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ところで、『頑張れ』という言葉が嫌だという人がいます。 こんばんは、咲村です。 やれ頑張ってる人に頑張れといってこれ以上どう頑張らせるつもりだ、とか、やれ突き放した感じがするとか、自己中心的だとか。 でも、そもそもこの頑張れというのは、応援の言葉であるわけで、応援の言葉ということは手伝えないから応援しているのは明らかですよね。 手伝えないから応援しているのに対して、突き放した感じがするとか、自己中心的だとかいうのはなんだか失礼なのですが、それはまぁ突き放されたと思う人がいる以上留意点ではあると思います。そういう方には解りやすく手伝えない状況であるから応援しているのだということを説明してわかってもらえば問題にならないと思いますので、これはさておきます。 さて。 問題があるとすれば『頑張っている人に頑張れというのはどういうことか』ということ。 『頑張る』という言葉を『努力する』という言葉とほぼ同義で捕らえれば確かに、酷い言葉だと思います。十分努力して、傍目からも必死に努力している人に対して、努力しろ!というのは無茶苦茶です。それはいけません。 しかしですよ。 「頑張れ!」という人の中に実際問題「頑張っていないように見えるから頑張れ!という人」は果たしてそこまで大勢を占めているのでしょうか? そもそも今現在使われている『頑張る』という言葉は(1)あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。という意味ですので、努力するという意味で使われる場面も確かに多いと思うのですが、それならば、頑張るという言葉に努力するという意味など与えられなくとも、『努力する』という言葉だけが別個に在ればよかったはずではないでしょうか。 100%重複する単語であればわざわざ別の言葉に意味を取り込む必要などないはずです。 ならばというか、だからこそ、ここで大切なのは『あることをなしとげようと』の部分じゃないかなと僕は思うわけですよ、バンッ(←机を叩きつつ 三省堂の新明解国語辞典(なんだか色々怪しい噂もありますが)、これにも『途中で起こるいろいろな障害に堪えて、しなければならないことを最後までやり通す』と説明されているわけで、そういう意味で捉えるなら、やはり頑張るという言葉は『最後まで挫けないように!』という意味のほうがしっくりくるんじゃないかなと思うのですよ。 端的にいえば努力の意味での「頑張れ」では『現在の状態の(頑張っていないという)評価』であるのに対して、最後までやり遂げる云々の「頑張れ」では『最良の結果が訪れるように祈る意味合い的な応援』となるのではないでしょうか。 つまり! マラソンで走っている人に頑張れ!と応援する場合において 努力しろ!という感じで受け取られると「とっくに努力してるわいボケー」ってことになるわけですが 最後まで挫けるな!という感じで受け取られれば「とっくに最後まで挫けてないわボケー」とはなりえませんから「ありがとう、挫けないように気をつけているけど、その言葉を励みにさらに挫けないようにする!」とならないかなぁと。なって欲しいなぁと思うわけですよ。理想論ですが。なんだか適当ですがこれを明るい頑張れ論と呼びます。 明るい頑張れ論では、頑張れという言葉は『目標達成できるといいね』に重きが置かれていて、これの使用者はほとんどフレーフレーと同じ意味で用います。一方、そうでない頑張れ論は『努力すれ』の比重が大きいので、受け取る人によっては「ふざけんな!」となるので注意が必要となるわけです。 一般に、明るい頑張れ論は儀礼的行為に比較的従順なタイプが用いやすい傾向にある気がします。バイトで特に深く考えず、ただの帰りの挨拶として残業の人にも一緒に帰る人にも「おつかれ〜」といってるタイプの人。 一方、おつかれというのはおつかれさまでしたの意味で、仕事の終わった人をねぎらう言葉であるから、残業の人に言うのは変だ。だから「お先に失礼します」と使い分けるのが正しい!というタイプの人は、頑張れという言葉をとっても、使い方に気を使っていそうです。 言葉というのはデリケートなものなので、好意でいってるのが明らかなのに、それでイライラする人というのは存在します。だから、好意を怒られたからといって、怒り返すのはやめましょうねという話。 ちなみに僕は何も考えずすぐにガンバという言葉を使う癖がありますよ、へっへっへ。ってそれ一番ダメだから。 |
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