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2003/06/23 | 生理的嫌悪感 |
2003/06/29 | 新ダイエット法! |
2003/08/28 | クリティカルシンキング |
2004/12/07 | 背を伸ばす方法 |
2009/01/15 | 目の動きから心が見える |
2016/08/05 | 赤ちゃんのいろはにほへと |
何故人間がゴキブリや蜘蛛などが嫌いかというと、簡単にいえば過去の経験+生理的嫌悪感ということになる。 ところで過去の経験というのは生理的嫌悪感を強く経験したことによる精神的ダメージが尾を引いたものであることが多いので、こちらも結局生理的嫌悪感という事になるだろう。さて、それでは生理的な嫌悪感とは何なのであろうか。 その前に予備知識を提供しよう。 人間は共感という、相手に感情移入する才能を持つ。 これは全ての感情の引き金にもなるもので、近くの人間が悲しいという精神状態に置かれたときに自らも悲しく感じたり、近くの人間が楽しいと感じたときに自らも楽しいと感じさせるものである。 しかも、共感は人間相手だけではなく、全ての存在するものに当てはめていく事が出来る。 例えば子犬が哀しげに鳴いていれば可哀相に思って何とかしてやりたいと思うし、怪我して痛そうにしていれば、痛そうだなと思って助けてやろうと思ったりもする。それは動物だけではなく、機械や、はては抽象概念にすら及ぶ事があるのだ。 それゆえ一般に感性豊かな人ほど、共感しやすいともいえるだろう。 さて、生理的嫌悪感である。 これは共感したくないのにしてしまうことが最たる原因だといえる。もちろん遺伝子とか本能ではない。解かりたくないのに、共感できてしまいそうな時に生理的嫌悪感が発生するのだ。 生物として別物でありたいと思う気持ちと、解かってしまう共感性の強さとの葛藤が生理的嫌悪感の正体なのである。 どういうことか。 男性の同性愛者に嫌悪感を覚える男性の生理的嫌悪感も、筋骨流流な男に対する女性の生理的嫌悪感も、さくらタンハァハァといってる男性に対する女性の嫌悪感も、身をもって説明されればわかってしまいそうな気がするからこそ発生しているのだ。 勿論、解かりたくないと思うのはおよそ文化的なものでしかないのだが――。 ただ、ゴキブリに至っては、気持ち悪い生態で生物として解かりたくないのに、他の小動物に対するものと同様共感可能でありそうなのである。しかもそれが積極的に向かってくるのだからたまらない。だからゴキは嫌われるのだ。 猫耳装着に至っては、気持ち悪い生態で健全な人間として解かりたくないのに、他の人間に対するものと同様共感可能でありそうなのである。だからネコミミは女性に拒否されるのだ。 そうだったのか。 |
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特命リサーチ200Xという番組を見ました。 今年もダイエットの季節がやってきたそうで、苦痛を伴わないダイエット方法が紹介されていました。 何と、それを実践するだけでご飯大盛り一杯分、1時間歩行並のカロリーが消費されるそうです。今年の夏は此れで決まりですね。 その方法とは、俗にいう冷却シートを肩に貼るだけという単純なもの。 どういうことかというと、これはようするに身体に外気温が低いと錯覚させて、全身の体温を上昇させ無駄なカロリーを消費させるという単純な仕組みです。 摂取カロリーは減らさずに消費カロリーが増えるだけですから、一月も続ければそれは痩せるでしょうね。 ただ注意点として、消費カロリーが増える分お腹がすくそうですから、普段どおりの食事摂取を維持するように努めることが必要だそうです。なるほど。 あれ? でも待ってください。 運動せずに消費カロリーを増やすという事は、筋肉がついているわけじゃないんですよね。でも消費カロリーが増えるからお腹が普段よりも空く。つまり普段食べてる食事を100とするなら消費が120になって、20の分お腹が空くっていうことですよね。そして20痩せる。 …。 このダイエット方法を実践せずに、食事を減らしてみるとどうなるでしょう。 つまり、普段の食事を100とするなら、摂取が80になって、20の分お腹が空くということになります。そして20痩せる。 一緒じゃん。 ダメじゃん新しいダイエット法。 |
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今日は日経サイエンスの10月号を読みました。10月号て。 日経サイエンスは気が早いのだとしても、たいていの雑誌は発行日が前月とかですよね。例えばマンガの新刊を購入して奥付けをみたら、二週間後に発売予定だった──というのはざらにあります。不思議ですよね。 さて今月号で目に付いたのは作家瀬名秀明さんが毎回ゲストを迎えて対談するコーナーでしょうか。今回のゲストは『人は何故信じるのか』を認知心理学で研究されている菊池聡さんという教授でした。 ところで、『人は何故UFOや宇宙人やノストラダムスの大預言を信じるか』という問いは、個人的にはシャツを前後ろに着るくらいおかしいと思います。なぜなら、その状況を正確に述べたら『何故、人はUFOや宇宙人の存在やノストラダムスの大預言が当たる可能性を疑うか』という表現になるのではないか、と思うからです。 どういうことかというと、ある程度の人は1999年7の月には『人類が滅びるのではないか』と疑っていましたし、今でも『(映画みたいな)宇宙人はいるのではないか』とある程度の人は疑ってますよね。『7の月に人が滅びる』『宇宙人は存在する』と『信じている』のは例え日本においても少数派なのではないでしょうか。 しかして『ノストラダムスの大預言を信じていますか?』というような『信じているか』という問いにすりかえることによって、多数層の『まぁ可能性はあると思う』『どちらともいえない』という意見は『迷信に振り回されている意見の一つ』として処理されてしまう危険が生じてきます。 その辺は処理の仕方だとは思いますが、それはさておき──。 今回の対談ではクリティカルシンキングについて述べられていました。 クリティカルシンキングとは、和訳すると批判的思考──ですが、意味合い的には、どちらかというと偏見を完全に払拭した、どこまでも中立的に事象を検討する考え方という感じでしょうか。 例えば雨乞いという儀式は世界各地に存在したそうですが、何故そういう儀式がまかり通っていたか。 それは雨乞いをした結果本当に雨が降ったからなのですが、実は雨乞いをしなくても雨は降ったのです。しかして人間というものは『雨乞い』という行為が前にあると印象付けられたあとに『雨』が降ったという一連の事項に対して、『何もしなかった』のに『雨が降った』という一連の事項については印象に残りづらい。 そこで人は『雨乞い』したから『雨が降った』のだと心に思い込んでしまうのです。 だからクリティカルシンキングとは、このとき発生する相関の錯覚について『雨乞いしたときに雨が降らなかった可能性』と『雨乞いしたときに雨が降った可能性』、『雨乞いせずに雨が降らなかった可能性』と『雨乞いせずに雨が降った可能性』の全てについて検証した上で、その相関が妥当なものであるかどうかを判断する考え方、と説明しても良いでしょう。 今回の対談においては、クリティカルシンキングの有用性が前面に押し出されていました。 相関の錯覚のせいでおこる、『思い込み』によって『明らかな間違い』や『損害』を回避するのにはそれは有用です。例えば神懸ってる変な宗教に騙されそうなとき、詐欺に遭いそうになったり、人に対する評価を間違えていそうな場合はなおさら有効でしょう。 多少面倒ながら、基本的に間違いの少ない考え方、それがクリティカルシンキングだといえます。 ──が、しかし、この考え方は少々『硬い』と僕は思う。ん?どちらかといえば柔軟すぎる、か。 ともあれ自転車にのっているときに、常にこの右腕の動かし方は正しいか、脚の動きは正しいかということを検証しながら運転しているようで非常に『ぎこちない』といってもいいと思います。 公平かつ自由な考え方だといえば聞こえはいいのですが、四択問題を自ら一万択問題に変えてしまっているために、判断ごとに時間がかかってしまうのが弱点なんです。 自転車の乗り方は慣れれば気にならなくなるのが通常ですが、クリティカルシンキングとは、慣れてしまった状態を慣れていない状態のものとして『再確認』しているようなものですから、つまり『慣れてはいけない』のがセールスポイントであると同時にウィークポイントなわけです。 クリティカルシンキングは、だから『デメリットを避けるときにのみ使えばいい』ものなのです。それ以外に用いようとすると、例えば自らのメリットのために使おうとしたり、誰かに押し付けたりしたら避けられます。当然です。だってそうなってしまえばそれはただの他者支配ですから。 信じるものを剥奪しようとするとかそういう次元の問題じゃないんですね。 さて、ここで最初に戻りましょう。 例えば日本人は『血液型占い』を『信じている人が多い』というのは有名ですが、この言葉の正体は『血液型占いには当たる要因があるのではないか』と『疑っている人が多い』ということでもあります。 人間は臆病で狡賢い生き物ですから、重大なメリットデメリットが存在する可能性や、ノーコストでのメリットデメリットは極力挑戦したり回避しようとする。一度でも紐が切れたことのあるバンジージャンプアトラクションがあれば、挑戦者数はがた落ちするのです。天文学的に当たらない宝くじでも、最高額が増えると購入者が増えるのです。お酒のタダ券は欲しがるし、事実無根の批判には腹を立てるのです。 そんな簡単な事実を知った上でなら、無関連事実の相関を錯覚したがる人間の心理も分かるというものです。 一度でも紐が切れたことのあるバンジージャンプアトラクションに誘う文句として、参加する考え方として、前回紐が切れたことと今回紐が切れることは無関連だし、今回は整備されているから大丈夫だよ、という言葉や考え方が一体どれほどの適切だといえるでしょうか。 宝くじなんて期待値が100%を割っているんだから買わないほうが得だ、という言葉がどれほど有効に働くでしょうか。 溺れる人間は藁をも掴むのです。 迷信だし労力が無駄だからと行わない、ということはすなわち、希望を捨てるということです。 実につまらない。 …ですので個人的な意見なのですが、クリティカルシンキングというのは、あくまでデメリットを避けるか、ツッコミを入れるか、ツッコミを受けたくない場合、そしてその思考を場が求めているのではない限り、行わないほうが『楽しい』と僕には思えるのですよ。 |
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あさりよしとお氏の『まんがサイエンス\』が発売されているのを発見して購入。 ここの一番最初に『ねる子は育つ?──背を伸ばす方法──』が収録されていました。 簡単に纏めると次の通り。
ふむふむなるほどなるほど。 ところで僕は小学校時代恐ろしいほど牛乳を摂取していたんですよ。 まぁそれは背が伸びろ〜というような積極的動機ではなく、偏食が祟ってそれしか摂取するものがないから仕方なく牛乳を飲んでいただけという消極的理由でして、さほど好きとかそういうわけでもなかったんですけどね。それでも牛乳を飲んでる割に背は伸びないなぁと母親などに首を傾げられたものなんですよ。ははぁ。しかして、そういうカラクリがありましたか。 とどのつまり、背を伸ばすためには、たんぱく質とカルシウムをバランスよく摂取しつつ、昼間はよく身体を動かし、夜はしっかり眠る。米等の炭水化物は控えめにすれば良いわけなんですね。 実際、背が高くなるための方法なんて健康な生活を心がければ意外と簡単なことなんです。 ということでここを読んでるみんな、頑張って高身長目指してくださいよ(≧∀≦)○ 若いっていいなぁ(つД`) |
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こんばんは、咲村です。 人間の目って良く観察してみると、あっちゃ向きーのこっちゃ向きーの細かく動いてますよね。 人の顔をじっと見るときですら、目や口や鼻などを行き来して絶えず動き続けてます。 寝て夢を見てる間も起きてる間もずっと動いてるわけで、お前は心臓かといいたくなるほどの超過密労働。目ってほんと考えたら動きっぱなしで凄すぎますよね……。 さらには「あ、スカートだ」とか「あ、白だ」とか興味を持ったものに対して素早く反応して頭に映像を送りこんでくれる働きもしてくれます。 そういった、跳躍するような目の動きはサッカード運動と呼ばれるんですが、この記事によるとその程度の働きなど、眼球の実力のほんの一部に過ぎぬわということらしいです。こう書くと透視でも出来そうな勢いですがそれは違くて。例えば人間が何かを凝視して一瞬たりとも視線を逸らせていないと思ってるとき。 そういう時でも眼球はピクピク動いてまるで落ち着きのない子供みたいにうずうずしてるんです。 こういうピクピクピクピクピクとした動きのことを固視微動といいます。ちなみに何故わざわざピクピクしてるのかというと、完全に静止した映像を脳に送り続けると、脳の中の人が段々慣れてきて「もう飽きたー」といって視界から映像を消失してしまうからという説が有力らしいです。実験するとまじで見えなくなったそうです。 「でもよーピクピクしてたら手ぶれカメラと同じだしぶっちゃけ見づらいじゃん」という説もあるそうですが、そこは脳の中の人が巧く処理してるんだって。 錯視で有名な立命館大学の北岡明佳さんの『止まってるけど動いて見える錯視』みたいなのは固視微動が関係してる可能性もあるそうな。 さて。 さらに詳しく調べたところ、人間の目はたまにピクピクピクッピクピクといったように、ひときわ大きく視線が動いていたらしいです。この固視微動のうち大きな視線の動きはマイクロサッカードと名付けられています。チラ見みたいなものでしょうか。 しかしとりあえず良い感じに名前を付けてみたものの、一体こいつなんなの?という話になったわけです。何しろ存在意義がわからない。 偉い学者さんたちも 「そもそも固視微動があるのにさらに大きく動くとか意味不明すぎだろw」 「どうせ神経が痙攣してるとかじゃね?」 「でもちょっと見てみろよ、精密作業中はマイクロサッカードが発生してなくね?」 「ホントだ、何コレwww」 と結構長い間謎めいた動作だったらしいんです。 でもこの記事を書いた人は考えた。 「良く考えたら確かに固視微動することで『見たいと思う対象』は視界に固定されるけど、それだけだと逆にその周辺の物体とか見えないんじゃね。集中すると周りが見えなくなるのはマイクロサッカードが行われてないからとかw」 「「そ……」」 「「それだーー!」」 というわけで、実験してみたらしいです。
OK正解だ( ,_ノ`)b さらにマイクロサッカードの動きを調べてみると、その人の興味のある物体(例えばケーキとか)や注意している物体の方向にマイクロサッカードが偏ったらしいです。 つまりマイクロサッカードの傾向を読み取ると、その人が興味を持っている対象が如実にわかるというわけなんです。結構恐ろしい話ですよね。 記事はまぁ普通の人にはそんな目の動きなんて解らないけどねwというようなノリで締めくくってありましたが、僕としては人間の勘と経験と洞察能力はもっと高いと思うので、誰が何に興味を持ってるかなんて『なんとなく』ですぐばれるんじゃないかなと思いました。まる。 |
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こんばんは、咲村です。 日経サイエンスの2016年3月号で『赤ちゃんの超言語力』という記事がありました。 要約すると、赤ちゃんは世界にある7000の言語のいずれも修得する能力があるなぁぜ? 答えは赤ちゃんが凄いからさHaHaHa! ということなのですが、細かいことを書くとこういう話が書かれていました。 ・世界中の言語には800の音素があり、生まれたての赤ちゃんはそれらすべてを識別できる。 ・生後6ヶ月〜1年のうち2〜3ヶ月の間『敏感期』に入り、自分の言語の音素を良く認識するようになる。この時期に母国語の神経系の接続が確立するので、ここで複数の言語に接していなければ別の言語の接続は確立しない。 (母音は6ヶ月、子音は9ヶ月頃から) ・この期間に第二言語に触れると、『敏感期』が延長される。 ・見たり聞いたりするだけでは音素の習得には繋がらない(日本人がlとrの区別が付きにくいのもこれ)。 (Patricia K. Kuhlさんの実験によると以下の結果となったらしい)
・単語の意味理解には、母親語(マザリーズ)や親語(ペアレンティーズ)と呼ばれる幼児語が、実は幼児の学習に役立っているらしい。 ・幼児語をつかう家庭と、そうでない家庭では、1年後、幼児語を使う家庭のほうが2倍の単語を覚えた。 (コネティカット大学のラミレス=エスパルザさん調べ。いつからいつまでの幼児を対象にしたのか、が書いてない。。) なるほどなぁ。てことは、今子供が7ヶ月になろうとする頃だから、この時期に英語のネイティブスピーカーと触れえれば良いわけか。 ってそんな人は身近にいませんけどね!! …… 僕が関西弁のネイティブスピーカーで嫁が博多弁のネイティブスピーカーなので、そこはばっちりマスターしてくれると思います。 |
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