2001/12 << >> 2001/10
[ ラーメンなら食べられる? ]
|
ゆいの1学期の成績表は、「給食が、きちんと食べられる」という欄が、「がんばろう」になっていた。
今どきの成績表は、楽しいなあ。
算数とか、とってもつまずいてるのに、「できた」となっていたり、 「机の中の整理整頓ができる」なんて、絶対やってるはずないのに 「だいたいできた」(←この表現も微妙。「がんばろう」と「だいたい〜」しかない。) となってたりするので、ほんまかいな〜と、疑うわけではないが、 いまいち我が子の姿が想像できないことになってるのもあるのは愛嬌だ(?)。
あの、くいしんぼのゆいが、どうして給食食べられないのか、 ナゾなのだが・・・・。
試食会で食ったが、おいらの料理の100倍はうまかったぞ。 栄養のバランスもばっちり。 なのに。
実は、ゆいは、外食が大嫌いなのであった。
ファミレスとか行っても、ほとんど食べない。 もしくは、すっげ〜まずそうに食う。
なんでなんで???? 家では、もうやめろ〜腹がパンクする〜とストップかけるまで 食いまくる、ゆいが。
別段、おかあさんの料理がうまいわけではない。 どっちかというと、自分の作った料理なんて、おいら、もう食いたくねえぞ。 ダンナも、結婚当初から、「レパートリーが少ない」「味がうすい」と文句を言い続けている。 (言い続けて10年。まだ言ってるてことは、全然進歩してないってことか。ううむ。)
そんなゆいだが、外食で、ラーメンはなんとか食べられるのである。
奈良は、ラーメン激戦区などと巷で呼ばれているほど、うまいラーメン屋が多い。
だもんで、外食するときは、いつだってラーメン屋さんだ。
我が家のお気に入りは「かむくら」。 独特のつゆの味で、白菜がいい。
それから、この前、別のお店で「トマトラーメン」なるものを食ったぞ。
つゆが、赤い。 つぶしたトマトの固まりが浮いている。 チンゲンサイがまわりに乗っている。 メンは、普通の中華メンだ。
うまい。おいら、気に入ったね。 なんか、パスタのようである。スパイスが利いていて、酸っぱい系好きな人とか、 イタリアンのあっさり系が好きな人にはうれしいかも。 なんか、ヘルシーな感じがするしな。 食べてると、身体があったまる。冷え性に良いぞ。
それはおいといて。
ゆいに、「なんで、よそでご飯食べられないの?」と聞いた。 「だって〜、おかあさんのごはんが、いちばんおいしいもん!」
・・・・・・生まれて8年、味覚が育つ時期に、おいらのまずい味付けに慣らされてしまったのか・・・。 オンナノコとして、これではやばいのでは?
ラーメンは、言ってみれば、庶民の味である。 どっちかっつうと、ジャンク系であろう。 お家の外で食べるから「外食」ではあるが、 「ランチ」「ディナー」「フルコース」系ではなかろう。 純然たる外食ではないような気がする。 (ラーメン屋さん、ごめんなさい。ラーメン大好きですよ!)
ゆいには、これからそういった教育が必要であろう。 この世には、おいしいものがたくさんあるのだと、わからせなくては。 何事も、経験が一番。
なので、いろんなとこに、連れていってね、おとうさん!
2001/11/28(Wed)
|
|
[ オレ様、ダウン・・・。 ]
|
ここんとこ、なにかとハードな日々が続いたので疲れがたまったのか、 ついに、オレ様は、持病が出てしまったのであった。
持病とは。
リンパ腺が腫れるのである。&微熱。 耳のあたり。おたふく風邪で腫れるとこっすね。
かなり、笑える顔になっている。 顔の右半分が、しもぶくれ状態。
両方ならまだ左右対称で許せるが(許せるか?) 非対称なので、なすびみたいだ。
いくらおいらでも恥ずかしいので、ダンナにもこの顔見せてない。 絶対に、喜ぶのは、目に見えてるからな。 ましてや、うれしさのあまり、デジカメで撮ってHP載せるとか言われたひにゃ・・・・。
この2日、家の中でもマスクをしている。 一切、外出はしていない。まるで、冬眠だ。
今日は珍しく何も予定がない日だったので、ゆっくり休養することができた。 が、今週は、人形劇サークルの公演が、木曜日にある。 しかも、代役で主役だ。 やばい。やばすぎる。 根性で治さなくては。
リンパ腺が腫れても、食欲はあいかわらずあって、(元気じゃん・・) ずっと家の中にいてヒマなので、一日中食ってばっかだ。 ・・・・・こっちも、やばいな・・・・・。
ところで、微熱があった昨日、おいらのアタマの中で、 「そばめしふりかけ、そばばば〜〜ん」の歌が、ずっとこだましていた。 なにゆえ!??
別に、爆笑問題のファンではない。
「そばめしふりかけ」って、食べたことないんだが、おいしい? あと、「ラーメン茶漬け」も、見たことないけど、ちょっとそそられる。 報告求む(笑)。
2001/11/26(Mon)
|
|
[ 運痴でゴメン。 ]
|
問題、小学校から大学なで、必ずある授業とは? 答え、体育。
運動音痴の人にはつらいね、体育。 他人事ではない。自分こそ、運痴のキワミ。
昔、成績表が5段階評価だったころ、 おいらの数字は、実にバラエティに富んでいた。
いうまでもなく、体育は1もしくは2(泣)。 国語と音楽、図工が5で、あとは3と4。
このパターンが、10段階評価の中学でも続く。 高校になったら、ほとんどが少なめの(笑)数字に変化していたが。
この運動神経のなさが、ゆいに遺伝している。 ダンナは、スポーツマンだ。 なんでも、すぐにある程度こなせるようになってしまう。 こっちのが遺伝すればよかったのだが、無念。
そんな、へぼいおいらが、今、ソフトバレーボールなんてものをやっている。 仲良しのグループで集まって、楽しくやっているのだが、 時には、試合なんてのもある。 それは結構マジだ。
みんな、とってもうまい。 んが、おいらの実力は、推して知るべし(泣)。 おいらがいるチームは、ほとんど負ける。 まるで、疫病神のごとし。 ボールが自分とこに来たら、上手に逃げているから、 他のメンバーの負担も増す。 妙なところですばしこいから、球拾いはまかせてくれ(・・・)。
こんなおたんこなやつだが、みんなは、イヤな顔ひとつせず、 (もしかして、してるかも。気付いてないだけで。とほほ・・・。) いつも温かく迎えてくれる。 素敵なおねえさまばかりなのだよ。
子どもの幼稚園でのお仲間なのだが、 おいらよりも、人生経験豊富な人が多いので、 休憩時間に雑談を聞いてるだけでも、なにかと勉強になる。 一応、年下の部類に入るので、とても甘えさせてもらっている。 出会えてよかった。
しかし、持って生まれたどんくささは、どうにもならない。 ゆいを見てると、つくづく思う。
走れない、飛べない、回れない、投げられない・・・・。2人とも・・・。
そういや、自分、スポーツテストなるものでは、計測不能?採点不能? 問題外の結果で、先生もあきれていたっけ。
こんなおいらだが、なぜか、跳び箱だけは、うまかった。 なんでか?? 跳び箱の上でくるっと回るとかはできないが、 何段も飛び越すことは、不思議にうまかった。
運痴でも、それなりに得手不得手があるもんだな。
ちなみに、ゆいは、ドッヂボールが意外に得意ならしい。 ただし、ボールを投げて相手に当てるとかはできないが、 ボールに当たらないようにちょろちょろ逃げることがうまいそうだ。
こういったすばしっこさが、またおいらと一緒だな。 しなくてもいい遺伝なのであった。
2001/11/22(Thr)
|
|
[ のらねこさんのお世話 ]
|
近所に、のらねこが何匹か住みついている。 ていうか、木陰に居ついてると言うべきか。
そのねこさんたちに、毎日おばあさんが、エサをあげに来ている。 夕方になると、エサと水を持ってやってくる。
ゆいは、その人と仲良しになってしまい、 ねこさんの様子を見に行き、おばあさんとお話をするのが 最近の日課のようになっている。
そして、別の場所に、箱入りのこれまたのらねこが一匹増えたのだが、 このねこさんを、ゆいはかわいがっていて、 事実上、飼っている状態になってしまっているのだ。
体も大きく、かつては立派な飼い猫であったろうと思われるが、 今では、ケガか皮膚病かなんかで毛が身体の半分くらい抜けていて あまり美しいとはいえないネコである。
「ケースケ」と命名。 なんでかというと、「ケガ」の「ケ」から取ったそうな。 安直な。 で、雄かというと、よくわからないらしい。なんやねん。
ゆいは、自分のおこづかいから、キャットフードを買ったり、 給食の残りのパンをあげたり、水をあげたりと、 甲斐甲斐しくお世話をしている。
結構人通りもある場所でそんなことをやってるもんだから、 いろんな人が通りすがりに声をかけてくれるそうだ。
「えらいね」やら、「そのネコ病気やから、触らんほうがええで」とか。 みなさん、やさしいのである。
ゆいは、ネコ好きなので、口に出してはいわないが、飼いたいらしい。
だが、実は、ゆいは、ネコアレルギーなのであった。
ねこさんが飼われている家なんかに行くとてきめん、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目のかゆみ・・・・・・。 目が腫れるので笑えるくらい人相が変わる。 笑い事ではないが。
アレルギーでなくとも、うちはマンションなので、ネコは飼えない。 それに、わたしが、ネコ飼いたくないのだ。
見る分にはかまわないが、四六時中世話をするとなると、イヤなのだ。 犬も同じく。 愛犬家、愛猫家の方々には、申し訳ないが、あんまり、触りたくないと思っちゃったりして。
でも、うさぎさんとかハムスターは大好きで、飼ってるほどだから、(うさぎはいないが、ほしい) 動物嫌いでは決してないわけだ。
今、ゆいがああやってのらねこの世話をすることを 親として止めたほうがいいのか、 生き物をかわいがるやさしい気持ちを認めてやっていいのか、 ちょっと悩んでいる。
わたしとしては、気のすむまでさせてやりたいのだが、 のらねこを置いておくことで、フンとかの迷惑を考えると う〜〜む、なのだ。
自分ちには入れたくはないが、外でかわいがってるのはいい、なんて、自分勝手?
ゆいは、自分がアレルギーであることをしっかり自覚していて、 「ケースケ」には、ほとんど触らずに、世話をしているし、 家に帰ったら、しっかりと手を洗っているので、 衛生面では、まあ問題なかろうかと思う。
今日も、学校から帰ってすぐにごはんをあげに飛び出して行った。 どうも、ケースケは、留守だったらしく、心配している。
このやさしい心を、そのまま育んでいってやりたいものだが・・・・。
をを!今回は結構真面目だ!!
2001/11/21(Wed)
|
|
[ 早起きさん ]
|
今日も、流星群は見ることができたそうだ。
残念がるゆいのために、お父さんは、夜光のお星様の形をしたプレートを ホームセンターで買ってきて、ゆいの部屋の天井に、こっそり貼っていた。
夜、電気消したゆいは、びっくり。 とてもよろこんでいた。
しかし、うちは、夜、真っ暗にして寝るのではなく、 小さい電気がついてるので、いまいち光が弱いのであった・・・・。 星座の形にしてはいるものの、なんちゃって北斗七星だ。
「ちょっとちがうよ」「獅子座の形にして」とゆいに言われたお父さん。 (ゆいは、獅子座なので) 「・・・・獅子座の形???知らん・・」 困っていた。
さて、ゆいが早起きなのは、一部では有名な話。
幼稚園のころは、毎朝5時台に起きていた。 今は、6時すぎ。 ゆいの中では、6時15分くらいだと、「寝坊」になるのだ。
2歳前から、お昼寝が嫌いな子で、寝さそうとすると、泣いて嫌がった。 こっちは、少しでも寝てほしい。ゆっくりしたいから。 まだ小さいから、そうすると夕方5時過ぎには、もう限界で、 ぱたっと寝るわけだが、 そのまんまずう〜〜っと寝て、朝5時頃にようやく起きてくるのだ。
体内時計が一旦そうなってしまったら、容易に治らない。
一人っ子だから、全く自分のペースで生活できるわけだ。
夜泣きもしていたが、気が済むまで泣いたら、また寝るのだ。
こっちも、一緒になって寝ないことには、身体もついていかないので、 早寝早起きになってしまった。 それが今でも、身体に染みついているわけだね。
昔は、おいらは、すごく寝坊さんで、 一分一秒でも布団の中にいたいという娘だった。 起こすのに母は毎朝とても苦労してたのだ。 それが、この変貌ぶり。 年取ったからとは言うまい。
まあ、早起きは、気持ちがいいもんで、クセになると、やめられない。 今、おいらはだいたい、5時半過ぎには目が覚める。 で、ゆいも、その頃には、トイレに行きたくなって起きてしまうのだ。
ゆいが寝るのは9時前。 布団に入るのは、8時半くらい。 寝る前に本を読み聞かせしているので、一緒に布団に入ったら・・・・ 暖かくて気持ちがいいので、つい、おいらも寝てしまうんだな。 9時過ぎに・・・・・。
夜遅く、ダンナが帰って来たのも、気付かない。 ダンナは寂しく、夜ごはんをひとりでチンして食べている。
朝は、そのように早起きだが、起きた瞬間から元気なゆいとおいら。 長年のパターンだから、慣れてしまっているのだ。 一方、ダンナは、朝に弱くて、会社に行くまで、半分寝ている状態だ。 朝、話しかけても、一応返事はするものの、絶対に覚えていない。
これでは、家族のコミュニケーションどころではない。
しかし、土日休日となると、ダンナは人格が変わり、 6時過ぎとかに、ぱきっと起き出してくるのだ。 逆だったら、起こす手間がはぶけて、ラクなんだが。
ゆいの体内スケジュールは、土日休日がなく、年がら年中同じ時間にセットされているようだ。
早起きは三文の得。 朝日がきれいな時もあれば、ベランダに鳥が来て遊んでいることもある。 結構いいもんさ。
まあ、そのうちゆいも、年頃になれば、お寝坊さんになってくるのかなあ、と、 うれしいような、残念なような、フクザツな思いで想像してたりする、この頃である。
2001/11/20(Tue)
|
|
[ 獅子座流星群。 ]
|
昨日のは、なんかわけわからないことになっていますが、気にしないでください(笑)。
さて、獅子座流星群だ。
今日の未明、きれいに星が降った・・・・らしい。
この、流星群の日時を予想するのは、非常に難しいそうだ。 今回は、ぴったり合っていた。すごい。
さて、我が家では、せっかくの機会に、流星群を見ようと計画した。 ゆいは、流れ星を見たことがないのだ。
その18日は、昼間、体操フェスティバルなるものに参加し、ゆいとおいらは、体育館で踊りまくったのだ。
-------このネタは、近いうちに、「ゆいの日記」(←久しぶりに更新・・・苦)に載せるので、乞うご期待。------
とにかく、結構体力つかって、へろへろだったのだ。
しかし、こういうイベントになったら、寝不足も苦ではない家族。 午前2時に、目覚ましをかけて、ちょい早めに寝た。 (9時前には、爆睡)
目覚ましで起きたのは、おいらだけ。 他のやつらは、ぐーすか寝てるので、起こすのやめたろかと、 思ったりもしたが、そんなことをしたら、後がコワイので、 とりあえずダンナを起こした。 (ちなみに、ダンナは、リビングで電気もTVもなんもかんもつけっぱなしで寝てた。)
空を見ると、もやがかかってるではないか。 これでは、見られない・・・・・。 疲れてるだろうゆいを、わざわざ起こすこともないだろうと、 そ〜〜っと行動していたのだが、 当の本人は、すかっと目覚め、 「星は〜〜!??」
ダンナが、一応外に様子を見に出たのだが、やはりムリっぽい。 がんばってる人たちも、何人かいたらしい。 熱心だ。
残念だが、ゆいにはあきらめてもらうことに。 泣いていた。
3時半頃、もう一回チャレンジしようと、一旦布団にはいったのだが、 気が付いたら、朝だった。
ゆいのクラスメイトの中には、見た子もいたそうだ。 じゃあ、晴れたんだね。 気合いが足りなかったか。
朝も、ゆいは残念がって泣いていたが、TVのワイドショーの映像で我慢してもらった。 ナマの迫力には到底かなわないが。 「あきらめるから、流れ星の絵の描き方を教えてね」と、 かわいいことを言うではないか。 絵が描きたかったのか。さすが、わが子!(はい、親ばか)
私だって、34年の人生の中で流れ星を見たのは数回。 だいたい、夜遊びをして、午前様のお帰りで、ごきげんで夜空を見上げていたときなんかだ。 感動も、半分くらいしか覚えてない。 なにしろ、飲んでるからな。 言っとくが、独身の頃だぞ。
獅子座流星群は、毎年この時期には観察されるそうで、 タイミングがうまくあえば、また近いうちに見られそうだ。 次は、がんばってみよう。
ゆいも、オトナになって、夜遊びしだしたら、流れ星見られるぞ。
ま、そういったことを、お父さんが許すかどうかは、その時になってみないと、わからないけど。
2001/11/19(Mon)
|
|
[ テスト ]
|
・・・・・というわけで、本当に、笑っちゃうお産なのであった。 不思議なくらい、痛いという感覚がなかった。
例えるなら、便意があっても、なかなか物が出てこない苦しさ? 感覚的には近いかも。
そんなこんなで、あっさり産み落とし、産後の処置も済んだ。 しばらくぼ〜っとしてたら、看護婦さんが 「部屋に戻れますか?」なんて聞くから、 よっこらしょ、と台からおりて、自分で歩いて部屋に帰ったのだった。 これ言ったら、みんな驚く。 普通は、産後6時間は絶対安静らしいぞ!??
朝6時頃に、トイレに行こうとまたもやうろうろしてると、 詰め所で赤ちゃんと対面している男の人がいるではないか。 早よからごくろうなこった〜と思っていたら、なんとダンナだった。
2001/11/18(Sun)
|
|
[ 昨日、一生懸命に書いたのに、消えてしまいました・・・(泣)。お産編ぱ〜と2!!書き直しバージョン。・・・・消えないでね。 ]
|
・・・・・というわけで、本当に、笑っちゃうお産なのであった。 不思議なくらい、痛いという感覚がなかった。
例えるなら、便意があっても、なかなか物が出てこない苦しさ? 感覚的には近いかも。
そんなこんなで、あっさり産み落とし、産後の処置も済んだ。 しばらくぼ〜っとしてたら、看護婦さんが 「部屋に戻れますか?」なんて聞くから、 よっこらしょ、と台からおりて、自分で歩いて部屋に帰ったのだった。 これ言ったら、みんな驚く。 普通は、産後6時間は絶対安静らしいぞ!??
朝6時頃に、トイレに行こうとまたもやうろうろしてると、 詰め所で赤ちゃんと対面している男の人がいるではないか。 早よからごくろうなこった〜と思っていたら、なんとダンナだった。 「なんで来てんの?」 「なんで歩いてるんだ??」 お互い、びっくりである。
来てるなら、先にこっちに寄れよ。
ダンナとしては、わたしが弱りきってるだろうと思い、部屋に来るのを遠慮してたらしい。 そしたら、本人はけろっと、うろちょろしてるもんで、拍子抜けだ。
さて、その後、すぐに赤ちゃんが部屋に連れてこられた。 この産院は、母子同室である。 しかし、産んでから半日は、連れて来ないと聞いてたが??
まあいい。おかげで、胎便(赤ちゃんが産まれて初めてするうんち)を見ることができたぞ。 まっ黒だった。
おっぱいについては、何の問題もなくいっぱい出た。 さすがは、ゆい。その頃から食い意地が張ってたのだ。 上手に吸うので、どんどん体重が増えていくのが、目に見えてわかった。 多くの赤ちゃんは、最初うまくミルクが飲めなくて、少しやせていくらしいのだが。 ゆいの、ゆいたる所以である。
大声でぎゃあぎゃあ泣きわめき、がばがば飲む。 こっちも、ぱんぱんにおっぱいが張る。 右側を吸ってたら、左から乳が無駄に発射される。 それでも、余ってるという・・・・・。 でないのも辛いが、出過ぎるのも辛いぞ。
母子同室とはいえ、夜は母体を休ませるために、あずかってもらうのだが、 休むどころではない。 乳がたまって、おっぱい痛い。吸ってくれ。 お願いして、夜も一緒にいさせてもらうことにした。
おっぱいを吸われると、ふくらんでた子宮も、早く元にもどる。 それがまた、痛かったりする。
お産は、ウソのようにラクチンだったが、その後は痛すぎである(泣)。
「産後だから」と、みんなにちやほやされ、好物の差し入れや、欲しい物はなんでも買ってもらえた。 (スイカばっかり、買ってきてもらってた) なにもしなくていい、ゆっくり休んで・・・・・なんて・・・。
女王さまだ。 はじめての体験だ。もう二度とない、極楽だ。 そのあとには、大変な育児が待っている。
夜中に、布団全部にうんちもらされたことや、 飲みすぎで、乳を口から1メートルくらい吐いたこと、 紙おむつが肌にあわないので、布おむつを使っていたのだが、 日に何度もうんちするので、洗濯ばかりしてたことや、 そのせいで、指にバイキンが入り、ツメを一本、全部はがして全治1ヶ月(完全にツメが元に戻るまでは3ヶ月)なんてこともあったりとか。 とにかく、人見知りが激しく(今ではウソぼようだ)お母さん以外は全くダメで泣きまくり、(お父さんが抱いたら、火がついたように泣いていた。) 夜泣きは毎晩で、幼稚園の年長組まで続いたこと・・・・・。
いろいろあったが、楽しい思い出になっている。
わたしは産後、体質が変わり、とても虚弱になってしまった。 今でも尾を引いているのだ。
でも、ゆいは、健康だ。 だから、いい。辛抱できる。
こんな、へなちょこなおいらのために、ゆいが、お腹の中の痛くない場所にいてくれて、 ラクチンに出てくれたのだと思っている。 ありがとう。
それにしても、おいらのお産&育児って、うんちとの戦いだったのだね、今思うと。
下品なオチで、失礼(笑)。
2001/11/16(Fri)
|
|
[ 爆笑!お産編!! ]
|
以前にも書いたが、私が6年生のときに母が妊娠した。 その様子をつぶさに見ていた、まだ思春期にもなってないおいら。
母のお産は、それはもう、つわりとの戦いであった。 ごはんが全く食べられないので、点滴を産む直前まで受けていた。 10日ほどの入院もしていた。
そんな体質が遺伝し、わたしもさぞ大変なお産だろうなあと、 なんとなく決めつけていたのだが・・・・・。
つわりって、なに??状態。 全く、なかったのだった。
むしろ、炊飯器の、ごはんが炊けるにおいがうれしい。 食欲もりもり、いつもなら食べないこってりしたものが 無性にほしくなるのだ。 ドリア、グラタン、ピザ・・・・・。 美味。
さすがに、においには敏感になっていて、 ダンナの整髪剤のにおいなど、もともとキライだが、さらに嫌悪はするようになったが。
たしか、5ヶ月目くらいで、腹の中の子がどかどか動き出した。 これがまた、よく動くのだった。 このころから、ゆいは、ゆいだ。 いっそ気持ちがいいくらい、動いてくれて、 産むその日まで、どっかんどっかんやっていた。 (普通は、出産間近には、動きが減るといわれている。)
夏に産むので、こちらも薄着だ。 薄い布を通して、腹の子の動きが見えるほどで、 それ見てダンナは大笑いしていた。
暑いから、腹帯もしない。妊婦用のパンツも必要ないくらい、 腹は小さかった。
お産のために、直前は実家に帰っていたのだが、 近所の人に、あんた、なんでおるの?とか言われてたりしたぞ。 まっ正面から見ると、お腹が大きいのに気が付かないのだった。
産む一週間前には、カラオケに行ったが、さすがに腹筋がうまく使えず、 まともに歌えなかったのが悔しい・・・・。(行くなよ)
そして、ある朝。 目が覚めると、出血していた。 しかし、お腹も張らないし、いたって普通。 おたんこなオイラは、ナプキンを当てていたのだった。 あほや。
とにかく、便意(尾籠なお話で申し訳ない)を頻繁にもよおし、 トイレばっかり行っていたのだった。
でも、お魚の煮物が食べたいと言って、がつがつ食べてたりしてたのだ。 そのうち、お腹がちくちくしだして、 食い過ぎか〜?とか笑っていたのだが、 土曜日でもあることだし、一応病院行くか〜ってことで受診。
すると、 「藤本さん、陣痛きてますよ!」 と言われるではないか!
「へ?これって、陣痛なんですか??」 「とにかく、入院ですね、シャワーでもあびて、部屋にいてください。 「シ、シャワーあびていいんですか!??」 「付き添いの方は、とりあえず帰ってくださいね。お産はたぶん明日の朝でしょうから。」
というわけで、おいらはほっとかれたのだった。 ベットに横になっていると、さすがに、お産する気になったのか、 お腹も張り出した。
もう夜中近く。 便意をまたもよおしたので、トイレに向かう途中、突然、「産みそう!」と直感し、 詰め所に行き、「産まれそうなんですけど。」
がっし、と、機械にぐるぐる巻きにされ、いざ! 時計を見ると、あと15分くらいで日付がかわり、 8月8日と、8の数字が重なる、めでたいような日ではないか。 よっしゃ、しばらく我慢だ!(笑)と、余裕のオイラ。 ・・・・・初産である。
陣痛も、苦しくはあったが、痛いという感覚がない。 これで産むの〜〜???? 分娩台に乗っていても、半信半疑である。
「藤本さん、しっかり呼吸してください。すっすっはあ〜の、ラマーズ式、できますか?」 と、看護婦さん。すると先生は 「そんなことは、どうでもいい!」 「はい、息吸って〜」 「いいから、酸素!!」 ・・・・・・・チームワークが悪い・・・・・。
おそらく、微弱陣痛だったのか、最後は看護婦さんがお腹の上に乗って、押し出していたが、安産だった。
目の前に持ってこられた赤ちゃんは。 ・・・・ハゲだ。 第一印象。
産んだのが、0時47分くらいだったか。
分娩室の前の廊下を、今か今かと、うろうろするのが夢だったダンナ。 その時間は、家でうとうとしてたらしい。 夜中、電話が鳴って、「産まれました。」「は?」 「他の方の迷惑にもなりますので、もう来ないでください。」 「・・・・・・・・」 夢をこわして、ごめん。(笑)
・・・・・・・・・・・・・まだまだ爆笑は続く。
2001/11/14(Wed)
|
|
[ 怒濤の職歴ファイナル(笑) ]
|
本屋のバイトは、ハードだったが、楽しかった。
はっきり言って、本は重い。 紙に触れるから、手が荒れる。 ヘタすりゃ8時間近く、立ちっぱなしの仕事だ。
ちっぽけな本屋ではあったが、周りをすべて大好きな本で囲まれているというのは、幸福であった。
本屋というのは、もっとも時給の低い業界である。
それでも、おいしいことはいっぱいあった。
売れ残った雑誌などは返品するのだが、 その時に、ふろくなどは、こちらがいただいてもよかった。
「りぼん」「なかよし」「少コミ」etc・・・・・。 ふろくのノートやシールは、結構お役に立つものである。 子どもでもいれば、尊敬されることうけあいさ。 実は、今でも密かに、本屋のバイトはねらっているかも・・・・。
バイトも、経験を積めば、大事な仕事をまかせてもらえるようになる。
おいらは、男性コミックの仕入れと、文庫の仕入れを担当した。
自分の好みの作家の本を多く入れたり、 どこに行って手に入らなくて困っていたのが、取り次ぎ(本の問屋さんみたいなもん)にムリいって入れてもらったりね。
役得だ。
ついでに(?)売り上げが伸びたらうれしいしな。 一時、その本屋は、大変マニアックな品揃えとなったというウワサが・・・・???
気になる新刊は、ストックを置き、休憩時間に読む。 どんなに売れようが、読み終わるまでは、自分の物さ。
仕事がヒマなときでも、常に店をうろうろし、 散らかった雑誌などを整理せよ、という店長のおたっしであったので、 いまだに、本屋に行くと、雑誌など、きれいに置きなおしたりしている。
自分の家も、部屋は散らかっていても、 本棚だけは、きちんと整っていたりする。 職業病だ。
だいたい、新婚でバイトはじめたんだから、 普通に考えれば、いつかは妊娠するはず。 医者に、たぶん子どもは授からないだろうと言われていたが、 1年半目に、おめでた。 つわりが、まったくないラクな妊娠だったので、 平気で働き続けていたのだった。
妊娠8ヶ月でも、お腹も小さめで、ちょっと太った?くらいの 体型だったので、あんまり誰も気遣ってくれなかった。 そのほうがいいけど。
本は、ダンボール箱にどんっと入って送られてくるのだが、 そんな腹を抱えて、どっこらしょっと、重い箱を持ち上げていたのだ。
本当に、平気だったのさ。 今思うと、結構、こわい・・・・・(汗)。
産む直前まで働けとか言われて、そのつもりでいたが、 いきなり、ダンナが千葉に転勤になった。
妊娠8ヶ月すぎで、そこを辞めることになったのだった。
千葉で子を産み、2年後にまた奈良に戻った。 久しぶりに、その本屋をたずね、子どもが大きくなったら雇ってもらうと話していたのに、 しばらくしたら、お店はつぶれていました(泣)・・・・・・。
今、ゆいが本好きなのは、胎教のおかげかもしれない。 おかあさんと一緒に、ずうっと本ばっかり見ていたから。 適度な(ハードか?←笑)運動もしていたので、 妊婦の体重管理も良好。 (逆に、引越が大変で、やせるほどであった。うらやましい・・・)
そんなこんなで、超安産なのであった。
そう、そして、おいらの仕事は、「おかあさん」となったのである。 この、おかあさんになるまでの、お産が、これまた笑える。
つづく(笑)。
2001/11/12(Mon)
|
|
[ 怒濤の職歴ぱーと2 ]
|
警察で働くことになったおいら。
ゆっとくが、婦人警官とかじゃないよ。 (婦人警官は、体格の条件の時点でNG。身長が足らなさすぎ。)
庶務を、やっていた。(警務という。)
半分は、お茶くみ。
免許のおねえちゃんとかを入れても50人足らずの、小さな署だ。 平和な田舎なので、ほのぼのとしたもんだ。
みかん狩りに行ったり、四国の金比羅サンのてっぺんまで登ったり、 スナックやバーでの遊び方も教えてもらったぞ。 って、遊んでばっかりかい! そうそう、いかだを作って、市民の川下り大会なんてのにも参加した。
一応それなりに、事件なんてのもあって、 川があふれて人が流されたんで、機動隊が大勢やってきて川を大捜索、 炊き出しなんてのもやったなあ。おにぎり、いっぱい作った。
覚醒剤でつかまった女の人の身体検査や、尿検査・・・・。 これは男の警官ではできないので、呼び出されてびびりながらやったぞ・・・・・・。 (この署には、婦人警官なんてのは配置されてなかった)
すさまじい環境にも、慣れるもんだ。 心身共に、荒みながらも(?)楽しくやっていた。
そこも、2年半で寿退職。
退職の日、慣例として、みんなに花道を作ってもらい、ばんざいで署を出て行くことになっていたのだが、 忘れもしない、2月8日。その日は、雪が降って路面はがちがちに凍結。 つるつるすべるので、交通事故が多発。 花道どころではない。 「あ、ごめん、適当にやって。」・・・・って・・・。 仕方なく、お茶飲んでさっさと退職したのであった。
結婚式には、警察署長サンが来たぞ。 ダンナは、めっちゃイヤがっていた(笑)。
公務員のいいところは、ほんのちょっとしか働いていないのに、 退職金がもらえることだ。 といっても、それなりの金額ではあるが。 ありがたや。
結婚して、しばらくは家にいたのだが、子どもがいるわけでもなし、 やたらとヒマである。
そして、散歩の途中で見つけた「バイト募集」の張り紙。 発作的に飛び込んで、めでたく採用。
おいらは、本屋さんでバイトすることになったのであった。
本屋は、よかったなあ・・・・・・・。
と、いうところで、また今度(笑)。ひっぱってるなあ(苦)。
2001/11/09(Fri)
|
|
[ 怒濤の職歴。 ]
|
養護教諭の免許を持っている。 イチオウ、先生だ(笑)。 小学校で実際に働いたりもしたぞ。
しかし、それが、非常にややこしい状況だったのだ。
正規の先生が出産間近で産休を取り、代理の先生が来た。 これは、わたしではない。
なんと、その代理の先生も妊娠してしまったのだった。 そして、勤務中にあわや切迫流産か!?という事態が!! いきなり、入院、んで、退職・・・・。
正規の先生はまだ赤ちゃん産んだばっかりで、復職はムリ。 学校には、保健室の先生が必要だ。 まだ春の健康診断もやってないのに。
・・・・・・・と、ここで、学校卒業したてのおいらに、 市の教育委員会からお話がくるのであった。
それなりに就職して働いてはいたが、やはり、せっかく取った資格。 夢のひとつでもあったので、さっさとそっちの会社は辞めて、飛びついたのさ。 (当時の社長には、大変失礼をしたにもかかわらず、がんばれと 送り出してくれました。感謝。)
しかし、いきなりの学校勤務、しかも、引き継ぎ一切なしだ。
わけわからん。
私が小学校時代に教えてもらった先生もまだ現役でいたりして、 非常にやりにくかった・・・・・ばればれですからな、いろいろと(笑)。
ここでも、記憶があいまいなのだが(もういいって)、 すさまじく大変であった。
今までたまっていた、健康診断を、片っ端からこなさなくては!
他の先生方の名前を覚えている時間などない。
保健室には、薬品も切れかけている。 保健委員会活動なんてのもある。 毎月、「ほけんだより」も出さなきゃいかん。
毎日がパニックだったが、子ども達はかわいい。
5年生の子が、初潮がはじまった、と相談に来れば、 1年生の子は、教室でうんちもらしたりしている。 ナプキンも渡しておめでとうと言ったし、 うんちの掃除もしたぞ。パンツも洗った。
小学校は、おもしろい。
保健室で、子ども達と一緒に騒いでしまって、 他の先生に叱られたのも、今では懐かしい・・・・・。
どたばたやっているうちに、正規の先生が復帰してきて、 おいらはお役ごめんになった。
ちょっと、ほっとした。
そういえば、忘れられないことがあるのだが、 わたしが勤務し始めた頃、4年生くらいの男の子が 「先生は、妊娠しない?」 と、不安そうに聞いてくるのだ。 「しないよ」(←するか!!)といったら、すごく安心して、 「○○先生は、いつもお腹に赤ちゃんがいて(3人目だったらしい) 保健室にちっともいないんだよ・・・・」
・・・・・・不謹慎かもしれないが、笑ってしまった。
やっぱり、かわいいな、子どもって。
もう二度と、学校勤務をすることはないだろうが、 がんばって取った資格を、無駄にしなくてよかったと思うぞ。
そして、晴れてぷーたろうになったおいらを、 教育委員会の人は、またもや拾ってくれたのだ。
今度は、ケイサツ・・・・・。
このわたしが、警察署勤務となったのであった。
以下、明日。
2001/11/08(Thr)
|
|
[ 旅行といえば・・・・。 ]
|
こんなこと書いたら、またもや呆れられるかもしれないが、 わたしは、旅行が苦手だ。
旅行には、ろくな思い出がない。
幼い子どもの頃、親戚中で和歌山に一拍旅行に行ったことがある。 (30人くらい、一族郎党勢揃いって感じの・・・)
そこで、弟とふたり、迷子になったのだった。 気が付いたら、まわりには誰もいない。 弟は、泣く。わたしは、おねえちゃんだから、泣いていてはいけないと、 けなげに(・・・・かわいいねえ)弟の手をひっぱって、 なんとか親達を探そうと、うろうろする・・・・・。
その後、どうなったのかは覚えてない(・・・またか)のだが、 ここの無事こうしてるってことは、なんとか親に会えたんだろう。
・・・・トラウマか?
旅行というだけで、妙に構えてしまう。
だいたい、準備の段階でエネルギーかなり使う。
整理整頓できないおいらのこと、旅行カバンに必要な物を 効率よく詰め込むのができない。 使い慣れてないアタマ使ってあれこれやるので、 出発する時点で、半分イヤになっている・・・・・。 (しかも、必ず、忘れ物してるし)
目的地に着くまでが、これまた疲れる(ような気がする)。 移動も、旅行の醍醐味のひとつではあるだろうけど、 長時間車に乗るとか、電車乗り継ぐとかが、しんどい。
誰かが、完璧に荷造りやってくれて、 玄関出たらすぐ、目的地、というんだったら、いいけど。 あと、帰ってからの後かたづけも、してもらえたら・・・・。
住んでるところは、奈良だ。 マンションから、若草山が見える。 自転車で(ちょいがんばるが)奈良公園や東大寺の大仏サンを 見にいけるぞ。
観光地がそこら中にあっても、住んでたら、ただの地元。
それに、知らない土地に行くのが旅行なのだとしたら、 日常的に、旅行してるぞ。
散歩が趣味なのだが、ぼ〜っと歩いてて、うっかり道を間違えてしまう。 はっと気が付き、「ここどこっ!??」 曲り道一本違っただけで、風景は全然変わる。 お家に帰れなくなってあせることはしょっちゅうだ。
結構スリル。
近所なのに、かなり新鮮である。 極めると、わざと、へんてこな道に行ってみて、どつぼにはまって 困ってみるのも、一興かも。
ゆいのためには、いろんな所に連れていってあげるほうがいいのだが。
夏と冬のお休みに、岡山の田舎に帰るのだけでも、結構旅行である。 ゆいには、今のところ、これでいいか、と、勝手に納得しているおいらなのであった。
2001/11/07(Wed)
|
|
[ 記憶がございません・・・。 ]
|
テロと不景気の影響で、年末、海外旅行する人が減ったそうだ。 うちは、全然関係ないけど。 業界は、大変だ。 まあ、たぶん、今年だけの現象のような気もしないでもないが。
わたしは、海外に行ったことが、ない。
今どき、貴重だ。
新婚旅行は、どこ行ったかって? 行ってないのさ。 できちゃった結婚で、腹がでかくて行けなかったんじゃないよ。 (2年間、子どもはできなかったからね)
婚約時代(・・・・そんな頃もあったよなあ・・。遠い昔・・・。)、 人並みに計画は立てていたのだ。 インドシナの、プロウスリブ?とかいう島に行く話は、2人でしていたのだった。
しかし、披露宴の招待状を投函して、帰宅したら、 母が、医者からガンの告知を受けていたのだった。 おいおい。 即入院だ。
そんな状態で、結婚式をするほうもするほうだが、 予定通り、式と披露宴は終わらせた。 母は、入院先からの出席だ。 そして、式が終わりしだい、即、手術。
だから、私は、結婚して、入籍はしたものの、 ダンナとは別居。 実家にいて、家と母の世話をした・・・・らしい。
らしい、というのは、このへんのこと、よく覚えてないのだ。
この間に、弟の小学校卒業、中学入学、とあったのだが、 全く記憶にない。 気が付いたら、母の手術もなんとか成功し、退院していた・・・。
その間、約2ヶ月、ダンナは一人暮らしだった。 奈良と岡山の遠距離恋愛(・・・・そんな頃もあったよなあ・・・こればっか。)だったので、 何回か、奈良に通ったかもしれないが、これも、覚えてない。
覚えてないことは、他にもある。
父が倒れて一週間で亡くなったとき。 まだ2歳のゆいを連れて、しばらく実家にいたのだが、 これも大変だったねえ、よくやったねえ、と人には言われるが、 何だっけ・・・???という具合である。
あ、ひとつ、覚えてるが、それは、お葬式の直後、 車を運転していて、めちゃくちゃ見通しのいい交差点(!)で 一時停止せずに、ポリさんに捕まったこと・・・・(泣) (このおかげで、おいら、ブルーラインさ。年に5回くらいしか 運転しないのに・・・・・)
いい思い出だ・・・。
辛いことだけを忘れてるのならまだいいが、 まだまだ他のことだって忘れているらしい。
家族で奈良近辺の公園とかに遊びに行ったとする。 ダンナ「ここ、懐かしいなあ、前に2人で来たよね」 わたし「・・・・・・え?・・・・そうだっけ??」 ダンナ「覚えてないの??」 わたし「・・・・ほんとに来た?はじめてじゃない???」 ダンナ「・・・・・・・・・・・」
このようなやりとりが、何回かあった。
大丈夫なんだろうか、おいらの脳細胞・・・・。
そういや、新婚旅行予定していた地名も、?付きでうろ覚えだな(笑)。 おいらをだますのは、簡単かも、しれない・・・・。
2001/11/06(Tue)
|
|
[ なにか、ほしいものないかなあ。 ]
|
昨日の疑問に、さっそく友人がメールで答えてくれた。
日本人が、下着のモデルをすると、リアルすぎて、 ヤラシイ感じになるんだって。 外人さんだと、マネキン感覚で冷静に見られるそうだ。
Iさん、ありがとう!
さて、唐突だが、100万円を自分のためだけにつかって、 何か買い物をするとしたら、何買うか?
わたし、昔から、物欲がないので、 こういう質問はすごく悩むのだ。
ま、誰も100万円くれないけどさ(笑)。
子どもの頃、、親とかに、誕生日のプレゼント何がいい?とか聞かれるのが すごく苦痛だった。
「別に〜、欲しい物ない。」と答えると、親は悲しそうな顔をするのだ。
今ではウソのようだが、当時はごはんもあまり食べなかったらしい。 (そのぶん、今取り戻しているのか・・・・・)
親は、「この子、生きる元気があるのかしら・・・・」と、 不安に思っていたらしい。
食欲は別として(笑)、今でも、欲しい物って、ないのだ。
ダンナにこの質問したらば、 「100万円じゃ足らん」と即答。 ゆいは、おそらく、自転車をはじめ、コメットさんのなんたらバトン、 ハム太郎系のおもちゃ、ミニモニのパソコン・・・etc・・・と、 延々願望をのべるであろう。 (だから、自転車は買ってやるって。おじいちゃんという名のサンタさんが←笑)
そうだなあ、おいらだったら、とりあえず・・・・・・メガネ ? 後は・・・・・・・・・・・・・・・・・(汗) 昨日散々書いてた服も、別に今着られるのはあるし・・・。う〜〜む・・・。 などと、ぜ〜んぜん思いつかないのであった。
家具とか、家のローンの一部だとかは、この際置いといて、 純粋に自分のための物、となると、 困っちゃう、変なヤツなのであった。
ま、ほんとにそんな事で悩む事態には、決してならないのが現実。 そんなにヒマなわけでもないのに、 しょうもないこと考えるね、おいら・・・・・。
2001/11/02(Fri)
|
|
[ カタログのナゾ。 ]
|
通販のカタログを見ていると、どれもこれもステキに見えるが、 実際は、モデルさんがあの体型で着てるからであって、 注文して届いたのを自分が着ても、決してその通りではない・・・・ ということを、何回かのチャレンジの後に、ようやく気付いたおいら。
そういや、外人ばっかのモデルの、服のカタログってのがあって、 日本人向けなら、こりゃ違うだろ!と笑ってしまった。
だって、全然イメージがね・・・・・・。
下着ならともかく。
下着といえば(インナーとかっこよく言うこともあるが)、 ダンナには、常々疑問に思っていることがあるらしい。 それは、「通販の下着のモデルは何故皆外人なのか!?」ということだ。
・・・・・安いからじゃない? 日本人モデルだってどっかにはいると思うけど?
下着のカタログを見るたびに、言っている。 そんな、熱心に見たことなかったから、 気付かなかったなあ。熱心?あぶね〜ってか、ダンナサン?(笑)
カタログ。子供服なんて、結構かわいいのがいっぱいなんだよなあ。 オイラも着てみたい。 入れば(泣)。
自分、身長はお子様サイズなので、全然OKなのだが、 体つきは、しっかりおばさん体型だ。
胸は、まあでかいぞ。お尻もでかい。ウエストは行方不明だ。 太ももにはしっかり筋肉がついており、更に贅肉もあるので、 どこに出しても恥ずかしくない、立派な、太ももの見本みたいなもんだ。(出すなよ) ふくらはぎのとこは、ししゃも状態だ。 よく歩くので、心ならずも鍛えられてしまったのだ。 そいで、短足、ときたもんだ。
イマドキの細身のパンツなんて、入ったもんじゃねえ(泣)。 ボンタンが流行ってた時代が恋しいぜ・・・・。
背が低いと、大人のサイズでも合わないことが多い。 ジーパンなんか、3分の2くらい裾上げするので、 3割引きにして〜と、マジで思うこともある。
なかなか、これと思うような服がないのである。 カタログに限らず。 ジュニア服のデザインとかが、自分の好みだったりして、 身の程知らずってこともあるが(笑) 着るもので悩む、オバサン心なのである。 あんまり、老けた格好したくないしね。イチオウ・・・。
・・・・・そうそう、ダンナの疑問、わかる人は教えてやってください(笑)。
2001/11/01(Thr)
|
|