2004年7月12日〜16日


 内モンゴル(内蒙古)。中国の北方に位置する内蒙古自治区で、省都はフフホト(呼和浩特)。
 さて、内ンゴルと聞いて思い浮かべるものは何だろう?「モンゴルと内モンゴルって違うの?」という人もいれば、「そこはまさしく生活場所」という人もいるはずだ。
 そして私にとっての内モンゴルのイメージは、憧れの”大草原”だ。

 大草原に行くなら、夏しかない!夏の旅行は今年しかできない!
そういう訳で、夏休みに入るや否や、行くぞ〜!と決めていた内モンゴル。実は、内モンゴルはとても幅広い大きな自治区である。
 今回S嬢と私が行ったのは、内蒙古自治区の北東地域。ほんの一部に足を下ろしただけだけど、モンゴル族の人達にも会えたし、ロシアの雰囲気も感じることができたし、そして天気にも恵まれたし、思い出に残る旅がまた1つ増えた。


7月12日
7月13日
7月14日

7月15日
7月16日

長春(深夜発)→<列車>→ハイラル【内モンゴル自治区】(120元)
ハイラル→<タクシー>→金張汗部蒙古部落旅游点(200元/2人)
金張汗部蒙古部落旅游点→<タクシー>→ハイラル(200元/2人)
ハイラル→<バス>→満州里(25元/1人)
満州里観光
満州里→<バス>→ハイラル(25.5元/1人)
ハイラル→<列車>→長春(217元)
ハイラル・貨雲賓館泊(110元/1人)
草原・パオ泊泊(45元/1人)
満州里・北方賓館泊(80元/1人)

満州里・北方賓館泊(80元/1人)






 吉林省長春駅を12日夜中の1:00に出発。目的地のハイラルまで13時間の列車の旅となる。が、寝台車じゃない。おまけに无座、つまり”席無し”である(涙)。

 大学が夏期休暇に入るこの時期に北京発の列車、つまり長春では途中乗車となる列車で指定席を取るのはかなり難しいらしい。7日に駅に切符を買いに行ったらすでに无座切符しかなかった。それでも 『内モンゴルに行けるのは今夏しかない』という強い意志のもと、あたしは迷わずS嬢と自分の切符2枚を購入した(無謀?)。

 夜中にホームに滑り込んできた列車は、既に无座の人で溢れている。あぁ、たまらん…。

 切符のことで愚痴をこぼしたあたしを不憫に思ってか、親切にも情報提供してくれていた学校の学生によると、食堂車の隣の車両で車内切符を販売しているということだった。そこで无座切符を寝台切符に交換できるらしい。
 その情報をココロの支えにしつつ、何とか食堂車の隣の車両に乗り込んだまではよかったけど、とてもじゃないが切符交換場所まで辿り着ける状態じゃない。人・人・人で交換場所すら見えないじゃないか。しかも人民でごったがえしているそのエリアに、大きなバックパックをかついだ状態で突っ込むなんて無理無理。自殺行為だ。しばらくの間様子を伺っていたが、あきらめた。情勢一向に変わらず。これはマジでダメだ。

 とりあえず人民密度の低い場所に移動することにした。こんな密着度の高いとこには立っていられない!バックパックが邪魔になり、あちこちにぶつかりながら進む。きっとかなり迷惑な2人だったろう。
 途中ですれ違った車掌に聞いてみるが、寝台はハルピンを越えたらきっと空くだろうとのことだった。少なくともハルピンまでの約3時間は无座確定ということだ。列車接続部分の一角までたどり着き、なんとか狭い空間を見つけてバックパックを肩から下ろす。列車接続部分を含め、座席以外のスペースには新聞紙を敷いて寝ていたり、自分の荷物に座ったりしている人民で既に埋まっている。

 そこでわざと客室乗務員に空いている席はないかと聞いてみる。結構若いにいちゃんだ。期待通り私が中国人ではないと分かったようで、食いついてきた。外国人女性2人。こんな混雑した列車にいる私達のことを不憫だと思ってくれたらラッキーじゃないか!優先的に空いた寝台を回してもらえるかも…という淡い期待を込めて自分が日本人であることを明かした。
 そして、しばらく周りの乗客も巻き込んでおしゃべりをする。いつものごとく「年齢」から始まり「職業」「給料」「中国はどうだ?」「もし自分が日本で働いたらどのぐらい儲けることができるのか?」というお決まりの話題が続く。既に人民を掻き分けて切符交換台へ向かう気力もなく、ただ延々と話をしていた。もしやこのにぃちゃんにはあまり権限がないのかも…と思いながら。

 もうそろそろハルピンに到着か?という頃、客室乗務員が次に空く席をこっそりと教えてくれた。やったー!うれしいよー!(狙い通り!)
 ちょうど日の出の時刻に差し掛かり、松花江から登りつつある太陽が、赤く燃えながらハルピンの街を照らし始めていた。どうしてあんなに赤いんだろう?どうしてあんなに揺れてるんだろう?どうしてあんなに大きいんだろう?
 
これは内モンゴルの草原から昇る太陽。雲がかかって地平線上の太陽は見えなかったが、ピンクに染まる空は美しい。  
 さっそく指示された座席に向かったのだけど、辺りは无座人民でわんさか状態である。そして教えてもらった席はすばやい人民が確保してしまった。しかし完全に運に見放されてはおらず、別の席を1つ確保することに成功。さらにバックパックは車内の吊棚に置くことができた。

 S嬢は私に座席を譲ってくれた。全く遠慮なしに座る私…。S嬢、感謝感謝です。S嬢は6時近くまで立ったまま過ごしてくれた。そして大慶でかなりの乗客が下車したおかげで、やっと2人並んで座れる席を確保できた。
 あぁ、これでやっと一息つけた。ずぶとい私でも、1人で座ってるのはやっぱり気がひけてたから。

 それにしても、寝台ってすばらしいんだなぁと改めて実感した。座席の場合、首は凝りまくるけど一応寝ることはできる。だが足の浮腫みがこんなにすごいとは驚きだった。座席間も狭いので足を自由に伸ばすこともままならない。自分の足じゃないような感覚に陥ってしまうのだ。いわゆるエコノミー症候群である。
 こんな過酷な旅をする人民達はすごいぞ。たくましいぞ。
 无座で移動している人民達の行動で一番びっくりしたことは、地面、いやいや、列車の床で寝ていることだ。もちろん、通行の邪魔になる通路じゃない。いわゆるデッドスペース(?)となってる場所。向かい合わせ6人掛けの座席の下に新聞を敷き、そこにゴロリと横たわっている。頭と足は座席の下にもぐっているので見えない。で、胸から足の付け根にかけての部分が、座席の足置きスペースにある。
 まぁ、確かに私達の通行の邪魔にはならんが…。私達を驚かすには十分だ。





ハイラル駅に到着して感じたことは、モンゴル族の住む街に来たんだってことだ。
記号のようなニョロニョロしたモンゴル文字が街のあちこちに見受けられる。少数民族が住む地域を旅する度に、それぞれの民族の文字を目にする。漢字との併記でなければ、中国以外の国を旅行している錯覚に陥る地域もあるぐらいだ。
 まず翌日に宿泊を予定している大草原までの移動手段を確保しにかかった。ガイドブックに載っていた旅行会社へ出向き、そこで金張汗部蒙古部落旅游点までの車の手配をしてもらった。往復で400元。結構高いんだなぁと思いつつOKした。まだ旅慣れない私達は、その時値切り交渉のことはすっかり忘れていたというのがホントのところだ。
 実際、草原の従業員に往復で400元払ったと言ったら「有り得ない!騙されている!片道60元ぐらいのものだよ。」とのこと(涙)。
宿泊地に関する情報をあまり得ていなかったから旅行社を通したのだが、流しのタクシーで十分だったようだ。
 こうやって旅の経験を積んで、少しずつたくましく成長していくのかなぁ。
 
金張汗部蒙古部落旅游点の大草原。蛇行する川が遠くに流れている。



 翌朝9時に旅行社で予約しておいたタクシーに乗り、大草原に向かう。えらく寡黙な運チャンだった。
 タクシーはまっすぐな一本道を走る。ハイラル中心部から離れると周りにはすでに草原が広がっている。途中で大きな道から脇道に入り、さらにひたすら走ること約10キロで目的地に到着だ。馬の放牧などを見るとわくわくしてくる。

金張汗部蒙古部落旅游点でモンゴル族による出迎え。一番左の人は馬頭琴を弾いている。  
 目的地にて、モンゴルの民族衣装を身に纏った人達による歓迎光臨!により、気分はいっそう盛り上がる(仕事だと分かっていてもやっぱりうれしいのだ)。
 伝統楽器である馬頭琴を伴奏に、男女が歌を歌いながらの盛大な出迎えである。かなり度数が高いと言われるモンゴル酒を振舞って歓迎してくれるのだが、私達2人は団体客には勝てなかった。ということで、お酒は味わえずに敢え無くスルー状態(涙)。
 受付でパオに宿泊できることを確認した後、翌日のお迎え時間を確認してタクシーの運チャンはさっさと帰っていった。

 何はともあれ、荷物をパオに置いて草原散策開始だ!

 金張汗部蒙古部落旅游点はハイラルにある草原の1つだ。内蒙古で日本語教師をしている同期のL君は、ハイラルの草原がイチオシだと言っていた。実際に彼方まで延々と広がる草原を自分の目で見た時、心躍る気分になるわ、でっかい自然に癒されるわで、ちょっと興奮してしまった。  
金張汗部蒙古部落旅游点の大草原。寝転ぶと気持ちいい!!  
 しかし、草原を散策した時、思っていたよりも草の丈が短いのと、に枯れた色の草が結構目立つのは意外だった。草原の退化??よく分からないけれど…。少し気になることはあったけど、それでも大草原はやっぱり気持ちいい!吹き抜ける風も心地よく、爽快な気分になる。人間って小さいんだなぁ…なんて思ったりする。

 昼過ぎからは急にお客が増えてきて、従業員にパオの変更を頼まれてしまった。最初に通されたのは5人用ぐらいの大きなパオだったのだが、後から来た客に譲って欲しいという。
 仕方ないね〜、小さいパオでもいいよ。私達ココロ広いもん〜。
 それにしても昼過ぎに到着していたらパオへの宿泊は無理だったかもしれない。早起きは三文の得だ!

 昼食は草原内にあるレストランであっさり麺と黒白菜一皿を注文した。なぜわざわざ漢族の料理を選んだかって?あっさりとしたものが食べたい気分だったのだ。
 それから昼寝をするためにパオに入る。草原には蚊が多いと聞いていたので虫除けスプレーを持参したのだが、パオにはちゃんと蚊取り線香が置いてあった。なかなか気が利くじゃない!なので安心して夜を過ごしたのだが、それでも朝起きた時にS嬢は蚊に刺されていたという。恐るべし生命力を持つ草原の蚊だ!パオには継ぎ目に当たる部分に結構隙間があったので、上手いことやる賢い蚊がいるのかもしれない。

 2時間ばかり昼寝をした後、おのぼりさん行動に出る。少数民族地域にいけば大抵どこにでもある「民族衣装を着て記念撮影しよう!」というやつだ。何人も人が袖を通しているもんだから、はっきり言って衣装の質はよろしくない。あちこちほつれていたり、穴が開いていたり。けど、写真だしどうせ細かいところまでは見えはしない。
金張汗部蒙古部落旅游点の大草原。モンゴル族の衣装を着て乗馬初体験。  
 その後は人生初の乗馬体験だ!馬に乗ったおじさんが先頭を行き、私とS嬢が乗った2頭の馬の手綱を引いて歩いてくれた。1時間の乗馬で60元(写真込み)。時々馬が小走りになると、自分の体が上下に揺れる揺れる。最初はおっかなびっくりだったけど、慣れてくると馬の背中って思ったより居心地がよいものだ。  
金張汗部蒙古部落旅游点の大草原。馬に乗ったおじさんが追い立てる羊の群れ。

 途中でおじさんが羊の群れを追い立てていた。おしりをこちらに向けて前を走る羊の群れは何とも愛らしい。牧歌的風景にも出会えて得した気分♪。
 だが30分経過した時点でおじさんが私達に勝手に乗れと言うではないか。えぇぇぇぇ〜!!!そりゃぁ、ムリですわっ。どうやったら馬が止まるのかも分からんのにダメダメ〜。いくら退屈だからってそりゃないだろう。抗議の末、残りの30分は子供に手綱を引いてもらうことになった。

 モンゴルと言えばやはり羊。夕食には是非とも羊を!と思っていた。骨付きの羊の肉を茹でた?蒸した?シンプルな料理『手把肉』を本場で食べたい!食べたかったんだけど…。注文は最低2斤(1kg)からだと言われてしまった。羊肉串は30本からだということ。いくら何でもオンナ2人じゃそんなに食べられないっ。あきらめざるを得ない状況。
 隣の円卓にはドーンと盛られた手把肉や羊肉串が運ばれてきて、人民が一斉に食らいついている。あぁ、うらやましい…。食べたかった。それだけが今なお心残り。

 「夜は踊りがあるから是非参加して」
 大草原スタッフの1人、人懐っこいモンゴル族のオーチンに誘われた。日も沈み闇に包まれた20時にスタートしたその踊り。てっきりモンゴル族の踊りだと思っていたら、闇の中、赤々と燃えさかる炎の周りで行われていたものはディスコ!派手なディスコミュージックに合わせてみんな狂ったように踊っている。う〜む、ここの娯楽はディスコ?
 とても一緒に踊る気にもなれず、しばらく離れた場所から静観していたらそのうち民族の踊りが始まった。誘われるまま輪に入り、見よう見まねで踊る。アホになりきれた者勝ち!って感じで、火の周りを駆けずり回る。走りっぱなしで疲れたけど、思わず笑顔がこぼれちゃうような民族舞踊だった。いや、変な踊りだったという意味ではない。本当に楽しかったのだ。
 
金張汗部蒙古部落旅游点の大草原。夕暮れ時に草を食む馬の姿が見られた。

 こうして暑い熱い大草原での夜は更けていった。



金張汗部蒙古部落旅游点の大草原。朝焼けによるピンクの雲が川にも映えて美しい。  
 翌朝、憧れだった草原の日の出を見るために4時前に起床する。ワクワクしている分あまり眠気は感じない。朝の草原は空気がひんやりとしていて寒さを感じるくらいだ。眠っているS嬢をパオに置いて1人草原へと足を踏み出す。

 贅沢を独り占め!

 まさにそんな言葉がぴったりの、ゆったりとした時間を過ごす。雲に隠れていたため残念ながら草原から登る朝日は見られなかったけど、徐々に濃く赤く染まっていく大きな空を静かに眺める。ガラス張りの空のような草原を流れる川も、徐々に色鮮やかに変わっていく。早朝の草原は静寂に包まれ、風もなく、しんとしている。

 朝露を湛えた草花が美しい草原を、空が淡い桜色から本来の青を取り戻すまでしばらく散歩した。途中、起きたばかりの山羊や意外にも駱駝(何故に駱駝?)の姿も拝むことができた。
 バイキング形式の朝食を食べた後、今度はS嬢と2人で草原散策に出る。ハエにたかられながらのお散歩だ。辺りは自然の音のみ。風、鳥、虫、そして歩く音。歩いても歩いても草の丘が遠くまで続いている。





 11時に大草原を発ち、一旦ハイラルへ戻った後、満洲里に向かった。バスで約3時間半の道のり。道沿いの景色は、やっぱり大草原だ!ここの草原にはピンクの花が咲き乱れていて、思わず「降ろしてくれ〜!」と言いたくなるぐらい魅力的だった。かなりオススメ度高!ただし草原のみで他には何もないところだが。

 満洲里はロシアとモンゴルとの国境の街である。ロシアとの国境ゲートがある影響か、ハイラルとは街の雰囲気が違った。モンゴル語は影を潜め、中国語とロシア語が併記された看板が目立ち、建物自体も洋風なものが多い。また多くのロシア人も街を闊歩している。中国人女性のお化粧の仕方もちょっと違う。おしゃれにかなり気を配っているという感じだ。

 満洲里はあまり大きな街ではなかった。私達はロシアとの国境近くと、それから海のような大きな湖『達莱湖』を散策した。

 
満州里の街の様子。洋風の建築物が見られる。
 「あっちがロシア。」

 そう言われてもいまいち実感がない。国境というものに慣れていないせいだ。線で引かれた国境というのがどうもピンとこないのである。でも目の前にある有刺鉄線の向こう側は確かにロシアのようだ。国境ゲートではガードマンだか警察官だかが見張っており、大型のトラックが行き来していた。


ロシアとの国境付近。有刺鉄線を挟んだ向こう側はロシア領である。  
 国境近くにはロシア製品をたくさん置いている市場(中俄互市貿易区)があるのだが、ここの値段の高いことといったら驚きだ!ものすごいふっかけ方をしてくる。
 「友達だから安くするよ!」などと言いながら、腹の中では「カモだ、カモ!!」と考えているに違いない。
 その後、満洲里の街中にあるロシア製品を扱う市場に行ったら、あまりの値段の差にびっくりした。やっぱりカモられてた…という感じだ。国境近くの市場では銀製の小さなアクセサリーケースを値切って買ったのだが、街の市場と同じぐらいの値段だった。そう簡単にはカモられませんぜ!あ〜、満足満足♪

 『達莱湖』はさながら海のような湖だ。あまりに大きすぎて向こう岸など見えはしないのだ。おまけにかなり汚い。その海もどきで人民は楽しそうに泳いでいた。私にはムリだ…。でも、湖のほとりで食べた魚やエビの串焼きはおいしかった。



 翌朝、昨夜買ったティーセットを取りに行く。達莱湖からホテルへ戻った後、街中をぶらぶらをショッピングしている途中、一目見て気に入ってしまったティーセットだった。気に入ったはいいが、あまりにでかいのが難点。白地に鮮やかな青を基調とした絵柄が入っており、キンキラ金色で縁取られている。結構派手だ。カップ&ソーサーが5客、背の高いティーポット、クリーマー、シュガーポットと全て揃っている。
 こんなものを抱えて列車に乗り長春へ戻るのか?と考えると普通は買わないだろう。しかし、どうしても気になって仕方なかったのだ。かなりおバカかもしれない。何もそんなところで買わなくても…と思わないでもないが、気に入ったものはどうしようもない。

 ちなみに、このティーセットは友達が遊びに来た時に数回活躍。自宅にいながらちょっぴりリッチな気分に浸れた。しかしさすがに日本へ持って帰るのは断念した。今は多分、きっと同僚が使ってくれているはず…?
 
満州里で一目ぼれして買ってしまったティーセット。

 朝10時半のバスに乗り、満州里からハイラルに向かう。
 ハイラルには午後2時前に到着した。ここから、私は北京行きのに、S嬢は大連行きの列車に乗る。別々にそれぞれの塒へと帰るのだ。
 昼食を食べて列車内用の食料を買った後、駅へと向かう。休む間もなくすぐに私の改札時間になった。あっという間の旅だった。サヨナラ、内モンゴル!!