飯貝御坊
本善寺
奈良県吉野郡吉野町飯貝567
TEL・FAX 0746-32-2675
本善寺は、文明8年(1476年)、蓮如上人の御創建であります。
上人自らお同行と共に汗をながして立てられた、全国でも数少ない寺院の一つです。
吉野は、伊勢街道が通り東西交通の要所でありながら、北方からは険しい峠を越えなければ入れないという守りに最適の場所であり、南北朝時代には後醍醐天皇により開かれたもう一つの都との思いの強い場所であり、また、覚如上人と存覚上人のご教化により小さいながらも門徒集団ができていた、等々により、この飯貝の地に、仏法弘通の勇断を持って、一宇を建立されたのであります。上人は、本願寺の本の一字を取られて、『本善寺』と名付けられました。
石山合戦時(天正六年)に、織田信長の命を受けた筒井順慶の吉野攻めにより消失しますが、すぐに同じ場所に再建され現在に至ります。参詣された誰もが、『懐かしい思いのするお寺ですねー』と申されます。以後、ここを拠点にして大和地方の教化が進められます。
明応四年、蓮如上人は、上人の第十二男『実孝』が誕生してすぐ、後継住職に定めおかれます。実孝は七歳にして入山の時、父蓮如上人と親鸞聖人の御遺骨(本願寺の書付添付)を携えて来られ、今に伝わります。また、御分骨附属証文も持参され、蓮如上人以後の歴代門主の御分骨が欠けることなく伝わる本願寺派の中では比類無き寺院であります。
以後、一家衆として、大谷家と姻戚関係を保ちながら本願寺と共に歩み、法難等も共に受けますが、一方、江戸時代には、否応なく権力構造に組み込まれ、全国に九つあった別格別院として本願寺を支える重要な寺院の一つでありました。
蓮如上人のご因縁の土地としてご教化あらせられた由緒は、上人御真筆の『お名号』や『御文章』を始めとする沢山の文書類の法宝物、また上人ご在世中にご教化の方便として使われたという、親ら接ぎ木せられた『松柿』の遺跡等に留められています。
蓮如上人のご遺徳を偲び報恩させて頂くには、この私がご聴聞させて頂くことであるとの思いから、当山では、従前の法座(報恩講・蓮如忌・彼岸会・永代経等)に加え、
『蓮如上人鑚仰法話会(毎年海の日)』『蓮如上人御一代記聞書講座(年四回)』や境内の蓮如上人懐の桜・樹齢三百年の枝垂桜が三月末にいっせいに咲き乱れるのにあわせて楽しみも加えた『夜桜法話会』等の法座(法座のご案内を参照)が持たれています。近年は、近在の門信徒は勿論、近畿一円の有縁の門信徒のご参詣を得て賑やかな法座となり、蓮如上人以来の法灯が護られています。御縁があれば、ぜひともご参詣ください。