2004年6月6日〜8日

多くの朝鮮族が住む地方、延辺朝鮮族自治州にある延吉。北朝鮮との国境もすぐそこに!果たして北朝鮮はどんな様子なのだろうか。



 長春から延吉までは、列車またはバスで行くことができる。
 今回は少しゆっくりめの寝台列車で延吉まで行くことになった。19時40分に出発して、延吉に到着するのは翌日の5時半前だ。偶然にも鎮莱のCァイと一緒に行くことになり、2人して延辺大学で日本語を教えている同期隊員のシャンコー姐を訪ねるという旅。約1ヶ月の歳月を経て、鎮莱で一緒に徹夜した3人がまた揃うことになる。
 のんびりやの私達は、出発30分前という無茶な時間に長春駅近くのピザハットに入り夕飯を注文。あれ?ちょっと時間がヤバイかな…って頃に、生徒から電話がかかってきたりなんかして(それでもピザを片手にゆっくりはっきりと会話していた私…)、店を出た後は猛烈ダッシュをかますはめに。しかし何故か「絶対に間に合う」という妙な自信を持っていた。
 そして列車がホームを滑り出した時には、一番下の寝台に息を切らしながら座っている私達がいた。

 翌朝時間通りに延吉に到着した。駅に降り立つと、さすが朝鮮族の町だ!と思わせる看板が目に入る。中国の漢字とハングルが併記されている駅名に始まり、あちこちにハングルが溢れている。ここは朝鮮族の町なんだ、と主張しているかのようだ。
 タクシーを拾って延辺大学を告げ、まだ寝ていたシャンコー姐を電話で起こし、無事にS姐の部屋にたどり着いた。
 S姐の部屋は、延辺大学ホテルの一角にある外教宿舎内にある。そこには、延辺大学で教鞭を取っている外国人教師達が住んでいるのだ。
 延辺大学にはS姐を含めて3名の日本人教師が日本語を教えている。日中技能者交流センターから派遣されている先生と、個人契約の先生。しかしその2人は今年の夏に任期満了、日本へ帰国するらしい。S姐は古株になるわけだ(っていっても、まだ1年も経ってないのにね)。
 私の高校の外教は私1人。個人契約教師を雇うなんてとんでもないって感じ。さすがに、日本語学部がある大学は違うのだ(まぁ、そのぐらいはしないとねぇ…)。





 延吉に到着したその日、向かった場所。北朝鮮との国境の町、図們である。S姐と日本語・中国語の相互学習をしていた学生が帰省していて、彼女が図們を案内をしてくれるということだった。朝鮮族の張栄華さんと言う。

 延吉から図們までは、バスで1時間半ほどだった。その道程、まさしく日本の田舎を走っているような錯覚を起こす風景が広がっていた。路の側にはそんなに大きくない川が流れており、川の向こうには田畑が広がり、さらに先には山が連なっている。いわゆる盆地だ。自分の故郷とそんなに変わらない様子が妙に懐かしかった。そんな訳で、図們までの道のりは私にとって郷愁を誘うものとなった。
 図們はこじんまりとした町だった。駅で栄華さんと待ち合わせる。彼女はとても日本語が上手な明るい学生だ。一見大学生には見えない幼さを残している。
 彼女は日本語学部ではないが、本当に日本語のレベルが高い。延吉地方一帯の日本語学習者は総じてレベルが高いようだ。これは、彼女達が朝鮮語と共に育ってきたということに大きく関係があるのだろう。朝鮮語と日本語の文法は大変よく似ていると聞く。漢族に比べて朝鮮族の方が日本語を学習するには有利なのだ。

日本のどこにでもありそうな風景。この川の向こう側は北朝鮮だ。  
 栄華さんによると、北朝鮮との国境以外に特に観光する場所はないという。駅から国境まで歩いて約15分ぐらいだということで、私達は早速歩き出した。

 これが国境???

 そんな国境だった。幅数十メートルの川。この川の向こうは北朝鮮、こっちは中国。島国育ちの私は国境には馴染みがないので、川だったり山だったり、あるいは単なる平地の向こうとこっちで国と国が分けられているというのが不思議だ。
 一応土手には有刺鉄線らしきものが張り巡らされているが、あまりの緊張感のなさに肩透かしという感じだった。自分が思い描いていた風景は、もっと物々しい警備がなされているものだった。

 川の手前にはビーチパラソルが並べられ、人々がくつろいでいる。川の向こうには人の姿は見られなかったが、非常にのどかな風景が広がっている。
 考えてみれば、川のこっちも川の向こうも同じ朝鮮族の人々が生活しているのだ。たまたま線引きされてしまって、違う国の人民に分けられてしまった。目には見えない国境、そんなことをぼんやりと考えてしまった。

 せっかくだから…、と、朝鮮族の民族衣装チマチョゴリ(あまりいい生地のものではなかったけれど)を着て国境をバックに記念撮影をする。
 
「中国図們辺境(国境)」の碑とともに、チマチョゴリで記念撮影。
 その後、国境の川にかかっている橋に行くことに!
 歩くこと約10分、その橋の上に立った(20元なり)。橋の中央に、国境がある。鉄板で作られた国境。その手前ギリギリに立って写真撮影。警備のおにーさんに撮ってもらった。しれっと向こう側に足を踏み入れたいなぁ、なんていう誘惑にかられながらの国境見物だった。  
漢字は『辺界線』と書いてある。この線の向こう側が北朝鮮である。  
 また、高さ20メートルぐらいの建物の上からその附近の景色を見下ろすことができた。望遠鏡を覗くと、北朝鮮側で農作業をしているらしき人達数人や、警備隊らしき人影も見えた。

 北朝鮮に繋がるこの橋の向こう側には、アパートらしき建物が結構並んでいたが、あまり生活感はなかった。外で活動している人達の姿は非常に少なく、ポツリポツリと人影が見られる程度で、寂れた集落という印象を受けた。
 大した警備もなく、両国を区切るのは1本の川と土手の有刺鉄線のみ。冬になると確実に凍るこの川を渡ってくる朝鮮の人々がいても不思議ではない感じがした。

 橋の傍の建物にはお土産やが数件あった。北朝鮮のコインやたばこ、切手、地図などを売っている。
 S姐はたばこを買い、私は切手を買った。切手なんて使えるわけでもないのだが、まぁ、記念ということで。できるだけ北朝鮮らしい切手を!だけど、金一族ばかり描かれてある政治的な切手はイヤだ!と幾種類かの冊子を見比べた後選んだのは、風景や伝統衣装を着た人々の絵が描いてあるモノ。きっと今後見る機会もほとんどないんだろうが、まぁ、記念ということで。


 国境を後にして、さて腹ごなし。朝鮮族の料理といえば!冷麺だろう。
 栄華さんが図們で美味しいという冷麺屋に案内してくれた。客も多くとても賑わっている。そして冷麺もおいしかった。適度な酸味のあるスープとモチモチとした長い麺。朝鮮族料理の名物である犬肉ではなかったようだけど、満足満足。

 その後、栄華さんの家にもお邪魔させてもらった。これぞ中国の家!という期待を裏切らず、外見はとても汚い建物なのだが、内装は本当にきれいだった。図們に住んでいる人達は、大半が韓国へ出稼ぎに行っているらしい。中国で働くよりも韓国で働いた方が稼ぎがいいらしい。
 そういう理由で図們には産業らしい産業はない。消費だけの町なのだ。そして町を行く人々はみんな小奇麗にしている。中国だけど中国ではない。そういう匂いがする町だった。





 延辺大学4年生の送別会。たまたまその会が開かれる日に延吉に到着したので、送別会にも参加する機会が持てた。
 S姐と他の2人の先生方は、夕方から最終リハーサルを行った。演目は、さくら(日本語)、エーデルワイス(英語)、アリラン(ハングル)の3曲で、S姐は歌、他の先生方は二胡(にこ)を弾くということだ。そして、朋友(中国語)も歌おうということになり、思いがけず私とCァイも一曲参加することになってしまった。


学生達がチマチョゴリを着て歌を歌う姿はとても華やかでかっこいい!!  
 午後6時からホテルの広間を借り切って始まった送別会。想像していたのとは違い、飲食はなしで、演目を観賞するという会だった。
 大学1〜4年生が歌ったり踊ったりで練習の成果を披露する。チマチョゴリを着て民族舞踊を見せてくれたグループもあった。みんな歌も踊りもとても上手。

 そんな中、めちゃくちゃ緊張していたS姐。可愛かったよ〜!

 オオトリは4年生による<<乾杯>>の合唱。歌いながら感極まって泣いている女生徒もいた。これから社会へと旅立つ学生諸君、荒波にもまれても、たくましく乗り越えて行ってね。

 その夜4年生は宴会の席を設け、私とCァイまで招待してもらった。
 中国式の円卓テーブルに豪華な中華料理が次々と並ぶ。中央にはドーンと魚の餡かけ料理がおいでである。
 宴会がスタートして驚いたこと。それはみんな酒がめちゃくちゃ強いってこと!何度コップをカラにしたことか(ビールだけど)。誰かが飲んだら、そこからウェーブが始まり、横、横、横の人々が次々に飲み干していくのだ。まるで波が押し寄せてくるように。
 それから初めての体験でおもしろかったこと…。円卓のテーブルを回して、魚の頭と尾が向いた人がコップを空にしなければならないというやり方。酒飲みが揃っているから、盛り上がる盛り上がる。
 最後には、コイバナにまで発展してそれぞれが語る語る。主任の先生までが自らの恋の体験談を語るという非常に愉快で楽しい宴会になった。
 2次会もちゃんと用意されていた。カラオケだ。韓国の歌、中国の歌、日本の歌が揃っている。みんなよく歌うし、よく踊る。
 大学生活に終止符を打つかのように弾けまくっていた彼ら。私達は2次会までだったが、その後も続いたようだ。若さには勝てない…。突然やって来た私達まで招待してくれてどうもありがとう。





 今回は、S姐の授業を見学させてもらった。同じ教案の1年生の授業を2つと、3年生の授業。2日目と3日目に聴講した。
 S姐は日本人に話すのと同じようなスピードで学生にガンガン話している。それにちゃんとついていっている1年生。練習問題もソツなくこなしている。
 大学でほぼ1年間勉強してきているとはいえ、これには本当に驚いた。うちの学校の3年生が例えば延辺大学に入学したとして、果たして1年後にこれだけのレベルアップができるのか?最初はものすごく苦労するに違いない。さすが朝鮮族が多いだけあって、最初からそれなりの実力を持っている学生が多いのだろう。
 他の先生方も流暢な日本語を話されるので、否応なしにだんだんと慣れていくのだろうが、いやはや、驚愕の授業参観となった。

 私は長春に戻らなくてはならなかったので見ることができなかったのだが、1年生の次の授業はディベートということだった。お題は「結婚する?しない?」。学生がどんな意見を持っているのか興味があるところだったので、ひじょ〜に残念だった。

 3年生の授業は映画鑑賞。<<Life is beautiul>>の日本語吹き替え版。字幕なし。これを全部理解できる学生がいたとしたら、すごいわ。多分大まかな理解というところだろう。この映画、私も好きな映画なので自分の世界に入り込んで見てしまった。何度見ても名画だわ〜。





 
 延吉で食べたもの。
・朝鮮族の小料理屋で食べた朝鮮の味噌汁とご飯
・図們の冷麺
・学生達オススメの店で食べた焼肉
・延吉で働いている日本人のご夫婦と一緒に食べた焼き餃子
・参鶏湯(左の写真)

 どれも美味しかった。しかし、まだまだ美味しいものが隠れているに違いない。私より数日間長く滞在したCァイは、シチューのようなものを食べたと自慢していた。今度行った時は、またいろいろと美味しいものに挑戦しよう。
 やっぱり旅は食よ食!食は非常に大事だわっ!




 懐かしい気分に浸れた延吉。今住んでいる長春にはもちろん愛着があるが、山や川がないのはとても残念。
 長年、当たり前のように染み付いている風景というものは、自覚がないまま自分にとって非常に大切な部分を占めているんだなぁ、と改めて認識した旅だった。