2004年5月4日〜8日

住んでいる日本人は同期隊員のCァイだけという鎮莱県。一体どんな所?鎮莱の魅力とは…。


 鎮莱へのバスは長春駅前のバスターミナルから出発する。現在のところ、午後3時40分発の1本だけが運行されている。
 毎度のことながら、時間ギリギリにバスターミナルに到着後、大慌てで「鎮莱行きのバスはどこ?」と聞く。教えてもらった13番口を抜けて、止まっているバス群から鎮莱行きを探す。
 ない!ない!どこ〜?
 やっと見つけて乗り込み、とりあえずバス代が無駄にならなくてよかった〜、とホッと一息つく。隣は若い女性で、既にひまわりの種をボリボリ食べている。大きな荷物を持って突っ立ったいるわたしをチラリと見上げて「上に置いたら?」。もちろんそうするよっ、と思いつつリュックを上の棚に押し込み、窓側の席に座る。いよいよ鎮莱へ向けて出発だ。

どこまでも地平線。山はまったくない。  
 わたしの鎮莱のイメージは、たった一言『田舎』。何と言っても、外国人はたった一人しか住んでいないのだ。1番高い建物でも6階だと言う。Cァイは一体どんな生活をしているんだろう?のんびり屋の彼女にはぴったりの場所かもしれない、などと思いを馳せながら、車窓の景色を眺めていた。
 今から緑色に変わるであろう、今はまだ剥き出しの裸の土が大地を蓋っている。時折農民が田畑を耕している姿を見かけるが、農業のシーズンはこれからといったところだ。機械を通して水が勢いよく田畑に注がれていたり、くみ上げる水を確保するためなのか広い台地に機械が点在していたりする。
 その向こう側にはずっと地平線が連なっている。ここには山はないのだ。地平線から太陽が昇り、そして沈んでいくのだ。
 今回は時間と天気が合わなくて、残念ながらその風景を見ることはできなかった。

 午後8時前に鎮莱に到着した。辺りはすっかり暗くなっていたので、鎮莱県中心部に来るまで周りの景色はよく見えなかった。小さな集落をいくつも通り過ぎながら、バスは暗闇の中を走って行った。
 いつ着くのだろう?と思っていたら、今までにはなかったネオンが遠くに見え始めた。鎮莱にもネオンがあるのだ!道沿いの店の看板が次から次へと目に飛び込んでくる。珈琲とか酒巴、西餐などの看板もあり、鎮莱って意外と都会じゃないの…と思った。

 バスターミナルには、Cァイと、一日早く鎮莱に到着していたS姐が迎えに来てくれていた。
 「鎮莱って意外と都会だねぇ!」思ったことをそのまま口に出す。
 「そうでしょう?」と得意気なCァイ。

 それじゃ、ご飯を食べよう!ということになり、鎮莱で有名だという魚の料理を食べることにした。しかし…。店が開いてない。いや、正確には店に電気はついているのだけど“店じまいだよ”という雰囲気を醸し出しつつ店の人達がご飯を食べているのだ。…やはり鎮莱だ。そこで、移動式屋台でご飯を食べることにした。
 移動式屋台とは、車体居酒屋といった感じのものだ。メニューは、車外で焼いた串や車内で作るワンタンや冷麺など。それを車内で食べる。
 私達3人が話をしながら食べていると、車内でかなりの視線を感じるのだ。こちらをちらっちらっと見る視線。そしてとうとう話しかけてきた。
 「どこから来たんだ?」日本人だと答えると、「えぇ!?」という反応。それからいろいろな質問が飛び交うのだ。「ここで何をしているんだ?」「給料は?」などなど。これが『外国人が1人だけ住んでいる』という鎮莱だ。
 
鎮莱の中心街。3輪自動車が移動手段の主流だ。





鎮莱第一高校。  
 鎮莱第一高校は草原にそびえ立つ高校で全校生徒は約1900名。敷地面積はかなりのもので、バスケットコートも10面ぐらいあった。この中で、日本語を勉強している生徒は約250名だという。
 Cァイは鎮莱第一高校の1年〜3年に日本語を教えている。今回は、2年生、および1年生の授業に参加&見学させてもらった。
 1年生は1クラスのみで50名弱、2年生は文系と理系の2クラスあるのだが、その人数比はびっくりするぐらい差がある。文系9名に対して理系は約50名。1年生も2年になったら文系と理系に別れるらしい。そして、その人数比は今の2年と同じぐらいだという。

 わたしの高校でも文系よりも理系の人数の方が多いという傾向はあるが、ここまでの差はない。中国では、将来文系方面に進みたくても、とりあえず理系を選択する生徒が多い。理系から文系へのシフトは簡単にできる、ということなのだろうか?鎮莱ではその傾向が特に顕著なのだろう。


 鎮莱の学生を見て思ったこと。それは『目がキラキラ輝いている』『はにかみ屋が多い』『好奇心が旺盛』。とにかく素直でかわいいのだ。そしてひたむきさを感じる。
 貧しい農村地域から両親が苦労をして学費を捻出しているという家も多いと聞く。そのようなバックグラウンドが彼らに『勉強できる有り難さ』そして『農家ではない仕事に就く』ということを感じさせているのかも知れない。
 高校2年生の2クラスの授業は、S姐とわたしの自己紹介、そして質問コーナーという形で行われた。一生懸命に会話をしようとする生徒の姿は好感が持てる。すごく緊張してしまって、上手く話せない生徒の様子もとても微笑ましいものだ。外見も中味も素朴な彼らの笑顔が今も目に焼きついている。

 高校1年生のクラスは、中国人先生の授業とCァイの会話の授業を見学させてもらった。中間テスト前ということで中国人先生の授業は文法を中心とした問題練習だった。印象的なのは、中国人先生が笑顔で授業をしていたということだ。先生のにこやかな雰囲気がクラスにいい影響を与えている。このような中国人の先生はまだ見たことがない。

 Cァイの会話の授業は電話で友達を誘うという場面設定だったが、ペア練習後の発表の時に1年生が積極的に手を挙げていたのをうらやましく感じた。しかし前に出て発表する時、上手く話せない生徒もいる。それでも構わずに手を挙げる、というやり方は日本とは違う。わたしに言わせれば全くもって『不思議』なのだが、その積極的なところは見習うべきかも知れない。
鎮莱第一高校で日本語を学習する生徒達。

 鎮莱第一高校の生徒は、高校の敷地内にある寮で生活している生徒が多い。晩自習が終わった後から消灯までの30分弱という短い時間だったが、2回ほど寮を訪問した。
 訪問したのは1,2年生の女生徒の部屋だったのだが、両部屋とも2段ベッドが4つと1段ベッドが1つあり、計9人が生活している。ベッドだけで部屋のほとんどのスペースが潰れるので、ここでは寝るだけのようだ。まぁ、寝るぐらいの時間しか生徒達には与えられていないといってもいい。朝は7時台から始まり、学校が終わるのは夜10時半(驚きの時間だ!)。消灯は11時。
 ただ、鎮莱第一高校は昼休みの時間がとても長い。冬は2時間、夏だと3時間もある(しかし学校が終わる時間はどちらも同じだというから不思議)。その昼休み時間に、寮で昼寝をする生徒もいることだろう。
 寮は初体験だったのだが、狭い部屋には驚いた。しかし、生徒たちは楽しそうに寮生活を送っているように見え、これはこれで彼らにとって貴重な時間になるのだと思った。





馬に乗って通り過ぎて行ったおじいちゃん。  
 市場で買い物をする時も、屋台でご飯を食べている時も、3輪タクシーに乗っている時も、タバコを買う時も、こちらが日本人だと分かると「日本人?何故ここにいるんだ?何をしているんだ?」と質問される。その度にCァイは「鎮莱第一高校で日本語を教えている」と答えるのだった。
 ここにいると、私たち外国人は異星人のような扱いを受ける。彼らの静かな生活に旋風を巻き起こしているのかも知れない。しかし、私達は見かけが中国人と同じ黄色人種だからまだいいものの、今度鎮莱第一高校に来るという英語の先生は相当目立つことだろう。
 そう言えば鎮莱のとある魚を食べさせる料理屋で、店員に思いっきり笑われた。

 なぜか?

 その日は鎮莱名物の魚料理を食べよう!ということで、魚のゴッタ煮を注文。運ばれてきた魚料理と一緒に写真を撮っていたら、店員に声を出して笑われた。そんなに魚が珍しいのか?という感じの笑い方だった。別に珍しいわけではない。ただ記念に残しておきたかっただけだ。まるで田舎モノだと言わんばかりの笑い方に「あんた勘違いしてるよ!」と言いたかった(でも言えないのよね)。

 そんな鎮莱の人達だったが、偶然にもある家庭にお邪魔させてもらえる機会を持てた。
 その日は強風の中、湿地帯を散歩していたのだが、ある家の壁際で風を避けつつ持参したおにぎりを食べようとした時、その家の犬にかなり吠えられた。すると、家からおばさんが出てきたのだ。
 「わたし達は散歩していただけです。」「あんたたちどこの人?」。そうして「うちに上がりなさいよ。」という話しになったのだ。「え?いいの…?」そんな感じで、わたし達3人はおばさんの後について、図々しくも家にお邪魔させてもらったのだった。

 その家には夫婦2人が暮らしていた。2人の子供達は、今『威海(ウェイハイ)』で働いているということだった。家には部屋が2つ。居間兼寝室と、その裏にある台所だ。
 居間にはカン(オンドルのようなもの)と呼ばれる暖房設備があり、カンを暖めるための焚き口が台所にあった。聞いたことはあったのだが見たのは初めてのカン。「これがカンかぁ…」百聞は一見に如かずだ。カンの上にいると、寒い冬でもかなり暖かいらしい。
 台所には、中国の映画で見たことがあるような、大きな鍋が埋め込まれていた。これまた初めて見るもので、本当に映画で見たような暮らしをしているんだなぁ、と思ったものだ。
 
暖房器具のカン。ここが寝床に変わるようだ。

 おじさんもおばさんも、手製のタバコをふかしていた。S姐は、是非吸ってみたいと思っていた手製タバコを目の前にして、かなりラッキーだったようだ。おじさんが目の前で作ってくれたタバコをもらって吸い、その感想は『おいしい』。
 買ってきたタバコの葉と紙を使って、吸いたい時に作るタバコを見るのも初めてのわたしにとってすべてが新鮮だった。

自家製タバコを作るご主人。慣れた手つきで葉を乗せた紙をクルクルと巻いていく。  
 話が通じないこともかなりあったが、2人は一向に気にする様子もなくどんどんと話しかけてくる。しかも話があちこち飛ぶので、中国語能力の乏しいわたし達はてんてこ舞いだった。だけど、2人がとても友好的な人達だった。
 言葉が通じなくても感じられるものってある。
 おじさんは、話の区切りが付く度に「ご飯を食べていけ」と言う。中国式の単なる挨拶ではなく、かなり本気、そう、100%本気だったと思う。だけど後で学校に行かなければならなかったから時間もなかったし、そんな面倒なことをさせる訳には…、という気持ちもあったので、その度に「いらない!いらない!」と応じていた。

 授業の時間が近付いてきたので、「そろそろ帰るよ」と言ったら少し残念そうに「卵を持ってけ!新鮮な卵だ。こっちにもあるぞ。」と鶏小屋まで案内してくれて、産み立ての卵を集めてくれる。
 「いらない、いらない」と言っても容赦ない。結局約25個もの卵をおにぎりの横に入れて帰ることになった。結局おにぎりは食べずじまいだった。「あげる」と言っても「いらない、いらない」と受け取ってくれなかった。負けたっ。

 Cァイはおじさん達にまた会えるので、これからも時々会いに行くらしい。ちょっぴりうらやましい。家の側に植えてあるまだ若い木々を見て「あれは俺が植えたんだ。20年後に1本20〜50元の金になる」と言っていたおじさん。是非とも長生きしてね。





 鎮莱には自然で溢れている。中心地から少し離れると、遥かかなたまで続く地平線を見ることができるのだ。ここには山がない。まだ春が訪れたばかりの季節だったのでそうでもなかったが、これから夏に向けて草原が広がっていくのではないかと思う。日本で言うと北海道のイメージだ。

 その鎮莱に、鶴が飛来するという場所があると聞いた。莫莫格という地名で、鎮莱の中心部からバスで約1時間半のところにある。本当はチチハルにある湿原を見に行きたかったのだが、出発予定日の前日の夜の、まるで台風のような天候と、春とは思えないような寒さに断念してあきらめた。そこで、鎮莱のチチハルに行ってみることにした。
少し郊外に行けばすぐこのようなのどかな風景が広がる鎮莱。

 中型のバスに揺られながら、約1時間半。所々に鳥の巣がかかった木々や小さな集落、また牛や馬などを使って土地を耕している人々の姿を見ることができた。そしてその向こうには地平線が広がっていた。
 莫莫格でバスを降りると、鶴の飛来地は少し戻った場所だと分かり、車でそこまで運んでもらうことにした。運転手が言うには20元。そのまま言い値で応じてしまったが、後で考えて見るとちょっと高いんじゃないの〜?という値段だった。やはり値段交渉は必要だ。

莫莫格の草原。まだまだ草原と呼ぶには寂しい風景だった。  
 さて、お目当ての湿原に果たして鶴はいたのか?
 その姿、見ることはできた。いるにはいたのだが、数があまりに少ない!野放しにされている鶴は1組だけ。しかも、人間に慣れていないからだろうが、近くで見ようとしてもすぐに逃げられてしまうので遠目に見るのみ。
 小屋に入れられている鶴は2組いた。こちらは、間近で見ることができたのだが、ちょっと時期が早かったか…。きっともう少し暖かくなったら、飛来してくる鶴も増えるんだろう。きっとね…。
 湿原もまだあまり緑が多くなく、枯れたススキ系の植物の方が目立っていたぐらいだった。

 そこで、Cァイに課せられたお仕事は、莫莫格にはたくさんの鶴が飛来してくるのか?そして、莫莫格に建設中の、周りの景色にそぐわない城のようなホテルとその周辺の憩いの場所は一体いつ完成するのか?という2点だ。ちゃんと調べておくように!

 そんなこんなで、鎮莱でのバカンスは終了した。思いがけず長期滞在となったが、のんびりと過ごすことができてよかった。長春より時間がゆっくりと流れている鎮莱にまた遊びに行く機会はあるだろうから、その時はあの夫婦に是非会いたい。

 今回は、ずっとCァイの家に泊まっていたのだが、話三昧の日々だった。夜はいつも遅くまで話をしていた。だけど、わたしはいつも眠気と闘っていて、最後には「ダメ、もう寝る」と、CァイとS姐を残して先に寝ていた。
 しかし、最終日はCァイが許してくれない。眠気に襲われているのを察するや否や、あっちの世界からこっちの世界に引き戻してくれた(ううう、ありがと…)。そして結局貫徹してしまった。信じられん〜!!。ま、これもいい思い出だ。こんなこと1人じゃできないから。
 朝6時発のバスに乗り長春へ戻ってきた。長春に帰ってから届いたCァイのメールの文面は

 『また会ったときには徹夜でおしゃべりしようね。覚悟!』