崇蓮寺の前を通って桜馬場から西南方向へ辿る小路は古来の本道と称され、中世期まではむしろこの道が栄えていたと言われ「隔夜道」と別称されていた。
この名称は奈良高畑の隔夜寺と長谷寺の隔夜堂との間を一晩おきに行き来した念仏の徒、隔夜僧の通用路であったという。長谷寺の隔夜堂は時代によって移ったものであるが、明治初期まで隔夜僧がいたことが伝えられている。