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内モンゴル(内蒙古)。中国の北方に位置する内蒙古自治区で、省都はフフホト(呼和浩特)。 さて、内ンゴルと聞いて思い浮かべるものは何だろう?「モンゴルと内モンゴルって違うの?」という人もいれば、「そこはまさしく生活場所」という人もいるはずだ。 そして私にとっての内モンゴルのイメージは、憧れの”大草原”だ。 大草原に行くなら、夏しかない!夏の旅行は今年しかできない!そういう訳で、夏休みに入るや否や、行くぞ〜!と決めていた内モンゴル。実は、内モンゴルはとても幅広い大きな自治区である。 今回S嬢と私が行ったのは、内蒙古自治区の北東地域。ほんの一部に足を下ろしただけだけど、モンゴル族の人達にも会えたし、ロシアの雰囲気も感じることができたし、そして天気にも恵まれたし、思い出に残る旅がまた1つ増えた。 |
7月12日 7月13日 7月14日 7月15日 7月16日 |
長春(深夜発)→<列車>→ハイラル【内モンゴル自治区】(120元) ハイラル→<タクシー>→金張汗部蒙古部落旅游点(200元/2人) 金張汗部蒙古部落旅游点→<タクシー>→ハイラル(200元/2人) ハイラル→<バス>→満州里(25元/1人) 満州里観光 満州里→<バス>→ハイラル(25.5元/1人) ハイラル→<列車>→長春(217元) |
ハイラル・貨雲賓館泊(110元/1人) 草原・パオ泊泊(45元/1人) 満州里・北方賓館泊(80元/1人) 満州里・北方賓館泊(80元/1人) |
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吉林省長春駅を12日夜中の1:00に出発。目的地のハイラルまで13時間の列車の旅となる。が、寝台車じゃない。おまけに无座、つまり”席無し”である(涙)。 大学が夏期休暇に入るこの時期に北京発の列車、つまり長春では途中乗車となる列車で指定席を取るのはかなり難しいらしい。7日に駅に切符を買いに行ったらすでに无座切符しかなかった。それでも 『内モンゴルに行けるのは今夏しかない』という強い意志のもと、あたしは迷わずS嬢と自分の切符2枚を購入した(無謀?)。 夜中にホームに滑り込んできた列車は、既に无座の人で溢れている。あぁ、たまらん…。 切符のことで愚痴をこぼしたあたしを不憫に思ってか、親切にも情報提供してくれていた学校の学生によると、食堂車の隣の車両で車内切符を販売しているということだった。そこで无座切符を寝台切符に交換できるらしい。 その情報をココロの支えにしつつ、何とか食堂車の隣の車両に乗り込んだまではよかったけど、とてもじゃないが切符交換場所まで辿り着ける状態じゃない。人・人・人で交換場所すら見えないじゃないか。しかも人民でごったがえしているそのエリアに、大きなバックパックをかついだ状態で突っ込むなんて無理無理。自殺行為だ。しばらくの間様子を伺っていたが、あきらめた。情勢一向に変わらず。これはマジでダメだ。 とりあえず人民密度の低い場所に移動することにした。こんな密着度の高いとこには立っていられない!バックパックが邪魔になり、あちこちにぶつかりながら進む。きっとかなり迷惑な2人だったろう。 途中ですれ違った車掌に聞いてみるが、寝台はハルピンを越えたらきっと空くだろうとのことだった。少なくともハルピンまでの約3時間は无座確定ということだ。列車接続部分の一角までたどり着き、なんとか狭い空間を見つけてバックパックを肩から下ろす。列車接続部分を含め、座席以外のスペースには新聞紙を敷いて寝ていたり、自分の荷物に座ったりしている人民で既に埋まっている。 そこでわざと客室乗務員に空いている席はないかと聞いてみる。結構若いにいちゃんだ。期待通り私が中国人ではないと分かったようで、食いついてきた。外国人女性2人。こんな混雑した列車にいる私達のことを不憫だと思ってくれたらラッキーじゃないか!優先的に空いた寝台を回してもらえるかも…という淡い期待を込めて自分が日本人であることを明かした。 そして、しばらく周りの乗客も巻き込んでおしゃべりをする。いつものごとく「年齢」から始まり「職業」「給料」「中国はどうだ?」「もし自分が日本で働いたらどのぐらい儲けることができるのか?」というお決まりの話題が続く。既に人民を掻き分けて切符交換台へ向かう気力もなく、ただ延々と話をしていた。もしやこのにぃちゃんにはあまり権限がないのかも…と思いながら。
S嬢は私に座席を譲ってくれた。全く遠慮なしに座る私…。S嬢、感謝感謝です。S嬢は6時近くまで立ったまま過ごしてくれた。そして大慶でかなりの乗客が下車したおかげで、やっと2人並んで座れる席を確保できた。 あぁ、これでやっと一息つけた。ずぶとい私でも、1人で座ってるのはやっぱり気がひけてたから。 それにしても、寝台ってすばらしいんだなぁと改めて実感した。座席の場合、首は凝りまくるけど一応寝ることはできる。だが足の浮腫みがこんなにすごいとは驚きだった。座席間も狭いので足を自由に伸ばすこともままならない。自分の足じゃないような感覚に陥ってしまうのだ。いわゆるエコノミー症候群である。 こんな過酷な旅をする人民達はすごいぞ。たくましいぞ。 无座で移動している人民達の行動で一番びっくりしたことは、地面、いやいや、列車の床で寝ていることだ。もちろん、通行の邪魔になる通路じゃない。いわゆるデッドスペース(?)となってる場所。向かい合わせ6人掛けの座席の下に新聞を敷き、そこにゴロリと横たわっている。頭と足は座席の下にもぐっているので見えない。で、胸から足の付け根にかけての部分が、座席の足置きスペースにある。 まぁ、確かに私達の通行の邪魔にはならんが…。私達を驚かすには十分だ。 |
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ハイラル駅に到着して感じたことは、モンゴル族の住む街に来たんだってことだ。記号のようなニョロニョロしたモンゴル文字が街のあちこちに見受けられる。少数民族が住む地域を旅する度に、それぞれの民族の文字を目にする。漢字との併記でなければ、中国以外の国を旅行している錯覚に陥る地域もあるぐらいだ。
翌朝9時に旅行社で予約しておいたタクシーに乗り、大草原に向かう。えらく寡黙な運チャンだった。 タクシーはまっすぐな一本道を走る。ハイラル中心部から離れると周りにはすでに草原が広がっている。途中で大きな道から脇道に入り、さらにひたすら走ること約10キロで目的地に到着だ。馬の放牧などを見るとわくわくしてくる。
昼過ぎからは急にお客が増えてきて、従業員にパオの変更を頼まれてしまった。最初に通されたのは5人用ぐらいの大きなパオだったのだが、後から来た客に譲って欲しいという。 仕方ないね〜、小さいパオでもいいよ。私達ココロ広いもん〜。 それにしても昼過ぎに到着していたらパオへの宿泊は無理だったかもしれない。早起きは三文の得だ! 昼食は草原内にあるレストランであっさり麺と黒白菜一皿を注文した。なぜわざわざ漢族の料理を選んだかって?あっさりとしたものが食べたい気分だったのだ。 それから昼寝をするためにパオに入る。草原には蚊が多いと聞いていたので虫除けスプレーを持参したのだが、パオにはちゃんと蚊取り線香が置いてあった。なかなか気が利くじゃない!なので安心して夜を過ごしたのだが、それでも朝起きた時にS嬢は蚊に刺されていたという。恐るべし生命力を持つ草原の蚊だ!パオには継ぎ目に当たる部分に結構隙間があったので、上手いことやる賢い蚊がいるのかもしれない。 2時間ばかり昼寝をした後、おのぼりさん行動に出る。少数民族地域にいけば大抵どこにでもある「民族衣装を着て記念撮影しよう!」というやつだ。何人も人が袖を通しているもんだから、はっきり言って衣装の質はよろしくない。あちこちほつれていたり、穴が開いていたり。けど、写真だしどうせ細かいところまでは見えはしない。
途中でおじさんが羊の群れを追い立てていた。おしりをこちらに向けて前を走る羊の群れは何とも愛らしい。牧歌的風景にも出会えて得した気分♪。 だが30分経過した時点でおじさんが私達に勝手に乗れと言うではないか。えぇぇぇぇ〜!!!そりゃぁ、ムリですわっ。どうやったら馬が止まるのかも分からんのにダメダメ〜。いくら退屈だからってそりゃないだろう。抗議の末、残りの30分は子供に手綱を引いてもらうことになった。 モンゴルと言えばやはり羊。夕食には是非とも羊を!と思っていた。骨付きの羊の肉を茹でた?蒸した?シンプルな料理『手把肉』を本場で食べたい!食べたかったんだけど…。注文は最低2斤(1kg)からだと言われてしまった。羊肉串は30本からだということ。いくら何でもオンナ2人じゃそんなに食べられないっ。あきらめざるを得ない状況。 隣の円卓にはドーンと盛られた手把肉や羊肉串が運ばれてきて、人民が一斉に食らいついている。あぁ、うらやましい…。食べたかった。それだけが今なお心残り。 「夜は踊りがあるから是非参加して」
こうして暑い熱い大草原での夜は更けていった。
朝露を湛えた草花が美しい草原を、空が淡い桜色から本来の青を取り戻すまでしばらく散歩した。途中、起きたばかりの山羊や意外にも駱駝(何故に駱駝?)の姿も拝むことができた。 バイキング形式の朝食を食べた後、今度はS嬢と2人で草原散策に出る。ハエにたかられながらのお散歩だ。辺りは自然の音のみ。風、鳥、虫、そして歩く音。歩いても歩いても草の丘が遠くまで続いている。 |
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11時に大草原を発ち、一旦ハイラルへ戻った後、満洲里に向かった。バスで約3時間半の道のり。道沿いの景色は、やっぱり大草原だ!ここの草原にはピンクの花が咲き乱れていて、思わず「降ろしてくれ〜!」と言いたくなるぐらい魅力的だった。かなりオススメ度高!ただし草原のみで他には何もないところだが。
そう言われてもいまいち実感がない。国境というものに慣れていないせいだ。線で引かれた国境というのがどうもピンとこないのである。でも目の前にある有刺鉄線の向こう側は確かにロシアのようだ。国境ゲートではガードマンだか警察官だかが見張っており、大型のトラックが行き来していた。
『達莱湖』はさながら海のような湖だ。あまりに大きすぎて向こう岸など見えはしないのだ。おまけにかなり汚い。その海もどきで人民は楽しそうに泳いでいた。私にはムリだ…。でも、湖のほとりで食べた魚やエビの串焼きはおいしかった。 翌朝、昨夜買ったティーセットを取りに行く。達莱湖からホテルへ戻った後、街中をぶらぶらをショッピングしている途中、一目見て気に入ってしまったティーセットだった。気に入ったはいいが、あまりにでかいのが難点。白地に鮮やかな青を基調とした絵柄が入っており、キンキラ金色で縁取られている。結構派手だ。カップ&ソーサーが5客、背の高いティーポット、クリーマー、シュガーポットと全て揃っている。
朝10時半のバスに乗り、満州里からハイラルに向かう。 ハイラルには午後2時前に到着した。ここから、私は北京行きのに、S嬢は大連行きの列車に乗る。別々にそれぞれの塒へと帰るのだ。 昼食を食べて列車内用の食料を買った後、駅へと向かう。休む間もなくすぐに私の改札時間になった。あっという間の旅だった。サヨナラ、内モンゴル!! |