夫との事。
まあ、微熱だから・・・・。

検査はないけれど、忙しかった。
おへそのごま取り、下剤、つめきり、入浴・・・そして洗濯!!

夕食は、手術前日のため、流動食だった。
水分だけ・・・というかんじ。

晩、睡眠導入剤を飲んだ。

入院してから、絶食の検査ばかりで、まともな食事は、外科病棟に来てからの1日だけ。
本当に、食事を取れない入院だった。
(術後はもっと過酷だったのだ!)


8月8日     手術日

朝5時・・・・・看護士に起こされる。(浣腸です。)
前日に下剤を使った上に、晩は水分だけ・・・でも、浣腸するのです。

安定剤を飲む。
そして迎えにくるまで、ベッドで、じっとしている。

7時半ごろ、トイレに行くように言われる。

弾性ストッキング・・・をはく(ひざまでのもの)。
ストレッチャーで手術室に向かう。

夫と義父母が、一緒にエレベーターに乗って、手術室まで見送ってくれた。

見送りはそこまで。いよいよ、手術室の看護士に引き渡される・・・。

なんだか、まぶしくて、人も多くて、緑色の空間だった。
そこで、手術着に着替えた。記憶では、緑色。
手術台に、自分で移動した(と、思う)。
手術台は、狭くて、硬かった。
麻酔医がいた。

最初に、背中に麻酔をさした。
(これは、術後の痛み止めとして、使われるものである。)

怖かったけど、痛くなかった!
次に、手の甲に、麻酔の点滴の針をさした。
そして、楽な姿勢をとるように言われた。

麻酔医から、麻酔を入れるから、数を数えて・・・と支持される。
1,2,3・・・・・・・・・


8時に手術室へ入り、多分9時ごろから始まったと思う。
胃癌の方たちが、2時間ほどで戻る中、私は、4時間ほどかかった・・
とか、母が言っていたが、さあ?、私はわからないし、夫も、はっきり記憶していない。
同室の人たちが、ものすごく遅いから、どうしたのかと思った・・・と後で私に言った。


目覚め

なんだか、騒々しくて、意識がもどってきた。
「じゃあ、これで、帰りますね。よろしくね。」
という、母の声や、義父母が話す声が耳に入った。

Dr.が、ベッドの脇にしゃがんで、何かしている。
看護士が何人か立っている。

何か、一言、話しかけられたが、覚えていない。

次に目覚めたら、夫が、ベッドの足元の椅子に座って、本を読んでいた。
どうして、もっと、顔の方に来ないのかな?と、不思議だった。

ときどき、目覚めては、夫に何か話しかけ・・・また、寝て・・・。

暗くなるころ、はっきりと、目覚めた。
夫に、もう、帰ってもいいよ・・・と伝えた。

わたしは、付き添いを頼まなかった。
看護士からは、どっちでも良い・・・と、言われたから。
しかし、後で知ったのだが、ほとんど全ての人は、付き添いに家族が泊まっていたようだ。

意識がはっきりしてきたらいろいろな事がわかってきた。
頻繁に看護士がやって来る。夫が足元に座っていた理由がわかった!
私は、お腹の中から、管が出たままで、さらに、導尿の管も付けて、
鼻からも胃管を付けていたのだ。
持続点滴もして、酸素の管も付けて、背中の針から痛み止めの麻酔が入るようになっており、
合計6つも管につながっていたのだった!!
それらの器具や袋や装置やらが、ベッドサイドにあったのだ。
しかも、頻繁に、看護士やDr.がやってきていた。

晩、苦しくて、暑くて・・・
動けないし、看護士がやってくるたびに、いろいろSOSを出していた。
気持ちが悪ければ、胃管から、何やら抜いてくれて楽にしてくれるし、
吸い口とトレーでうがいをさせてくれる。
暑がっていたら、本当は付けないクーラーまでも、付けてくれた。
布団も、タオルケットに変えてくれた。

ものすごく、良くしていただいた。


8月9日    手術 翌日

朝、Dr.が来て、胃管を抜いた
看護士が来て、体を拭き、着替えをした。
まだ、手術着だったようで、ねまきに着替えた(ゆかたのようなもの)。

レントゲンの機械をもって、技師たちがやってきた。
ベッドに寝たままレントゲンを写すのだ。
(そんなことが、できるのです)

この日は、週に1度の部長回診
大勢のDr.が、やってきた。
傷口を見せて、主治医が解説した。

午後・・・ベッドを少しだけ起こして座るように言われる。
背中が痛くて、座っている方が楽だった。

消化器内科の主治医がやってきて、声をかけてくれた。

私は、術後は、1週間以上の絶飲・絶食をしていくのである。


8月10日     術後2日目

まだ、管につながっているので、移動は出来ないが、ベッドサイドで立つことをした。
椅子に座り、窓からの景色を見た。
歯を見たら、何も食べてないのに、汚れていて・・・
トレーと、水を持ってきてもらって、歯磨きをした。
気持ちよかった。

何も、飲めないので、うがいをしょっちゅうしていた。

冷たい水の方が気持ちいいので、水筒に氷をいっぱい入れて持ってきてもらった。

全身麻酔は、痰が出やすくなるそうで、吸入を数時間おきにおこなった。
痰を飲み込むと、つなぎ目に引っかかったりするから・・・
という、看護士の説明に怖くなり、Dr.に質問をした。

Dr.は、首をかしげて・・・
いかにも、くだらない・・・という顔で、答えなかった。
Dr.には、入院中、かなりいろいろの質問をして、
その度に、くだらない・・・と言う感じの返事をもらった。


8月11日    術後3日目

朝、酸素の管をはずす
今日から、歩けるのだ!
しかし、まだ、管は4つもついている。
管の先の袋を点滴の棒に引っ掛けて、廊下を歩くのだ。

胆汁を流す管は、短く切って、ガーゼを当てる事になった。
長女が来たので、廊下を歩いてみた。
消化器内科で同室だった人とばったり!
同じ日に胃癌の手術だったが、すでに、持続点滴も終わり、
導尿の袋を自分で持って歩いていた。これには、本当に驚いた。

私は、まだ、持続点滴。背中の麻酔。胆汁の管。導尿管。
点滴棒にしがみついて前かがみでの歩行だったのだから。

お腹の痛み・・・たまにある。


8月12日    術後4日目

持続点滴は終わったが、点滴の針は刺しっぱなし。
朝目覚めてから、寝るまでの間に、4本から6本の点滴をしていくのだった。

晩・・・麻酔医が来て、背中の麻酔針を抜いた
あとは、導尿管・・・抜けたらいいな〜と、思った。



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