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今日は日経サイエンスの10月号を読みました。10月号て。 日経サイエンスは気が早いのだとしても、たいていの雑誌は発行日が前月とかですよね。例えばマンガの新刊を購入して奥付けをみたら、二週間後に発売予定だった──というのはざらにあります。不思議ですよね。 さて今月号で目に付いたのは作家瀬名秀明さんが毎回ゲストを迎えて対談するコーナーでしょうか。今回のゲストは『人は何故信じるのか』を認知心理学で研究されている菊池聡さんという教授でした。 ところで、『人は何故UFOや宇宙人やノストラダムスの大預言を信じるか』という問いは、個人的にはシャツを前後ろに着るくらいおかしいと思います。なぜなら、その状況を正確に述べたら『何故、人はUFOや宇宙人の存在やノストラダムスの大預言が当たる可能性を疑うか』という表現になるのではないか、と思うからです。 どういうことかというと、ある程度の人は1999年7の月には『人類が滅びるのではないか』と疑っていましたし、今でも『(映画みたいな)宇宙人はいるのではないか』とある程度の人は疑ってますよね。『7の月に人が滅びる』『宇宙人は存在する』と『信じている』のは例え日本においても少数派なのではないでしょうか。 しかして『ノストラダムスの大預言を信じていますか?』というような『信じているか』という問いにすりかえることによって、多数層の『まぁ可能性はあると思う』『どちらともいえない』という意見は『迷信に振り回されている意見の一つ』として処理されてしまう危険が生じてきます。 その辺は処理の仕方だとは思いますが、それはさておき──。 今回の対談ではクリティカルシンキングについて述べられていました。 クリティカルシンキングとは、和訳すると批判的思考──ですが、意味合い的には、どちらかというと偏見を完全に払拭した、どこまでも中立的に事象を検討する考え方という感じでしょうか。 例えば雨乞いという儀式は世界各地に存在したそうですが、何故そういう儀式がまかり通っていたか。 それは雨乞いをした結果本当に雨が降ったからなのですが、実は雨乞いをしなくても雨は降ったのです。しかして人間というものは『雨乞い』という行為が前にあると印象付けられたあとに『雨』が降ったという一連の事項に対して、『何もしなかった』のに『雨が降った』という一連の事項については印象に残りづらい。 そこで人は『雨乞い』したから『雨が降った』のだと心に思い込んでしまうのです。 だからクリティカルシンキングとは、このとき発生する相関の錯覚について『雨乞いしたときに雨が降らなかった可能性』と『雨乞いしたときに雨が降った可能性』、『雨乞いせずに雨が降らなかった可能性』と『雨乞いせずに雨が降った可能性』の全てについて検証した上で、その相関が妥当なものであるかどうかを判断する考え方、と説明しても良いでしょう。 今回の対談においては、クリティカルシンキングの有用性が前面に押し出されていました。 相関の錯覚のせいでおこる、『思い込み』によって『明らかな間違い』や『損害』を回避するのにはそれは有用です。例えば神懸ってる変な宗教に騙されそうなとき、詐欺に遭いそうになったり、人に対する評価を間違えていそうな場合はなおさら有効でしょう。 多少面倒ながら、基本的に間違いの少ない考え方、それがクリティカルシンキングだといえます。 ──が、しかし、この考え方は少々『硬い』と僕は思う。ん?どちらかといえば柔軟すぎる、か。 ともあれ自転車にのっているときに、常にこの右腕の動かし方は正しいか、脚の動きは正しいかということを検証しながら運転しているようで非常に『ぎこちない』といってもいいと思います。 公平かつ自由な考え方だといえば聞こえはいいのですが、四択問題を自ら一万択問題に変えてしまっているために、判断ごとに時間がかかってしまうのが弱点なんです。 自転車の乗り方は慣れれば気にならなくなるのが通常ですが、クリティカルシンキングとは、慣れてしまった状態を慣れていない状態のものとして『再確認』しているようなものですから、つまり『慣れてはいけない』のがセールスポイントであると同時にウィークポイントなわけです。 クリティカルシンキングは、だから『デメリットを避けるときにのみ使えばいい』ものなのです。それ以外に用いようとすると、例えば自らのメリットのために使おうとしたり、誰かに押し付けたりしたら避けられます。当然です。だってそうなってしまえばそれはただの他者支配ですから。 信じるものを剥奪しようとするとかそういう次元の問題じゃないんですね。 さて、ここで最初に戻りましょう。 例えば日本人は『血液型占い』を『信じている人が多い』というのは有名ですが、この言葉の正体は『血液型占いには当たる要因があるのではないか』と『疑っている人が多い』ということでもあります。 人間は臆病で狡賢い生き物ですから、重大なメリットデメリットが存在する可能性や、ノーコストでのメリットデメリットは極力挑戦したり回避しようとする。一度でも紐が切れたことのあるバンジージャンプアトラクションがあれば、挑戦者数はがた落ちするのです。天文学的に当たらない宝くじでも、最高額が増えると購入者が増えるのです。お酒のタダ券は欲しがるし、事実無根の批判には腹を立てるのです。 そんな簡単な事実を知った上でなら、無関連事実の相関を錯覚したがる人間の心理も分かるというものです。 一度でも紐が切れたことのあるバンジージャンプアトラクションに誘う文句として、参加する考え方として、前回紐が切れたことと今回紐が切れることは無関連だし、今回は整備されているから大丈夫だよ、という言葉や考え方が一体どれほどの適切だといえるでしょうか。 宝くじなんて期待値が100%を割っているんだから買わないほうが得だ、という言葉がどれほど有効に働くでしょうか。 溺れる人間は藁をも掴むのです。 迷信だし労力が無駄だからと行わない、ということはすなわち、希望を捨てるということです。 実につまらない。 …ですので個人的な意見なのですが、クリティカルシンキングというのは、あくまでデメリットを避けるか、ツッコミを入れるか、ツッコミを受けたくない場合、そしてその思考を場が求めているのではない限り、行わないほうが『楽しい』と僕には思えるのですよ。 |
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