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今年の冬休みに数人の隊員が「土楼」を見に行くと話していた。「もうすぐ世界遺産になりそうだから、その前に行っておきたい。」と確か聞いた気がする。 GWが迫ってきたある日、同じ長春で仕事をしているM姐が「厦門に行くつもり」と話しているのをぼんやりと聞き流した。今年のGWは長春でのんびりと過ごす、出かけるとしても近場の大連ぐらいまで、と決めていたのだ。 しかし翌朝、目覚めた直後に「最後のGWだし行く!今、行かなかったらきっと二度と行けない!まして土楼なんて見ることができない!」と何かに取り憑かれたように福建行きを決めたのだった。そして、四川行きをあきらめた在長春のRちゃんと、大連在住で大連近場で過ごす予定だったK嬢も誘って、福建行きを決行したのだーーー。 今回は、時間もあまりなかったことからリッチに往復飛行機コース。長春・厦門間は、直行で3時間弱(往)、南京経由で5時間(復)だった。 |
出発の早朝、一本の短信(ショートメール)が入ってきた。「飛行機が3時間遅れる〜。最悪!」大連のK嬢からだった。大連からの飛行機は私達長春組よりも約3時間早く到着する予定だったので、同じ時刻ぐらいに厦門入りすることになった。大連空港で3時間も過ごさなければならなくなったK嬢。可愛そうに…。 私達長春組は桂林路付近で待ち合わせをして、そこから一緒にタクシーで空港へと向かう。9時前に到着してチェックインカウンターへ向かうと、張り紙がしてある。んんん?
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夕食は、これまたネットで仕入れていた「飲茶」に決定。住所を元に厦門の地図で位置を確認してバスで移動。思いがけず意外と簡単に見つかった。メニューを見ていくつかの点心を注文する。わくわくしながら、首を長くして待っていると運ばれて来ましたよぉ! …ハイエナ4人。あっという間になくなってしまう。しかも、1品来てから次のが来るまでに異様に時間がかかるのだ。だから、私達のテーブルはいつも寂しい状態にある。いろんな点心が並んでにぎやかなテーブル、というのはついに実現しなかった。しかも、最後に注文したマンゴープリンは「あぁ、失敗…」というシロモノだった。なんつーても、まず、どぎつい色がいただけない。それを差し引いても、かなり満足感を得られて幸せな気分でレストランを後にした。 この日の夜は、こじんまりとK嬢の誕生日を祝った。数日前に年が1つ増えたK嬢。厦門にいる間、何度もお世話になったパン屋アンデルセンでケーキを買って「お誕生日おめでと!」 |
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バスの終点のすぐそばにも、例にもれず大きな土楼がどっしりと佇んでいた。円形のものだ。客引きにとりあえず付いていって、その土楼の中を見せてもらうことにした。外見は、土の壁でできている、小さな窓以外はのっぺらぼうの、丸くて巨大な建物。一つだけある門から中に入ると、外からは想像できなかった、整然と区切られているいくつもの部屋が見えた。土の壁の中は、木造建築となっており屋根は瓦である。トン族やミャオ族と同じように、木の文化を持っているのだ。
初めてみた土楼の印象は 『さびれていて活気のないところ』 というものだった。木でできている階段も床も、ところどころ壊れていて、下に落ちちゃうよ〜!という危ない箇所もあった。客引きのにーちゃんも「土楼は住むのに不便だから、今はあまり好まれないんだ」という話していた。 人が住まない→さびれていく→さらに人は住まなくなる そんなサイクルが悪い方向に回っているのだろう。古いものは廃れて、新しくて便利なものが受け入れられる。ここに住む人々も、やはりそのように考えているのだろうか。 |
土楼民族文化村に入りしばらく歩くと、あちこちに土楼が見え始める。数も結構あり、形も四角いのやら丸いのやら、いろいろだ。一番目を引いたのは、ネットで名前を知ってた「振成楼」だ。何でも”土楼の王子”というあだ名がついているらしい。中に入ると、いきなりお土産屋が構えている。あぁ、観光地なんだなぁ、と思う。先程客引きが案内してくれた土楼とは大違いで、土楼の保存にも気を使っているというのが分かる。入場料を取るぐらいなんだから当たり前なのだろうし、そうする義務もあるだろう。観光客が落としていくお金で、ここの土楼は守られているし、彼らの生活も成り立っているのだ。人目にさらされる道を選び、生き延びていく文化。
振成楼を見学しているうちに突然やってきた夕立が止むのを待って、預けていたかばんを取りに民族村内のサービスセンターへ向かう。今晩はさっきのおばちゃんのとこに泊まろう、と決めての行動で、また振成楼に引き返した。おばちゃんの所に行き、泊まりたい旨を告げる。すると3階の2つの部屋に案内されたのだが、どうもこれらは実際に住んでいる部屋だったらしい。部屋を取られてしまった女の子が大泣きをしていたということだ(←ワレ、気付かず…)。そしておばちゃんが一言。 「一部屋30元だよ。」 えっ…!?さっきと言うことが違うじゃん。どういうこと!?私達4人は、あまりの不意打ちに驚くばかり。 「だって、さっきは…。」「30元!」 なんてしたたかなおばちゃんなんだ!私達が先程の20元という値段を聞いてなかったとでも思ってるのか?しばらく渋っている私達を見て、おばちゃんの娘らしき人がついに言った。 「分かった、分かった、20元。」 ちょっと気分を悪くしながらも、20元を払ってそこに泊まることにした。 まったくもうっ!勘弁してよね、おばちゃ〜ん!!!そんなちょっと引いちゃうような場面はあったものの、それ以外はいたって感じのいい家族だった。 夕飯までの間、少し周りを散策することにした。成り行きの旅、気ままな行動。気の赴くまま振成楼の近くにある方形の土楼に行ってみると、放されているアヒル達がヨチヨチと歩いている。栗姐がシャッターチャンスを狙ってあひるを追いかけていると、 「何してんだよー!」 怒っていると見られる小さな男の子が土楼から出てきた。あひるをいじめているとでも思ったのだろう。栗姐に近づき、文句を言っている。しかし当の栗姐は自分への文句ではなくあひるへのものだと思っていたらしい。その男の子は腰に手を当てて怒りのポーズを決めているのだろうが、私達から見れば微笑ましい姿にしか映らない。そのうち、男の子とも打ち解けたのだった。 この方形の土楼は民族文化村の中で目玉になっているものでもないらしく、入場券に名前も載ってないし、観光客もいない。ひっそりと静かに時が流れている。このぐらいの方が自分達の生活は守れるんだろうなぁ、と思わずにいられなかった。
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翌日は、民族文化村の中の土楼巡り。ここの土楼は、それぞれの個性を主張していた。形に特徴がある土楼や、かなり裕福な人が住んでいる!と思えるもの、また一番小さいという土楼があった。民族文化村の中の人々も時間も非常にゆったりとしていて、長春の喧騒もにぎやかさもなかった。
土楼はなぜこのような形の住居になったのか?それは火と盗賊から家を守るためだということだ。実際に土楼の壁は1メートルと厚く(まるで寒さに対応してある長春の住居のようだ!)、少々の武器ならこの壁が立ちはだかる。そして門を閉めてしまえば、敵も簡単には入ってこられないという。 案内をしてくれた江さんが、最後にガイド料を請求してきたときはガクッと来たが(まぁ、そんなもんなのかなぁ…)、土楼のことがよく分かってよかった。しかし、この土楼で私のデジカメは動かなくなってしまった。あぁ、サイアク…。 |
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福建といえば日本でのおなじみ「烏龍茶」で有名だ。CMでも盛んにやっていたような気がする。私達が訪れたGWの頃はちょうど新茶が出回る時期だったらしく、厦門では10歩も歩けばお茶屋さん!というぐらいたくさんあった店先には、「新茶 ○○元」などというお茶が並んでいた。せっかくの茶所に来たんだから、お茶を買わない手はないでしょう。 土楼見物から帰ってきた翌日は、宿泊地の近くにあるお茶屋を散策。お店に入ると「お茶を飲まない?」と声をかけられ、入れてくれる。南の茶器は非常に小さいもので、おままごとのような感じだ。茶杯(湯呑み)なんてお猪口ぐらいの大きさだから、日本酒がよく似合いそう…。 最初に入った店のお姉さんが、私達にお茶を入れてくれた。以下はお茶の入れ方のメモ。ちなみに、香りのみを楽しむ長い茶杯は使わなかった。 茶器は沸騰した湯に漬けて温めておく。 @小さい茶杯を並べておく。 A蓋付きの碗にお茶の葉を入れた後、沸騰したお湯を一杯に注ぐ。 Bすぐに茶杯にそのお茶を注いで、お茶を捨てる(お茶の葉を洗う)。 C蓋付きの碗に、また沸騰した湯を一杯に注いで蓋をして、しばらく待つ。 D茶杯にお茶を注いで、ピンセットで茶杯を挟んでお茶を配る(茶杯はとても熱いからピンセット。多分ね) → お茶をいただく E蓋付きの碗に、また沸騰した湯を一杯に注いで蓋をして、しばらく待つ。 F茶杯にお茶を注いで、ピンセットで茶杯を挟んでお茶を配る → お茶をいただく もしまだ茶杯にお茶がある場合は、蓋付きの碗から片口碗にお茶を移しておく。 後はE、Fを繰り返す。 最初のお茶と2杯目のお茶は香りも味も違う。そしてうまい!お茶を入れている様子を見ると、茶器まで欲しくなる始末。結局4人ともご購入!合わせて茶葉(100gで10元)もご購入!ここの御茶屋さん、うまいことかなり設けたなぁ、と思う。相当なもんだったと思う、マジで。相当買いまくった茶葉は値切れたかも…などと思ったときには後の祭り。 その後、Rちゃんのネット情報を元に、水仙路にある店に向かう。ここは輸出品を扱っている店だった。悩んだあげく自分用に水仙茶を買った。カンカンが可愛かったので。K姐によると、味はすっきりした烏龍茶だそうだ。 |
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コロンス島(中国名:鼓浪嶼)には厦門から出るフェリーで簡単に渡れる。厦門からコロンス島まではただで、復路のみ3元かかるという不思議な料金体系だった。 アヘン戦争後に共同租界地となったコロンス島には、各国の領事館や教会などが建ち、多くの外国人や華僑の人々が住んでいたという。また、ピアノ島と呼ばれるほど、中国で多くのピアニストを輩出しているという。 今回、M姐がもっとも楽しみにしていたのがこの島である。中国であって、(多分)中国らしくない島への憧れである。
ただ、洋館は当然のことながら今は普通の中国の人が住んでいるわけで、見かけを気にせずに洗濯物(モロ下着)が干してあったりするのは、その素敵な外観には似合わない。ここで生活している以上仕方のないことかもしれないが…。 数時間の短い滞在を楽しんだ後、K嬢は大連へ、M姐とRちゃんと私は長春へ飛んだ。こうして中国最後の5.1休暇(GW)は終わった。 |