かつて月一回、與喜天満神社境内の菅明院で連歌会があり、長谷寺の僧侶が必ずこの橋を通ってその会へ臨んだことから「連歌橋」という名が付けられたと言われている。昔は太鼓橋であった。
連歌は室町時代から江戸時代末期にかけて行われ、長谷寺は国内一連歌の盛んな所であった。
また、連歌橋の付近一帯が源氏物語、玉鬘巻に出る「古河の野辺」でもある。
・いにしへもかく聞つゝや忍ひけん
この古河の清き瀬音を
(万葉集/読人しらず)
・涼しさは秋や帰りて初瀬川
古河のへの杉の下かけ
(新古今集/有家)
明治の初期には、初代町長が与謝野鉄幹と連歌を詠んでいる。