Top>一般ログ>03.体罰 |
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友人宅の呼び鈴を鳴らしたが誰も出てこなかった。 「あれ?」 「ピンポーン」 もう1度呼び鈴を鳴らす。 家の奥のほうでドタバタと音がしてドアにドンとぶつかる音が聞こえた。 その後ちょっと待っていると、ドアの鍵が開く音がして、扉の向こうから友人が 眠たそうな顔をのぞかせた。 「ああ、なんだ、君か」 「おはよう。さっき何かドアにぶつかったようだけど?」 「ああ、こいつが外に出ようとして失敗したんだろう」 そういって友人は視線を下に落とした。 ぼくもつられてみると、いつも友人の側でごろごろしている猫がのびている。 扉に頭をぶつけたようだが、随分、どんくさい猫だ。 おそらく丸々と太っているのが災いしてストップがかけられなかったのだろう。 ふと思ったのだが、ぼくはこの猫の名前を知らない。 随分ながいこといるようだが気にもしていなかった。 「そういえばこの猫って何ていう名前なんだい?」 「クロだ」 「白いじゃないか!!」 足元でのびている猫はどこからどうみても真っ白だった。 友人は面倒くさそうに頭をかいた。 「別にクロだろうがシロだろうが、猫にとってはどっちでもいいことじゃないか。それよりこんな朝早くいったいどうしたんだ?」 「朝って。今はもう正午だよ。相変わらず君の生活習慣は随分乱れているなぁ」 「まったくだ。それを承知して私の家を訪ねるなんて君は罪な奴だ。ちょっと着替えてくるから応接間かどこかで待っててくれ」 「わかったよ」 そういってぼくは家に上がらせてもらった。 応接間でしばらく待っていると、友人が煎餅とお茶を乗せた盆を持って現れた。 いつも煎餅だ。 友人はテーブルに盆を置くと、向かいのソファに身を沈めた。 「で。今日は一体何の用かな」 「君はさ、体罰の問題についてどう思う?」 「体罰?ずいぶん古い話題だな」 「古いのかい?確かに話題になるような教育現場での体罰問題は、もう長い間起こっていないけど、家庭での虐待や、それにまつわる問題は現在進行形じゃないかな」 「そっか。しばらく見かけないから下火になったもんだと思い込んでいたよ。そうだね。当事者には現在進行形だ。で、君は体罰の問題に関して、どうして私に聞くんだ?別に私がどう思うか君が知ったところで現状は何も変わらないと思うけど」 「今回はね、ちょっと昨日の晩、インターネットでいろんなサイトを閲覧していたんだけど、そこでぼく自身がいろんな意見を見て頭の中がゴチャゴチャになってしまったんだ。体罰を肯定する意見も否定する意見もどっちも間違っていないような気がしてね。だから、君ならどういう判断を下すか知りたくなってしまったんだよ」 「また私の意見?それより君はどう思うんだ」 そういって友人は煎餅を口にした。 ぼくも手を伸ばす。 「ぼくは、最初はね、体罰も仕方ないんじゃないかなって思ってたんだ。今の世の中、甘やかされて、温室で育った子供もいるし、無抵抗に育てていては、わがままに育つだけだって思ってね。でも反対意見を聞くうちに、体罰を肯定することに疑問をもってしまったんだよ。例えば、ものごとを解決するのは、別に力ではなくて、言葉でもできるはずだし、暴力によって心に傷を負ってしまう人だっているんだ。他にも、虐待を受けた子供は、将来暴力をふるってしまうっていう話もあるらしいし。じゃあ体罰なんていらないんじゃないかってね。でもその一方で身体で覚えたことは一生忘れないっていうし、体罰を受けて感謝する人もいる。それで、うーんってうなってしまった訳さ」 「なるほどね。結局両方の意見を聞いてしまって落ち着かなくなってしまったってことか」 「うん、そういうことだ」 お茶をすすりながら友人はおもむろにいった。 「じゃあさ、君はどうしてそういうことになったか分かるかな?」 「そういうこと?」 「つまり、どちらの意見も間違っていないように聞こえることさ」 「うーん。それは、考え方が違うからじゃないかな。文化とかそういうものかもしれない」 「同じ文化内にでも体罰を肯定する人と、否定する人がいるんだろう?文化的なものじゃないことは確かだね」 わからなかった。 ぼくはソファの背もたれにゆっくりと身体を預ける。 「わからないよ。教えてくれ」 「もうちょっと考えた方がいいんだけどなぁ。・・・えっとね。話が噛み合わなくなってしまったかとか、どっちの意見も間違っていないように聞こえるとかっていうのは、特に、同じ文化内、同じ常識内でそれが起こる場合、大抵言葉の意味にずれがあるからなんだ」 「ずれ?」 「うん。リンゴっていう言葉1つとっても、それでイメージする『リンゴ』は人それぞれ違うんだ。今回君が悩んでいるのもそれに当たるね」 「まだちょっとわからないなぁ。どんな言葉でも人によって、意味が違う、それは知っているけど、それがどうしてぼくが悩んでいることに関係するんだ?」 友人はふふふと笑って 「だってそれは君、今の話を聞いていると、意見同士に体罰の意味の解釈のずれを感じてしまうじゃないか。この場合は正確にいうと、反対意見は暴力、あるいは虐待。対して肯定意見は体罰について話を進めているだろう?話が噛み合う訳が無い」 「しかし、体罰は、結局は暴力だし、虐待も組み込まれることもあるだろう?」 「あぁ。何をいっているんだ君は。同じ行動をとっていても、そこに含まれる意思が違えば、当然意味が変わるに決まっているじゃないか。強姦は罪だが、同意の上での「ごっこ」は罪じゃないだろう?弱いものに対する、過剰に理性が外れた攻撃は虐待。自分の我を通すために振るうのが暴力。罰としての意思を伝えるのが体罰。全然違う。もちろん、これらは受けての受け取り方による部分も多いけどね」 「あ、そうか」 「そうだよ。それを踏まえて考えれば、納得がいくだろう?」 「うん。要するに、体罰の名を借りた虐待や、暴力はいけないということだね。すると、体罰はあったほうが良いのかな?」 「それは私たちが決めることじゃないね。実際に、体罰は攻撃属性を持っているんだし、罰としての意味をもつ体罰を、虐待だと感じる人間もいる。他にも体罰の意味を勘違いしている教師や、理解していても正しく使えない教師もいるんだから。良いか悪いか、それは状況をみて世間が決めることだろう」 「うーん、なるほどねぇ」 ぼくはもう1枚煎餅を食べながら納得した。 友人は湯飲みにお茶を注ぎながら、言葉を続ける。 「ただしここで忘れてはいけないのが、言葉の重みは結局、直接的な経験記憶にはたどり着けない部分もあるってことと、罪に対する正当な罰は与えられるべきということだ」 「それはどういうことだい?」 「そうだなぁ。わかりやすくいうとね、例えば連続殺人犯がいたとして、裁判官が彼を説教するだけで無罪放免するとしたらどうだろう。周りの人間は納得するかな」 「しないだろうね。だって何か理不尽じゃないか」 「だろう。これが言葉ではたどり着けない経験記憶への重み、それから罪に対する正当な罰は与えられるべきといった意味の一方の面だ」 「ちょっと待てよ。連続殺人犯と、学校内で起こる、子供の罪は全然違うだろう?いっしょにしたらまずいんじゃないか」 「あのね。ここでいっているのは罪の大小や規模じゃなくて、それで納得できない人間がいるかどうかっていうことなんだ。それくらいわかるだろう」 それはそうだ。 ぼくは顔が真っ赤になってしまった。 変な反論はしないに限る。慌てて続きを促す。 「と、ところで、さっき君はもう一方の面っていったよね。もう一方って何だい?」 「もう一方?ああ。それはね。罪を犯した人間は、それが不本意で、他人に迷惑をかけてしまった場合は罪悪感を感じるんだ」 「え。どういうことだい」 「そのままの意味さ。どこにでも罪を犯したことに対して強い罪悪感を持つ人間がいるってことだよ。それで、だ。そんな物凄い罪悪感を感じている人間に、ただ叱責するだけっていうのはどうだろう。もちろんそれで罪悪感が晴れる人間もいるけれど、やっぱりそれではケジメがつかないっていう人間だっているんだ」 「例えば、何億円もする絵を破いてしまったけど、持ち主が笑って許してくれた場合とかかな?たぶんぼくはこういうときは凄く申し訳ない気持ちになると思うよ」 「そうだね。そういう人には、償いという意味で相応の罰があったほうが、良い・・・というか心が落ち着くだろうね。罰っていうのは無限に続きかねない自責の念を晴らしてくれる効果があるんだ。でも言葉では、その効果に限界がある。そういうことだね」 「うー・・・ん。要するに、まとめると、体罰の是非を議論をする際、虐待とただの暴力、それから体罰を混ぜて考えてはいけず、それから、体罰の外観、意味、効果をちゃんと理解した上でそれを無くすことに賛成するかどうかを考えないといけないわけか」 ぼくは、すっかりヌルくなってしまったお茶をすすった。気が付くと、先ほどまで玄関でのびていたはずの猫がいつのまにか友人の隣までトコトコ歩いてきている。友人はヨイショといって猫を膝のうえに抱えた。 「どうやら君の心も落ち着いたみたいだね」 「ああ。ありがとう。確かに君の意見はいらない訳だ。なるほどと思ったよ」 「それは良かった。私も貴重な朝を潰したかいがあるというものだ」 「全然朝じゃないじゃないか」 そういうと友人は笑った。 「そうそう、ここからはまったくの余談になるんだけどね」 猫に無理矢理煎餅を食べさせようとしながら友人はいった。 猫は必死でもがいている。 この猫はいつも友人に近付いては嫌がらせを受けているのだが、嫌なら近付かなければよいと思う。最近気付いたことだが見ているとどうも、構ってもらえるのが嬉しいらしい。そう考えるとこの猫も、ある意味なかなかどうして幸せなのかもしれなかった。 「余談?」 「余談だよ。君は議論をするさいに気をつけるべきことは何だと思う?」 「相手の意図を汲み取ることかな?」 「その通りだ。じゃあ恙無く進めるためには?」 「うーん、揚げ足をとらないこと?」 「惜しい。確かにそれもそうだけど、もう一つあるんだ」 「それは何かな」 「うん。理解する時は、混ぜて考えて、判断を下す時は、分けて考えることだ」 「ん?どういうことだい?混ぜて?分けて?」 「そうそう、人は思い入れで、混ぜて理解することを拒否したり、分けて考えることを拒否したりすることがあるけど、議論が進む時にいちいちそれに対処していては時間がかかるからね」 「あ!さっきぼくがいった、連続殺人犯の罪と、子供の罪でつっかかるようなことか」 「そう、それもそうだ。もっとわかりやすい例を引いてみると、染髪なんかそうだね。染髪を理解する時、若者が黒い髪を茶にしたり、歳をとった大人が白髪を黒くしたりすることだ、って説明するとわかりやすいけど、そこで、歳をとった大人が、あんなチャラチャラしたものと一緒にしないでくれ、なんて反論されると、気持ちはわかるけどってなるよね」 「違うけど、同じことをしている・・・」 「逆に、染髪についてどうこういうとき、歳をとった大人が髪を染めているんだから、若者が髪を染めてどこが悪い、って主張されるのも困るだろう。全然意味が違うんだから」 「こっちは同じことをしているけど、違う訳か」 「そういうことだね。だから、議論の主旨を理解することは大切なんだ。関係無いところで、思い入れの反論が入ると、別にいいといえばいいけど、議論の進行が滞るからね。逆に混ぜっ返したかったら、理解する時は分けて考えて、判断を下す時混ぜて主張すればいいんだ。ヤナ奴って思われるよきっと」 そういって友人は再び笑った。 |
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