「倭姫命世記」に載っている「伊豆加志本宮」に比定され「長谷寺霊験記」によると、946年(天慶9年)天神(菅原道真)が雷神になって峰に降臨し「与喜大明神」と称した。天満神社としては最古である。現在の社殿は江戸時代(1818年)に長谷寺によって再建された建物である。
天慶9年(946年)、神殿太夫武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が座っていた(現在の切石御旅所の地)。 翁に武麿もついて行くと、翁は川で禊ぎを(現在の橋詰め御旅所の地)された後、十一面観音を参り、滝蔵権現に参ると、急に黒雲が湧いてきてその翁を包み、翁は立派な衣冠装束姿となり「私は右大臣正二位天満神社菅原道真」と名乗り、「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って 言葉の通り神鎮まったという。 これが與喜天満神社のはじまりで、 與喜という神社号は、滝蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃったことから起こったと言われている。 そして天暦2年(948年)7月、武麿は神殿を建立した。