世紀末「はじめて」物語
第2話
「はじめて」その弐 〜風しん〜
物心ついてから初めて、と言ったほうが正確なのだが、とにかくびっくりした。
2月のはじめのある夜、いつものようにこたつでテレビを見た後、そろそろ寝ようと思い服を着替え始めた。すると・・・
「ん?なんやこの赤いぶつぶつは?」
右腕にはびっしりと赤い斑点ができていた。少し不安になった私は、左腕も見た。すると・・・
「おぉ?」
右足も見た。
「おおお?」
左足も確認した。
「おおおおおー。」
そして、お腹も見たら、
「うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーー。」
全身赤い斑点だらけである。こんな事は一人暮らし歴10年で初めての出来事だったので、ますます不安が募ってきた。
「おれ、死ぬんかなあ。しばらく入院なんてことになるんじゃないんやろか?」
入院となれば、しばらく風呂もままならんやろうと思い、
(最後の風呂か?)
などと思いながら、入念にシャワーを浴びた。
入浴後、
(案外ただのジンマシンかなにかやったりして。)
とも思ったので、家にあった軟膏を全身に塗っといてから寝た。
(朝起きたら案外きれいに治ってたりして…)
と思いながら・・・。
翌朝、おそるおそる見てみると、当然治ってるわけない。
「まあ、学校行って保健の先生に相談してみよう。大丈夫やで。」
しかたなく、自分に言い聞かせて家を出た。その日は大雪。積もった雪で道も家々も真っ白だった。
朝はマラソンも中止。外では子どもたちと先生が雪合戦を始めていた。そんな様子をチラッと見ながら、保健の先生に近づく。
「あのね、昨日の夜からこんなんになっとるんですわ・・・。」
「それ、風しんちゃうん?」
(風しん?)
意外な言葉が返ってきた。確か風しんにはもうかかっていたはず。だから考えもしなかった。しかし、他の先生方も同様の意見のようだ。女の先生は引き潮のごとくしだいに私との距離を開けていく。みなに不安を与え続けるわけには行かない。子どもへの影響もある。そこで、すぐに五郷の診療所へ走った。
「あんた、5歳の時にかかっとるでー。」
途中電話で大阪の母親に尋ねると、予想通りの返事。
(やっぱり。でもなぜ再び?)
疑問ばかりがわいてくる。
「あぁ、こりゃ風しん!」
診療所の先生は、一目であっさり結論を出した。詳しくは血液検査の結果が出ないとはっきりしないのだが、まちがいないだろうということだった。
「うつるから、人のそばに行ったらあかんで。」
「あのー、学校の方は・・・。」
「あー、そんなもんあかんあかん。出席停止や。」
学校に戻った私は校長先生に事情を説明し、調理実習をやっている子どもたちに、
「先生、風しんやったから帰るわ。しばらくこられへんで。」
と言い残し、学校を後にした。
家に帰ったところで、一人では何もできない。ましてや村内で風しんが大ブレイクしようものなら、始まりが私だという事はすぐにバレる。隣には新婚さんもいる・・・。
結局その日のうちに大阪へ帰ることにした。大阪なら人もいっぱい住んでるから、誰からうつったかなんて分からへんで。
その後、学校とのやりとりはFAXで行った。世の中便利になったなあとつくづく感じたわけだ。子どもたちからは、励ましともからかいともとれるFAXが来たが、さみしく一人でいた(他の家族は仕事)私にとってはうれしかった。
こうして、ほぼ1週間下北山を離れて、学校の方は計5日休んだのである。その間、先生方や子どもたちには大変迷惑をかけてしまった。だが、幸い熱も微熱程度で済んだので、
「おい!熱上がったら、股間冷やしとけよ。」
と、教頭先生には言われていたのだが、冷やす事はなかった。
・・・もう、出席停止(出勤停止かな)はコリゴリや。
なお、大阪に帰っている間、体を動かすのがそれほどしんどくなかったので、梅田へ買い物にも行った。その後のニュースで「大阪風しん大流行」とは出ていなかったので安心した。
・・・つづく・・・