2004年1月29日〜2月13日

自分の住んでいる場所、長春は東北地方で非常に寒い。暖かい場所を目指して、同期のKリンと雲南旅行を決行!





長い長い列車の旅大きな城市〜昆明〜灼熱の太陽〜西双版納〜ここは本当に南方?神秘の濾沽湖
観光地・世界遺産の街〜麗江〜白族の街〜大理〜夜行バスにてさよなら雲南






 北京西駅から昆明までは44時間の列車の旅だ。河北、河南、湖北、湖南、貴州を通り、最終的に雲南省に辿り着くという、長い長い大移動だ。おまけに列車内で自分に与えられた空間は狭い。
 中国の寝台列車は、硬いベッドと柔らかいベッド(まだ経験なし!なのでどのぐらい柔らかいのかはナゾ)の2種類ある。硬いベッドは上中下の3段に分かれており、6ベッド毎に仕切りがある(といっても個室になっている訳ではない)。私達は向かい合わせの下段のベッドで、約2日弱を過ごした。

 北京を出発した翌朝の天気はどんよりとした曇り。
 「南の天気はあんまりよくないようだねぇ…。」
 見える景色もなんとなくグレーがかっている。ずっとこんな天気なんだろうか、雲南も?途中で小雨が降る地域もあり、なんとなく嫌な感じ。
 翌々日も朝から曇天だ。全体的に景色は白のイメージ。昼過ぎには昆明に到着するのに…。

急に広がった青空に感激!!南方独特の赤茶けた土の色が新鮮だった。  
 しかし、ある山のトンネルを抜けた瞬間、本当にびっくりした!そこは一面の緑と鮮やかな空の青と、そして暖かいお日様の世界だったのだ。きれいな棚田が積み重なり、田の若い緑と褐色の土のコントラストが鮮やかだ。遠くまで広がる棚田の風景や、岩だらけの山々など、中国で初めて目にする車窓の景色を私はしばらく飽きずに楽しんだ。この景色を目にできただけ「列車の旅っていい!」と思ってしまう程、私はかなりの満足を覚えていた。

 この列車で、2人の中国人と知り合いになった。彼らはある劇団の団長とその子分だ。
 親分は北京出身の社交的なおっさんで、積極的に話しかけてくる。他人の領域にグイグイ入り込んでくるタイプの人間だ。子分は大理出身の白族(ペー族)の人で、親分に比べてかなり控えめで、大人しく、礼儀正しいので好感が持てる。びっしょり髪を濡らして、丁寧に櫛で梳きながら寝癖を直している姿なんて、かわいいよ。

 彼らに北京から持ってきたというおかずを食べさせてもらったり(初めて鶏の頭を食べた。そんなに美味しいものでもない…と思う)、日本の歌を教えてあげたり、親分の「鳥インフルエンザは日本が発祥の地だ」というとてつもない発言にあきれたりと、案外友好的な交流をしたのだった。


 この親分、昆明にホテルを持っているらしい。金持ちなのだ、多分。
 劇団は東南アジアやアメリカなど世界を相手に公演をしており、春節前の大晦日、中国人なら誰でも見るという「新年聯歓晩会」のトップバッターで雑技を披露したらしい。劇団のパンフレットも見せてもらった。団長の紹介では、おっさんの化粧姿がバッチリ載っていた。うむむ、美川バリだ。「素の方がいいよ…」と日本語でつぶやいた。
 別れ際に「昆明に泊まることがあったら是非連絡してくれ。歓待するよ。」と名刺を渡してくれた。ラッキ〜!どんなにすばらしい雲南のごちそうが待っていることだろう!期待せずにはいられない!
 昆明に宿泊することが決まった時に早速名刺の携帯電話にかけたのだが、つながらなかった。その後も何回かかけたけど、つながらないじゃないか!
 ったく〜、使えないっ…!






 昆明は雲南省の省都だけあり、さすがに都会だ。とても大きな街だ。自転車がかなりの速度で突っ込んでくる怖い街だ。
 市場には新鮮でまるかじりしたくなるような、いろんな種類の野菜やキノコや果物が並び、その横では生きた鶏(鳥インフルエンザ流行ってるのに)やウサギも売られている!ドナドナされていくのだ。
 街のいたる所に米線(ミーシエン)という看板の麺(米、麦、粳米から作る麺があるが米が一般的)の店があり、こんなに競合していて潰れないのかと心配になるぐらいだ。
 なんと言っても感心したのは、店の前に必ずゴミ箱が置いてある点だ。食べ物屋の店だけに限らず、日曜品や服を売る店先にも置いてある。これだけたくさんのゴミ箱が置いてあると、ポイ捨ても減ると言うもんだ。長春も見習ってもらいたいものだ。
 そして何よりも東北地方と違うなぁ…、と思ったことは、街を行く人々の背は低く、色の黒い人が多いってこと!

 昆明での目玉は『民族村』だった。雲南省に住む14の少数民族の賽(村)があり、それぞれの民族の生活の様子が分かるようになっている。
 ユニークなところでは、人間はひょうたんから生まれたという伝説のもと、ひょうたんを崇拝しているラフ族、女性の胸を崇拝?しているジンポー族(かなりリアルな胸のオブジェが2対もあったのだ!)、それから棚田を作らせたら天下一品というハニ族などが目を引いた。
 チワン族の賽では三七花茶を飲みながら、挨拶程度の日本語ができるチワン族の女性と恋の話などのおしゃべりを楽しむこともできた。

 雲南省を旅する際、少数民族に関する予習をするにはいい場所だと思う。入場料70元はかなり高いけど。
 
民族村のチワン族の女性。彼女は片言の日本を話すことができた。

 昆明には3泊したのだが、郊外の名勝古跡に行くには時間が中途半端で足りない、近場にはあまり魅力的な場所がないという感じで、思い出すのは毎日のように食べていた雲南名物の米線のことばかり。結構油っこい鶏スープに麺がはいっている庶民的な食べ物。
昆明で最初に食べた過橋米線。ボリュームたっぷりでおいしかった♪  
 米線の中でも、過橋米線というのが一番値段が高い。鶏のスープ、米線(麺)、その他お肉や野菜、唐辛子が別々のお皿で運ばれてきて、それらを食べる直前に一緒にするのだ。昔々、橋の向こう側で勉強をする旦那様のために、奥さんが鶏のスープと米線を別々にして運んでいたらしい。スープは油っこくし、さらに食べる直前にスープに麺を入れれば、冷めずに温かい状態で食べることができたとか。
 「橋を渡る=過橋」からその名がついたという話だ。




 昆明の鉄道旅行会社にシーサンパンナ2泊3日のツアーを手配してもらった。昆明とシーサンパンナ最大の都市である景洪は往復飛行機を利用したのだが、何しろ1日目は夕方に昆明を出発するといういただけない日程だった。だから、シーサンパンナ観光ができたのは実質2日間だった。
 シーサンパンナは暖かい。2月というのに日中はTシャツで十分だし(朝は肌寒いけど)、目に入る景色は見るからに“南国”なのだ。空港でお出迎えしてくれる椰子の木を見ただけで明らかに「昆明とは違うんだ!」という印象を受ける。
 宿泊ホテルは、たくさんの椰子の木がある広い敷地内にいくつかの宿泊棟が点在している所で、歩いているだけで「うわぁ、南国だ〜!」。そして、部屋の中も、もちろん南国!たくさんの蚊が私達を歓待してくれた。部屋に着いたその日の夜、12匹もの蚊を潰すことを余儀なくされたのだった。



 シーサンパンナでの2日目は、8人のツアーに乗っかって、猿山、泰族園、熱帯植物園を訪れた。ツアーのいいところは、移動手段や時間を気にせず、複数の観光地に連れて行ってくれることだ。ここシーサンパンナは各観光地間を結ぶバスがないため、個人旅行で1日に複数箇所訪れるのは不可能に近い。
 猿山では特に感動するものはなかったが、「ホォォォーッ!ホォォォーッ!」と、ツアーに参加している中国人達が誰1人残らず猿に向かって叫んでいた姿と声が忘れられない。あれは何だったのだろう?彼らはコミュニケーションしていたのか?無邪気なだけか?

 泰族園では泰族の家にお邪魔させてもらい、家の造りや生活の様子を見学することができた。おばあちゃんが黙々と餅を作っていた姿が印象に残っている。

 熱帯植物園に着いたのは昼過ぎだったのだが、本当に日差しが強くて暑かった。南国の木々や花を堪能し、まさに異国を体感できた。

 しかし、それ以上に私の心を大きく捉えて離さなかったものは…。気温が上がって暑くなってきたので「くまくん」というロゴ&かわいいクマの絵が入ったTシャツをその場で購入して、着用していたそこのあなた。それ、面白すぎるよ。どうして日本語なのか。どうして「くまくん」だったのか。ナゾだ。大きな笑いを提供してくれてありがとう。

 だがこのツアー、かなり不満だ。話が違うじゃないか!
 猿山はもともと私達が昆明で見せてもらっていたパンフレットには組み込まれてなかった。いきなり予定外の猿山に連れて行かれ、さらに猿山入場料の追加料金を支払う羽目になった。どうして他の人達は文句も言わないんだ?きっと、彼らは既に知っていたのだ(と思う)。それに金持ちに違いない。
  …まぁ、猿山に行ったことによりジャックフルーツがたくさん生っている木を見ることができたし、それは、百歩譲って、まだ許せる。わたしは寛大だ。

 
泰族のおばあちゃんが家の中で大きな葉っぱにお餅を包んでいる。  
でも、私達が一番楽しみにしていた「ガンランパ」で過ごす一時がなくなってしまったのは…!許せない〜(怒)。
 なんでじゃー!なんで猿山なんぞに行ったんじゃー!ガンランパで、メコン川のほとりで、のんびりと過ごしたかったのに…。
 怒りに狂った私達は、ツアー最後のイベントである夕飯の後、大理ビールとつまみを買って部屋で憂さを晴らしたのだった。



  3日目は、旅行会社と交渉して自由行動という設定にしていた。昨日のことがあったし、大正解の選択だったと、今でもそう思う。
 目的地は『曼飛龍仏塔』。何でもシーサンパンナのシンボルとも言うべき建築物で、1203年にインド僧によって設計され、タイ族の領主によって創建されたということだ。

バスに乗ってきた地元のおばあちゃん。持ち込んできた木にはお金がたくさん挟んである。これは一体何に使うんだろう?  
 9時前に景洪を出発し、小型のバスにかな〜り、そう、かな〜り揺られながら約2時間半。バスの中から見える景色は、日本の農村を思わせる長閑なもので心の洗濯ができた。バスの揺れを差し引いても十分おつりが貰えると思った。このバス、観光客だけでなく地元の人々もかなり利用していて、子連れの親子や老夫婦などが頻繁に乗り降りしていた。

 昼前に曼飛龍仏塔の近くのバス停で降り、地元の人に道を聞きながら歩き出す。
 タイ族の人々が暮らす小さな集落を通り抜け、約200段の緩やかな階段を上っていく。途中で振り返って見た風景がまたすばらしい。手前の集落の向こうにずっと広がっている田畑、さらにその向こうには山々が遠く連なって見えている。時間がゆっくりと流れている。高く青い空、鳥のさえずり、きれいに咲いている花々。のんびりした空間だ。
 仏塔は、雲南民族村で見た軽い感じのものとは違い、やはり重みがある。長年、この丘の上から人々の暮らしを見守ってきているのだから。きっと村の人達の日常生活にも溶け込んだ仏塔なのだろう。本当に立派な仏塔だった。
 さて、私達は空腹だった。もう昼も過ぎている。こんな小さな集落に食べ物屋があるのだろうか?
 仏塔へ向かう途中、何か食べさせてくれそうな場所があるにはあったので行ってみる。そこはお婆さんがやってる店だった。麺だけが入ったどんぶりが置いてある。どうするのだ?お婆さんの話す言葉はチンプンカンプン。さっぱり分からない。
 

 
 ジェスチャーから見ると、自分でスープや調味料をかけて味付けをするらしい。あぁ、お腹を壊すかもしれない…、と心配をしつつも他に食料がないので食べてみることにする。味は、まぁまぁだった。これで1元。安いなぁ。
 「一緒に写真を撮ってもいい?」了解を得て一枚パチリ。一緒に撮ったデジカメ写真を見せたら、その反応がよく分からなかった。もう一度撮って欲しいのかな?と思ってカメラを向けると、…逃げられた。あれ?イヤだったのかな(じっくり写真を見るとおばあさんがかなり嫌がっていた様子が分かる…)。

 夕方4時に景洪に到着後、買い物をして念願のタイ料理を食べた。昨日の”まじ?これってタイ風料理?”のリベンジ果たせたり!
 それからツアー客と一緒に空港へ向かったのだが、ここでトラブル発生。私達の飛行機は昆明行き最終便だったのだが、それが遅れてしまったのだ。本来なら22時半出発のはずが、約1時間半空港で待たされることになってしまった。

 最後はドタバタしたが、無事に昆明にも到着できたし、結果よければすべてよし!…としよう。





 
 濾沽湖は雲南省の北の方、四川省との省境に位置する湖だ。この湖の周りには母系社会のモソ族という少数民族が暮らしている。是非ここを訪れたくて、昆明から夜行バスで向かった。
 12時間で濾沽湖の近くのニンランという町に到着すると聞いていたのに…。確かにバスターミナルにはそのように表示してあったのに…。バスに乗ること約20時間で、やっと到着したのだった。この8時間の差は一体何なんだ?アバウトにもほどがある。だけど、バスから見えた景色は本当に貴重なもので、これを見ることができただけでまたもや満足してしまうほどだった。


←これは昆明の民族村にあったモソ族の説明文

 バスが通ったのは、あまり開発が進んでいない道だった。だから、途中で通り過ぎていく少数民族の村に住む人々の生活は、都会とは程遠いものが多かった。
 まず、民族衣装を着て暮らしてる人の姿に釘付けになる。本当に民族衣装を着ているんだ!という事実にまず驚いた。恐らくイ族だと思われるが、不思議な帽子?をかぶっている。どんな利点があるんだろう?と頭をひねるが答えはナゾだ。
 いくつもの山々を越えていくバスの中から見えるもの。放し飼いの豚や馬、牛、そしてヤギ(飛んでいた!)などの家畜。
 季節が冬だからだろう。緑は少なく若干荒涼とした感は否めなかったが、丘の斜面を利用して作られている緩やかな段々畑や、荒れた土地を耕している人々の姿。このような景色から、恐らく昔からそう変わっていないと思われる“生活”を感じることができた。
 また、レンガ造りの家から次第に木造の家に変化していく様子などは、見ていてとてもおもしろかった。異なる民族が住んでいるということなのだろう。

 ニンランに着いたら、早速個人軽トラタクシーのおっさんが声をかけてきた。値段も妥当だったのでそのおっさんに連れて行ってもらうことにした。中国人のカップルと韓国人の女性2人組みと私達+おっさんの7人で濾沽湖へ向かう。

 約2時間で到着したのだが、ここでもまた楽しい風景を堪能できた。のどかな景色と少数民族の暮らしを生中継で見ることができたのだ。
 家を囲む垣の上に並べてある松の枝。どのような意味があるんだろう?
 松の枝ではなく、割ったビンのかけらを埋め込んである垣根もある。これは防犯のためだ。
 ある村では、道路の両脇にずら〜っとビリヤードをしている人達が群がっていた。そういえば昨日もこんな光景を見た。そんなに流行ってるん?ビリヤード。しかも、お天道さんの下でやってるもんだから、とても不思議な感じがする。ビリヤードをしている人々の顔も、薪を背負って歩いている人々の顔も、真っ黒に日焼けしている。東北の人と肌の色が全く違う。中国は広いなぁ。まったくもって、でかい国だ。
 
モソ族の家屋。これは中庭部分。屋根の下にカラフルな布がかけられているのが特徴。
濾沽湖は空を映してとても青かった。遠くの山の頂には雪が見える。  
 青く澄んでいる濾沽湖に着いたら、あまりに寒いので驚いた。
 何だ?この寒さは!ここは確か南方の雲南省のはず…?
 だけど近くの山の頂上付近に見えるモノ。あれは雪だ、間違いない。そう、ここの標高は約2700m。南とはいっても結構寒いのだった。
 おっさんに紹介してもらった宿は一泊15元。めちゃ安い!しかし、そこはベッドと何故かテレビが置いてあるだけの部屋で、暖房もないしシャワーもない。だけど、この寒さではシャワーがあったとしても浴びてる場合じゃないのだ。
 とにかく寒いので、夕飯を食べて体を暖めた後、持って来たものをすべて着込んで19時半にはベッドに入った。夜行バスで疲れていたので、すぐに眠りについた。…だが、夜中に暑くて目が覚め、フリースは脱いだのだった。さすがに着過ぎ(汗)。



 翌日は、ここの住民達が集っている広場の一角で遅い朝食(ここでも米線!)を食べた。
 ここの男達は朝からマージャンや将棋をしていて、みんな遊んでいるように見える。女達は洗濯をしたり、店の準備をしたりと動き回っている。子供達は湖のほとりでバスケをしている。そして、その側では放し飼いの豚が駆けている。毎日毎日、こんなことが繰り返されているのかなぁ、と思う。

 濾沽湖附近をゆっくりと散歩する。湖は透明度が高く、小さな魚が泳いでいるのがよく見える。これが成長して食料になるんだろう。ここの名物料理はバーベキューらしいということを後で知った。湖で取れる魚介類を湖畔で焼いて食べるらしい。昨夜は寒くて外で食事なんて考えられなかった!!

 この辺りは建設ラッシュのようで、ホテルと思しき建物があちこちで作られている。このようにして、ここも観光地化が進んでいくのだろう。せっかくの古くからの生活が壊されていくのは惜しい、と思ってしまうのは、私のような観光客のエゴなのかもしれない。ここで生活をしている人の立場になれば、また違った考えを持っているのだろう。
 湖の周りには、小さなお店も並んでいる。手編みのマフラーやポンチョ風の上着などを売っている店で品物を見ていると、店の奥さんが「座って行きなさい」と誘ってくれた。
 え?本当にいいのかしら?
 お言葉に甘えて遠慮なく店の奥へ進んで中庭に出ると、そこは太陽が降り注ぐ、とても明るくて暖かい場所だった。子供達が遊んでいる。お婆ちゃんは編み物をしている。みんなのんびりと過ごしている。
 椅子に腰掛けて、ボケーっと子供達の様子を眺めていると、お婆ちゃんがポン菓子を勧めてくれた。少し甘めのそのお菓子と人々の温かさでとても幸せな気分だった。
 Kリンのアイデアで、子供達に折り紙を折ってあげることにした。定番の鶴だ。出来上がった鶴に少しは興味を持ってくれた様子だ。本当に小さな交流だったけど、心は何ともいえぬ気分で満たされたし、とても貴重な時間を過ごすことができた。
 
モソ族の女性が機織をしている様子。カラフルな色の布が織りあがっていく。
 濾沽湖を離れるまで少し時間があったのでお茶をすることにした。
 いろいろメニューはあったけど、せっかくここに来たんだからと『モソ雪茶』というのを注文。どんなのが出てくるのかワクワクしながら待っていると、ちょいと不気味なものが運ばれてきた。匂ってみるとかなり土臭い。
 
 
 むむむっ…。
 一口飲んでみると、やはり土臭い味だった。あまりおいしいものでもないが、きっと体にいい成分が入ってるに違いない!!(負け惜しみ?)

 そして濾沽湖へ来た時と同じメンバー+交代した運ちゃんの7人で3時に濾沽湖を出発して、世界文化遺産の街「リージャン(麗江)」へと向かった。





 濾沽湖を出発してリージャンに着いたのは夜9時半。古城で宿を探す。2日ぶりのシャワーはとても気持ちよく、さっぱりして就寝。

リージャンの街並み。黒瓦を頂いた木造建築と水路が美しい街を作り出している。  
 翌朝は快晴!!

 まずは古城内を散策する。 古城は世界文化遺産に登録されているのだが、この街並は本当に絵になる。どこを切り取っても絵葉書になりそうな、そんな古い街並みが残されている。そして、思いっきり観光地化されている。外国人観光客も多くていたるところにカフェもある。
 外見的には古い衣をまとってはいるものの、ショッピングの街なのである。しかも「あら〜、素敵っ!」という品が並んでいるので、ついついあちこちの店を渡り歩いてしまう。
 リージャンはナシ族という少数民族が多く住んでいるのだが、彼らの生きた象形文字『トンパ文字』も現役である。この絵に見えるトンパ文字が非常に可愛くて、Tシャツや印鑑、絵などいろいろと欲しくなってしまう。早速、ショールを買ってしまった。

 今日はナシ族の村白沙に行く予定だったので、店のおじさんに行き方を教えてもらう。そして歩いていると市場に出た。

 南の市場は、長春の市場とは違う。何が違うって?もちろん並んでいる野菜の種類の豊富さが格段に違う。北はまだ雪に閉ざされているから、野菜は高いし種類も少ない。それに比べて南の野菜は本当に新鮮でパリッパリッしてて、おいしそうだ。
 そして、生きた鶏やウサギの姿!いやー、さすがにウサギは北では見たことない。犬は売ってるけどね。
 買い物をする人々の格好も違う。南の人は、ほとんどの人が背中に丸い大きな籠を背負っている。野菜も日用品も何もかも、買ったものはポイポイ籠に入れている。北では見られない光景で、おもしろいもんだなぁ〜と思う。
 後ろに目はついてないから、背負った籠に入っているものは盗ろうと思えばいくらでも盗れそうだ。信用で成り立っている世界ということか。



 白沙には結局タクシーで向かった(メーターを倒さずに20元。高い…)。おじさんにバスターミナルは教えてもらったものの、どこ行きのに乗ってどこで降りたらいいのか分からなかったから…。
 白沙はこじんまりとした村だった。でも、今回の目的である有名な壁画は一体どこにあるんだろう?通りかかったおじいさんに聞いたら、親切にも連れて行ってくれた。ありがとう。
 壁画は写真禁止だったので撮ることはできなかったのだが、壁画を保存してある建築物は古くて木の組み方もおもしろかったし、壁画もすばらしいものだった。しかし、壁画に描かれている人物の目に穴が開けられている。開ける方も悪いが、開けられるような保存をしている方にも問題があると思う。貴重な遺産なのに…。
 この白沙の壁画を見るために建物に足を踏み入れたら、予想外!!じい様達の音楽隊に出迎えられた。10数人が昔ながらの楽器を弾いており、リーダーらしきじい様が「座って見ていけ」とばかりに椅子を勧めてくる。
 そんなら聞いていくかなぁ、と椅子に座りしばらく鑑賞させてもらった。民族独特の楽器の音色は懐かしい響きを持っている。それにしても、ほとんど身じろぎもせずに黙々と楽器を演奏するじい様達、一つ間違えると蝋人形のようだ。
 …と、何やらリーダーじい様がある場所を指差している。その先にあるモノは…。彼は「お金をくれ!」と言っているのだった。彼は募金箱を指差していた。いくらでもいいらしい。じい様達、結構いい商売してんじゃん!と思いつつ、10元札を入れた。かなりの奮発だ!
 実を言うとこの10元札、セロテープで継ぎはぎされてて、ショップではなかなか受け取ってもらえなかったものだ。ここぞとばかりに使わせてもらった。それにしても、いい商売してるね、本当に。
 
ナシ族のおじいさん達の熱烈歓迎!?中国楽器の音色は独特だ。

 白沙にも観光客目当てにお土産屋がならんでいる。ここに、1コ20元というブレスレットがあった。銀製ということだ。20元なんて高いよ!と思い「10元!」と言ったらOK。しかし、10元でもやっぱり高いよなぁ…と思って「やっぱいらないよ」と言って帰ろうとしたら、土産屋のおばちゃん、食いついて来る。しかも、わらわらと別の店のおばちゃん達までやって来た。
 おばちゃんは1コ5元でいいという。20元→5元だなんて!言い値なんて本当に適当だ。結局5元で買ったのだが、その後別のおばちゃんは「3コで10元!」と言ってた。最初の20元は一体どこへ行ったんだ?
 値切るには、買うそぶりを見せつつ一言「いらない!」がテキメンに効くようだ。しかし、そのブレスレット、旅行中に失くしてしまった…。う〜む、残念だ!?

 白沙からは有名な玉龍雪山がきれいに見えた。お天気もよく、青い空に雪を頂いた山が光り輝いてみえる。うっとり〜!!
 さて、白沙からどうやって帰るか?そこら辺にタクシーの姿はない。そこへ一台の軽トラがやってきた。Kリンがその軽トラを止めて交渉し、乗せていってもらえることになった(1人5元)。すでに数名の村人達が乗っていた後ろの幌部分に乗り込み、ガタガタ揺られながら楽しい気分で古城へと向かった。
玉泉公園から見た玉龍雪山。青い空に映えて泉も雪山もとても美しい。  軽トラから降ろされたのは、またもや市場だ。ここは一体どこ〜??
 うろうろしていると場所が分かったので、そこから玉泉公園へと向かうことにした。そこは美しい泉を持つ公園で、遠くには玉龍雪山を望むこともできた。
 公園内にはトンパ博物館があり、トンパ舞の様子なども写真で知ることができた。



 翌朝、宿をチェックアウトする。私達は古城内の一角にある宿に泊まっていた。1泊60元と言われてとりあえず1泊だけ予約したのだが、結局そのまま2泊した。しかし、精算時に請求されたのは120元。え?240元じゃないの?しかし深く追求せずにそのままトンズラした。
 やったー!1泊分浮いちゃった!ラッキー!とその時は思っていたのだが…。
 
古城を歩いているナシ族の女性達。これがナシ族の民族衣装だ。
 中国の宿泊施設では、”1人いくら”ではなく、”1部屋いくら”という計算をする。だから、得でも何でもなかったのだ…と、今になって思う。

 それからしばらく古城内を散策する。
 あるお土産屋さんで「トンパ文字で挨拶言葉をどのように書くのか」から始まり「自分の名前をトンパ文字でどう書くのか」ということまで教えてもらった。親切に教えてくれたおにーさん、どうもありがとう。その割にはあまり買い物をしなくてゴメンね…。
お気に入りのトンパ文字が書いてある絵。トンパ文字で「愛相随」と書いてある。

リージャン名物「蛋碗豆冷粉」  
 リージャンの街のあちこちで、蒟蒻のような食べ物を売っていた。
 あれは一体何だ?本当に蒟蒻なのか??
 気にはなりつつも、どうも食べる気にもならず謎は深まるばかり…。
 そんな折、古城のカフェでこれはやっぱり食べて行かないと!ということでリージャン名物という「蛋碗豆冷粉」を注文したら、何と出てきたのはそのこんにゃくだ。正体掴めたり〜!
 
リージャン名物「リージャンババ」

 実際に食べてみると蒟蒻ではなかった。寒天のような感触で、薬味の入った醤油ベースの漬け汁とともに食べる。そこまで美味しいものでもないと思う。
 もう一つの名物「リージャンババ」も食べた。「甘いの?塩辛いの?どっち?」と聞かれて塩辛いのを注文したのだが、きっと甘い方がおいしかったと思う。リージャンババは結構油っこい餅(ビン)だった。

 リージャンの古城は確かにきれいな街だった。しかしあまりにも観光地化されて洗練されている感じは予想外だった。そういう私も観光客。矛盾してるよね…。

 私達は14時半のバスで大理へ向かった。大理までの菜の花畑は、私達の目を十分に楽しませてくれた。



 大理での目的。絞り染めを買う!白族の村で三道茶を飲む!三塔を見る!

 あわよくば絞り染めの現場を見たい、そんなささやかな願いを胸に宿泊地点の下関から周城へとマイクロバスで向かった。ガイドブックによると、周城は藍染で有名な村らしい。
藍色に染めた布に絞りを入れた様子を見せてくれる白族の女性達。  
 周城へと向かう大きな道路の脇には、春の花、菜の花が咲き乱れており、息を呑むほどきれいだった。本当にここは春なんだなぁ、と思う。菜の花畑の右奥には湖『アーハイ』の青色がずっと続き、道路の左側には山頂に雪も見える勇壮な蒼山が美しく連なっている。バスはガタガタのかなりおんボロだったけど、それを相殺するかのように目に飛び込んでくる景色はすばらしいものだった。

 周城近くでバスを降りてしばらく歩く。町に到着すると、かなり整備された道の両側に半分シャッターを開けたやる気のなさそうなお土産屋が並んでいる。
 え?こんな町を期待していたんじゃないんだけど…。何かが違う。絞り染め屋はどこにあるの?
 ガイドブックに載っているような市場や広場も見当たらない。頼りにしていた情報が古かったのか?と半ば失望しながらだんだんと幅が狭くなっていく道を歩いていくと、右側に市場が見えてきた。
 これだ、これ!この風景を探していたんだよ!
 すると数人のおばさんがみるみるうちに集まってきて何か言っている。何て言ってるのかよく分からない。何かを売りつけようと勧誘していることだけは分かるんだけど。その中に1人が絞り染めを見せてくれると言うので、ついていくことにした。
 おばちゃんの後をついて歩くこと10分弱。とある家に入って行くと、藍の染め汁と格闘中のおっちゃん達がいる。その先の庭には、藍色に染まった布がロープに干されてある。おばちゃんは布を手に取って糸を解きながら絞り染めの仕組みを見せてくれた後、え?もう?というぐらいの早さでさっさと売り場へと誘う。

 売り場には、たくさんの絞り染めが山積みになっていた。大きさも模様も様々だ。かなり、Kリンも呆れるぐらいかなり悩んで、やっとベッドカバーを決めた。それとランチョンマットになりそうな大きさの布3枚を購入することにし、値段交渉の始まりだ。おばちゃん達の言い値170元を120元に下げさせた。もっと下がったかも知れない、と思いつつも納得した。何よりも、欲しかった絞り染めを手に入れたことがうれしかった。
 周城を後にして、今にも止まりそうな3輪バイクに乗って第二の目的地である喜洲へ向かう。喜洲には非常に古い街並みが残っており、昔にトリップしてしまったと錯覚するような、そんな雰囲気に包まれた場所だった。
 白族(ペー族)はその名の通り白色を好む民族で家も白壁で作られているのだが、古い街並みの白壁は所々剥がれてしまっていて、中の土が剥き出しになっているのが目に付いた。長い間ほったらかしにしてあるという感じで、修繕しようという意識はなさそうだ。
 
白族の家屋は白い壁が特徴。かなり年季が入った家は壁の色が白くなくなっている。

 喜洲では第二の目的『三道茶』を飲んだ。白族の民族舞踏を鑑賞しながら、三杯のお茶を飲む。

 
 一杯目は一般に「苦」と言われており、日本茶を飲んでいるような感覚だった。二杯目は「甘」といわれており、甘くてお菓子のような味のお茶だった。三杯めは「複雑」な味といわれており、山椒のピリピリと生姜の香りが強いお茶だった。

 民族舞踏は、実は私とKリンの2人のためだけに行われた。鮮やかな民族衣装を身に纏った女性達が火を囲んで演舞してくれる。
 他に客がいなかったから、という実に単純な理由なのだが、これはなかなか気持ちがいいものである。VIP対応になった気分が味わえる。彼らは私達だけのために踊ったり歌ったりしてくれるのだから(やってる方はたまんないかも知れないけど…)。

 喜洲から下関に帰るバスの中から見えたのは、だだっぴろい畑でゆっくりと農作業をする人々の姿だった。

 雲南は長春に比べて日がとても長い(その分朝が遅いんだけど…)。長春ならとっくに真っ暗という時間にまだ畑で仕事をしている人々がいる。ここでも「中国って本当に広いなぁ〜」って感じずにはいられない。というか、あれだけの国土を同じ時刻で管理しようとする方が無茶なのだ。



 翌日は、大理古城でショッピングをした。ここは本当に観光客が多い町だった。中心の通りにはショップとカフェが並んでいる。ここにも絞り染めがあったので手に取って見ていたら、昨日買ったランチョンマットは8元だと言ってきた。
 え〜?昨日のおばちゃんは、この大きさのは20元って言ってたぞ。…なんてふっかけかたなんだ!
 「6元にしてくれる?」「…いいよ」「うーん、やっぱり要らない」と去ろうとしたら「5元でどうだ?」だって。そこまで下がるんだよ、しかも人通りの多いショップで。卸値は一体いくらなの??

 昨日、おばちゃん達は「してやったり!」と思っていたに違いない。相場を調べてから乗り込むべきだったか…とちょっぴり後悔した。ま、いいのだ。自分の好きなものを買えたんだし、値切る過程も結構楽しかったし。まだまだ修行が足りないってことだよね。
 恐るべし、したたかな中国人!

 古城をブラブラした後、三塔見学のために移動する。ここ大理古城には移動手段として馬車も大活躍している。1人1元で安かったし、せっかくなので乗ることにした。
 おじいさんが馬を走らせてくれるのだ。幌付き荷台に乗り込み、馬車に揺られながらしばしスローな景色の移り変わりを楽しんだ。

 三塔の入場料はやたらと高かった。52元!なんでこんなに高いの?とひるみつつも、わざわざ来たんだしと腹をくくって入場した。そしたら自動改札ではないか!観光客はまばらなのにこんな大そうなものが必要あるのかしら…。
 オフシーズンだからかも知れないけど、こんなことに金をかけてるから高いんだよ〜、と不満に思いながら広い敷地を歩く。三塔は近くで見るとやはり迫力がある。中心の塔は高く聳え立っているので特に圧倒される感がある。両脇の二塔は絶対に傾いてるぞ。大丈夫なのだろうか?地震が起こったらきっと倒れてしまうよなぁ…と、要らない心配をしてしまう。
 この三塔が池に移った姿は本当に美しかった。入場料を払った甲斐があったというものだ。


 私達は昆明行きの夜行バスに乗って、その夜大理を離れた。
 





 夜行バスは21:30発だった。今まで何度か夜行バスに乗ったが、やはり寝付きが悪くなる。だから今回はビールを飲んでみた。これが失敗だった。
 バスに乗ってすぐにトイレに行きたくなり、寝るどころではない。結局、真夜中の1:00のトイレ休憩まで寝られなかった。寝られなかったが、窓越しに見えた星、さすがに田舎だけありとてもきれいだった。夜行バスに乗るたびにきれいな星を見ている気がする。
 さて、トイレ休憩でバスが止まると、女性3人でなんとかトイレに辿りついた。おぉ、これでやっとすっきりできる!そう思ってトイレに入ったとたん
 「ブヒッ」「…!!!!ギャ〜ッ!」
 うわ〜、マジでびっくりした。豚がいる、豚が!絶対いる!真っ暗でよく見えないけど。その様子を見ていた中国人女性が懐中電灯を取りにバスまで戻って行ってくれた。
 わたしとKリンは、懐中電灯の光を頼りにして豚のいない方のトイレに入り、中の構造を確かめる。それで分かったこと。向こう側は崖になってて、その崖に向かって放尿するらしい。うーむ、こんな大胆なトイレは始めてだ。
 暗闇の中、Kリンと2人で並んで妙な開放感を味わった。これが昼だったら…。もっとびっくりするような景色が見られたのかもしれない。残念なような、でも真昼間から友達と並んで連れションだなんて…
 …できないだろうなぁ。





 朝、6時半ぐらいにバスが止まった。
 ここはどこ?運転手が何も言わないのでまだ昆明ではないと思っていたら、実はもう着いていたのだった。到着したんだったらそう言ってくれないと分かんないじゃないか〜!8時ぐらいにバスを降りて昆明駅に向かう。まずやらなきゃいけないこと。それは帰りの切符の確保だった。
 これから数日間の切符の情況をみると、18日までの北京行き切符は完売。席なし(无座切符)すらない。今日は133日だ。困った…。帰れない。
 シーサンパンナへ行く時に利用した雲南鉄道旅行会社へ行き、切符の手配を頼んだところ、15日の列車の切符、あるいは今日の飛行機の切符のどちらかを選択することになり、Kリンの希望により飛行機で帰ることに決定。飛行機は20:15発で23:00北京着だ。列車だと44時間なのに、飛行機だとあっという間。まさに「お金で時間を買う!」ということだ。

大観公園には、情人節(バレンタインデー)が近いということでお花を使ったこんなアートが!!  
 午前中はチューリップがきれいに咲いている大観公園をぶらぶら散歩し、その後お茶屋さんでお茶を買う。飲ませてもらった『蘭貴人』というお茶がとてもおいしくて、高いなぁと思いつつも買ってしまった。口に含むと甘さが広がり、香りがとてもいい。本当はプーアール茶を買おうと思っていたんだけど…。
その店では『糯米沱』というお茶も買い、全部で90元。こっちの物価で考えればかなりお高い買い物だ。だが、欲しかったのだから仕方ない。
 結局雲南では、『蘭貴人』『糯米沱』『プーアール茶』『三七花茶』『緑茶』と5種類ものお茶を買ってしまった。こんなにたくさん買っちゃって、飲めるんだろうか??

 そして、あまりに低くて建物に阻まれてなかなか見つけることができなかった昆明の東塔、西塔を見た後、昆明駅に戻り小さな新疆料理の店で夕飯を食べる。昆明からシーサンパンナへ発つ時もここで食べた。明るくて気さくに話しかけてくるおにーさん、おねーさんがいる店だ。
 「今から北に帰るから。夏には新疆に行くつもりなんだ!」と告げて空港へ向かう。

 空港ではまたもや冷や汗モノの情況が待っていた。
 自分達が乗るべき飛行機の便を勘違いしていて、時間ギリギリでなんとかチェックイン。焦った焦った〜!これで帰れなかったら、ホントに洒落にならん!
 間に合ったものの私達2人はバラバラの席になり、私は飛行機の最後部の席に座ることになった。狭い!あんなに狭いとは知らなかった。まぁ、乗れないよりはマシだったんだけど、飛行機運は良くない旅だった。



 雲南への旅は、ずっと天気に恵まれて雨には降られなかった。寒さにびっくりすることはあったけど、毎日毎日青空の下、北の殺風景な景色とはうって変わった色彩豊かな自然を見ることができて本当にラッキーだった。
 重たい荷物を背負っての異国での長旅は初めての経験だったけど、気の置けない仲間と一緒だったし、素敵な思い出がいっぱいできた。自分がいつも住んでいる場所とは衣食住、そして異なる民族も住む別の世界。中国のでっかさを実感した2週間だった。

 日が変わってから北京の隊員連絡所に着いた。久しぶりにゆっくりと湯船に浸かって疲れを取り、風呂上りに雲南の土埃にまみれて黒く汚れていた爪を切った。
 サラバ、雲南!