歌は世につれ…
〜28年間のマイブーム・ヒストリー〜
第5話
☆大学時代
大学時代は貧乏生活のため、CDプレーヤーを修理することも購入することもできず、4年間で買ったCDはたった2枚。新車は買ったのにねえ。おかげで、卒業の時まで「今欲しいものは?」と聞かれれば、「CDプレーヤー。」と答えていた。というわけで、もっぱらこの頃はカラオケで好きな曲に接していた。
最初の頃の十八番はチェッカーズ。「I love you SAYONARA」は必ず歌ってた。いつも歌っていたので、そろそろ違うやつにしようと思い、「SONG FOR USA」を次によく歌うようになった。でも一番好きなのは「LONELY SOLDIER」という曲。
流れる雲に 君の笑顔を
思い出しては 空がにじんでく
雲は君の所まで 行くのかな
I'm a lonely soldier
と、こんな感じの歌詞が続き、その後、
I'm crying your name
銃口に向かって すべてが駆け抜けてゆく
Goodbye sweet memory
ぼくはあの雲になって 君に会いに行く
そうさ自由な雲に
I'm crying your name
I'm crying your name
という歌詞の後、最後に銃声が響いて終わる曲なのだ。
その他によく歌っていたのが、米米クラブ「浪漫飛行」、爆風スランプ「Runner」かな。最近はほとんど歌ってない曲ばかりやなあ。
この頃はクラブの同期の奴の影響で、アニメソングもよく聴いていた。おかげで、全然見たことなかったアニメの歌まで覚えてしまった。その知識が今、アニメタルを聴く上で非常に役に立っている。
さてその同期の奴というのが、運動会の時使った「ヒッパレー」の曲、そして忘年会の時の「できるかな」の曲を提供してくれた、知る人ぞ知る野村君だ。
彼はなぜか古い歌ばかりよく知っていて、一度ヒットメドレーを1996年から1960年まで順番にカラオケで歌ってみたのだが、古くなるにつれて彼の歌える曲が増えて、1960年はすべて歌ってしまったほどだ。私がチェッカーズを歌っている頃、彼が歌っていたのはフランク永井「夜霧の第二国道」。だからそれに対抗して石原裕次郎「ブランデーグラス」を歌ったこともある。そんな彼と一生懸命練習したのが、サーカス「アメリカンフィーリング」、狩人「あずさ2号」をハモって歌うことだった。特に狩人は、彼が兄パートそして私が弟パートと決め、彼に細かい音のチェックまでされたので、後にCDを買ってしまったぐらいだ。しかしその練習のかいあって、かなりの自信作になった。その後「コスモス街道」という曲も極めることとなった。
カラオケに行くと最後の曲(締めの曲)で悩むのだが、この頃の締めの曲といえば、尾崎紀世彦「また会う日まで」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、舟木一夫「銭形平次」この3曲で決まりだった。時間が無くて早く出ないといけない時には、BGMとしてかけながら出たものだった。
「また会う〜」では、
二人でドアを閉めて 二人で名前消して
の部分から全員絶叫モードで歌い、「あの鐘を〜」では、
街は今 眠りの中 あの鐘をならすのはあなた
の「あなた」の部分をみんなで絶叫するというのがお約束だった。こうしてものすごい盛り上がりの中、店を出て行く。この頃のカラオケのノリは、今でも続いているのである。
・・・つづく・・・