2004年7月29日〜8月15日

せっかくだから中国で暮らしている間に西の果てまで行ってみたい!
懐かしの二本松での語学班女性陣4人(Mナン、Kリン、Sープ、私)→3人(Mナンはカシュガルまで)→2人(Kリンはクチャまで)で中国であって中国ではない新疆を満喫!

7月29日
7月30日
7月31日
8月 1日
8月 2日
8月 3日
8月 4日
8月 5日
8月 6日
8月 7日
8月 8日
8月 9日
8月10日
8月11日
8月12日
8月13日
8月14日
8月15日
北京→<飛行機>→ウルムチ→<寝台バス>→カシュガル
ウルムチ→<寝台バス>→カシュガル
カシュガル
カシュガル
カシュガル→<バス>→カラクリ湖
カラクリ湖→<バス>→カシュガル
カシュガル→<バス>→ホータン
ホータン
ホータン→<寝台バス>→輪台
輪台→<バス>→クチャ
クチャ
クチャ→<寝台バス>→ウルムチ
ウルムチ→<寝台バス>→イーニン
イーニン
イーニン
イーニン→<寝台バス>→ウルムチ
ウルムチ→<飛行機>→北京
北京→<列車>→長春
バス中泊
カシュガル泊
カシュガル泊
カシュガル泊
カラクリ湖泊
カシュガル泊
ホータン泊
ホータン泊
バス中泊
クチャ泊
クチャ泊
バス中泊
バス中泊
イーニン泊
イーニン泊
バス中泊
北京泊
長春へ帰還


異国情緒漂う街〜カシュガル〜万年雪山の麓に佇むカラクリ湖灼熱、そして絨毯と石の街〜ホータン〜

タクラマカン砂漠横断遺跡の街〜クチャ〜緑豊かな街〜イーニン〜新疆の食事




 カシュガルには4泊した。アパク・ホージャ墓を見学し、エイティガール寺院を外から眺め、様々な市場をブラブラとし、またショッピングをした。

アパク・ホージャ墓。遠くにはポプラ並木が見える。  
 カシュガルの印象は「異国」である。刺繍が施された帽子を被っている男性、スカーフを頭に巻きカラフルで長い衣装をまとっている女性。顔立ちは漢族とは全く違い、目が大きくて若干堀が深くそして浅黒い肌の色。

 道路では、車に混じって馬やロバの馬車が交通手段として活用されていている。大きな道以外は舗装されているものは少なく、砂煙をあげながら車や馬車が通り過ぎる。

 街のあちこちで主食の一つであるナンやベーグルが山積み状態で売られていて、羊肉串や羊肉の入った四角い焼包子を焼いている姿も見かける。大きな甕の形をした釜の内側にこれらをピタッと張り付けて焼くのである。

 また、いたるところに新疆のシンボルとも言えるポプラの木々があり、きつい日差しを避けて涼をとることができる。人々は人懐っこく、カメラを向けるとポーズを撮り、デジカメの写真を見せるととても喜んでいる。
 何より乾燥した気候と埃っぽさには、なかなか馴染めなかった。カシュガルを含め乾燥のきつい新疆ではペットボトルは欠かせなかった。今までの人生でこんなに水分補給をしたことはないほどだ。

 カシュガルで一番おもしろかったのは、市場巡りだった。
 行くつもりはなかったのにタクシーの運転手が行き先を間違えたことで思いがけず行くことができた遠方市場。エイティガール寺院近くにあった市場。それから日曜のみ開かれる星期天市場。その市場近くにある、お土産屋がずらっと並ぶ国貿市場。
 ブラブラと歩くだけで市民の日常生活の様子を知ることができたし、どの市場も非常に活気のあるものだった。

 遠方市場は家畜ドナドナ市場だ。大部分は羊だが、牛やロバの姿も見かけた。どこからこんなに集まってくるのか?というぐらい、多くの羊がいた。まだフサフサの毛皮を身に着けている羊のすぐ横には、今まさに毛を剪定されている羊の姿があり、その傍には剪定が終わってすっきりとした羊が道にプリンとしたおしりを向けて束ねられている。
 
羊の毛を刈る男性。右側2頭はすでに丸坊主にされた羊ちゃん達。
 道を挟んだ反対側には、さっきまでは生きていたであろう羊肉の半身がいくつかぶらさげられていたり、切り落とされた首が転がっていたりした。そしてその傍には羊料理を食べさせる屋台が並ぶ。ここは生と死が共存している場所だった。
羊の肉がぶらさがる屋台。解体したての肉で作られた料理は臭みがまったくなくて美味しい。  
 私達が屋台の様子の写真を撮っていると、子供達が寄ってきた。その子供達の写真や、彼らが新疆の名物『ラグメン』の麺を打っている様子などを写真に撮っていると、お父さんらしき人もやって来て身振りで「俺も撮ってくれ!」とアピールする。
 ひとしきり写真撮影会をした後、その店でラグメンを食べることにした。2皿注文して1皿を2人で食べていたのに、最終的には4皿作ってくれて6元。1杯3元だったのか、1.5元だったのかは未だに不明だ。

 星期天市場は住人の生活必需品を売っている市場で、私達が買うような品物はなかった。人々の多さと埃っぽさ、そして暑さに酔ってしまうかと思うぐらいの賑わいだった。
 国貿市場は、お土産になりそうな、しかしウイグルの人達も日常使用するような品がずらりと並んでいた。刺繍の帽子、ウイグルナイフ、絨毯、民族衣装を含む服、布やスカーフなど様々な商品が売られていた。

 ここで、ウイグルナイフ、パシュミナストール、スカーフ、そして冬用の帽子を買った。最初、彼らはかなりふっかけた値段を言ってくる。いかにそれを安くさせるか、だ。最終手段は「要らない」と言って立ち去ること。こっちの言い値が安すぎた場合は追っかけてこないが、そうでない場合は向こうが折れる。こんな値段交渉の駆け引きも楽しいものだ。

 カシュガルでの宿泊は、バスで夜中に到着した日はバスターミナルすぐ側のホテル。残りの3日間は色満賓館で寝泊りした。
 色満賓館はネットカフェもあるし旅行社もいろいろと入っていてオススメだ。シャワー、トイレ付きの普通の部屋で、4人で泊まった時は4人部屋1泊140元、3人で泊まった時は3人部屋1泊120元。賓館の敷地内には外国人向けのJohn's Cafeという店もある。ここには、多くの欧米人旅行者が食べに来ていた。他の観光地でもちょくちょく彼らの顔を見かけることがあった。
 
市場の帽子屋さん。手作りの帽子が並ぶ。





 カラクリ湖は標高7546mのムズターグ・アタ山、標高7719mのコンガール山の山麓にある湖でかなり高地にある。夏になるとキルギス族の人達がゲル暮らしをしている所だ。
 カラクリ湖はあまり大きくない湖だが、雪を頂いた山々を背後に控えた風景は本当にすばらしい。湖の周りには背の低い草原が広がっており、そこにゲル集落がある。8月の草原に咲く小さな花々は、駆け足で通り過ぎる短い夏を感じさせる。

 カシュガルからカラクリ湖まではバスで約4時間(43元)。徐々に高度を上げながら山道を進んでいくのだが、道中の景色はかなり楽しめる。
 初めは殺伐とした岩山が延々と続く。一つの岩山にいくつもの異なる色の層が同居しているものもある。グレー、茶色、赤茶など、どうしてそんな山が出来上がったのか本当に不思議でならない。砂の湖(?)なのか、グレーの大きな湖が眼前に開けてきた時は本当に息を呑んだ。その湖の向こうに見える砂の山。微妙に異なるグレー一色の世界だ。
 高度が上がるに連れて、雪を頂いた山々を目にする機会が増えてくる。窓から入ってくる風もかなり冷たい。
 
カラクリ湖までの道のりで突如現れたグレーの湖。

 今回私たちが訪れた時はかなり寒く、天気もあまりよくなかった。到着した日は曇りで日差しもなく、カシュガルで来ていたTシャツでは到底耐えられない気候だ。
 カラクリ湖に到着後、私達はバス停のすぐ傍にあったゲルはパスして遠くに見えるゲルの方へと歩いて向かった。以前カラクリ湖へ来たことがあるRンズの指令だ。そこに行けば一般の人々の暮らしが見られるとRンズが教えてくれていたのだ。
 道を歩いていると、車に乗った現地人から声をかけられた。宿泊するのかという問いに対して「そうよ」と答えると「乗れ!乗れ!」という。かなりのオンボロ車に揺られながら連れて行かれたのはレンガ造りの住居の村。そこで値段交渉が始まり20元でOKが出たのだが…。

 ”私達はゲルに泊まりたいの〜!”
宿泊地には数個のゲルが組み立てられていた。  
 紆余曲折はあったものの、最終的には目指していたゲルに宿泊することができた。ゲルは結構大きく中は広い。地面には絨毯が敷き詰められており、壁には厚手のカラフルな布団が積み上げられてある。暖房設備はない。
 これって…夜はかなり寒いんじゃないの?という思いが過ぎる。

 私達が宿泊するゲルには既に先客がいた。スウェーデンから来たと言う夫婦で、かなりの重装備。ここに来るまでに寒い地方を旅してきたのだろう。あまりに軽装の私達は彼らがとってもうらやましかった。

 まずゲルの御主人が、ベーグル、ナン、薄めのパイのようなもの(これ、おいしかった)、ヨーグルト(ベーグルにつけて食べるとおいしい)、それと紅茶を出してくれた。
 机はなく、絨毯の上に一枚布を敷き食べ物や飲み物を並べて食べる。紅茶に関してだが、聞いてはいたが一口飲んだ時には予想と違う味だったので妙な感覚だった。塩辛いのだ。しかし、何度か口にすると慣れてきたし、寒さで冷えてた体が温まった。


 その後、付近を散策しようと外に出たのだが…。
 さむっ!
 あまりの寒さに耐えられない。少しだけウロウロして他のゲルに住む住民達と交流をするのだが、物を売りつけようとする人がいるのには閉口した。きれいな原石を見せてくれたはいいけど値段を言ってきたり、写真を撮ろうとするとお金を請求したり。
 寒さに負けてゲルに戻ったら、なぜかトランプをすることに。それも『ジジ抜き』。日本のやり方でしたいという彼らの意向と、トランプにババがなかったのとでそうなった。一番勝ちが一番負けの手を叩いたりつねったりなどの罰ありで、結構長い間やっていた。
 またくもって彼らは飽きないのだろうかか?
 「えー?まだやるの?一体いつまで?」私達はそんな感じだった。
 トランプ終了のきっかけは夕飯。別のテントに移って食べたのだが、羊肉のトマトシチューをご飯にかけて食べるというスタイル。猫まんまみたいな感じ。これが結構いけるのだ。本当においしかった。野菜があるというのにも肉を食べるというのにも少しばかり驚いた。
 
ゲルの中には、カラフルな織物がたくさんかけられている。宿泊したゲルのご主人はかわいらしいチューリップハットを被っていた。

 夜11時に就寝。ゲルには既に布団が敷いてあった。かなり厚手の敷布団で、その上にミノムシのように厚手の布団にくるまり、その上にも掛布団があったのだが、KリンもSープもとても寒かったと言っていた。私も冷えた足が暖まらず、なかなか眠りにつくことができなかった。



 翌朝、湖に向かって草原を散歩。Sープは馬に乗って、私とKリンは歩いて。

ゲル解体の様子。みるみるうちに骨組みだけになっていった。  
 その日も相変わらずの曇天だった。湖のすぐ傍までは行けなかった。柵がしてあったし、遠回りして近付くには帰りのバスに間に合わない時間だった。本当はじっくりと、ボケーッと湖を見ていたかった。天気は悪かったけど、迫力のある雪山を見ているだけでも心が洗われる気分だった。
 ゲルまで戻ってくると、2つのゲルを解体中だった。理由は分からないがゲルがどのようにして組み立てられているのかがよく分かったし、いいもの見ちゃった!!という感じ。

 その後、遅めの朝食を取ろうとした時、主人から宿泊費の話が。一人50元だという。宿泊が35元、食事が1食5元ということだ。

 はい??
 話が違うじゃないか〜。食事込みで1泊20元のはずだという私達とそれは有り得ないという主人。昨日20元で交渉した人を連れてきたが、その人も仕方がないと言う態度。



 確かに主人と直接値段の交渉はしていなかったが、あまりに高すぎる!スウェーデン人は55元払ったと言っていたが、そんなのは関係ない。しばらくの沈黙を経て交渉したのだが、結局3人で100元払った。あぁ…、せっかくいい気分だったのに。お金の揉め事はしたくない。
 朝食を終えて外に出ると、青空が広がり始めていた。思わず歓喜の声をあげる。やはり青空に映える景色は美しい。
 残念ながらカラクリ湖側は完全に晴れ上がらなかったが、一部だけでも青い空を見ることができてよかった。そのままもう一泊したらすばらしい湖を見れたのかもしれないが、この寒さには耐えられない。後ろ髪を引かれつつも、その日の昼にカラクリ湖を出発した。


 バスが来るまでしばらく時間があったので、ゲルからカラクリ湖畔のバス停まで歩くことにした。途中でキルギス族の人と出会い、何となく一緒に歩く。
 「あれは何て呼ぶの?」
 「日本語ではラクダ(え!?)、英語でキャメル、中国語でルゥオトゥオ、キルギス語ではトゥー。」
 
雪を頂いたムズターグ・アタ山の手前にカラクリ湖がある。  
 意外や意外、『ラクダ』という言葉を知っているとは!びっくりした。
 バス停に辿り着く前にバスが来たので、結局カラクリ湖を間近でじっくりと見ることはできなかった。以前Rンズが見せてくれた、カラクリ湖にくっきりと映っている逆さムズターグ・アタ山の姿も、風のせいで見られなかったのは残念だ。

 若干の悔しさを抱きつつ、11時半にカラクリ湖を出発した。

 カラクリ湖ではキルギス族の人々と交流をしたのだが、見た限りではキルギス族は男性の力がとても強い感じがした。
 御主人と一緒にトランプをしていた時の彼の態度は和やかだったし、敗者となって腕をつねられている時の表情も子供のようだったのだが、食事の時は家族に対する威圧的な雰囲気を感じた。ご飯も一番先に装ってもらい、それからお客の分。お母さんや子供達は最後だ。しかし、お客のお皿が空になると「食べなさい」と自ら装ってくれたりもする。そういえば、食事中に写真を撮るのは良くない、と言っていたっけ。あの時も少し怖かったな。

 ここの御主人は社交的な人で交流がとても好きなようだったが、お母さんとはほとんど交流していない。恐らく中国語が話せなかったのだと思う。
 御主人の兄弟は5人。彼が一番上で37歳、一番末の子は15歳で中学校を卒業したばかりだという。この親子のような年の差には驚いた!
 しかし1985年以降、法律で子供は3人までと決められているらしい。これは中国に住む少数民族共通の法律なのだろうか?彼の話では、新疆にはウイグル族が一番多く、その次がカザフ族。キルギス族やタジク族はとても少ないということだった。
 彼の仕事場は山の中。しかし、何をしているのかは残念ながらよく聞き取れなかった。お金のことで最後に少し嫌な思いはしたが、チューリップハットのようなキルギス族の帽子を被った彼との交流はいい思い出となった。
 
ゲル集落の子供達。鼻の下はカピカピ状態。寒さでほっぺも赤くなっている。





 タクラマカン砂漠を南から北に向けて横断するためにホータンに訪れた。ここが砂漠縦断の出発点となるためだ。
 ホータンは玉石が有名で、石を売る小さな店が固まっている一角がある。道端で布の上に石を広げて売っている人々や、石の小物を売りに来る子供達も結構いるのだ。

カシュガルからホータンまでの車窓の景色。  
 カシュガルからホータンまではバスに乗って日中に移動したのだが、この道中にすばらしい景色が楽しませてくれた。カシュガルを出発してすぐに、右手に非常に美しい山々が見え始めた。恐らくコンガール山だと思われる一番高いその山の頂は真っ白で、雲1つない青空とのコントラストはうっとりするほどすばらしかった。手前に広がる畑や木々の緑との色の兼ね合いも見事だった。しかし自分の席は左側の窓側。残念だったこと、この上ない。

 ホータンは「めちゃくちゃ暑い」という印象が強烈に残っている。旅の疲れが溜まっていたせいもあるのかも知れないが、とにかく暑くて体力を消耗しまくりだった。
 それから意外に物価が高いと感じた。到着した日に探した宿泊地は、大した設備が整っている訳でもなさそうなのに一泊50元を下らない所が多かった。「安くならない?」の言葉に対して速攻「ダメ」という返事が飛んでくる。取り付く島がない。だからここでは一泊20元のドミに泊まることにした。

 ホータンは絨毯も有名だということだったので、絨毯工場の見学に行ってきた。迷いながら辿り着いた絨毯工場では、女性を中心とした労働者がずらりと一列に座って絨毯を作っていた。
 初めて目にする絨毯の作り方。非常に根気の要る作業だ。上方から毛糸を手元まで下ろしては、ナタのような刀でその毛糸を切って行く。永遠とそれを繰り返していく。一気に出来る作業ではない。地道な時間のかかる作業だ。
 紙に書いてある図案の模様を見ながら毛糸の色を変えていくようだが、私から見ればまるで神業。かなりの時間をかけて習得する技術なのだろう思う。出来上がった絨毯には、中国の地図(しかも地名までちゃんと入っている!)や毛様の顔、などという変わったものまであった。
 同じ敷地内で出来上がった絨毯も売っていたのだが、綿、毛、シルクの絨毯があり値段もかなり違う。観光客に「これは4600元だよ。シルクだから。」と答えている従業員のおばちゃん。思わず聞き間違えかと思ってしまった。6畳間ぐらいの大きさだったか、毛のは600元だと言っていた。
 
絨毯工場で働く女性。右手には刃物を持っており、様々な色の糸を編みこんで模様を作っては切る作業を繰り返す。

 あの絨毯作りの工程を見た後だったのでとてもお買い得だと思ったのだが、そんなデカイ絨毯を買って帰る訳にもいかない。それにしても、ここでも商魂逞しいおばちゃんの態度。香港から来たらしい他の観光客には、高めの値段を言っていた。日本人なんて言ったら、どんな値段をふっかけてくるのだろう?


 この後、ホータンの石が採れることもあるというユーロンカーシー河を見ようと思っていたのだが、あまりの暑さでパス。バスから石を探しているらしき人々の姿を眺めるに止めた。

街でくるみを売る女性。奥の緑色はくるみを剥いた残骸。彼女の手は真っ黒だ。  
 ホータンで有名な玉石。何件か店をまわったのだが、例えば同じペンダントトップでも店によって値段が全然異なる。欲しいものはじっくり値段比較をしてから買った方がよさそうだ。Sープは腕輪を、Kリンと私はお揃いの指輪を買った。しかし、Kリンの指輪は数日後に割れてしまった。意外とデリケート(もろい?)かも知れない。

 バザール地区もブラブラしたのだが、香辛料の香りや羊肉串などウイグル族の香りがプンプンしていた。ただし、週末ではなかったのでそこまでの賑わいもなく、特産の絨毯を売る店も目にすることはなかった。

 また、街では『胡桃』を売っている姿をよく見かけた。片手で持てるぐらいの大きさの緑色の果実をナイフで割り、取り出したばかりの胡桃を1皿2元で売っている。彼女達の手は恐らく灰汁のせいだろう、真っ黒になっている。試しに1つ買ってみたのだが、食べ慣れている乾燥&ローストした胡桃の方が香ばしくて美味しいと思った。





 今回の旅の楽しみの1つはタクラマカン砂漠の横断だった。あの、遥か昔に地理の授業で習ったことのある、多分誰でも一度は聞いたことがあるであろうタクラマカン砂漠である。ホータンから約17時間北上するという、バスによる横断だ。

 午後1時にホータンを出発し、しばらくは東に向かって走る。そして、民豊を過ぎて進路を北に変えて南北に砂漠を横切るのだ。砂漠突入までは草原の中を走った。羊が放牧されており、長閑な風景が広がっていた。
 しかし…。草原からだんだんと砂漠らしき風景が見え始めた頃に日没となってしまった。
 …という訳で実は「今まさに砂漠の真ん中を突っ切っているんだ!」という風景を目に焼き付けることはできなかった。闇夜の中での砂漠のシルエットのみ。これは計算外の出来事でちょっと残念だった。

 しかし神は私を見捨ててはいなかった。別の宝物を用意してくれていたのだ。日が沈んでしまったので仕方なく寝たのだが、ふと目が覚めた時に目に飛び込んできたもの。それは地平線ギリギリまで見える満天の星々。
 折りしも賑やかな夏の星座オンパレードの季節で、幸いにも闇夜だったので天の川までくっきりと見えたし、流星までもが花を添えてくれた。南西の低い位置には蠍座や射手座も存在感ある輝きを見せていた。しばらく寝台バスに揺られながら贅沢な一時を過ごせた。
 
タクラマカン砂漠。駱駝がのんびりと数少ない草を食んでいる。
 あ〜、幸せだった。
 そしていつしかまた夢の中へ…。次に目覚めた時、東の空からちょうどお月さんが上ってくるところだった。地平線から上る月を見るのは初めてで、幸せ独り占めという感じである。



 そして、運転手に「輪台で降りる人、早く!」と言われて目が覚めた。朝の6時。まだ外は暗い。ここは新疆だから、北京時間の6時は新疆時間の4時に当たるのだ。この時はもうタクラマカン砂漠の横断は終わってしまっていた。
 こんな感じで砂漠らしい砂漠の風景は見ないまま(一応ホータン出発後に砂漠は見ていたのだけど)、壮大なる砂漠横断はいつの間にか終了してしまっていた。





 輪台からクチャまでは、道路を走っているバスに手を上げて止め、乗り込むしかないらしい。私達3人だけでは到底そんなことできなかっただろう。
 輪台で他にウイグル族の人達も5名降りた。「彼らもクチャに行くから着いて行け」とバスの運転手に言われた。どこかにクチャ行きのバス停でもあるのかな?ぐらいに思っていたら、おもむろにその中の1人が走ってくるバスに向かって手をかざしている。
 えー?まじかい。そうやって乗るの…?
 その内1台のバスが止まった。どうやらみんな乗れるらしい。そして1人10元だと、バスを止めてくれたウイグル族のおじさんがSープに告げたらしい(おじさんが安くしろと交渉したようだ)。
 私とSープは一番前の上段ベッドに2人で小さくなって座り、Kリンは乗車口すぐのところに座った。そのうちバスの乗務員がお金を集めにやってきたのだが、1人25元だと言っている。
 は?1人10元じゃなかったん?話が違う。
 「10元でしょ?」というとバスの後方まで歩いていき、戻ってきたらまた25元払えと言う。またボラれてる!しばらく沈黙していたが、結局3人で50元払った。
 「いつもの私だったら絶対10元しか払っていない!」とSープは言っていたが、何せ疲れていたので闘う気力がなかったらしい。
 昨日、ホータンで切符を買ったときは、輪台・クチャ間は15元だと言っていたから、3人で5元多く払ったことになるのだろう。それにしても外国人だと分かるとふっかけてくるという場面が何と多いことか!!!

 バスの移動で疲れていたので、クチャ1日目は休憩の日とした。翌日の遺跡巡りのために旅行会社に車のチャーターをお願いしに行ったら、400元と言われた。ガイドブックには250元が相場だと書いてある。高すぎ!交渉するが安くならない。肝心の、250元だとガイドブックに載っていた旅行会社は休みだった(かきいれ時だろうにやる気なし)。仕方ないので、翌日自分達で直接タクシーと交渉することにした。



 翌日、交渉すること3つめのタクシーで、『のび太』と出会った(のび太は私達がつけたあだ名である)。まず、漢族であること(漢族でない場合中国語が話せないことがある。それは困るのだ)、それから値段が安いことが条件だ。彼は私達が行きたい3箇所を廻るコースを200元でOKした。そして車も丁寧に扱っているようできれいだったし、無口で真面目そうな印象が良かった。

クズルガハ烽火台。かなり風化が進んでいる。  
 青空に映えるポプラ並木の抜けると一面の砂の世界が待っていた。まずはクズルガハ烽火台へ。遺跡は剥き出しで触りたい放題のずさんな管理だ。そしてそのずさんさに便乗して、しっかりと触ってきた。

 次は塩水渓谷景勝区で停車。斜めの地層を持つ岩の重なる風景に圧倒される。渓谷とは名ばかりで水はなく、塩のせいで白くなっているのが見えるのみだった。

 
塩水渓谷景勝区。ゴツゴツとした岩がかなたまで続く。
 その後ポタラ宮に似ているという岩の景勝区でのび太が止まってくれた。サービスいいじゃん!だけど…ポタラ宮、ね。本物は見たことないけど本当に似ているのか(疑問)???

仏教文化の歴史を伝えるキジル千仏洞。洞窟内部の写真撮影は禁止されている。  
 それから本日のメインイベント、キジル千仏洞へ向かう。1時間強も砂の中を走ってやっと到着。
 キジル千仏洞は、亀茲国の貴重な仏教文化遺跡である。4〜6世紀の石窟が多く、敦煌の莫高窟より歴史は古い。
 まずは博物館で千仏洞からの出土品と壁画の複製を見物したが、出土品は少ない。盗掘に遭ったり、イスラム教徒に破壊されたということだ。それにしても岩山に石窟を掘って仏像を安置したり壁画を描いたりして仏教を信仰するなんて、昔の人々はすごいことをしたもんだ。そのエネルギーはどこから来るのか?敬虔な信仰心に他ならないのだろう。
 実際に崖に掘られているいくつかの洞窟にも入ったが、中はがらんどうのものが多かった。壁や天井に仏教の遺構がわずかに見られる程度だ。

 最後に、のび太おすすめの大峡谷へ行くことにした。ガイドブックには載ってないのだが、近年中国のAAA級景勝区に指定されたらしい。そんな話を聞いたらプラス100元だけど「やっぱ行っとく?」って感じだ。

 夕方になって大峡谷へ到着。かなりでかい2つの岩山の間の峡谷を歩いて散策するというコースになっており、総長3.7kmあるらしい。が、1km附近で引き返した。もう日が暮れてしまう、そして結構疲れた、というのが理由だ。しかーし、のび太に引き返した場所を示したら、その先に目玉があったと言うじゃないの。もっと早く教えてくれよ〜!でもそれなりに満足はした。

 この日は、古代の人間が作った遺跡と、年月をかけて造られた大自然の両方を満喫できた。そして、翌日行きたいと思っていた遺跡。やっぱりこの人しかいないでしょう!ってことでまたのび太にお願いをしたのだった。
 
大峡谷。巨大な赤褐色の、不思議な模様が刻まれている岩と岩の間を進んでいく。スケールの大きさには驚くばかり。



 翌日は昨日の快晴がウソのような曇天。

スバシ仏寺遺跡。子母川を挟んで西の遺跡と東の遺跡に分かれている。  
 のび太に連絡を取って、仏教遺跡のスバシ仏寺遺跡へと向かう。遺跡はやはり触りたい放題。唯でさえ風化が進みそうな遺跡群なのに。そして、のび太がまるではしゃいでいる子供のように私達を先導しくれる。向こうに見える背の高い遺跡の一番上に立って我々を待っていたり(写真が撮れないんだよー!)、怪我に効くという野生西瓜の実を探してくれたりと、彼は彼でメチャクチャ楽しんでいた。と、思う。おまけに入場料は払ってなかったし(ガイドさんは免除?)。
 そういう訳で、こちらも運転手を待たせる時間を気にせずに十分な時間をかけて遺跡を見て廻れた。

 のび太の話では、今は子母河を挟んで西と東に分かれているこの寺院跡は、昔は1つのものだった。しかし、河のせいで分断されたということだ。また、この寺院は西遊記にも出てくると言っていた。砂漠に広がる古代の遺跡に思いを馳せた一時だった。

 のび太は本当にいい人だった。
 私達が知らない景勝地や景色のきれいなところでも、進んで車を停めてくれた。
 1日目は、クチャの街が近くなってきた附近で西瓜を買い、その場で食べ始めたのだが私達にも勧めてくれた。
 彼は個人でタクシー運転手をやっているらしい。だから、車もとてもきれいにしていたのだ。社長になりたがる中国人らしいなぁ、と思った。彼に出会えたことで、クチャの旅行はグッといいものになったと思う。
 反対にクチャで最悪だったのは、宿泊地だ。探し回った挙句十月賓館というところに泊まったのだが、ここのサービスは最低。従業員が働かないのだ!あんた達の仕事でしょう!ってこともやらないのだ。いや、彼女だけだったのかもしれない。しかし、仕事に対して一体どう考えているのか、全く理解できなかった。

 結論。世の中にはいろんな人がいるものだ。





 イーニンは新疆の北に位置するイリカザフ自治州の州都で、ウルムチからバスで約14時間強かかる。長春で会った新疆出身の人々は、イーニンは新疆で一番緑が豊かできれいなところだ、と言っていた。イリカザフ自治州の見所はイーニンの郊外にあるため、イーニンを拠点として1日は草原、1日は湖の観光をした。


 ウルムチを出発した翌日の昼前にイーニンに到着した(所要14時間半)。
 まずはホテル探し。そしてイリカザフ自治州の見所を知るべく旅行会社へ出向く。そこで、ナラティの大草原とサイリム湖がよさそうだという情報を得た。しかし、そこの旅行会社を利用すると1人580元もかかる。もう一社他の旅行会社に行くことに決めて地図を頼りに探すのだが…見つからない。結局旅行社は引越しをしてて、引越し先に着いた時はもう会社が終わっていた。
 え?まだこんなに明るいのに…?
 時計を見るとすでに20時をまわっている。いつの間に…。最初に行った旅行社も終わってしまっていた。かなり歩いて疲れたのでタクシーでホテルまで帰ったのだが、その運ちゃんが教えてくれた。
 「ナラティなら信源経由でバスで25元で行けるよ。時間は小型自動車で2時間半ってとこだ。信源からナラティ間もバスが走っていて5元だよ。」
 うーん、すばらしい情報をありがとう。ということで、翌日私達はバスを使って行くことに決めた。




 イーニン2日目。10時ぐらいにホテルを出てバスターミナルへ向かう。11時の信源行きのバスに乗ることにした。そのバス、一目見て「ボロっ」と声を挙げてしまうぐらいの代物だった。中国にはボロいバスはたくさんある。仕方ない。
 乗り込んだはいいが…。このバス、思いもかけない落とし穴付きだった。ノロい!余りにノロ過ぎるのだ。最初はこんなものなのか?と思っていたのだが違ったらしい。どうやら客引きのためのらしい。途中からは、運ちゃんがグアズ(ひまわりの種)を食べながら運転する始末だ。
 バスが信源に到着したのは16時。5時間もかかってしまった。そこからさらにナラティまで行かなければならない。バスターミナルで聞くと、約1時間かかるらしい。信源からイーニン行きの最終バスは18時10分発だった。ってことは…?ナラティに行ったらイーニンには帰れない?信じられない〜。
 しかし、ここまで来てナラティに行かない訳にはいかない。シープと私はナラティ行きのバスに飛び乗った。バスのおばちゃんは、これに乗ればナラティ草原に行けるって言ったし。このバス、速い速い!イーニン・信源間もこんなバスだったら…と何度思ったことか!運が悪いとしか言いようがない。

ナラティ大草原。あいにくの天気だったが、遠く彼方まで広がる草原は見る価値がある。  
 ナラティには1時間強で到着。バスを降りたら早速タクシーが声をかけてくる。が、草原まで30kmで往復150元だと言いやがる。高すぎ!足元見やがって…って感じ。120元までしか安くならなかったのだが、草原が一体どこにあるかも分からないしOKした。そして、そこで得た朗報は、夜10時発イーニン行きの夜行バスがあるってこと。よかった…!
 だけどこのタクシー、やはり相当ふっかけていたようだ。カザフ族の人が往復120元だと聞いて、かなり、そう、かなり驚いていたからね。

 車はかなりのガタガタ道を走り、小高い山を越えていく。周りには素朴な野生の花々が咲いていてとてもきれいだ。ナラティ草原は自然保護区で、入場料が必要(1人10元)。入場ゲートを通過すると、すぐに大草原が目の前に広がった。

 放牧されている羊や馬の群れ、それから多くのゲルも見えてきた。カザフ族のゲルだ。
 ゲルの中はカラクリ湖で宿泊した時と同じように絨毯が敷き詰められ、カラフルな布が壁にかけられている。ゲルの外側に施されている模様と同じものが見られ、可愛らしい。

住人から1泊20元だと聞いて(安い!!)、泊まって帰りたい…という気持ちがフツフツと沸いてきた。が、何より薄着の私達は夜の寒さに耐えられない気がした。草原の周りには雪を頂いた山も見えるのだ。夜は寒いに違いない。
 それに、翌日予定している湖観光が『ぱぁ』になってしまう。

 しばらく草原を散策する。夕方が近付くに連れて雲が広がってきたので、残念ながら青空は見えなかった。草原にはやっぱり青空がよく似合うと思う。
 そんな時忌々しく思い出すのは、あのノロノロオヤジのバスのこと!!!でも、空気はきれいだし、カザフ族の人達と話をすることができたし、1時間ぐらいの短い滞在だったけどやっぱり来てよかった。

カザフ族のゲル。きれいな模様のゲルもあれば、後ろに見える皮のような布のみで覆われるゲルもある。
ゲルの中。非常に可愛らしい。しかしどのような寝具を使うのだろうか?
 ゲルで暮らしている人々も、夏が終わればナラティの街に移動するらしい。ゲルや放牧は夏だけの風景なのだ。それにしても、ここはゴミが多い。自然保護区だというのに何てこと!カラクリ湖よりも観光地化されているからだろうが、ゴミに対する意識はとても低いのだろう。景観も損ねるし、残念でならない。

 ナラティ発22時の夜行バスは、寝台ではなく座席バスだった。しかも窓の隙間から風も入ってくるというあまりステキじゃないバス。
 最初は客引きでノロノロ運転。本当に出発したのは23時ぐらいだった。そして途中で酔っ払いの男達が乗ってきて、喧嘩を始めるという最悪に事態に。喧嘩するなら降りてしてくれ!そのうち降りていったので一安心だ。
 寒かったし、一部の乗客のマナーは悪かったけど、このバスでまたもやきれいな星と御対面。かなり大きな流星もいくつか見れた。ホントにラッキー。しかもイーニンには3時に到着した(速い!あまりの速さにびっくり。っていうか、やっぱり昼のバスのオヤジが遅すぎたのだ。)徹夜覚悟だったのに思いがけずホテルで寝ることもできたし、まぁ、とりあえず合格点が出せる1日だったかな。



 イーニン3日目。前日のこともあったし、夕方には必ずウルムチ行きのバスに乗らねばならなかったのでタクシーで動くことにした。交渉だ。2人目の運ちゃんが、サイリム湖まで往復2時間半(実際は3時間半かかった)、料金200元と言ってきたのでOKを出した。

 朝から快晴でサイリム湖までの山道の景色もすばらしかった。そして何と言ってもサイリム湖の青さ。あれを堪能できたことには本当に感謝している。昨日、カザフのゲルに泊まっていたらこの景色は見られなかっただろう。帰ってきてよかった!自分達の選択に間違いはなかった!

 サイリム湖はとても大きな湖。東西20km、南北30km、最深部は85mで、標高2073mと新疆で一番高地に位置している。湖の周りにはカザフ族のゲルがあり、羊などの放牧も行われている。ここの羊は団体行動がお得意のようだった。やたらとくっ付きあっている。湖の側で昼寝している羊の姿はほのぼのとしていて、見ているだけで口端が緩んでしまう。
 
サイリム湖を小高い丘から見下ろした風景。360度のパノラマとあまりの青さに大感激!!
サイリム湖畔で放牧されている羊。手前の4頭は常にくっついて行動しており微笑ましい。  
 この湖を一望すべく、小高い丘に登ることにした。丘には放牧されている山羊の姿もあり、まるでアルプスの少女ハイジになった気分だ。少しきつかったけど、湖の全景を見たらそんなものはどこかに吹き飛んでしまった。湖の反対側には一部に針葉樹林を有す山々がどーんを構えている。雄大な自然のパノラマ。これは目に焼き付けておくしか方法がない。


 新疆旅行の最後にこんなすばらしい景色に出会えたことに感謝。しばらく感激の一時を過ごして、イーニンへ戻った。





 
 新疆での食事。毎日毎日同じものばかり食べていた。代表的なものとしては、羊肉串、ナン、ラグメン、ポロが挙げられるだろう。果物は、葡萄、ハミ瓜、西瓜、それから場所によってはイチジクがあったり、果物じゃないけど生の胡桃があったり。
 市場を見る限りでは、野菜の種類はあまり豊富じゃなかった。長春の家の近くの市場には色とりどりの野菜が並んでいるのだが、新疆の市場には青い菜っ葉類が少ない。根菜類が大部分を占めていたような気がする。



 羊の肉。新疆の人達とは切っても切れないものだ。市場でも取引されるたくさんの羊を目撃!少し郊外を走れば、羊の放牧はいたるところで行われていた。
 羊と聞いてまず思い浮かべるのは羊肉串だ。ウイグル族が住んでいる一帯には、必ず羊の串を焼く煙が漂っている。そして、これがまたうまい〜!新鮮だからかな?臭みも感じない。長春で食べる羊肉串には「ズーラン」という独特の香りを放つ香辛料がまぶしてあることが多いのだが、新疆のは塩と胡椒のみ。時に辛めの香辛料を使ったのがあるぐらい。そして、この串とビールってば、油条と豆乳と同じぐらいのベストカップルと言えるだろう!
 一番美味しかった羊肉串は、イーニンの解放路沿いの中国銀行すぐ側のイスラム料理屋で食べたもの。1本3元と値段はかなり高めだったけど、これ、マジで美味かった。サイコー!!!
 



 
 ナンは、バスで移動する際にとても便利な非常食となる。
 大部分のものは塩味である。一箇所だけ、ウルムチで砂糖がまぶしてあるのを見かけたが、他は塩味だった。現地の人達は全てを指して「ナン」と言っていたが、薄くて模様が施されているナンや、日本ではベーグルという言葉で同じみの、真ん中に穴が空いているものがあった。
 ベーグルはキルギス族のゲルに泊まった時にも食べたのだが、プレーンヨーグルトとよく合う。
 ナンかベーグルか。私はナンの方が好きだ。その中でも香ばしさと塩加減が絶妙だったのは、ホータンの路上で買ったナンだった。



 ラグメンは、ほとんど毎日食べていた。手打ちの麺でいけるのだ。暑くてもツルツルっと食べられるのがラグメンだ。
 ラグメンは、うどんに似た麺に、羊肉やトマト、マメ、ジャガイモ、ラージャオ(辛いピーマン)などを炒めた餡をかけて食べるものだ。店によって餡の材料が違ったり、味付けが違ったり、麺が茹ですぎだったりと、いろいろだった。でも食べ飽きることはなかったなぁ、不思議と…。結構油っこいのだが。
 イチオシのラグメンは、クチャのバスターミナル前に並んでいる店の中の一軒、確か「拌面王」とでかく書いた看板があった店。トマトの酸味がほどよく効いていて、ツルツルした細めんの感触はまさしくパスタのよう。もう大感激!
 



 いろいろな店でご飯を食べたが、その中でのイチオシは、イーニンのイスラム料理屋だ。
 うまい、安い、そして従業員が明るい(何故にあんなに明るいのだ?民族性なのだろうか?)。
 イーニン滞在中、3回も食べに行った。羊肉串、餃子、釜で焼く包子、ポロ、ラグメン、前菜類。どれも安くておいしかった。そして、ここにはなんとビールまで置いてある。最初に行った時は、まさかビールがあるとは思わず、飲みたかったけど注文しなかった。しかし、イーニンを去る日には羊肉串と一緒に注文!その店で働いている女性に「信じられない〜」なんて目でチラチラと見られてもへっちゃら。だって幸せだったから。うふふ。