2005年5月1日〜5月6日

なかなかたとり着けない福建 | 厦門でのんびり観光 | 客家の人々が守る文化 | おいしいお茶を | 憧れのコロンス島






 今年の冬休みに数人の隊員が「土楼」を見に行くと話していた。「もうすぐ世界遺産になりそうだから、その前に行っておきたい。」と確か聞いた気がする。

 GWが迫ってきたある日、同じ長春で仕事をしているM姐が「厦門に行くつもり」と話しているのをぼんやりと聞き流した。今年のGWは長春でのんびりと過ごす、出かけるとしても近場の大連ぐらいまで、と決めていたのだ。
 しかし翌朝、目覚めた直後に「最後のGWだし行く!今、行かなかったらきっと二度と行けない!まして土楼なんて見ることができない!」と何かに取り憑かれたように福建行きを決めたのだった。そして、四川行きをあきらめた在長春のRちゃんと、大連在住で大連近場で過ごす予定だったK嬢も誘って、福建行きを決行したのだーーー。
 今回は、時間もあまりなかったことからリッチに往復飛行機コース。長春・厦門間は、直行で3時間弱(往)、南京経由で5時間(復)だった。

 出発の早朝、一本の短信(ショートメール)が入ってきた。「飛行機が3時間遅れる〜。最悪!」大連のK嬢からだった。大連からの飛行機は私達長春組よりも約3時間早く到着する予定だったので、同じ時刻ぐらいに厦門入りすることになった。大連空港で3時間も過ごさなければならなくなったK嬢。可愛そうに…。

 私達長春組は桂林路付近で待ち合わせをして、そこから一緒にタクシーで空港へと向かう。9時前に到着してチェックインカウンターへ向かうと、張り紙がしてある。んんん?

 「厦門行きの飛行機は遅れる!」

 でも紙に書いてある便は私達のとは違うから、と思いつつカウンターの人に尋ねると、私達の便が遅れるということだった。人のこと同情していられないじゃん…。結局飛ぶのは3時ということ。それまで何すんのよ〜?
 ところが驚いたことに、空港がバスを用意して私達を含めた20名ぐらいの乗客を4つ星ホテルへと運んでくれたのだった。そして部屋でしばらく休憩することに。なかなか豪華な部屋で、久しぶりにNHKなんか見ちゃったりして。バイキングスタイルの昼食をそこで取ってから、また空港へと戻った。
 そして飛行機は3時過ぎに飛んだ。本来なら南京経由で5時間かかるところを、直行で3時間。そして、夜9時ぐらいに先に厦門に来ていたK嬢と合流できたのだった。

 それにしても…どうしてあんなにも待遇がよかったんだ?

 大きな疑問が頭をもたげる。その時は「ブッキングしてたに違いない!」と思っていた。今は、折り返しで飛ぶ予定だった飛行機の到着が遅れたから?とも思う。何にせよ、予定通りに飛ばずに旅の初日は移動だけで終わってしまった、ということを語れるのみ。



 福建に着いた翌日は、厦門市内を観光した。といっても、ツアーで組まれているようにアチコチを訪れるというものではなく、のんびりと見たいところだけみる、という贅沢なやり方だ。ネットで事前に調べていた目ぼしい観光地を選び、食べたいと思ってたレストランを選び、行動に移す。
 観光したのは「南普陀寺」。入場料は3元と安かった。多くの人が何度も訪れている、と見受けられる寺だ。真剣に祈りを捧げる人と、私達を含めて観光客だとすぐに分かる人。異なる目的を持った人が、同じ空間にいた。太くて大きな赤いお線香、そして寺院の瓦に踊る龍が印象的だった。
 南普陀寺では精進料理を食べさせてくれるらしい。ネットで仕入れたその情報を元にレストランを探すと、ありました!みんな期待に胸を膨らませてテーブルに着く。私達は4名だったので、7品コースのものを注文した。出てきた料理の食材は野菜のみ。そしてお味は…!
 あまり、、、いけてない…。
 うーん、なんと言えばいいのか。食材は野菜だけなのだが油はしっかり使われている。だからあっさり味ではない。精進料理という言葉からの妄想を抱えていた私が悪いといえば、悪いのだろう。しかし、同じ油を使うんだったら、肉とか魚なんかをメインにした中華の方が断然おいしい!と正直思った。

 夕食は、これまたネットで仕入れていた「飲茶」に決定。住所を元に厦門の地図で位置を確認してバスで移動。思いがけず意外と簡単に見つかった。メニューを見ていくつかの点心を注文する。わくわくしながら、首を長くして待っていると運ばれて来ましたよぉ!
 …ハイエナ4人。あっという間になくなってしまう。しかも、1品来てから次のが来るまでに異様に時間がかかるのだ。だから、私達のテーブルはいつも寂しい状態にある。いろんな点心が並んでにぎやかなテーブル、というのはついに実現しなかった。しかも、最後に注文したマンゴープリンは「あぁ、失敗…」というシロモノだった。なんつーても、まず、どぎつい色がいただけない。それを差し引いても、かなり満足感を得られて幸せな気分でレストランを後にした。

 この日の夜は、こじんまりとK嬢の誕生日を祝った。数日前に年が1つ増えたK嬢。厦門にいる間、何度もお世話になったパン屋アンデルセンでケーキを買って「お誕生日おめでと!」



 
 うわー、それにしても、でっかいなぁ!
 やっぱりあれは土楼だったんだ…。

 厦門から高速バスでまず龍岩まで行き(約2時間半)、そこで湖坑(土楼民族文化村)行きのバスに乗り換えた(約2時間で到着)。しばらくバスに揺られていると、時々大きな建物が目に付くようになった。丸いのやら、四角いのやらがある。土でできている黄土色の壁に小さな四角い窓のようなものがポツポツと見えるのみ。「あれが土楼なのかなぁ…」と思いつつ、バスはどんどん進んでいく。

バスの終点のすぐそばにも、例にもれず大きな土楼がどっしりと佇んでいた。円形のものだ。客引きにとりあえず付いていって、その土楼の中を見せてもらうことにした。外見は、土の壁でできている、小さな窓以外はのっぺらぼうの、丸くて巨大な建物。一つだけある門から中に入ると、外からは想像できなかった、整然と区切られているいくつもの部屋が見えた。土の壁の中は、木造建築となっており屋根は瓦である。トン族やミャオ族と同じように、木の文化を持っているのだ。

 4階建てで、1階は食事をする場所、2階は食料保存場所、3階、4階は寝る場所などと客引きのにーちゃんが教えてくれる。この土楼にも泊まれるというので、部屋を見せてもらった。彼が言うには1部屋40元。部屋には1つベッドがあって、2人でそこに寝ろ、ということだ。
 それにしても、この造りで40元ってあまりにも高くない?という感じだ。しかし、そこに泊まれば土楼民族文化村の入場料40元がタダになるというおいしい話をしてくる。だけど、私にはここの土楼はあまりに生活感がないように感じられたし、民族村の中にある土楼を見てからゆっくり決めよう!ということになった。

 
 

 初めてみた土楼の印象は
 『さびれていて活気のないところ』
というものだった。木でできている階段も床も、ところどころ壊れていて、下に落ちちゃうよ〜!という危ない箇所もあった。客引きのにーちゃんも「土楼は住むのに不便だから、今はあまり好まれないんだ」という話していた。
 人が住まない→さびれていく→さらに人は住まなくなる
 そんなサイクルが悪い方向に回っているのだろう。古いものは廃れて、新しくて便利なものが受け入れられる。ここに住む人々も、やはりそのように考えているのだろうか。



 土楼民族文化村に入りしばらく歩くと、あちこちに土楼が見え始める。数も結構あり、形も四角いのやら丸いのやら、いろいろだ。一番目を引いたのは、ネットで名前を知ってた「振成楼」だ。何でも”土楼の王子”というあだ名がついているらしい。中に入ると、いきなりお土産屋が構えている。あぁ、観光地なんだなぁ、と思う。先程客引きが案内してくれた土楼とは大違いで、土楼の保存にも気を使っているというのが分かる。入場料を取るぐらいなんだから当たり前なのだろうし、そうする義務もあるだろう。観光客が落としていくお金で、ここの土楼は守られているし、彼らの生活も成り立っているのだ。人目にさらされる道を選び、生き延びていく文化。
 
 振成楼をブラブラ見てみると、実際にここで暮らしている人達のエリアに紛れ込んだ。生活をしながら商売もしていて、こんじまりとお土産品が並べてある。妙な形の帽子が気にはなったけど、買わないでおいた。絵葉書を手にとって見てみると、きれいに撮れているし安かったので買うことにした。結局私達4人とも購入。おばちゃん、いい商売になったねぇ。
 やたらと勧められたのが「干し柿」だ。ここの特産品なのかな?どこに行っても「これはうまいぞ!買いなさい」と声をかけられた。嫌いじゃないんだけど、量が多いのでやめといた。それから、干菜という干した野菜(野草?)や、福建の代表、お茶が目に付いた。
 おばちゃんは「もう泊まる場所は決まったの?」と聞いてくる。あいまいな態度を取っていると「一部屋2人で20元だよ。どうだね?」と言う。最初の客引きのとこに比べると半額じゃん!やはりぼったくっておったか…。

 振成楼を見学しているうちに突然やってきた夕立が止むのを待って、預けていたかばんを取りに民族村内のサービスセンターへ向かう。今晩はさっきのおばちゃんのとこに泊まろう、と決めての行動で、また振成楼に引き返した。おばちゃんの所に行き、泊まりたい旨を告げる。すると3階の2つの部屋に案内されたのだが、どうもこれらは実際に住んでいる部屋だったらしい。部屋を取られてしまった女の子が大泣きをしていたということだ(←ワレ、気付かず…)。そしておばちゃんが一言。
 「一部屋30元だよ。」
 えっ…!?さっきと言うことが違うじゃん。どういうこと!?私達4人は、あまりの不意打ちに驚くばかり。
 「だって、さっきは…。」「30元!」
 なんてしたたかなおばちゃんなんだ!私達が先程の20元という値段を聞いてなかったとでも思ってるのか?しばらく渋っている私達を見て、おばちゃんの娘らしき人がついに言った。
 「分かった、分かった、20元。」
 ちょっと気分を悪くしながらも、20元を払ってそこに泊まることにした。
 まったくもうっ!勘弁してよね、おばちゃ〜ん!!!そんなちょっと引いちゃうような場面はあったものの、それ以外はいたって感じのいい家族だった。

 夕飯までの間、少し周りを散策することにした。成り行きの旅、気ままな行動。気の赴くまま振成楼の近くにある方形の土楼に行ってみると、放されているアヒル達がヨチヨチと歩いている。栗姐がシャッターチャンスを狙ってあひるを追いかけていると、
「何してんだよー!」
怒っていると見られる小さな男の子が土楼から出てきた。あひるをいじめているとでも思ったのだろう。栗姐に近づき、文句を言っている。しかし当の栗姐は自分への文句ではなくあひるへのものだと思っていたらしい。その男の子は腰に手を当てて怒りのポーズを決めているのだろうが、私達から見れば微笑ましい姿にしか映らない。そのうち、男の子とも打ち解けたのだった。
 この方形の土楼は民族文化村の中で目玉になっているものでもないらしく、入場券に名前も載ってないし、観光客もいない。ひっそりと静かに時が流れている。このぐらいの方が自分達の生活は守れるんだろうなぁ、と思わずにいられなかった。

 6時から夕飯だ。
 一人5元(安い!)で、いろいろな菜(おかず)を食べさせてくれた。
 最初は2つの菜に1つの湯(スープ)って言ってたのに、結局5菜1湯も出てきたのだった。
 
 
 ちょっと塩辛いものもあったけど、素朴な家庭料理は口に合ったし、彼らの生活の一部を体験できたというのはうれしくもあった。団体旅行ではできない体験、個人旅行の醍醐味だ。

 蚊取り線香を炊きつつ、1つのベッドでK嬢と寝たのだが、わたし、寝相が悪かったらしい。K嬢を蹴った…らしい。
 …すんませ〜ん。



 翌日は、民族文化村の中の土楼巡り。ここの土楼は、それぞれの個性を主張していた。形に特徴がある土楼や、かなり裕福な人が住んでいる!と思えるもの、また一番小さいという土楼があった。民族文化村の中の人々も時間も非常にゆったりとしていて、長春の喧騒もにぎやかさもなかった。

 その後、宿泊したおばちゃんの紹介で車を頼んで、土楼巡りをした。最初に行ったのは、一番大きくて土楼の王様と呼ばれている「承啓楼」(入場料30元)。他の土楼とは離れた場所にポツンと建てられているこの土楼には、通常は1つしかない入り口が3つもあり、江さん一族が住んでいた。土楼に住んでいる人達は、みんなが同じ姓を名乗っている。つまり親族が一緒に住んでいるのだという。一番多い時で1000人を超す人が住んでいた承啓楼も、今、常時住んでいるのは100人強ということだ。春節などの祝祭日には親族が集まり、300人強になるらしい。

 「昔は貧しかったので、親族で一緒に助け合いながら暮らしていたけど、今はここから独立して外に家を建てる人が多いんですよ。」

 案内人の江栄進さんがそう話してくれた。彼はこの承啓楼を研究している人で、承啓楼について紹介してある日本で出版された本も見せてくれた。

 

 土楼はなぜこのような形の住居になったのか?それは火と盗賊から家を守るためだということだ。実際に土楼の壁は1メートルと厚く(まるで寒さに対応してある長春の住居のようだ!)、少々の武器ならこの壁が立ちはだかる。そして門を閉めてしまえば、敵も簡単には入ってこられないという。

 案内をしてくれた江さんが、最後にガイド料を請求してきたときはガクッと来たが(まぁ、そんなもんなのかなぁ…)、土楼のことがよく分かってよかった。しかし、この土楼で私のデジカメは動かなくなってしまった。あぁ、サイアク…。


 そして私達は田螺坑土楼群へと向かった。田螺坑へ向かう途中で発覚した事実!福建といえばお茶。そしてその時はまさに新茶の季節で、摘まれた茶葉があちこち干してあった。そう、葉を広げて干してあるのはいいのだが、普通に道路に広げて干してある。そして、私達の車が通れないほど道に広げられている茶葉を、帚でセッセと掃いて車が通れるスペースを作っているのだ。あらら、お茶の葉は土誇りまみれじゃないか…。だから、中国茶は最初に湯で葉を洗わないといけないんだなぁ…と妙に納得したりする。農薬だけが理由じゃないわけね。

 
 田螺坑へ到着した時はすでに1時。お昼ご飯抜きの強行突破スケジュールとなったが、この土楼群は見たい!と思っていたので非常に楽しみだった。
 ここの土楼は少し高くなっている位置から見下ろすのがいいという。だからその展望台までエッチラオッチラとまるで山登りをしているような気分で山道を登った。いや、実はもっと楽な道があったのだが、私達、気付かなかったのだ。
 展望台から見下ろすと、緑が眩しい山々と段々畑の中に、3つの円形土楼と1つの方形土楼が溶け込んでいた。緑の中にくっきりと浮かび上がっている4つの土楼はとても美しく、ずっと眺めていても飽きない。何でも円形のは菜(おかず)で方形のは湯(スープ)に例えられているらしい。そんなことまで計算して作られたものなのかどうかは分からないが、こんな山奥を住家として選び、複数の土楼を作り上げた客家の人達の姿に思いを馳せた。


 田螺坑土楼を後にして、車は書洋まで私達を送ってくれた。ここに来れば、厦門行きのバスに乗れるという。が、すでに多くのバックパッカー達がバスを待っており、果たして私達が乗れるのかどうか分からない状態だ。
 「車で送ってやるよ」と声をかけてきたおっさんの言い値はベラボウに高い。南靖までバスだと一人10元のところを150元だと言う。足元を見やがって〜!それにしても、あのおっさんの車、やたらときれいで新しく、非常に浮いていた。書洋という小さな町には本当に似合わない車だった。

 しばらく待っていると、うれしいかな、バスがやって来た。ワラワラとバスに群がる人が増えていく。初めは「このバスは予約のだから」と乗せてくれなかったおばちゃんだったが、結局はこのバスに乗って南靖まで行くことができた。値段は20元と高めだったけど…(5.1料金だという。やっぱり足元みやがって〜!なのだ)。
 南靖から厦門までのバスもすぐに乗ることができて、とてもラッキーだった!同じようなルートで厦門に行く人が結構いたおかげで、南靖でバスを出してもらえることになったのだ。

 この日にちゃんと厦門まで帰れるかどうかが一番の懸案事項だったが、結果オーライ!
 乗り物運、ついてました!!
 




 福建といえば日本でのおなじみ「烏龍茶」で有名だ。CMでも盛んにやっていたような気がする。私達が訪れたGWの頃はちょうど新茶が出回る時期だったらしく、厦門では10歩も歩けばお茶屋さん!というぐらいたくさんあった店先には、「新茶 ○○元」などというお茶が並んでいた。せっかくの茶所に来たんだから、お茶を買わない手はないでしょう。
 土楼見物から帰ってきた翌日は、宿泊地の近くにあるお茶屋を散策。お店に入ると「お茶を飲まない?」と声をかけられ、入れてくれる。南の茶器は非常に小さいもので、おままごとのような感じだ。茶杯(湯呑み)なんてお猪口ぐらいの大きさだから、日本酒がよく似合いそう…。
 最初に入った店のお姉さんが、私達にお茶を入れてくれた。以下はお茶の入れ方のメモ。ちなみに、香りのみを楽しむ長い茶杯は使わなかった。

 茶器は沸騰した湯に漬けて温めておく。
 @小さい茶杯を並べておく。
 A蓋付きの碗にお茶の葉を入れた後、沸騰したお湯を一杯に注ぐ。
 Bすぐに茶杯にそのお茶を注いで、お茶を捨てる(お茶の葉を洗う)。
 C蓋付きの碗に、また沸騰した湯を一杯に注いで蓋をして、しばらく待つ。
 D茶杯にお茶を注いで、ピンセットで茶杯を挟んでお茶を配る(茶杯はとても熱いからピンセット。多分ね) → お茶をいただく
 E蓋付きの碗に、また沸騰した湯を一杯に注いで蓋をして、しばらく待つ。
 F茶杯にお茶を注いで、ピンセットで茶杯を挟んでお茶を配る → お茶をいただく
  もしまだ茶杯にお茶がある場合は、蓋付きの碗から片口碗にお茶を移しておく。
 後はE、Fを繰り返す。

 最初のお茶と2杯目のお茶は香りも味も違う。そしてうまい!お茶を入れている様子を見ると、茶器まで欲しくなる始末。結局4人ともご購入!合わせて茶葉(100gで10元)もご購入!ここの御茶屋さん、うまいことかなり設けたなぁ、と思う。相当なもんだったと思う、マジで。相当買いまくった茶葉は値切れたかも…などと思ったときには後の祭り。

 その後、Rちゃんのネット情報を元に、水仙路にある店に向かう。ここは輸出品を扱っている店だった。悩んだあげく自分用に水仙茶を買った。カンカンが可愛かったので。K姐によると、味はすっきりした烏龍茶だそうだ。




 コロンス島(中国名:鼓浪嶼)には厦門から出るフェリーで簡単に渡れる。厦門からコロンス島まではただで、復路のみ3元かかるという不思議な料金体系だった。
 アヘン戦争後に共同租界地となったコロンス島には、各国の領事館や教会などが建ち、多くの外国人や華僑の人々が住んでいたという。また、ピアノ島と呼ばれるほど、中国で多くのピアニストを輩出しているという。
 今回、M姐がもっとも楽しみにしていたのがこの島である。中国であって、(多分)中国らしくない島への憧れである。


   
 
 島を散策してみると、様々な洋館が実に異国の雰囲気を醸し出している。時々、どこからともなく楽器の音が聞こえてくるのも心地よい。
 とても素敵な街である。

 
   

 ただ、洋館は当然のことながら今は普通の中国の人が住んでいるわけで、見かけを気にせずに洗濯物(モロ下着)が干してあったりするのは、その素敵な外観には似合わない。ここで生活している以上仕方のないことかもしれないが…。


 数時間の短い滞在を楽しんだ後、K嬢は大連へ、M姐とRちゃんと私は長春へ飛んだ。こうして中国最後の5.1休暇(GW)は終わった。