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中国は55の少数民族が暮らしている。その中で、中国南方のトン族、ミャオ族の村々の生活の様子を見てみたい。ついでに湖南省にある世界遺産、張家界の武陵源も観光しちゃおう! 時間をたっぷりと使った贅沢な旅を協力隊同期隊員のS嬢と決行! |
1月27日 1月28日 1月29日 1月30日 1月31日 2月 1日 2月 2日 2月 3日 2月 4日 2月 5日 2月 6日 2月 7日 2月 8日 2月 9日 2月10日 2月11日 2月12日 2月13日 2月14日 2月15日 2月16日 2月17日 2月18日 2月19日 2月20日 2月21日 2月22日 2月23日 |
北京→<列車>→懐化(湖南省) 懐化 懐化→<バス>通道(湖南省) 通道→<バス>三江(広西チワン族自治区) 【程陽橋景区】 三江 【程陽橋景区】 三江→<バス>→従江(貴州省) 【バーシャ】 従江 【小黄&高増】 従江→<バス>→雷山(貴州) 雷山→<バス>→凱里 【西江】 凱里→<バス>→溶江(貴州) 溶江 【増沖】 溶江→<バス(従江・洛香で乗換)>→肇興(貴州) 肇興 【紀堂&几倫】 肇興 肇興 肇興→<バス(洛香で乗換>→従江 従江 【小黄】 従江→<バス(溶江で乗換)>→凱里 【銀潭】 凱里 【鴨塘】 凱里 【新光&鴨塘】 凱里→<バス(銅仁で乗換)→鳳凰(湖南省) 鳳凰 【鳳凰古城】 鳳凰 【老洞】 鳳凰→<バス(吉首で乗換>→王村→<バス>→張家界(湖南省) 張家界 【黄石賽】 張家界 【天子山】 張家界→<列車>→北京 北京→<列車>→長春 |
列車泊 しーぷ宅泊 通道泊 三江(程陽橋)泊 三江(市内)泊 従江泊 従江泊 雷山泊 凱里泊 溶江泊 溶江泊 肇興泊 肇興泊 肇興泊 肇興泊 従江泊 従江泊 凱里泊 凱里泊 凱里泊 鳳凰泊 鳳凰泊 鳳凰泊 張家界泊 張家界泊 張家界泊 列車泊 列車泊 翌朝長春着 |
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懐化は、一緒に旅行をしたS嬢の任地である。日本人という存在自体がとても珍しい街ということなので、さぞかし田舎なのかと思っていたら、意外にも開けた街だった。ちょっと頑張ってる!って感じ。 懐化は観光地ではないので特に何も見るものはなく、S嬢の職場を外からチラリと見たのと、市場見学をしたぐらい。市場には一面の唐辛子の山(さすがは湖南!)。そしてびっくりしたのが、丸いお餅を普通に売っているってこと。日本のお餅そっくりなのだ!まさか中国にもあるなんて〜!!私が住んでいる中国東北地方ではお餅は見たことがない。 北と南の食って、やっぱり違うんだなぁ、中国って広いなぁ、と改めて思った。 |
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通道は湖南省の南部にあるトン族自治区である。映画『山の郵便配達』のロケが行われたという場所だ。 私達は広西チワン族自治州にある三江へ向かう途中で、この通道に立ち寄ることになった。懐化から三江までは、列車とバスの2つの手段があるのだが、列車の場合三江に到着するのは夜中の3時ぐらいになってしまう。それから宿を探すのはつらいので、通道でバスを乗り換えて三江へ向かうことにした。 正午過ぎに懐化を出発し、バスはゆっくりと山道を進んでいく。5時間ぐらいで着くと言われていたのに、通道に着いたのは午後7時。もう三江行きのバスもない。このため、私達は通道で宿泊せざるを得なくなった。しかし実はこの通道は外国人未開放地区だという。S嬢が地元の懐化で聞いた話では「入ってはいけない」という人もいれば、「入っていい場所といけない場所がある」という人もいるらしい。後者に賭けて、とあるホテルで手続きを行うことにした。 ホテルの受付で、S嬢が緊張しながら身分証明書を提示すると「ここは外国人が泊まるには設備も悪いし申し訳ない。」と、しきりに別の通道賓館というホテルを薦める。あまりにそう言うので、一旦通道賓館へ行ったのだが、宿泊費が高いのでまた最初のホテルに戻った。 「外国人は面倒なのよ。社長に聞いてみるから。」と受付の女性は言い、しばらく座って待つように言われた。一体いつまで待てばいいのか?というぐらい、長い時間待っていると、いつの間にかロビーに公安(警察)が3人現れていた。かなりあせって逃げ出しかねない様子のS嬢。「私達はここには泊まらないからいいでしょ?」と訴えている。やはりここは外国人未開放地区だったのか…。 電話であたふたと事務所や学校に連絡するS嬢の横で、妙に落ち着いてソファーに座っていた私。一体これからどうなるのだろう?という不安も特に感じなかった。恐らく公安の人達の、少しも恐怖感を煽らない雰囲気がそう思わせたのだろう。「ここには外国人は入ってはいけないんだ。」という公安に対して身分証明書を提示し、しばらく待っていると、通道の科技の人がやって来た。S嬢の学校からの連絡を受けた彼は、これから先のことを手配してくれるらしい。 最初は「懐化に私達を送り返す。」と言っていた公安だが、結局通道で1泊できることになった。宿泊は、例の通道賓館。通道の科技の人から「明日は必ず通道を出るように」と念を押される。 もちろんそうしますとも!今度捕まったら、それこそタダじゃすまないだろうから…。 せっかくここに来たんだから!と、名物の土鶏の火鍋をS嬢と2人で食べ、おとなしくホテルに戻ってそのまますぐ寝た。 旅の始めからいきなりつまずいてしまった感じだ。でも結局は、罰金を取られることもなく、懐化に追い戻されることもなく、そのまま旅を続けることができる状況にあったので、これってラッキーだったというべき?宿泊代も、通道の科技の人が払うと言って聞かなかった。 いずれにせよ…。関係者の方々、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。m(_ _)m |
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三江の風雨橋は本当に美しかった。今でも目を閉じると、橋脚の上に楼閣が建てられている立派で勇壮な、しかし木のぬくもりを持った優しい橋が浮かんでくる。しかし、残念なことに旅の途中でCD-Rに焼いた橋の写真のデータが壊れてしまった。そこで一緒に旅したS嬢の写真を掲載させてもらう。 |
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バーシャは、懐化のS嬢の家で旅行計画を立てていた時に、貴州紹介の本で見つけた村。その本の写真には、辮髪のような頭をした男性の姿があった。頭のてっぺんだけの髪を残して後はそり落とし、てっぺんの髪はサムライのように結んでいるというもの。 これは必見でしょう! しかし、三江と同じくバーシャの写真もパーになってしまったので、ここにはS嬢撮影のものをUPする。 |
三江から貴州省肇興へ移動するため、7時発のバスに乗る予定だった。20分前にバスターミナルに着くと、人で溢れ返っている。驚きながらも列に並んだのだが、すでに肇興行きの切符は売り切れていた。 がーん! 次のバスは11時発。そんなに待てない。予定を変更して、まず従江へ移動することに決めた。しかしこちらも朝早い切符は既に売り切れており、10時まで待たねばならなかった。 何するの?10時まで…。 とりあえず、三江市街地をブラブラしてみる。しかし、街はまだ起きていない状態で、多くの店のシャッターは閉じられたままだ。 ☆閃き@☆:少数民族の衣装を着て芸術写真を取るべし! しかし、3時間かかると言われ、あえなく挫折。 ☆閃きA☆:マッサージしてもらお! しかし、店が開いてないぞ。 仕方ないので、あてもなく街を歩いて時間をつぶした。非常につまらない時間だった。 ”真无聊!” 三江から従江までの道はお世辞にも良いとは言えなかった。舗装されていない道がほとんどで、バスはかなり揺れた。特に貴州省に入ってからがひどかった。従江への道はずっと都柳江という川沿いにあり、所々小さい集落が見えた。富禄という村を通り過ぎた時には、まるで江戸時代のような髪結いのる女性に釘付け状態。一人と言わずそのような変わった髪型をしている女性が結構多い。「あぁぁ、ゆっくり見たい〜」と思う端から、景色は流れていく。 午後2時に従江に到着。宿に荷物を置いた後、情報収集。バーシャなら今から出かけても時間的には大丈夫だということで、面包車という非常に小さな自動三輪車に乗って出発。面包車を運転するおばちゃん、結構たくましかったぞ。 バーシャは山の上にある村だった。面包車から降りた私達を迎えてくれたのは、店仕舞い済みのお土産物屋。一体どこをどう見学すればいいのだろう? ここはやはり高い所に行って眺めてみるべきでしょう!ということで、道路から見える高台まで行くことにした。階段を登っていると、井戸端会議をしている女性達を発見。しかし、こちらをジーッと見ているのみで(睨んでいる?)、にこりともしない。何だか悪いことでもしているような気分になる。写真を撮るのも憚れて、素通りして高台から景色を見下ろしてみる。道路を挟んだ反対側の下の方に集落らしきものが見えるのみで、それ以外は山!山!山! とりあえず集落に行ってみることにしたのだが、階段をしばらく下りても特に人影もないし、このままだと集落も抜けてしまう。 仕方ないので、一旦道路まで戻り、その道路をさらに歩いて奥へ進んでみる。すると、遠くに観光客らしき人の輪が見えた。近付いて見ると、誰かを囲んでいる。誰?誰?おぉぉぉ〜、バーシャ人(中年の男性)じゃないか!ちょんまげが少し崩れたような頭をしている。本当にいるんだぁ、こんな人が…!
「しまった…」S嬢が口を開く。「飴を持ってくればよかった…。飴をあげると喜ぶって聞いていたんだよね。」そうなんだ。知らなかった。かばんの中には、日本から送られてきた中国では非常に貴重なチョコが入ってるのみ。ぬぬぬ、非常にもったいない〜。もったいないんだけど、奮発するか〜(中国じゃ買えないんだもん(涙))。 次々と伸びてくる子供の手に少し驚きながらも、板チョコを割ってあげる。おいしそうに食べる子供達。こんな風に「飴!飴!」と言って来るということは、今まで観光客がかなりお菓子を与えてきているんだろう。子供達と遊んでいると、赤ちゃんを抱っこした若いお母さんもやって来た。写真を撮らせてくださいと言うと、「飴ちょうだい」。お母さんも食べるのか…?意外に思っていたら、実は赤ちゃんに与えるためだった。 それからしばらく子供達と一緒に遊んだ。集まっては散り、散っては集まってくる。コロコロとよく笑うし、地面も派手にゴロゴロと転げ回る。こっちも童心に返って相手をしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。
こうしてバーシャ村訪問は終了した。村から道路まで戻ると、前方をちょんまげの男性が歩いている。村に入る前に出会った、挨拶に答えてくれた男性だった。S嬢が写真をお願いすると、連れの男が「3元」という。やっぱりお金ですか…。 結局S嬢はお金を払い写真を撮った。だが、どうやらピンボケだったらしい。あぁ、貴重なショットが…。 バーシャで初めて聞いた「給我銭!」や「給我糖!」という言葉にはすごく違和感を覚えたし、困惑した。言葉の裏に、よそからやって来て村を見物するんだから当然でしょ、という気持ちがあるように感じたからだと思う。実際には彼らはそのようには思っていないのかもしれない。チョコをおいしそうに食べてにこにこしている子供の顔を見ると、こっちまでうれしくなってきたのは事実。でも、モノを与える代わりに何かさせてもらう、という感覚には慣れなかった。 |
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‥∴‥∵‥∴‥ 春節前の小黄 ‥∴‥∵‥∴‥ |
「え?うっそ〜、寝過ごした。もう間に合わない…。」 小黄に行く朝、目覚ましが鳴らなかった。 鳴ったのに気付かなかった?実は深夜に気分が悪くて目が覚め、あげくの果てに嘔吐してしまった。その寝不足のせいで音にも気付かず爆睡中だった?それとも昨夜目覚ましを設定したのは夢だったのか? いずれにしても、30分後の7時に従江発小黄行きのバスは出てしまう。今更ジタバタしても間に合わないので、ゆっくりと支度することにした。おかげで、ずっと便秘気味だったお腹も随分すっきりした(←非常に重要!)。 9時前に宿を出て、三輪モーター車を捕まえて値段交渉をする。偶然にも昨日バーシャから帰って来る時に乗った三輪のにーちゃんだった。「小黄は遠いんだ。これ以上安くはできない!」というにーちゃん。ちょっと高いかなぁ…と思いつつも往復80元で交渉成立。
約1時間弱戻ったところで、第2の目的地である高増に到着した。朝、小黄に行くときに通過した村である。 ここは、従江により近いだけあり、小黄よりも漢族の文化が多く入ってきていた。民族衣装を着ている人々も少なく、小黄ほどの新鮮さを感じることはできなかった。あまりに小黄の印象が強烈すぎたのだ。見学の順番が逆だったら、また違ったのだろうが…。
朝寝坊が原因で公共のバスに乗り遅れてしまったのだが、実はこれは正解だったのかもしれない。小黄から従江までのバスは恐らく1日に1本あるだけで、朝、従江から小黄へ向かうバスが折り返すのだろう。 ということは、もし朝7時のバスに乗っていたら、ゆっくりと小黄を散策することはできなかったかもしれない。小黄には客を乗せるために待ちかまえている三輪車モーター車の姿はなかった。となると、小黄の民家にホームスティということになるのだろうが、あの寒さにはきっと耐えられなかっただろう。もしも小黄に泊まるのであれば、寝袋は必須だ。 |
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S嬢と旅行の計画を立てた時、西江は予定に入っていなかった。旅行をしていくうちに時間に余裕ができてきたので、ガイドブックのとある言葉に釣られて急遽行って見ることに決めたのだった。『ミャオ族最大の村である西江の刺繍の技術は高い』という興味をそそられる言葉。 従江から凱里行きのバスに乗り、凱里の手前30kmぐらいのところにある雷山で降りた。雷山まではかなりの山道だったので、バス酔いする乗客が続出。みんな窓から外に向かってゲーゲーやっている。日本では信じられない光景だ。こっちの気分まで悪くなりそう。勘弁してくれ…。 雷山に到着するまでの間、約1時間ごとに集落を通り過ぎた。そのうち、2つの村でー集(ガンジー)を開催していた。ー集は正月に必要なモノから日用品、また鶏や豚などの家畜などを道で売る、青空市場のようなものだ。 車が動けなくなるぐらい、それらを買い求める人々で道は塞がっている。ごった返す人々の中には、きれいな民族衣装で全身着飾っている若い娘達もいて、見ているだけでワクワクした。これから訪れる西江もこんなに賑やかだったらいいなぁ、といった期待も大きくなっていった。
夕方4時に雷山に到着。バスターミナルで今日は西江でー集があるという情報を仕入れたのだが、これから西江に行くと帰って来られないと判断して雷山に1泊することに決めた。 寒かったので温まろうと、名物の家鴨の鍋を食べたのだが、かなり油っこい。しかも、体の調子が悪くてあまり食欲がなかったので、更に食べ辛かった。体の痛みも感じたので、早々にホテルに戻って休むことにした。
民家の中を歩いて行くと、あや取りとしている女の子がいた。私が子供の頃にやったのと同じパターンだ。とても懐かしかったし、中国の子供達も同じ遊びをすることに親近感を抱いた。
村の見学も早々と終わってしまったので、午後2時のバスで雷山に戻ることにした。思い描いていた村の様子とはかけ離れていたのでちょっと残念だったけど、それは村を訪れる側のエゴに他ならないのだ、とも思う。 雷山からバスに乗り、午後6時に凱里に到着した。 凱里でやらなければならないこと。私はデジカメの写真が入っているCFカードの中身をCD-Rにコピーすること。S嬢はフィルムを補充すること。そのためにわざわざ凱里に寄ることにしたのだ。 それぞれの用事を済ませてホテルに戻り、あまり直視したくなかったのだが体温を測ってみることにした。体の痛み、悪寒、そして38℃弱の発熱。 かなり、まずいですねぇ…。 暖かくして薬を飲んでベッドに潜り込む。夜中にびっしょりに濡れた服を着替えた後は、朝までグッスリ眠った。 |
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〜増沖にある鼓楼がトン族の鼓楼の中で一番美しい〜 そんな紹介文を読んでしまったなら、そしてトン族が旅のメインの1つだったなら。やっぱり増沖には行っておかないといけないでしょう!
途中からかなり霧が濃くなってきた。「どうか晴れますように!」という願いも届かぬまま、約1時間半で増沖に到着した。車は村よりも高い位置に停車した。車から降りると、霧に包まれた鼓楼と黒い瓦屋根の村が眼下に広がっていた。
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肇興はトン族の村の中で一番大きいらしい。それにゲストハウスもある、とガイドブックにある。交通の便もいいだろうし、ここで春節を過ごせばいろいろな面で便利かもしれない。そう思って溶江からバスを乗り継いで肇興にやって来たのは、大晦日の前日、2月7日だった。 肇興の中心地らしき場所でバスを降りる。時折爆竹を鳴らす音が響いている。春節が近付いてきていることを実感させる音だ。
旅館に到着後、間もなくして小雨が降り出したのでどこにも観光には行かなかった。時間はたっぷりあるのだ。近くの小料理屋でしこたま夕飯を食べて、旅館の居間で炭火に当たりながら、旅館の家族や旅行者と21:00までおしゃべり。 一人で旅をしている中国人(♂)、みんなが呆れるほどめちゃくちゃしゃべる。しかもかなり早口だ。しかも今日肇興に着いたばかりなのに明日はもうここを発つらしい。ちゃんと観光したのかしら…? 「明日は公共のバスも止まってしまうからやめとけ!」とみんなで言ったけど、彼の決意は固かった。実は彼の仕事はガイドで(どうりでおしゃべり)、いろんな所を旅したいらしい。彼のおかげでオススメの場所などの情報が集まったので、今後のプランを立てる上でも役立った。そして彼は翌日、個人的に頼んだ車で従江へと出発した。バスだったら20元のところを200元もかけて! 翌日は10時に起きて、昨夜も行った小料理屋で朝食兼昼食を食べた後、古い鼓楼があるという紀堂に歩いて行くことにした。旅館の御主人が歩いて40分ぐらいで行けると教えてくれたのだ。地図を見ながら、そして人に聞きながら、山道を歩いていく。 当然舗装なんてされていない道で、昨夜の雨の影響もあり、かなりドロドロになっている箇所もあった。靴が泥にくっついてうまく歩けなかったり、滑ったりと本当に大変だ。苦労している私達の目に映るのは、そんな道をものともせずにさっさと歩く地元の人達。足取りの軽いおばあちゃんは、泥にはまっているS嬢を助けてくれた。 おばあちゃん!かなりの達人ですねぇ!かっこいい〜! 1時間強もかかって、やっと紀堂の入り口までたどり着いた。肇興に比べて標高の高い場所にあるので、登り坂のオンパレードだ。こうなるといつもは有り難いロングのダウンが邪魔になる。ファスナーを開けて少し冷たい空気に触れ、ほてった体を落ち着かせる。こんな時期にまさか汗をかくなんて、重力に逆らうってすごいエネルギーを使うのね…。
少し休憩をした後、私達は几倫に向けてまた出発した。几倫は紀堂よりも近い場所にある村で、やはり鼓楼があるというので行ってみることにしたのだ。だが出発が遅かったので、几倫に着いた頃にはだんだんと暗くなり始めていた。だから鼓楼をサラッと眺めた後、すぐに肇興へと取って返したのだった。
そして夜中の12時を迎える頃には、子供達も一緒に花火を上げ、爆竹を鳴らして新年を祝う。長春ほど派手ではなかったけど、同じように賑やかに新しい年を迎えるんだなぁ、と思った。花火をうれしそうに上げていたおじいちゃん!なかなかイカシテました。 こうして新しい年を迎え、12時半に就寝。でも冷えきった部屋ではなかなか寝付けなかった。 9日はいつもご飯を食べていたトン郷餐館のおばちゃんの家に、ずうずうしくもお邪魔する約束をしていた。11時に旅館に迎えに来てくれたのだが、部屋の鍵を昨夜失くしてしまったS嬢はしばらく鍵を探してから行くということで、まず私だけおばちゃんの家にお邪魔することになった。 平屋のその家に入ると、おばあちゃんが炭火の上で唐辛子をあぶっている所だった。火の側に座ってしばらくその様子を見ていたら、そのうちおじいちゃんがやって来た。簡単な会話を交わしているうちに、そのおじいちゃんは小黄に知り合いがいることが分かった!!! 数日後にまた小黄に行くつもりということを告げて、おじいちゃんに知り合いへの紹介文を書いてもらった。これはラッキー!縁ですな、縁。
食事の後は、おばあちゃんが刺繍を売り込んできた。ご馳走になったし、刺繍も欲しいと思っていたので1枚買った(50元を値切って42元)。月をイメージしているという丁寧で細かい刺繍が紺地に映えていてとても美しい。 午後、旅館に帰ってから、前日この宿にやって来た2人の日本人(何と奇遇な!)+ガイドさんと、火を囲んでずっとおしゃべりしていた。彼女達は旅行社と通してここにやって来ており、今日は朝から「龍図」という村の観光に出かけていた。車があるのでいろんな所に行けるのだ。彼女達が龍図で撮った写真で、ガイドブックに載っているのと同じ民族衣装を来た美しいトン族女性の様子を見ることができた。 しかし、不思議とそこまでうらやましい気持ちにはならなかった。おばちゃんの家で美味しいものにありつけ、素朴な交流ができたからか…な? 10日も日中はどこにも行けず、ずっと肇興に閉じ込められていた。交通手段がないというのは結構つらいものだ。三輪バイクも春節のためにあまり動いてないし、公共のバスも通常通りには走ってない。 今日の夜、ここ肇興で「トン劇」という出し物があると聞いていた。だから、予定よりも長めに滞在することにしたのだ。だが…あまりにも无聊(ヒマ)!!!
そして夜の8時半から、いよいよ噂の「トン劇」を見に出かける。旅館の近くの鼓楼の側に舞台があり、村の人達が集まり始めていた。鼓楼の下は火が焚かれていて暖かい。火の側で開演を待つことにした。 爆竹の音で劇は始まった。まずは、男の人達が登場。民族衣装を着ている人も、そうでない人もいる。何をするのかと思いきや、中心にいる老人の周りを男どもが手を繋いでクルクル回っている。「かごめかごめ」でもしている感じだ。真ん中にいる老人は、歌?お話?何だかよく分からない事を口にしている。しばらくすると、真ん中の老人が交代する。 …うーむ、何か特別な意味を持つ動作なのかもしれないが、非常に単調な劇??というのが感想。
翌日肇興を立つ。目指すは従江なのだが、肇興から出るバスがない。困った…。
小さな料理屋に入って、チャーハンを頼む。ここのチャーハンは日本のものを思わせる、素朴な味付けだった。まだ出発までの時間はある、余裕余裕と思って食べていたのに、従江行きのバスが出発するから早く!と店の人から急かされた。チャーハン、残しちゃった…。 こうして無事に従江に帰ってきた。今回は前回と違う宿に泊まることにした。前回の宿はあまり清潔ではない印象があったからだ。そして、従江へ着いたら例のおしゃべり中国人ガイドオススメの「銀潭」へ行こうと話していたのだが、私は体調が悪くてムリ!また発熱しかけてる…。 「S、一人で行ってきていいよ。私、ムリそうだから寝てる。」 「え?せっかくだから、一緒に行こうよ。今日は休んでさ。」 …うぅぅ、ありがと〜、S!!! |
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‥∴‥∵‥∴‥ 春節4日目(初4)の小黄 ‥∴‥∵‥∴‥ |
元々は春節3日目に行こうと考えていた小黄だったのだが、日程の関係から4日目になってしまった。果たして噂の美声を聞くことができるのかどうか…。確実な情報はないまま、従江で小黄へ行くための車を探す。もう三輪バイクはこりごりだった。 私は風邪のために体調があまり良くなかったので、S嬢が頑張っていろいろと動いてくれた。そして中国人旅行者から得た情報は私達を喜ばせてくれるものだった。 「自分達は昨日小黄へ行って今朝帰ってきたばかり。昨日は彼らの歌を聞くことができたよ。でも今日はもっと大勢の人達が歌うよ。」 うむむぅ〜、これは何としても今日小黄へ行かねば…!! 「出租車(タクシー)」と書いてある軽トラックを捕まえて小黄までの往復を聞くと300元。平日は180元だが今は正月料金で高いのだという。値切っても280元までしか下がらない。高い!他に軽トラの姿は見えない。とりあえずご飯を食べながら一緒に小黄へ行く旅行者が来るのを待つことにしよう…。 S嬢とご飯を食べている間に、その軽トラはどこかへ消えてしまった…。S嬢が軽トラを探しに行くが見当たらない。ガーン!行けないかもしれない。そうしている間に、別の軽トラが1台滑り込んできた。しーぷが捕まえに行くと、往復240元ということで速決。あぁ、よかった!
小黄に着くと、数日前に来た時とは随分と違う様子だった。静かだった村にはかなりの乗用車が乗り入れており、大きなイベントがあるということを予感させる。鼓楼の周りには多くの観光客が集まっていたが、まだ動きはなさそうだった。だから、とりあえず肇興で知り合ったおじいさんに紹介してもらった呉先生の家を訪ねることにした。 人に聞きながら呉先生の家を探して門をたたく。呉先生は予想していたよりも若い男性だった。おじいさんから紹介してもらったことを告げると中に招き入れてくれた。炭火に当たりながらおじいさんからの手紙を見せて、家族の人も交えてしばらく話をする。呉先生は小黄の小学校の先生で、実に温和な優しそうな人だ。 今日小黄で歌が聴けるのかと聞くと、午後3時ぐらいから鼓楼で始まるということだった。呉先生には小学生高学年ぐらいの娘さんがいて、彼女も後から民族衣装に着替えて参加するということだった。私達は期待に胸を膨らませた。
しばらくすると、外が賑やかになってきた。呉先生はまだ始まらないと言っていたが、どうにも気になったので外に出てみることにした。すると、鮮やかな民族衣装に身を包んだ子供達の姿があちこちで目に止まった。銀が施された衣服、銀の大きな首飾り、それからきれいな花で飾られた結い上げられた髪。鼓楼の周りでは芦笙の練習をしている男性の姿も見られた。お祭りムードが盛り上がってきた。 呉先生の家まで戻ってみると、娘さんもきれいに着飾っていた。誘いに来た友達の中には、前に小黄に来た時に見かけた少女もいた。カメラを向けると、恥じらいながらもその表情にはうれしさと誇らしさが見てとれた。
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今日ははりきって6時半起床。 肇興で知り合った中国人ガイドが、トン族の鼓楼なら絶対にお薦めだと教えてくれた銀潭。そこまで薦められたら見ないわけにはいかない!!と、急遽銀潭行きを旅に組み込んだのだった。
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凱里の近くでミャオ族の踊りが見られるらしい。 ガイドブックでそのような情報を得ていたわたし達は、とりあえず凱里まで行きそこで情報収集をすることにした。目的地は鴨塘と新光の二箇所。ホテルのフロントで何とか行き方を教えてもらい、バスに乗って出発!! バスを乗り継いだ後、そこからはタクシーで鴨塘まで移動だ。運ちゃんに30元かかると言われたので、かなり遠い場所にあるんだと思っていたら15分程度で到着してしまった。それで30元かよ〜、高すぎるっ。 11時半に鴨塘に着いてから、またもや情報収集。いろいろな人に聞いてみると、どうやら芦笙会が開かれるのは間違いないらしいが、人によって開始時間がバラバラなのだ。2時開始、3時開始、4時開始…。一体どれが本当なの??
しかし、どうやら今日はリハーサルだった模様で、明日が本番らしい。だから、民族衣装をちゃんと着ている人も少なく、ちょっと残念だった。 5時半過ぎに凱里へ戻る。若干の買物をした後、悲劇が起こる。カメラ屋さんで、デジカメのメモリカードをCD−Rに追加書き込みしてもらったのだが、何とCD−Rに元々入っていたデータが消えてしまったのだ〜!!旅の最初の数日分が一瞬でなくなってしまった(涙)。最低だ。でも店員はちゃんと謝ってくれたので許す…。許さざるを得ない…。 夕飯は鴨子の火鍋。今回の旅で何度か食べたのだが、ここのタレが一番辛かった。でも鍋のスープには鴨子独特の脂っこさをあまり感じず、さっぱりとしていて本当においしかった。 胃袋はあったかくなったのだが、今日は本当に寒い。夜は、かなりの重装備(下半身:綿ズボン下+毛糸ズボン下+ジーンズ+ジャージ。上半身:ババシャツ2枚+セーター2枚+ロングダウンコート。)で布団に入ったのに、それでも足先は冷えて寝付けなかった。わたしって異常? 翌日はもう1つのミャオ族の村、新光へ出かけてみることにした。舟渓行きのバスに乗り、新光村で下車して歩いて向かう。途中で出会った人に新光で活動(催し物)があるか尋ねたところ、今日は何もないという返事だった。ガーン!!しかも、新光ではない方向に歩いていたことも判明…。二重にショックだ。 だが、拾ってくれる神もあるものだ。道で知り合った2人のおじさんから偶然にも鴨塘と犁刀湾で何らかの活動があるという情報をゲットした。そして私達をそこまで連れて行ってくれるというのだ。これはラッキー★
今からまた犁刀湾まで行くにはあまりにもロスが大きいしそんな気力も失せてしまったので、潔くあきらめることにした。牛のショーがある(闘牛かな?)があると聞いていたので残念ではあったけど、ミャオ族の踊りを堪能していたのでそれだけで十分心は満たされていた。 |
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凱里を朝10時に出発し、銅仁経由で鳳凰へと向かう。凱里・銅仁間は悪路もいいところだった。バスは左右に大きく揺れるし、道には大きな水溜りがあちこちにできていた。こんな調子なので、予想より大幅に遅れて16時半にやっと銅仁に到着。 できれば今日中に鳳凰に入りたかったので、別のバスターミナルへ向かうと、運良く吉首行きの中型バスを発見(吉首の手前に鳳凰がある)。しかしこのバスがまたびっくりするぐらいぼったくり野郎!!だった。
昨日からの雨はなんとか止み、翌日は曇天。鳳凰の古城をぶらぶらと散策していたのだが、ここは観光地。つまり、お土産屋さんがたっくさんあるってことだ。 そしてオンナ2人の旅。当然のことながら、買物モードに突入してしまった。 銀のアクセサリー、少数民族の刺繍が美しいかばん、麻の服など買いまくりだ。今まで買物をしたといえば、三江でのトン族民族衣装&綿ショルダーバック&刺繍布、肇興での刺繍布、西江での銀のアクセサリーぐらい。かなり抑えてきた。そんな状況だったので、火がつくのも容易だったのかもしれない。 帰国後も使ってるものが多いので、かなりお買い得だった思う。 さて、鳳凰でもこの地方の特色ある食事をした。
そして私達は古城をあとにして、『奇梁洞』を見るために吉首行きのバスに乗った。 奇梁洞は、いわゆる鍾乳洞だ。入場料は50元。結構いい値段である。私達を含む5名程度が1グループとなり、中国人ガイドに連れられて奇梁洞見学ツアーの始まり始まり…。
最初は見るもの見るものが珍しく、感嘆の声を上げていたのだが、贅沢にも時間が経つに連れて同じような景色にもかなり慣れてくる。そして2時間後には、心理的にかなりの満腹状態でツアー終了となった。 昼食後、バスで吉首まで行き(約1時間)、そこで王村行きに乗り換える。王村は、S嬢お気に入りの中国映画の舞台になった場所であり、彼女のたっての希望で今回行ってみることにしたのだ。 1時間強で王村に到着。バス停からしばらく歩き、探し求めていた映画ロケ地に着いたのだが、かなり観光地化されている様子にS嬢はショックを隠せない。他の家の方が昔の雰囲気を湛えていたりと、思い通りにはいかないこともある。
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老洞は、鳳凰で泊まった宿の人から得た場所である。最近観光客に開放された村で、数名を集めてのツアーが始まったばかりとのこと。そのような話に飛びつかない訳にはいかない。さっそく宿でツアーの申し込みをしたのだった。 朝6:45に起床、8:10に宿を出発して集合場所へ向かう。数台の乗用車が用意されており、数組の観光客がそれぞれ分かれて乗車したのだがなかなか出発しない。どうも警察ともめている様子だ。 えぇぇ〜?出発できるの??早くして欲しいのに…。 どうやら車の定員オーバーを注意されているらしい。しかし車は増やせないらしくそれでごちゃごちゃ言い合いをしていたのだが、結局警察に罰金を払って9時にやっと出発となった(そんなんでいいのか!?)。 老洞までの道のりはかなり予想外だった。まず、車で30分移動して長漂という所に到着。そこから定員20名ぐらいの川舟に乗り換えて約40分川を下り、茶坪という所へやってきた。そこから老洞までのトレッキング開始!!
やった!!ついに老洞に着いたんだ!! 村へ着くと、村人達が歌を歌いながら出迎えてくれた。そして、懦米酒(もち米のお酒)を薦められる。これがここのミャオ族の歓迎の仕方なのだろう。女性の中には頭に布をぐるぐると巻きつけている人もいて、かなりでっかい帽子を被っているような感じである。民族衣装なのだろう。人々の背は概して低い。
家によっては機織機もあった。今も現役で働いている様だ。観光客向けサービスからだろうか。家の女性が機を織る様子を見せてくれた。 とある建物の中では水が湧き出していた。この水は共用のようで、村人で炊事などに使っているという。きれいな水には見えたけど、さすがに生水を口にするのは危険なので遠慮しておいた。 そのうち、村の人たちが表演(出し物)をしてくれるというので、ちょっとした広場に集合。ちゃんと観光客用の椅子も用意されている。 表演のトップは太鼓だ。『苗族花鼓』というらしい。男性ではなく女性が叩くのだが、結構力強くてかっこいい。 次は苗語(ミャオ族の言葉)の紹介だ。ニーハオ(こんにちは)は「ンーロウ」というらしい。「ん」から始まる言葉は日本語にはないので非常に不思議な響きだ。
今から、またあの山道を歩いて帰るのだろうか…?ちょっと憂鬱になっていると、意外にもバスが待機しているではないか!!なーんだ、ちゃんと車でも来られる場所なんだ。ということは、あの自然たっぷりのトレッキングも老洞ツアーの立派な一部分だったというわけだ。 名残惜しいが、老洞ともお別れだ。そして私達を乗せたバスは約2時間かけて鳳凰へと戻ったのだった。 |
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張家界は中国湖南省西北部にある。奇岩奇峰を要する風景は世界自然遺産に登録されると共に、中国重点風景名勝及び国家4A級風景区にも指定されている。張家界の中心は武陵源風景名勝区で、張家界国家森林公園、天子山自然保護区、索渓峪自然保護区、そして楊家界遊覧区から構成されている。せっかく湖南まで来ているのだから、張家界を見ないのはもったいない。 王村を出発した後、張家界には夜8時前到着したのだが、バスを降りるや否やホテルの客引きやガイド達に囲まれて大変だった。無視して繁華街の方へ歩いていくも、1人のガイドはしぶとく付いてくる。結局根負けしてそのガイドが薦めるホテルに決めたのだが、値段の割に設備はよろしくない。明朝は退房(チェックアウト)しようと決める。 翌日は8時にホテルのロビーで郭さんと待ち合わせをしていた。彼女は長春の友人M姐が張家界で日本語教師をしていた時の教え子で、今回M姐からの紹介で張家界のガイドをしてくれることになっていた。ガイドの資格も持っているらしい。 郭さんはすぐに分かった。とてもおしゃれな女の子だったのでびっくりした。こっちは汚い格好をしているっていうのに…。美を忘れちゃいかんなぁ…。 彼女の話だと、張家界見学をするには旅行団(ツアー会社)に申し込むとよいらしい。そうすれば彼女はガイド扱いとなり、彼女自身の入場料などはかからなくなるらしい。手際よく下調べもしておいてくれて、彼女お薦めの旅行団に申し込む(一泊込みで480元)。
翌日は朝9時に出発。今日は天子山に登るということだ。私達、頑張るなぁ!! 張家界森林公園内を走っているシャトルバスに乗り、天子山登山口まで移動して10時に登り始める。今日は昨日の曇天とは変わって天気がよく、地面の雪も少しずつ溶け始め、登山道の周りの木々の氷もバラバラと落ちてくる。結構大きな氷の塊も降ってくるので危険だ。
今夜のホテルは運転手が手配してくれた「東玉楼大酒店」。2人で80元と安いのに、めちゃくちゃきれいなホテルだった。信じられない〜。夕飯も地元のおいしいお店を紹介してもらい、お腹も満たされてかなり満足。さらに足のマッサージまで紹介してもらった。2日間酷使していたので棒のようになっていた足。マッサージは本当に気持ちよく、極楽だった。お値段は1人75元。 そして、私達2人がそれぞれの任地へ帰るための列車のチケットも手配してくれるという心遣いには感謝感謝だ。本当は長春まで一気に飛行機で帰ろうかと思っていたのだが、さすがに21時発、23時半着の飛行機には乗る気になれなかった。 旅行最終日。9時前にホテルを出て、地元の物産品を求めて超市(スーパー)へお買物に出かける。いろいろと物色中に、郭さんから連絡が入った。S嬢の列車の時刻を間違えていたらしく10時発だということだ。急がないと間に合わないよ。ということで、S嬢は急いで駅まで向かうことになり、ここでお別れとなった。 長々と一緒に旅してくれてありがとう。行き当たりばったり的なところがとっても楽しくて、よい旅になったよ〜。非常感謝!! その後、私はゆっくりと張家界の特産物を見てまわり、干芋、干楊梅、干キウイ(この辺りは干したものが特産なのだ)、そして生姜飴と葛根粉を購入。大満足。 郭さんとの待ち合わせは駅で11時。そこで彼女と落ち合うと、なんとお父さんがお手製のご飯を振舞ってくれるという話だった。これは予想外。列車出発までの時間が短くて気になったけど、家は駅のすぐそばだということなのでお邪魔させてもらうことにした。
張家界12時発北京行きの列車に乗り、コンパートメント付きの柔らかベッドでゴロリ。列車はみるみるうちに張家界から離れていく。 あぁ、長かったこの旅もいよいよ終わるんだ…。寂しいような、ほっとしたような…。旅の興奮はまだまだ冷めないまま、列車は北へと走り続ける。 |