昨日買った幽霊子育て飴を開封しました。
古くから葬送の地であった鳥辺山の麓にある「あの世とこの世の境域」と考えられていた六道珍皇寺門前あたりに伝わる「幽霊子育て飴」の話にまつわる飴です。

ちなみに。
付近の轆轤(ろくろ)町は、昔は髑髏(どくろ)町と言われていたものを、江戸時代に改名したものであるとされています。

飴の名前は何とも凄いんですが、でも伝わる話の本質は「愛しい我が子のため、自分が死んだ後も幽霊になってでも子どもを守ろうとする母親の限りなく深い愛情」。

だから今でも地域のお年寄りなどは、孫などが生まれるとこの飴を買って母親にプレゼントするそうです。
私は今回が初めてでなく、これまでにも何度もこの飴を買って食べています。
素朴な麦芽糖味のとっても美味しい飴です。


2006年1月30日
(月)



飴の梱包を解きました。



飴が姿をあらわしました。



とっても素朴な麦芽糖の飴。
黄色い紙には次のように書かれていました。

今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬れし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人のありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児8才にて僧となり修行怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。
寛文6年3月15日68才にて遷化し給う。
されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育ての飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とかでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。

みなとや幽霊子育飴本舗



古い歴史を持つ京都。
その京都では過去の歴史や言い伝えが脈々と語り継がれ、そしてそれが「形」として今でも数多く残っています。
京都って素晴らしい!





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